夢歩きの帰還   作:浮揚地

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潜行

電話がかかってきてそれを取ろうか悩んでいる。

問題を先送りするように、僕は鳴りっぱなしの受話器を放置して君のメッセージを開く。

《いま、始まったみたいだよ》

それを最後に君からのメッセージはない。

それから後、送った僕のメッセージが読まれることもなかった。

僕は観念したように受話器を取る。

さっきまで鳴り響いていた音が消え、廊下はしんと静まり返る。

「もしもし」

「ああ、やっと出たな」

受話器の向こうから室長の声が聞こえる。

「準備はできたか?」

「ええ。必要なのは心の準備くらいですけどね」

「そうだな。もう覚悟は決まったわけだ?」

僕にとってこの電話を取った瞬間から、覚悟もなにも関係なく作戦が始まることが確定する。であるならば、この問いにも確認以上の意味はない。

「覚悟がなんなのかわからないですけど、もうやるつもりです」

「そうか。この作戦の危険は事前に説明した通りだ。最大限サポートするが、最終的には全て君が決める必要がある」

彼女の声色から緊迫した様子が伝わってきて、この作戦で帰れる保証はないというのは本当だったんだな、と背筋が寒くなる。

ユウ、君に巻き込まれたことのなかでは、これが一番大変かもしれない。

「昏睡者への降下に関して説明は受けてたな?」

「ええ、ただ、要領を得ないというか、正直実際に降りてみないとなんとも」

「そうだろうね。でも、そこではもう迷ってる暇はない。素直に受け入れて、『何なのか?』よりも『どうするか?』をそこでは第一に考えてほしい。それが君の身を守るためだ」

「ユウにも以前言われました。初めて他人の夢に降りる時に。そして、武器も受け取りました」

「ナイフ一本で心もとないだろう?」

「……いえ」

「心配ない。白銀もそれで何度も切り抜けてきた」

電話はそれから何分か続き、僕は武器の説明と行動の最終確認をした。

「なにか質問は?」

「やっぱり、あとはやってみないとなんとも」

「そうだね。もう近づいてくるころだ。長居は無用だよ。すぐにそこの門も閉じる」

「はい」

「武器を持って。身軽にね。では、健闘を祈る。次の電話は第四盤73通話網の2番電話。簡単に言うと隣町の渡辺家一階のインターホンだ。忘れるなよ」

「はい。では行ってきます」

「がんばって」

受話器を置いて僕は廊下の先の玄関ドアを見る。

僕はポケットからユウのくれたナイフを取り出して右手に持ち、玄関を出る。

ドアから出ると、外は夜だが異様に明るい。空は闇のはずなのに、と見上げてみれば、空に「月の集合体」が浮かんでいる。いくつもの満月が、何個ものボールを一つのところにまとめて大きな球体を作るように、それぞれが黄色く輝きながら身を寄せ合って夜空に浮かび煌々と夜道を照らしている。

「ねえ、あれって何に似てると思う?」

驚いて振り返ると、小さな少年――5歳くらいだろうか――が砂場で使うようなおもちゃのシャベルを持ってにこにこと笑っている。

「ねえ、僕ね、ブドウに似てるって思うな。ブドウ好き?」

「……いや」

「なんで!? 僕はねー、ブドウは何個食べてもまだ何個もあるから好き! ブドウは何が好き? 僕はシャインマスカット!」

「……ブドウは苦手なんだ」

「僕はブドウが好きだから、月もブドウみたく何個もあったら、何個食べても大丈夫だとおもって、増やした!」

少年が指さすと、月が一つ増える。もう一つ、もう一つ、と彼が指さすたびに増えていく。

「そんなに何個も一度に食べられないだろ?」

「食べられるよ! ユウ君は好き嫌いしないし残さず食べるんだ」

「……でも、ご飯を食べないでお菓子ばかり食べてたらお母さんに怒られるんじゃないか?」

「母さんの話はするな!」

白銀ユウがそこに居る。14歳の姿だ。

「君は何度言ったらわかるんだ? 僕に家族の話はしないでくれ。特に母の話は……」

「白銀、月を元に戻してくれないか……」

「月? ああ、月か……。あんなもの、どうだっていい……」

彼が投げやりに手を振って見せると、あたりがさっきより少し暗くなり、上空のいくつも寄せ集まっていた月はただ一つの見慣れた姿に戻っていた。

「なあ、白銀、君は」

「ハヤト! そうだ。駅の方へ行こうよ。食べたいって言ってたお店が、このあいだあそこにできたんだよ!」

白銀が僕の手をつかみ、住宅地を駅の方――駅なんてどこにあるっていうんだ、こんなどこにも行けない世界に――へ連れて行こうとする。今度、白銀の姿は17歳の女の子になっていて、僕にはその記憶は存在しない。

「お店なんてどこでもいいって君は言ってたけど、私言ったでしょ、そんなことないから! 一回食べてみて。甘いの苦手なのは知ってるけど」

「白銀、駅なんてここには」

「ハヤトはもっといろいろな所に行って、いろいろなものを味わった方がいいよ。例えば一人で軽い旅行に行くとかね。ほら、みてごらん、あの向こうにあるのが言ってた湖だよ」

成長した姿の白銀が指さしたところに、虹色の湖が見える。あんなものはこの世に存在しない。

「母さん、心配になっちゃってね。いっそ連れてきた方が良いかと思ったんだ。ハヤトが大人になったら、もう一緒に来てくれなくなっちゃうだろうから」

白銀はまるで本物の母親のように僕の頭を撫でる。低くなった目線に驚き、自分の姿を見れば、今度は僕が小さな子どもになっている。

彼女が車窓から遠くを見て僕から視線を逸らす。

「お母さん?」

僕の口が勝手に動くように、気づけばそう言っていた。

「? どうしたの? 一人? お母さんは?」

白銀が僕の頭をまた撫でる。白銀は大学生くらいの青年の姿をしていた。僕は無性に寂しくなって、目に涙が浮かんできてしまう。ママはどこにいるんだろう? 誰か、だれか!

「おうおう、どうしたどうした! よしよし、お兄ちゃん探してあげるからな!」

彼に撫でられた私は感情が決壊したように声を出して泣き始めてしまう。さっきよりももっと小さな子どもになったみたいで、声は幼い女の子の声をしている。

「ほらほら、お母さんとお父さんを探そう。車掌さんいるかな? 電車の迷子はどこに連れて行ったらいいんだろう……?」

私を抱きかかえて、彼はしばらく列車のなかをうろうろと歩いていたが、乗客は他に一人もなく、連結部の出入口のドアの前で私を下ろして途方に暮れてしまった。

「困ったね……。こんなにだれもいなかったかな? 君、名前はなんていうのかな?」

「ユウ」

「ユウちゃんか! へー、僕もね、ユウっていうんだ。同じ名前だね! ユウちゃんのお母さんとお父さん、どこに行ったか分かる?」

「……わかんない」

私は自分の名前が思い浮かばず、ただ目の前の青年の名前だけは覚えていたから、咄嗟に口から出たのはその名前だった。

「どうしたもんかね……」

困り顔のユウと顔を見合わせていると、連結部に備え付けられている乗組員用とおぼしき部屋から、電話の鳴る音が聞こえてくる。

しばらくユウはまだぐずる私を抱きかかえて「よしよし、大丈夫大丈夫、きっと見つかるよ」などと小声で言い聞かせていたが、電話の音量は無視できないほど大きくなってきて、一向に鳴りやむ気配がない。

「……誰もいないのかな」

ユウが不審そうにして職員用の部屋を開ける。

ユウは私を抱えたまま部屋に入り、受話器の前まで来た。

あまりにうるさく鳴り響く音に、私は思わず両手で耳をふさいで顔をしかめた。

「そうだよね、うるさいよね」

ユウは見かねて、私を床に一度下ろしてから、恐る恐る受話器を取った。

「……もしもし」

僕から見るユウの表情はその感情をうかがい知れない。

不機嫌そうなユウが、ポニーテールを揺らして僕の方へ向き直った。

「ハヤトにだって。知らない女」

グイっと押し付けられた受話器はアルバイト先の厨房に備え付けられた、本部と連絡をとるための業務用の電話だった。

僕たちは今日たまたま同じシフトに入っていたから、少し浮足立っていたけど、朝からユウは不機嫌で、僕は業務上のやり取り以上の会話を今日一度もユウと交わしていなかった。

冷たく無表情な彼女の目を見て、そういえば昔、この店が駅にできた時に一緒に客として来たことがあると思い出す。

あのときユウは、美味しいと評判のメニューを僕に食べさせようとして張り切っていて楽しそうだった。結局味はそこまででもなくて、彼女も実は食べるのはその時が初めてだったから、なぜか微妙な味の言い訳をあわててまくし立てる彼女が可愛かったのを覚えている。

「ねえ、ほら早く」

「……あ、ごめん」

受話器を受け取ると彼女はさっさと厨房へ戻っていった。

僕は本部からの電話を受けるのは初めてだったので、少し緊張しながら、ただのバイトの僕に何の用だろうと思いながら受話器を耳に当てる。

「もしもし?」

 

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