「目が覚めたかな」
調査第六室に備え付けの夢歩き専用の寝室で僕は目覚めた。
「ああ、もう終わったんですか?」
「残念そうな顔をするな。不謹慎なやつめ」
渡辺室長がぼやきながらモニターの電源を切る。
「これで君もしばらくはお役御免だ」
せいせいしたな?
室長は僕に願望が残ってないことを確認する。しかし僕は彼女を連れて帰ってしまったから、その願いも夢の形もしっかりと覚えているままだ。
「室長もお母さまのことは覚えておいででしょう?」
「なに? なぜそれを……」
「……やっぱりあれは室長だったんですね。どうやら脱出の時に混線したみたいで」
「……くそ。やはり脱出者の補助なんてするもんじゃないな。君、それを口外したらわりと本気で情報源を潰しにいくから覚悟しておきたまえ」
恐ろしい表情を作った室長に苦笑する。
「当り前じゃないですか。大体、それを言ったら僕も同罪ですし」
「いや、知らないな。私は何も見ていない」
「無理がありますけど……」
僕らの所属する第六室は、国連直属の機関「意識管理6室」の一部門を成している。
第六室が行う任務は、主に「夢歩き」――夢に潜行して集合的無意識に干渉できる能力を備えた者――の“願望無意識”を浄化することだった。
集合的無意識を、人類の平和的な活動のために管理する役目を第一室から第五室が受け持ち、その業務の中で混濁した職員の無意識を浄化するのが第六室の役目だ。
白銀も僕も、集合的無意識へアクセスするセンスを人並外れて持っていたが、繰り返し他人の夢から集合的無意識へアクセスするうち、自身の無意識と集合的無意識との間の門が徐々に広がり、開いたままになってしまった。この仕事をする者なら誰しも陥る可能性のある状態で、自分の夢から集合的無意識へアクセスすることが厳重に禁じられているのは、その「開門」が相当に早く進行してしまうからだった。他人の夢から、特殊な薬とモニタリングの技術を使って降りていくことで、自身の無意識を集合的無意識に開かないまま、集合的無意識へアクセスすることができるはずだった。
しかし、他人の夢であっても何度か踏み入れるごとに、集合的無意識への感度は上がっていく。同期の中では、最初に白銀、次に僕が「開門状態」に陥り、特に重度だった白銀は昏睡状態になった。
開門状態を早急に解除しないといけないのは、本人のためでもあるが、何より、一個人の無意識が集合的無意識へ分不相応に作用してしまうのを防ぐためだった。
歴史上のカリスマと呼ばれた人物たちは、生まれつきか、あるいは何かのきっかけを通じて、集合的無意識への開門状態が常態化してしまった一個人であったのだろうと言われている。そのような個人は、自身の無意識が集合的無意識へ干渉する度合いが通常の人よりもはるかに大きい。そして、そのような個人が現実でも影響力のある立場に就いてしまうと、現実と無意識の両面から彼/彼女の影響を受ける人々は、それに飲み込まれていく。そのようにして、本来あり得ない規模での集合的無意識への個人的願望の反映が、歴史上いくつかの地域や国で起きたとされている。
閑話休題。
要は、集合的無意識へのアクセス力が上がってしまった職員個人の無意識を「閉門」する作業を行うのが、この第六室の役割だった。
白銀と僕は、若くして入室した中ではもっとも早くこの第六室のお世話になった。
「白銀は……目を覚ましましたか」
白銀は死んだ。それは第六室が昏睡した彼に下した判断だった。
実際に病棟での検査の結果、彼は脳死状態と判定され、身寄りのない彼の延命については、生前の彼が署名していた通り拒否されていた。
今回僕が自分の夢に潜り白銀に会おうとしたのも、半分は自分の中に残る白銀との思い出に決着をつけるためだった。
でももう半分は、まだ生命を維持している彼の無意識に働きかけ、一縷の望みにかけて彼の目を覚まそうとしたのだった。
「……君も来るか」
渡辺室長は僕を病棟のそばの中庭に連れてきた。
「ほら、彼女はそこだ」
僕は驚愕する。
白銀ユウが中庭のベンチに座っている。
ただし僕の夢の中の願望の姿――女の子の姿――で。
僕は自分が目覚めたと思っていた世界が、まだ夢の中であるかのような恐怖に襲われた。
鮮明な悪夢の中で脱出の仕方がわからないような、あの閉じ込められた現実感への恐怖。
「ほら、あいつずっと待ってたんだ君のことを」
「……でも……」
「君が助けてくれたんだと言っていた。同時に降りれば、そういうこともあるんだろうが、稀有なことだ。よほど無意識からの信頼感がなければ、夢の中で助け合うなんて危険なことは普通できない。彼女は感謝していたよ。君が彼女の意識の中で霧散し消える危険を冒してまで自分を引き上げてくれたと」
「……はい」
僕は恐る恐るベンチに腰掛ける彼女のそばに歩いていく。
ゆったりとした真っ白なワンピースを着ている。
白銀? 君は僕の想像の中だけにいたはずだ。僕が望んだのは一つだけ。
君を忘れずにいること。
それ以上は望まなかった。
でもこれは違う。これは違う世界だ。
「どうしてそんなに青い顔をしているの?」
白銀が声を発した。
今そこに居る。
「ほら、座りなよ。日に照らされて暖かいから」
彼女に手を引かれて隣に腰掛ける。
確かに木製のベンチは暖かく、ひんやりとした中庭の空気の中で心地よかった。
彼女の手は小さく柔らかく、そして冷たい。リアルな、そこに居る人間の手だった。
彼女の座っている場所は日陰になっていて、肌寒そうだ。
僕は手の冷たさを思って、席を替えたいと思う。
「君がこっちへ座りなよ」
僕は立って彼女の前に立つ。
「私、日焼けしたくないんだよね」
「そんな、いつからここに座ってるの?」
「一時間くらいかな」
「じゃあ、部屋に戻って話そう」
「ううん、ここがいいんだ。ここなら話しやすい」
彼女は室長がさっきまでいた中庭の入り口に目配せした。
「聞かれたくない話?」
「そういうこと」
「じゃあ、もうすこしだけ待ってくれる?」
僕はそう言って第六室の職員ロッカーから二人分のジャケットと、ついでに暖かいコーヒーを持ってきた。
「ありがとう」
すぐに眠れるように、この施設の自販機には、カフェインなしの「コーヒーもどき」しか置いていなかった。人工的な苦味と甘みが僕にはすごく懐かしく感じる。
「この味。みんな納得してるのかな」
ユウは飲み干した缶を振りながら笑っている。
「ねえ、……君は誰なの?」
「誰って、単刀直入に聞くね。白銀ユウだよ」
「……ちがう。僕の知る白銀は、男性だった」
「ふーん。私が女だと言った?」
「ふざけないでよ……。君が僕の知る白銀ユウでないことくらい、見てすぐにわかる。ただ……」
「夢の中の姿にそっくり?」
彼女がいたずらな目つきで僕をのぞきこむ。
日の光を後ろに受けて、彼女の微笑む顔に影ができる。それでも白い肌はまるで光を反射するように輝いて見える。
「君は僕の夢の中の願望の姿のはずだ……。夢の中のものが現実に現れるはずはない」
「集合的無意識は現実の人間に影響を与えるのに?」
「それは心理的な話であって、現実の物理的な話では……」
「無意識では現実の物理的な距離をまたいで、遠くのたくさんの人の無意識にアクセスできるのに、物理的な境界を持ち出すなんてナンセンスだね」
「……たしかにそうだけど……」
夢のなかで想像したものが現実になることはある。たしかにあるけど、それは、人々が願望を現実にしようとするからで、直接夢の中の物が現実に現れるわけじゃない。
「見たことのないものが、存在しないとは限らないでしょ?」
「理屈はもういいよ。君は誰なの? どこから来たの?」
「……しょうがないな。じゃあ、教えてあげる。逆に聞こう。君はここが目覚める前の世界だと本気で思っている?」
「え?」
「ここは夢の中じゃない。たしかに現実。でも、目覚めた世界が元と同じ世界とは限らない」
「え、どういう」
「ここは青い望遠鏡で覗いた世界。赤い望遠鏡は壊れていたの。あなたは私が連れてきた、もう一つの世界の市村ハヤト」
「ちょっとまって、言っている意味が」
「あなたは夢の記憶を覚えている? 最後に私を連れ出すために使った二つの望遠鏡。もし二人一緒に出ていくならば、同じ望遠鏡を使う必要があった。でも、あなたは赤い望遠鏡で青い星を、私は青い望遠鏡で虹色の星を見た。そして赤い望遠鏡は既に誰かが使った後だった。夢から出られなくなったあなたは、私の覗いた虹色の星で目覚めるしかなかった。それがその時開いた唯一の扉だったから」
「……まってくれ、青い星、思い出してきた。そうだ、最後に覗いた時見たのは、地球だったはずで……」
「それが赤い望遠鏡の役目だったけど、壊れてたみたいだね。それとも、誰かが壊したのか……」
「じゃあ、僕が目覚めたここはいったい」
「言ったでしょう。ここは虹色の星。あなたの星からは観測できない。現世とは別の位相にある星。だから、私はこの姿でここに居る。あなたの意識も、もう一つのこの星で目覚められたのは、無意識を通じてこの星があなたを受け入れたから。身体が既にあった。想像された世界で。この星は半分は無意識の世界の側にある。というより、あなたたちが見つけた集合的無意識の世界、そこにあるのがこの星」
僕はうなだれ、まだ飲み干していないコーヒーの缶を見つめる。
このコーヒーと同じように、この世界もまがい物なのか。
「想像された世界、想像のみがたどり着く世界を、まがいものとみなすのは、青い星の住人の悪い癖ね。無意識の大陸が見つかってもなお、あなたたちは青い星と物の世界を愛している。真実の世界は望みのままの姿ですぐそこにあるのに」
「現実は現実だよ。熱くて冷たくて重くて、痛みがある。僕は現実の世界に生きたい。たとえそこに君が居なくても」
「思い出だけ抱えて? 思い出なんて、くだらない。思い出なら、この世界にあるのに」
ほら、と言って彼女は僕の手を取って、自身の胸にあてる。僕の手は柔らかな彼女の感触を感じる。触れることのできる思い出。触れることのできる願望。
「……僕は帰りたい。それだけなんだ」
「私のいない、冷たくて寂しい場所に?」
「そうだよ……冷たくて寂しい、僕がいなくても回る世界。意識も願望も無視してめちゃくちゃに進んでいく、粗野な世界。僕のちっぽけな願望を気にも留めずに存在する本当の世界に、僕は帰りたい」
「……あなたは願望の世界を好きじゃないの?」
「願望なんていやだ。どこを見ても僕の望んだものしかない」
「望みは現実になることを願うことでしょ? わたしがここに居て、あなたがここに居て、触れることができる。これ以上なにが必要なの?」
「僕は裏切られたい。永遠に存在などしたくない」
「……でも残念ね。もう帰ることはできない」
彼女が僕の頭を抱きかかえるように胸に抱く。
やっぱり彼女の手も腕も胸も冷たい。
僕は両手で確かめるように弱く腕を回してみる。彼女を抱き寄せると、少しだけ僕の体温とまざり、身体の間だけが暖かくなる。
まがい物の感情。まがい物の体温。まがい物の世界。
そのなかで唯一持ち帰ることのできた真実が、この僕の卑小で独善的な願望だけだった。
それを今、僕は抱きしめて泣く。