2025年5月10日
一方その頃――株式会社MEDIXの会長室を後にしたアイリスディーナ・ベルンハルトは、決然たる足取りでZIZAIの本社へと向かっていた。
彼女の紅い瞳には、燃え盛る決意の炎と、仲間たちを守り抜く揺るぎない忠義が宿っていた。
単身で赴くなど、彼女の流儀ではなかった。
信頼する戦友――ファム・ティ・ランとアネット・ホーゼンフェルト――を伴い、三人は冷たい鋼鉄の巨塔へと足を踏み入れた。
ZIZAI本社は、まるで感情を殺した無機質な要塞のようだった。
白い壁が冷たく光を反射し、足音すら吸い込まれそうな静寂が支配する廊下。
案内された会議室は、広大で、しかしどこか息苦しい空間だった。
やがて、扉が開く。
ZIZAI社長、白鳥聡。
鋭い眼光と、感情を押し殺した仮面のような表情。
彼は無言で三人を迎え入れ、ゆっくりと席に着いた。
アイリスディーナは深く息を吸い、一呼吸置いた。
「白鳥社長、ハインツ・アクスマンの所業について、話がある。」
その声は静かでありながら、刃のように鋭く会議室の空気を切り裂いた。
彼女は語り始めた。
ENTUMの解散。
アクスマンの策略によって引き裂かれた仲間たちの運命――ニーツ/VT-212、ミディ、御来屋久遠、月夜ソラ、夜桜カノン、花野蜜。
2019年12月31日の、あの絶望の夜。
エクセルヒューマンでの霊感商法、マルチ商法への関与。
ミライアカリへの執拗なパワハラ、暴言、引退の強要。
そして今なお、彼女の版権を金に換えようとする卑劣な企て。全てを、容赦なく、しかし克明に突きつけた。
ファム・ティ・ランが、冷静沈着な声で補足する。
「アクスマンの行為は、VTuber業界全体の信頼を根本から損なうものです。彼の存在は、ZIZAIの名誉を貶めるだけでなく、業界の未来そのものを危うくしています。」
一方、アネット・ホーゼンフェルトは感情を抑えきれず、拳を震わせながら声を荒げた。
「彼はミライアカリを……ぺぺちを、ただの商品としてしか見ていなかった!そんな男を絶対に許すわけにはいかない!」
白鳥聡は、終始無言で耳を傾けていた。
表情は変わらない。
しかし、その瞳の奥に、微かな――本当に微かな――動揺の波紋が広がっていた。
VTuber事業など、彼にとっては単なる駒の一つに過ぎなかった。
だが、アイリスディーナの言葉は違う。
そこに宿る情熱と、正義感と、仲間を思う熱い想いは、冷徹な計算を司る彼の心に、確かに一石を投じた。長い沈黙が落ちた。
やがて、白鳥はゆっくりと口を開いた。
「……アクスマンの行為は、確かに看過できない。」
低く、抑揚に乏しい声。
しかし、そこには紛れもない決意が込められていた。
「ミライアカリの版権についてだが……ZIZAIとしては、版権を共有する形であれば、アクスマンを解雇する決断を下す。」
アイリスディーナの瞳が、一瞬、驚きに大きく見開かれた。
だがすぐに、彼女は理解した。
これは妥協ではない。
アクスマンの排除と、ミライアカリの未来を守るための、確かな第一歩だ。
「その条件、受け入れましょう。」
力強く、しかし安堵の色を帯びた声。
ファムとアネットも、互いに視線を交わし、静かに頷き合った。
「ただし、白鳥社長。」
アイリスディーナは、さらに言葉を続けた。
「アクスマンのような者が、再び業界に暗い影を落とさぬよう、ZIZAIの責任も問われるべきです。DMMの狗として動くのではなく、VTuberたちの夢と情熱を尊重する企業であってほしい。」
白鳥は一瞬、目を細めた。
しかしすぐに、小さく頷いた。
「……その言葉、肝に銘じよう。」
その瞬間、商人としての冷たい仮面の下に、ほんの一瞬だけ、人間らしい光が垣間見えた気がした。
会談を終え、ZIZAI本社を後にする三人の背中には、仲間たちへの希望と、アクスマンの悪行に終止符を打つ固い決意が、確かに宿っていた。
西園チグサ、ベアトリクス・ブレーメ、あおぎり高校の仲間たち、そしてミライアカリの魂を継ぐ全ての者たちへ――この戦いは、まだ終わらない。
だが、アイリスディーナの胸の奥には、確かな光が灯っていた。
「アカリの遺志を引き継いだVTuberは、決して折れない。私たちが仲間と共に、未来を切り開く。」
その誓いは、夜風に乗り、星空へと高く響き渡った。
まるで、闇を切り裂く一筋の希望の光のように――。
同じ日の午後――ZIZAI本社の玄関を、冷たい自動ドアが無情に閉ざした瞬間。
ハインツ・アクスマンは、懲戒解雇の辞令を握りしめたまま、灰色の空の下に立ち尽くしていた。
「……ふん。白鳥聡め。アイリスディーナの甘言に屈するとはな。」
口元に浮かぶのは、いつもの薄ら笑い。
しかしその瞳の奥には、煮えたぎる憎悪と、計算高い光が渦巻いていた。
ポケットに突っ込んだ辞令の紙が、指の力でくしゃくしゃに歪む。
「まあいい。所詮は駒が駒を切り捨てただけだ。」
彼は踵を返し、街の喧騒の中へと溶け込んだ。目的地は――ハローワーク。
再就職支援窓口の無機質な照明の下、アクスマンは端末の画面を睨みつけていた。
隣には、いつものように忠実な側近、ミヒャエル・ゾーネが控えている。
「中佐……この状況で、よくもまあ平然としていられますね。」
ミヒャエルが小声で囁く。
アクスマンは鼻で笑った。
「人間とは醜い生き物だと言ったろう? 落ちるときこそ、這い上がるチャンスを探すものさ。」
スクロールする指が、ぴたりと止まった。
【株式会社viviON あおぎり高校プロジェクト 運営スタッフ募集】――急募。
VTuber事業経験者優遇。管理職候補。
画面に映る文字に、アクスマンの唇がゆっくりと弧を描いた。
「ほう……あおぎり高校か。音霊魂子、石狩あかり、栗駒こまる……あの連中の巣窟に、自ら飛び込むとは面白い。」
彼の瞳に、暗い愉悦の色が宿る。
「ゾーネ大尉。面接の準備をしろ。今すぐだ。」
「は……? ですが、急すぎでは――」
「時間がない。奴らの懐に潜り込み、内部から腐らせてやる。ENTUMの残党どもを、笑いながら叩き潰すのに、これ以上の舞台はない。」
二人は即座に動き出した。
viviONの採用担当者が待つ面接会場へ。
簡易的な一次面接。
アクスマンは、まるで王者のように椅子に腰を下ろし、自信たっぷりに語り始めた。
「私は長年、VTuber業界の裏側を知り尽くした男だ。企画、運営、版権管理……全てにおいて実績がある。あおぎり高校のような尖ったプロジェクトを、さらに高みへ導く自信がある。」
ミヒャエルも、冷静に補足する。
二人の言葉は、滑らかで、しかもどこか危険な魅力に満ちていた。採用担当者は、最初こそ驚いた表情を見せたが、アクスマンの経歴と即戦力としての説得力に、みるみるうちに引き込まれていった。
そして――
「採用、決定です。即日勤務でお願いします。」
担当者の言葉に、アクスマンはゆっくりと立ち上がり、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いしますよ。」
面接室を出た瞬間。アクスマンの顔に、抑えきれない嗤いが広がった。
「くくっ……はははっ!アイリスディーナ、ベアトリクス……お前たちが守ろうとする『あおぎり』の城に、この私が、堂々と入り込むとはな。」
ミヒャエルが隣で静かに微笑む。
「これで、内部から全てを……」
「そうだ。醜さを愛せ、と言ったのは私だ。今度は、お前たちにその醜さを、たっぷりと味わわせてやる。」
夕暮れの街に、二人の影が長く伸びる。
ハローワークの掲示板に残された求人票は、まるで運命の悪戯のように、静かに揺れていた。戦いは、新たな局面を迎えようとしていた――。
あおぎり高校の門が、今、最大の敵を迎え入れようとしていることを、まだ誰も知らない。
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