真っ暗で一筋の光も見えない一室。熱を孕む荒い呼吸が室内に木霊する。
冷たい床に滴る体液と吐息で曇る床板の上で、小さく断続的に息を吐く小さな影が一つ。
上下に動く小さな体が酸素を求めて口を大きく開いた時、空気の抜けるような音と共に部屋内へ光が差し込んだ。
「621…
扉を開けた男、ウォルターは小さな体から発せられる僅かな熱気に大いに眉を顰めた。
物音を立てないようにオフになってた空調をオンにするその後ろ姿を見る小さな
621はまたまた、気まずそうに頭部の獣耳を伏せて身体を縮めこませた。
「621。そんなに虐待を受けたいなら言え。遠慮するな」
車を運転しながらウォルターは助手席に拘束した621へ向けて言う。
逃げ出さないよう、体型に合わせしっかりとバンドによって身を固められた621は彼の運転する様子を眺めながら静かに頷いた。
頷く様子を横目に確認したウォルターは「今更聞き分けの良い振りをしても虐待は受けて貰う」と口にすると視線を戻して運転に集中する。
彼のハンドル操作を眺めていた621は丁度抜けたトンネル外の光に目を細める。
冷凍処理され暗い室内に慣れていた身体が、久しい光の眩しさを受けて瞼を瞬かせた。
殺風景な荒地とまばらに生える植物。そして延々と伸びる道の先に何かの施設が待ち受ける。
「あそこが目的地だ。虐待を受ける覚悟をしておけ」
ウォルターが車体のギアを一段階上げ、速度が上がる。
段々と近づく施設を前に、621は静かに前を向いていた。
「621。虐待の時間だ」
受付を済ませ、施設内部の開けた場所まで来てからウォルターは言い放つ。
その手には先程まで621の首と身体を拘束していたリードと首輪、バンドが巻かれてた。
下げられていた手がゆっくりと持ち上げられると、施設に設置された設備群を指さす。
「ここはお前のような旧型強化人間にも過負荷を掛ける事に重点を置いた施設だ。音を上げるまで設備を使い回れ」
彼の指を注視していた621はその言葉を受け、指さされた先へと視線と顔を移す。
木材を模した建材で形作られた
それらを順に眺めた後、621は再確認のようにウォルターを見上げる。
「どうした621。俺の顔を見ても虐待は避けれんぞ」
彼はそう言うと口を引き締めて閉じると黙り込んだ。
その様子を暫しジッと眺めた621は、ウォルターの方針が変わらない事を察して頷いた後に設備群へと軽く駆け寄って行った。
621の後ろ姿を見送り、設備の一つ目に取り掛かる様子を確認してからウォルターは杖を突きながら近くの木材を模したベンチへと座り込む。
そこで休息するでもなく、鋭い目線で虐待を受ける621の姿を眺め始める。
ここには数々の
そんな事を考えながら監視の目を続ける彼の背後に、黒い影が迫る。
ウォルターが気付いた時には影は真後ろにまで近付いており、逃げる時間を与えなかった。
「
「貴様は――スッラか!?」
ねっとりとへばりつくように名前を呼ぶ声に、ベンチからバッと身を翻して立ち上がるウォルターは声の主の名を呼ぶと同時に振り返って睨み付ける。
ウォルターと同様に年老いたように見えるも、その体格からは今だAC乗りとして現役を保ち続けている屈強な肉体を備えた男。
深い皴を湛えた相貌には嘲笑うような笑みを浮かべていた。
「また犬を飼ったようだが…何度でも教えてやろう」
そう言ってくつくつと笑うと、スッラは目線をウォルターから逸らして621の方へと向ける。
設備に危なげに取り組んでいる621の容貌を確認すると、フッと彼は息を漏らした。
「毛並みが違うからすぐにわかったぞ。617に19、20はどうした?私が『やった』のは何番だったか…」
わざとらしく欠番を示して見せたスッラに対し、ウォルターは閉口する。
歯噛みしそうな内心を殺して彼はスッラを睨み続けた。
――故に。もう一つの影が迫っている事にウォルターは気付かなかった。
「あの感じは第4世代か。上手く育てれば優れた猟犬になる…不憫な事だ」
スッラの台詞に不穏な様子を察したウォルターは視線を外して振り返る。
設備をようやく乗り越えた621の眼前に、一回り大きい影が立ち塞がっていた。
「ここで絡まれてしまうとは」
621の薬漬け包帯同様、身体のあちこちに傷んだ包帯を巻いた
片目は包帯の下に隠れており、反対側から疎らに残る伸ばしたままの体毛の下より覗く瞳が621の顔を上から覗き込んでいた。
じっと観察してくる相手に対し身を引く余裕もなく、見上げる姿勢で出方を伺う621に対し、ようやく相手が動き出すや否や―――621の顔を遠慮なく舐め回した。
余りの力強さに上下左右へと顔を押し回され、何事か把握できずに621は目を丸めている。
ようやく視界に入ってきたウォルターは片手で顔を抑えており、その背後には621にとっては見知らない老人が寄り添うように立っていた。
「また1匹。お前のせいで汚されたぞ。ンハンドルァー・ウォルタァ…」
「貴様も止めなかったと思うが…618。その辺にしておけ」
深い溜め息を吐きながら止めるウォルターの声に反応し、舐め回していた相手―――618は止まり、ウォルターとスッラの元へと駆け出す。
勢いよく尻尾を振るその様はAC操作以外オミットされた旧型強化人間とは思えない、実に
期待するようにウォルターの前にお座りする618。ウォルターが手を出そうか迷っている間にスッラがその顔をクシャクシャと撫で回した。
「飼い主が違えば、この通り存分に撫でて貰えたろうに」
撫で回しながらスッラが零した言葉に、618は不思議そうに首を傾げて見せる。
そのままウォルターへと顔を向けてせがむ背中とスッラを、621は感情を見せず…僅かに不機嫌そうに尻尾を揺らした。
もっと遊び構ってほしそうに追い駆け回す618と、それを逃げる621の姿を眺めながらウォルターとスッラの二人はベンチに腰を落ち着ける。
施設受付で購入してきたらしい飲料を二人の間に置きながら、スッラから話を切り出す。
「お前には言いたい事が沢山あるが…まぁいい。それらは後だ」
「…」
スッラの含むような視線と言葉に、ウォルターは黙り込むと言う返答を示す。
強面で渋い表情を見せる彼に対し、スッラはくつくつと含み笑いを漏らす。
追いかけっこを続ける621達へ再度目を向けると、スッラは徐に脇に置いた大型バッグを漁り出した。
「618も相当だったが、今度の猟犬はそれ以上のようだ」
遠目に621の動きと体付き、そして包帯の様子を確認した彼は大型バッグ(618用の包帯が大量に覗いていた)から如何にも怪しげな円柱の容器詰めを取り出す。
サイケデリックな彩色が施されたソレを、横目で睨んでいたウォルターへと押し付けるように差し出した。
「余り手を煩わせるな、ンハンドルァー・ウォルター。…『虐待』にも必要だろう?」
「…スッラ。何故それが今必要だと知っている?」
聞き逃せない言葉に思わずと言った様子で反応し顔を向けるウォルターに、スッラは意味深に含み笑いかけて見せる。
そして思わせぶりにゆっくりと蓋を回して開ける…と、そこにはぎっしりと詰まった乾燥野菜群が顔を見せた。
さつまいも、かぼちゃ、キャベツ――果てはブロッコリーなどまで入っている。
「お前の事だ。表向きの体調面ばかり気が行って、食に考えが回らなかったんだろう?…匂いで分かるぞ」
「…」
容器を振ってカラカラと鳴らして見せる彼に対し、ウォルターは唇を一層真横に引き締めた。
暫くそのまま黙っていたが、徐に背を向けて片腕の匂いを嗅ぎだすウォルターの姿を眺めると、スッラは今度は楽しそうにくつくつと笑っていた。
存分に621に絡んだ618をひっ捕まえた後に
物を運ぶように621を
無理矢理流し込むように食事もさせて、末期には畳みかけるように仕事をさせるべくベットに横たえた。
「敵ACの撃退は確認した。…よくやった、621」
昼間の追いかけっこで逆に618の背後を取って尻尾に
何もしないと言う苦痛を味わってのたうつ621の姿を満足そうに眺めて頷くと、ウォルターは部屋の電気を消して621の仕事部屋を後にした。
あのような悪辣な飼い主の下には居られないと、自由と好奇心の赴くままに飛び出した先輩の旧型強化人間(犬)。
新たな飼い主に引き取られ今や人間性も取り戻した様子だが、落ち着きがないため普段は首輪を外せない様子。
破天荒な先輩と今の飼い主を揶揄う先輩の飼い主を見た621の心や如何に。
(以降も、本作の雰囲気?に合わせてなるべく落ち着いた表現にしてますが、実際は小躍りする程嬉しいです)
閲覧、お気に入りを頂き、ありがとうございます。
筆者が投稿している別な作品にて採用させて頂いていますように、こちらでも御名前記載をさせて頂いております。
(こちら側においてのみでも、問題ありましたら一声おかけ頂けますと幸いです)
まおmao様。
お気に入り登録して頂けまして、ありがとうございます。
猫もまた良い物ですよね。…もしかして薬屋の方だったりしますでしょうか?