科学で恋は証明されているが実験は行われる。 作:ゆっくりシン
夜。自室にて新見はメイク付きヘッドホンを付けてパソコンのメッセージアプリを立ち上げ、知り合いをボイスチャットに誘う。
数分の後、相手がボイスチャットに参加する。
『ホイホイホーイ! 珍しいね、ニーミちゃ~ん! キミの方からメッセージを送ってくるなんてさぁ!』
やかましい声がヘッドホンを通じて新見の耳に飛び込んで来る。
このテンションはどちらかと言えば苦手な部類に入るのだが、新見が相談の出来る相手かつ同年代の相手は彼女しかいないので仕方がない。
“
機械工学を専門とする技術者であり、畑は違うものの新見と同じ研究者だ。
新見が高校一年生の頃に分野違いの研究者が集まり、各々の分野の実験・研究の成果のプレゼンをする交流会にて出会い、唯一関係の続いている相手である。
「オーディ、相談があるんだが」
『愛称なら“クリス”って呼んでよ~。私はそっちの方が好きだからさ~。まー、そこは兎も角として、相談ってなに?』
「相談の前に前提を話しても良いだろうか?」
『手短にお願いね~』
こほん、と軽く咳き込んでから新見はゆっくりと話し始めた。
「オーディは、誰かを好きになった事はあるか?」
『それって、Love? それともLike?』
「Loveだ」
『あるよ~。なんなら今まさに攻略中だし』
「そうか。……私は、そのLoveが分からないんだ」
本題へと踏み出す。
ここからが本題で、本番で、始まりなのだ。
「そもそも、何故愛だの恋だのという物が存在するのか、……ここについてはオーディも理解しているだろうから省こう。結局は繁殖欲の延長線上であり、達成できなければ無意味になるモノだというのに、『気持ちを伝えられただけでも満足』なんて言い出す者も居る。それが理解できないんだ。だから、それを実験・研究をしようと考えたんだ。……その為には異性の協力が必要だとも思った。そして、その研究の為に選んだのが助手くん――――久我優希という新入生だった」
『選んだ……? 顔でも好みだった感じ?』
「偶然そこに居た」
ガタガタゴトン、と椅子から転がり落ちるような音がした。いや、ようなではない。
新見の発言に驚いたオードリーが本当に椅子から転げ落ちたのだ。
『なんというか、ニーミちゃんらしいと言えばらしいか……』
その言葉には呆れが混ざっていたが、新見はそれに気付いていない。
「それで、だな。案外に彼が実験に協力的だったから、少し調子に乗って無理な実験を行ってしまったんだ。……結果は言わずもがな。安全性を欠いた実験という物はいつの時代も事故が起こるものだ。まさか私がそれを起こす側になってしまうとは……研究者として失格も良い所だ」
協力的だったのは、何かやらかされて自らに火の粉が降りかかる事を恐れていたが故なのだが、新見はそれに気付いていない。
また、オードリーもそこについては知らない為に「良い子なんだなぁ~」とスルーした。
「彼には迷惑をかけたばかりかもしかしたら大怪我を負わせていたかもしれない。こんな私は彼に、見限られても仕方がない。……だけど、せめて謝罪をしたい。何かいい方法は無いだろうか」
『う~ん……』
オードリーは少し唸る。
そうして、たっぷり数秒間唸ってから答える。
『多分、ダイジョーブだと思うよ。うん、ダイジョーブ』
「そうは思えない。危険な実験を行い、実際に事故を起こした研究者の元での実験なんて怖くてできないだろう」
『う~ん、そうじゃあないんだよなぁ……』
オードリーは少し考えてから言葉を続ける。
『そもそも、なんだけどさ。そのジョシュくん? ってニーミの手伝いをしているだけで別に研究分野の人じゃあないんでしょ? それなら、そういう感覚ってないんじゃないかな? ……それに、事故のあった研究って過去に幾つもあるけど、なんやかんや分野の発展の為に人は集まってくるし。ニホン語でなんて言ったっけ? 失敗は成功の基、だっけ? 失敗や事故のない研究なんて無いよ』
「それは、そうなんだが……」
新見は少し俯く。
無意識的に右手が左手首を掴み、ギュッと握りしめている。新見が不安な時にしてしまう癖だ。
それを見て自身の精神状況を把握し、より気持ちが落ち込んでいく。
オードリーはマイク越しにそれを感じ取り、どう言うべきか言葉を選ぶ。
そもそもとして、オードリーはアメリカ生まれアメリカ育ちの米国人である。日本語は個人的事情で学んでいるだけで、普段はアメリカ英語での会話が主なのだ。
つまるところ、日本語はそこまで得意としていない。勉強の為に新見との通話の時は日本語で話すようにしているが、逆に言えば基本的にそれくらいしか話す機会がないのである。
『あ~、そうだね……。一日、様子を見るのはどうかな? 明日の実験にジョシュくんが来れば良し、来なかったらその時にでも考えよう。明日また同じ時間に連絡チョーダイよ』
「……わかった。そうしてみるよ」
『ウンウン、そうしなそうしな』
「相談に乗ってくれてありがとう。それじゃあ、切る」
マウスを操作して通話を終わらせる。
室内は静かになり、デスクトップ画面から放たれる光だけが淡く、寂しく照らしている。
新見はすぐにパソコンをシャットダウンさせると、そのままベッドへと身体を沈め、眼を瞑った。
眠気は無い。不安感だけが渦巻いている。
そして、気付く。一体何が不安なのだろうか、と。
……そもそも、新見は複数人での実験・研究をする事はあれど、一人でそれをやる事を別に苦だとも寂しいとも思ったことはない。
むしろ、親に頼んで興味のあるものを実験・研究する為の部屋を自室以外にも貰う程度にはそういった事を個人で行っている。
それ故に不安の正体がわからない。
酷い言い方をするのなら、久我はド素人であり、科学的分野に関しての知識なんてものを持ち合わせていない。
久我に拘る必要なんてものは無い。また適当に見繕えばそれで終わるだけの話だ。
分からない、故に知りたくなる。新見の性だ。
そっと小さな棚になっているベッドボート手を伸ばし、そこに置きっぱなしにしているペンを持つと、すぐ近くにこれまた置きっぱなしにしているメモ帳に乱雑に文字を書く。
これは、寝る前に気になった事をメモに残しておいて、忘れないようにするための物だ。
それを書き終わってすぐにぐにゃり、と思考にノイズがかかる。
次の何かを考えるよりも前に新見の意識は落ちて行き、数十秒後には静かな寝息のみが室内に音を響かせていた。
☆
アメリカと日本の時差は一三時間程である。
要するに、オードリーはお昼ご飯を食べながら新見の話を聞いていた。
咀嚼する時はミュートにして、飲み込んでから答える。案外気付かれないものだ。
「それにしても、あのニーミちゃんがねぇ……」
オードリーはジャンクフードを口に運びながらスマホを開く。
知り合いから来たばかりのメッセージ。それを見てクスリと笑う。
「きっと大丈夫さ。私の知り合いがそう言っているんだから。」
メッセージの送り主の名前を見ながらそう呟く。ただの独り言であり、既に通話は終わっている為、その言葉の意味を問う者は誰も居なかった。
☆
新見の朝は早い。午前六時には目を覚ます。
これに一切の例外は無く、常に同じ時間に意識が覚醒する。例え、徹夜をして五時過ぎに眠りについたとしても六時にはしっかりと起きることができる。
そして、眠りから覚めれば眠気は消え去り、ハッキリとした意識で覚醒する。
新見が起きて最初にする事は、カーテンを開いて自然由来の光を浴びる事である。これをする事で生物は体内時計をリセットできるのだ。
「あ……」
……残念ながら本日は曇りだった為に日光を浴びる事はできなかった。
数秒程、空を眺めてから視線を室内へと移し、パジャマを脱ぎ、畳んでクローゼット近くに置いてある籠の中に入れる。
壁に付けられている金属製のウォールフックに掛けられている制服に着替える。
姿見で自身の姿を確認しながらキュッとネクタイを締めると、クロ―セットを開く。そこには合計で八着の白衣が収納されている。
元々は二着を着まわしていたのだが、オードリーが面白がって六着ほど袖に色を付けたり、動物のワッペンを付けた白衣としては使い道の無さそうな物を送り付けてきたのだ。
新見は当然ながら無地の白衣に袖を通す。オードリーからの贈り物に袖を通した事は今の所一度もない。
白衣を着てから再度、姿見に自身を映して身嗜みを確認すると、静かに扉を開けて廊下に出た。
家は静かなものだ。
新見の両親は共に仕事人間である。
父は研究者で、職場のラボに籠って研究ばかり。月に二~三日帰ってくれば良い方という生活をしている。分野はバイオ系で、薬についての研究・開発を行っている。特に、ここ数年はそれが悪化しており、文字通り仕事漬けの生活をしている。
母は外資系企業に務めており、数ヶ月に一度のペースでしか帰宅をしない。本人が旅行をするのが好きな気質で、長期間の休みが入ろうものなら結局は国内旅行から短期の海外旅行へ行ってしまうような人だ。毎度誘われては断っている為に新見がその事を不満に思う事もないが。
階下へと降りて台所へと向かう。正確に言えばダイニングキッチンである。
冷蔵庫には前日に作っておいた料理、人参の肉巻き・金平ゴボウ(人参・蓮根入り)・しめじと人参の味噌汁・白米がラップに包まれて入っている。安売りされていた人参を大量に買った結果がこの人参尽くしである。ご利用は計画的にとはまさにこういう事を言うのだろう。
新見は、帰宅してすぐに夕食・朝食・お昼のお弁当分の料理をしている。冷蔵庫の中でラップに包まれている物は朝食用、そして、その隣でお弁当箱に入っているのがお昼用だ。
電子レンジで白米などを温めてからテーブルへと運ぶ。冷たいご飯ではなく。温かいご飯を食べる方が目覚めには良い。
テレビを付けてニュース番組にチャンネルを合わせると、そこから流れて来る情報を耳に入れながら箸と口を動かす。
『本日の降水確率は~』
チラリ、と画面に視線を向ける。高確率で午後から雨が降るそうだ。
それだけを確認すると、画面から目を逸らす。
『先日、××地区で発生した謎の爆発について、警察は未だ調査を続けており、近隣住民からは不安の声が~』
ブツッとリモコンでテレビを切る。
テレビに出る程に暇な専門家という名のコメンテーターが、テレビ受けだけは良いそれらしい論説をぐだぐだと聞く趣味を新見は持っていない。
市内で起こった大きな事件ではあるが、結局は一週間もあればまた別の話題に持って行かれるだろう。そんな事に意識を割くつもりは毛頭ないのだ。
食事を終えるとさっさと食器を洗い、水切りに伏せて置く。
その間は一定のリズムで流れる水の音と、食器が鳴らす音のみが室内で静かに響いていた。
☆
学校での授業という物は新見にとって娯楽と同じくらいに楽しいものだ。
数学・英語・科学に関しては既存知識ばかりだが、知っているからと言ってそれをおろそかにする事はしない。むしろ、基礎の反復学習としてとても真剣に学んでいる。
それ以外の教科に関しては一般的な学生よりも少し優れている程度であり、自らが専門としている分野以外において、新見という少女は案外普通寄りだったりする。
特に、地理歴史科・公民科についてはクラスメイトに新見よりも成績が優秀な者が居る程である。
教師が黒板に書く内容を正確に写すだけでなく、その口から出される内容も書き記す。
専門外と言うだけで新見は歴史が嫌いなわけではない。そもそも、科学の発展には歴史背景が多くかかわっている。
中国の皇帝が求めた不老不死の霊薬が水銀を発見したように。
古代ローマ時代からルネサンス期まで紡がれた錬金術が科学の基礎へと至ったように。
今の科学では否定されている内容であろうとも、それが学問発展に大きく貢献した事実が確かに残る歴史の授業を嫌いになるハズがない。
最も、今は古代オリエントについての授業なので中国の皇帝もルネサンスも関係ないのだが。
そうこうしている内に、時間は流れ放課後を迎える。
謝罪の為に久我の下へ行こうかとも思ったのだが、そもそも彼からどのクラスに所属しているのかを聞いていなかったのだ。
その為、顧問である平塚に聞くことにしたのだ。部室に居れば平塚の方から顔を出すのだから。
一応、職員室を覗いたのだが、残念ながら不在だった。
第二実験室へと付くと、いつもの調子で席に座り、バッグから本を取り出す。
いつも通り、恋愛の勉強である。書店にて『今一番アツイ!』と押し出されていた作品である。
ぺら、ぺら、と頁を捲り、物語を読み進めていく。室内にはその音以外は無く、ただただ静かなものであった。
それから十数分、物語の一章が終わり、二章へと入ろうという所で第二実験室の扉の開く音がした。
咄嗟にそちらへと視線を向け、
「え……?」
新見の口からはそんな声が漏れていた。
「あ、こんにちはです」
ごく自然に、ごく当然と言う様子で久我が入室してきたのだ。
「助手くん……?」
「なんで疑問形なんですか……? はぁ、それで、今日はどんなことをするおつもりなんです?」
「つき合って、くれるのかい……?」
「え、まぁ、そりゃ部活ですし……。一応入部してるんですからやりますよ」
久我は内心で「主語が無いなこの人」と、若干呆れと面倒臭さの混じった悪態を吐きながらそう答える。
当然ながらそんな事を知らない新見は数秒程固まってから、そっと本を置いた。
「そうだね。今日も実験を……と言いたいところなのだが、まだ決まっていなくてね。今日は君の意見を取り入れながら次の実験をどうするかを話し合わないかい?」
「あー……、わかりました」
返事をしながら荷物を置くと、久我は新見の対面に座ろうとして、ある異変に気付く。
「あの~、先輩。昨日あった綱渡りのポールは一体どこへ……?」
「あぁ、君が帰ってすぐに取り外したよ。邪魔になるからね」
「床に何かが設置されていたような跡が見えないんですが……」
「丁寧に設置して丁寧に外したからね。そんな事はどうでもいいだろう。座らないのかい?」
「いやいやいや、人一人支えるポールをどう設置したのかも訳わからないのに、それをさっさと取り外せている意味が分からないんですって!」
カクリ、と新見は首をかしげる。何故に久我が驚いているのかを全く理解できていないのだ。
その姿に久我はそっと天を仰ぐ。
この人に、自分の常識は一切通用しない。改めてそう認識するのであった。