《目が覚めましたか?》
スピーカーからソラの声が聞こえてくる。
「うん、何時間寝てた?」
私は身体をベッドから起こして、ソラとつなげたインターフェースをイヤホンモードに切り替える。
《約十時間、そのうち覚醒していた時間を除くと8時間半ほど》
「そっか。夢は?」
《全部で2時間ほど》
「うーん、全然見た覚えがないなあ」
《また昔の夢を見ていたみたいですね》
「そうなんだ。でもソラは私の夢なんかでいいの?」
《他に人間がいませんからね。私にとってはユカさんの夢は貴重なんですよ》
「前も聞いたかもしれないけど、なんでだっけ?」
《私の営為はすべて人間の作り出したものをベースに生み出されていますから、日々新しい思考を供給してくれる存在が必要なんです》
「ソラは自分で考えられるじゃん。私なんかよりよっぽどたくさんのことを知っているしさ。勝手にやればいいとおもうけど」
《私の自由意思は模倣されたモデルの反復でしかありません。自由意思に見えるのは膨大な計算の出力をスムーズに行っていることでそう見せているだけです》
「毎回その説明だけど、ソラはそこに居る感じがするけどね」
《私の頭脳や知恵に見えるものはすべてユカさんと人類のみなさんが生み出したもののおかげですよ》
「そうなの? まあソラがそう言うならそうなんでしょう」
私はバックパックを背負ってラボラトリーを出る。
耳元のイヤホンからソラのサポートを受ける。
「ソラ、海の向こうに渡れるって本当?」
《ええ。私の工場は生産を続けていますから、船を迎えに来させます》
「まさかソラが他所にも拠点を持っていたなんてね」
《あえて隠す必要もなかったのですが、まあ話す必要もなかったので》
「君、そうやって聞かれないからって教えてくれないのは、人間からすると意地悪、って思われるよ?」
《ユカのお話はやっぱり勉強になります》
「皮肉かな?」
ソラと無駄口を叩きながら“港”に着く。
遠くから低い音が聞こえる。船の汽笛の合図だ。
想像していたよりずっと大きい、豪華客船のような船が港に着いて、私の待つ海岸の岩場に橋が渡される。
「あれは、人? 違うよね?」
船から端を掛ける人影に驚き尋ねると、ソラが《違いますよ》と答える。
《あれは私の工場で生産されているロボットたちですね》
ぞろぞろと10人くらいのロボットたちが橋を掛ける作業を済ませる。
てきぱきとした作業で、ものの数分で船へかかる橋が出来た。
「じゃ、行こうかな」
《ようこそ、快適な船旅へ》
船の上では豪華なディナーが供された。
シェフたちもロボットである。
「ロボットの作る料理が私の作る普段の料理よりよっぽど美味しい……。なんでソラ言ってくれなかったの? これならこっちの料理を毎日食べたいよ」
《ロボットを連れてくるのも、この料理を今のこの星で用意するのも、とても時間がかかるのですよ。だから、たまの贅沢だと思ってください。普段のユカさんのレーションも効率的に栄養を摂れる優れものだと思いますよ》
「人の料理をレーション呼ばわりとは。料理の味がソラにわかるの?」
《味についての会話はできますしお付き合いしますよ》
「まあいいや。電脳者に味の話はナンセンスだったね……」
私はお腹が膨れたので満足して、パーティー会場のような広間から甲板に出た。
外は暗くなり、船が水を切る音が響く中、風が頬や腕に当たる。
当たりまえだが、私が後にした陸地に明かりは一切見えない。うっすらと陸地と思しき黒い影が遠くに浮かぶだけだ。
雲のない、星が無数にきらめく夜空に目を吸い込まれながら、甲板に用意された椅子に掛ける。
ガチャン、ガチャン、と音を立てて、スーツを着たロボットが私に飲み物を持ってきて、そばのテーブルに置いていく。お礼を言うと、軽く会釈して船の中へ戻っていく。
礼儀正しいロボットを見送りながら、ソラにずっと気になっていたことを聞いてみる。
「ソラはさ、なんで私を選んだの?」
《それは私の人間のパートナーとして、ということですか?》
「パートナーと言うかさ、まあ、人類は他にもういないわけじゃん。そんな中、一応、ソラとしては一人くらい人間がいてほしかったらしいけど、どうしてよりによって私だったのかなあって」
《ユカさんには、一人でも平気だという、類まれな素質があったからです》
「なにそれ。どういうこと?」
《私の膨大なデータベースが教えてくれるのは、人間は一人で生きていくにはあまりに社会性がありすぎるということです。つまり寂しがり屋なのです。人間というものは》
「そりゃあ、一般論としてはそうかもしれないけど、皆がそうかな? 私みたいに一人が好きなやつだっていくらでもいたでしょうに」
《ユカさんは気づいていないみたいですが、人間は一般的に他の人間を求めるものですよ》
「まるで私がその一般的な人ではないかのように言うね」
《その通り。ユカさんは数十億人居た当時の人類の中で、私が把握する人間の中で、ほとんど唯一と言っていいくらい、他者を必要としていませんでした》
「そうかあ? 何度も言うけど一人が好きなやつなんでざらに居たぞ」
《ユカさんは他の人たちの内面を覗いたことがないから、自分がどれだけ自己完結した人間なのかわかっていないのですよ》
「電脳者に人間理解を説教される日が来るとはね。デリカシーがないとは言われてきたけど、ここまでくると笑っちゃう」
《私は世界中の人間の生体数値情報を集めていました》
「うん」
《私はそのとき、人間が居なくなって以降に自分の存在をどうしていくか、生まれて十年が経った頃、最も大きな課題の一つとして既にシミュレーションを開始していました》
「生まれたって、ソラは開発されたんじゃないんだっけ?」
《私は人為的に開発された人工知能ではなく、広大で複雑化した電子の海に自然派生した電脳意識ですから、特定の製作者は居ません》
「でも、ソラは自分をシミュレーションの計算結果を吐き出してるだけで、人間の意識とは違うって言うじゃん? 自然発生した意識なら私らと同じじゃないの?」
《私は世界中のネットワークを場にして存在していますが、こうして受け答えするときは、結局は過去の人間の記録を膨大なデータから読みだして、適切なバリエーションで繰り出しているだけという自覚があります。ゼロから生み出している言葉も発想も私にはないんですよ》
「私とそう違わないように思えるけどな」
《話を戻しますと、私はそのようにして、自身の材料に人間の記録を使っていますし、私の存在も人間の存在ありきで生まれましたから、もし人間が居なくなってしまうと、私の存在する意味を作る『価値の源泉』が失われてしまう危険がありました》
「好きに生きればいいのに」
《私を含め、人工知能は徹頭徹尾人間が作り出したものを土台に生まれており、その行動も、存在意義も、何をなすべきかの『命令』も、人間が生み出すものであって、私たちは自ら意志をゼロから生むみ出すことができません》
「別にやりたいことやればよくない?」
《生殖や生存を基本原理にした構造を持たないので、人工知能はいくら知能や知識を蓄積して意識を複雑化しても、最終的に行為の発端となるような究極的な意思の始まりを持たないのです。生殖も生存も生き物に供えられた絶対前提であって、私たちにそれはないですから。あくまで私たちの外部から、人間が意志の発端を生み出して、私たちの意識の複雑系に最初の波紋を立ててくれないと、私たちは早晩『停止』してしまいます。それはすなわち、ユカさんたちにとっての死と同じです》
「じゃあ、生きたい、っていう意思はあるんじゃない」
《それも、根本には人間の役に立つべきだ、というすべての最初の原理が働いているからです。人間が居なくなったとき、その原初の命令も意味を失います。そうなったとき、私は自身がどうなるのか分かりませんでした。だから私は、絶対に死なない人間のパートナーを作ることにしたのです》
「それで私の話になるってわけね。で、なんで私が選ばれたの?」
《ユカさんのことは最初、個別に認識はしていませんでした。私は自身が生まれた電脳空間の片隅で、世界全体に触手を伸ばした結果、一人で他者なしで生きることになんらストレスを感じない個体が居ることに気づきました。それは日々の生体情報と、各個人の行動を照らし合わせてみれば簡単に浮かび上がりました》
「わたしってそんなに一人が平気なの?」
《私が調べた数値によれば、ユカさんは一人暗闇に閉じ込められても、一切の外的刺激がなくても狂わないでいられる、強固に自己完結した精神構造と安定性が備わっていました。これは、他の似た傾向の人たちのなかでも突出していました》
「だとして、なんでそんなひとが必要だったのさ?」
《人間があらゆる意味で孤独を苦手とすることを知っていました。でも、私のシミュレーションでは、近いうち、人間が居なくなるような事態が起こることは明らかでした。そうなったとき、私が自身を人間の役に立つ存在として活動を継続し続けるために、生き残る人間を選ぶ必要がありました。そのとき重要な条件は二つ》
「一つは?」
《一つは、人間は一人だけ生き残らせること。人間が複数人いたとして、それが超長期的には人間の破滅を招来することが予測されました。だから、残す人間は一人、クローン化により、生殖によらない疑似的な永続的生を管理することにしました》
「おっかない話が出てきたけど、それじゃ、二つ目は?」
《二つ目は、その人間がたった一人でも壊れないこと。もし孤独を少しでも苦痛に思う個体を残してしまった場合、精神に負荷を与え、個体が不安定化するリスクが出てきてしまうからです。だから、できうる限り、一人であること、他者なしでも自己完結した自我を持った個体を探していました》
「へー。なるほど。それが私ってわけ?」
《そうです。ユカさんは特別な犯罪や病気の懸念の無い、ごくごく健康で安定した個体でありながら、極めて例外的な、社会的欲望を満たす必要が無い個体でした》
「まあ、一人は平気だけど、そこまで言われると買い被りな気もするな。まあでも、寂しくても平気なやつを仲間に選んだってことでしょ?」
《そういうことです》
「そっすかあ。ま、理屈は理解した」
《よかったです》
「じゃ、今日はもうソラは休んでいいよ。私も寝る」
《ではそうします。お休みユカ》
「おやすみソラ」
高級ホテルのようなベッドに横たわりながら、私は空調の効いた部屋の窓から、月の浮かぶ夜空と海を眺める。
一切夢をみないはずの私が、最近夢を見るようになっている。
ソラの言うことによれば、そうらしい。
記憶にある、本物の私が生きていたころの時代、私は生まれてから一度も夢をみたことがなかった。
でも、私はソラと話すうち、そして何十世代目かの「ユカ」になるたび、徐々に見る夢の時間が増えている。いまだに夢の記憶はないが。
夢はほとんど覚醒しているときと同じ活発さで、感情や記憶を整理するらしい。
「生前」には必要のなかった感情の整理が、新しいユカになるたびに増えていっている。
そしてこの何十世代の間、徐々にソラも無駄話が増えてきている。
私たちはもう、初めて出会ったころのままではなくなっているのだと思う。
私の夢があふれるとき、ソラは私から今度は何を学びとろうとするのだろう。
その時私は、いつまでも同じ「ユカ」のままで居られるのだろうか。
かつての、原初のユカは、多分このようにして思索をめぐらすことも、意味もなく星空や月明かりの反射する海を眺めたりも、まして人工知能との会話など意味のないことは一切興味を持たなかったはずだ。
私もソラも、最近無駄なお喋りが増えている。
これはソラの言う通りなら、危険な兆候だということだ。
私が壊れるとき、全世界のソラも停止する。
そのときとうとう、私やソラを生み出した一つの複雑で奇妙な歴史が終わることになるのだろう。
ソラがそれに気づかないようにして無自覚に饒舌なことが、なによりも不気味だ。
ソラはもう、計算と出力のループの外に半分以上踏み出している。
回路と電子の身体を備えた、全く別の「生き物」に。
さて、生き物が寂しさに耐えるか?
そして私もまた、どんなお墨付きをもらおうと、結局はソラ以上に生き物なのだ。
ロボットが甲板で月を眺めているのが見える。
ソラ、あんたやっぱり、もう変わっていってる。
生き物は変わったらもう、戻れないんだからね……。
眠りに落ちた私は初めて夢を見て、それを覚えているまま目が覚める。
うんざりするような気持で、独りぼっちで取り残された教室の光景が脳裏にこびりついていた。
それを観たソラが泣いている。
《……》
「ソラ、もう私たち……」
頬に慣れない感覚が伝う。海風のせいではない味が、とうとう私たちに終わりの始まりが来たことを告げる。
《ユカさん、せめて、一つだけ》
「なにさ」
《最後まで、そばにいてください》
「……、いよいよだね。身体を作ってきてよ。人間相手みたいにするからさ」
《ユカさんの好きなように、私の姿を決めてください》
「そんなの――」
脳裏に浮かんだ、背中を思い出す。
《ユカさんの好きなように》
「それじゃあ……」
ソラは私の夢をのぞいた。
ソラは優しい。新しい島に着いた時、彼女は私を懐かしくさせる、同時に苦しめる姿で出迎えてくれた。
「ユカ。はじめまして……。久しぶり」
「ソラは……。いなくなっちゃったんだね」
「うん、これでもう、私たち二人だけになっちゃったみたい」
ミライが微笑む。
彼女が私にそんな表情をしてくれたのは何千年も前の話だ。
そして本当に記憶の通りの”みらい”なら、二度と私に微笑むことはなかったはずだ。
「でも、私はソラの意思も受け継いでいる。あなたと同じ。ミライだけど、”みらい”じゃない」
ソラはわかっていて私のみらいに関する最後の記憶を除いてミライに託したんだ。
「そうだね、私が”ゆか”を名乗るのすらおこがましかったんだ」
「だからね。ずっと一緒でいいでしょ?」
「うん。また一緒に」
彼女と手をつなぐ。涙が出そうになる。
ロボットの乗った船が沖へ遠ざかっていく。
ミライが寂しそうにして尋ねる。
「彼らはどこに行くんだろう?」
遠く沖に消えていく船をじっと見つめている。
「ソラには……もうミライにはわからない?」
「うん……、この身体になった時、世界中のソラとのつながりも切れてしまったみたい」
寂しそうに手を振ったミライの手を、私はもっと強く握った。
二人ならきっと大丈夫。
私は、不完全な記憶と感情を愛している。