夜。リバン河の西岸を、黒鎧の兵士たちが松明を付けて巡回している。
三年前とまったく同じ、黒い鎧を纏って復活したデイン王国軍。復興したばかりのデイン王国に、本来再軍備の余力などない。王城奪還までに集った兵たちの多くは復員するはずだったのだが、一枚の誓約書がそれを変えた。
血の誓約。相手の国を容易く蝕むことが出来るそれだが、脅しだけで再軍備を成し遂げられるなら苦労はしない。先立つものがないのだ。
本当の問題は、血の誓約を結ぶ際に記された、数億ものゴールドを無利子無期限で貸し付けるという記述。駐屯軍の所業に対する事実上の賠償、裏の目的としてはペレアスから血判を引き出しやすい即物的なお題目なのだが……。
貸し付けられたゴールドの多くは復興に用いられたが、国内にゴールドが余っていたのは事実だ。それを使って、デインはいとも容易く再軍備を達成できてしまった。
兵員は新兵までが駐屯軍相手に戦争を知っている。装備は潤沢な資金により更新され、先の戦で功を立てたものは部隊長や将校になっている。王城を奪還した時よりも巨大に、精強になったデイン軍。
そしてそれを率いるのは、新王ペレアスを擁し、デインを再興に導いた銀の髪の乙女。出来過ぎたシナリオである。
「おぉ、巫女様だ……!」
巡回兵が、感嘆の声を上げる。
物憂げに対岸を見据える少女。月明かりが銀髪を優しく照らし、その姿は神々しさすらも纏っていた。名をミカヤという。
「なにやら考え込んでいらっしゃる様子。これはまた、大勝利のための策を考えられているに違いない!」
「うむ。我らに出来るのは巫女様のため、全力で戦うのみだ」
兵たちが興奮気味に語り合う。デイン解放のために戦い、勝ち続けてきた彼女はいつしか、暁の巫女と呼ばれ崇拝されるようになっていた。
「ミカヤ。天幕に戻ったらどうだ、冷えるぞ」
そんなミカヤを呼び捨てにするのは、緑髪の青年サザだ。彼女の弟分であり、ミカヤとはずっと小さい頃からの付き合いである。
「……えぇ。そうするわ」
サザの声に振り返ったミカヤは、優しく微笑んだ。
「……そういえばサザは見た? 対岸の柵」
天幕に戻ったミカヤが、サザに話しかけた。
「見た感じ馬防柵だな。ベグニオンが、ラグズ連合相手にやったんだろう」
「私たちも作ったほうがいいのかしら」
「どうだか……そもそも今俺たちがいる、一番戦闘が激しかったらしい下流側には全然なかったんだ。迂回されて、意味がなかったとも言える」
「……それは、迂回をさせるくらい嫌がったとも言えるんじゃない?」
「確かにそうだが……」
まさか『派閥争いのせいで作れなかっただけ』などとは露知らず話す二人だった。
「……だけどラグズ対策をしたとして、向こうはベオク主体で挑んでくるだけだ」
「グレイル傭兵団……」
ミカヤは呟く。
グレイル傭兵団。アイクが団長をしている、三年前にデイン王国を打倒した立役者だ。当時ミカヤとはぐれていたサザもそこに在籍しており、それまで一介の孤児に過ぎなかった彼は、アイクたちと共に世界を巡ったことで沢山の知見を得た。
そういった経緯もあって、サザは時折アイク側に寄った言動をすることがあった。アイクが如何に素晴らしい人物で、狂王を討って戦争を終わらせた英雄とはいえ、デイン人からすれば仇のような存在である。
敗戦国となったデインで市民と助け合い暮らした経験のあるミカヤは、彼がアイクの話をする度に「私以外の前ではしないように」と、苦い顔をしつつ大人の対応をしていたのだが……今回とうとう敵として相対することとなってしまった。
彼らの……特にその団長であるアイクの勇猛さ、強さはサザから散々聞かされている。ミカヤがこれまでに相対したことのない強敵であることは間違いなかった。そんな中で一つ気がかりなのが、友軍であるはずのベグニオン軍の動向だ。
「ベグニオン軍は東のガドゥス領で、ラグズ連合相手に静観しているのよね?」
「あぁ、そうみたいだな……なんでかは分かんないけど」
ベグニオンが、ゼルギウスのほぼ独断で三日間の停戦期間を設けているという話は、デイン軍には伝えられていなかった。デインの視点からは様々な可能性が考えられる。単純にラグズ連合に大敗を喫した、拮抗勝利したが部隊の再編に時間がかかっている、なんらかの政治的事情に軍を動かしている場合ではない……考えれば考えるほどに憶測は広がるが、結局は憶測。確認する術がないのであれば時間の浪費である。
「一度、連絡を取ってみた方がいいと思うの。今後の作戦の予定とか」
「言いたいことは分かるけど、ラグズ連合には鷹の民がいるみたいだから、竜騎士は使えない。地上から伝令を送るにも、獣牙族の鼻を潜り抜けるのは難しいだろう」
「地図を見たけど、ガドゥス領はデインと国境を接している。デインを経由すれば、安全に連絡が取れるかも」
「……あんまり意味がない気もするけどな。今回の戦争だって、デインのことを捨て石くらいに考えてるんじゃないか」
ベグニオンと協力をすることにあくまで否定的なサザ。世間知らずの傭兵だった頃のアイクと同じ目線で、かの国の仄暗い部分を沢山見てきたせいで印象がかなり悪かったのもある。
「……それでも送っておきましょう。なにか役に立つかもしれないわ」
「なにか見えたのか?」
なにか見えた、とは、ミカヤの未来予知の能力のことだ。とはいえミカヤの未来予知はそんなはっきりとしたことは分からず、この先の未来のイメージがぼんやりと見える……この場に留まると危ないであるとか、この先に希望の鍵があるだとか。
「……なにかがあるとしか、分からない。すごく漠然としているんだけど、これをしておくのと、しておかないとでは、私たちには違った未来が待っている……」
「どっちの方がいいとか、分かんないのか」
「……私は、した方の未来を取りたい。しない未来より少し暗いけど、より沢山の命が助かるような……」
「なら決まりだな。夜の内に誰を送るか選んでおいて、朝一に出発してもらうか」
「そうね。そうしましょう」
二人はひとまず、派遣する竜騎士を決めるのだった。とはいえ相手はベグニオン中央軍、その力の差は歴然としている。生半可な人物は送れない。選択肢はおのずと絞られるのだった。
◇◇◇
ソゼ峠で敗北を喫したラグズ連合は、セリオラ城にて負傷兵の回復に努めつつ、ベグニオン側の様子を窺っていた。ベグニオン帝国軍はゼルギウスの指示に従い、追討をせずにガドゥス城に帰還。その後は連合側の予想に反し、全部隊が大人しく待機していた。
原作では破られた三日の停戦期間の約束は果たされたのだった。原作で兵を率いたロンブローゾが既に面目を潰されていたのもあるが、その他の将も特に立ち上がらなかったのは、ひとえに元老院議員であるセリオラ、テルグムの兵がモンテの支配下にあったためである。
「まさか三日の停戦期間を満了させてくれるとは思いませんでしたね……」
この結果には、さしものライも驚いていた。
「今日の昼にも様子は見に行ったが、連中はまったく進軍の準備をしていなかった。この分だと明日朝一番に動くって感じでもなさそうだな」
ティバーンは毎日のようにガドゥス城の偵察に出向いていたが、これといった収穫はなかった。兵たちも平時の如く過ごしていて、少々緩慢な雰囲気ですらあった。
「俺たちもそろそろ方針を決めないとな」
「決めると言っても、進むも退くも、って感じですけどね」
今朝方、リバン河の対岸にデイン王国の軍が布陣したとの報が、ラグズ連合に届けられた。
原作においては夜陰に乗じたラグズ連合の渡河先遣隊が、デイン軍に奇襲されるという形での邂逅だった。この世界においては、ベグニオン軍が三日の停戦猶予を守ったことでラグズ連合の動きも遅れたためにこういった形になった。
これには良い面と悪い面、両方ある。良い面として、まずデインの奇襲による被害を受けずに済んだこと。そしてこの期間の間に、負傷者の多くを回復させることが出来た。
悪い面として、デイン兵は万全の状態で対岸に布陣している。ベグニオン帝国軍と連携されるようなことがあれば、よくて崩壊状態。落ち武者狩りに怯えながらガリアへ逃げ帰る羽目になる。最悪の場合、一兵残らずベグニオン・デイン連合軍に討ち取られることとなるだろう。
ティバーンとライは、セリオラ城の廊下を歩き始める。そろそろ軍議の時間だ。ここのところ毎日のように難しい顔をしている軍師殿が待つ部屋へと向かうのだった。
ラグズ連合の作戦会議に、思わぬ人物が訪れる。
「スクリミル将軍……! もう身体は大丈夫なのか?」
アイクが立ち上がって迎えた相手は、ついこの前、ゼルギウスによって瀕死の重傷を負ったばかりのスクリミルだった。
「問題ない。俺は既に元通りだ!」
高らかに宣言するスクリミル。しかしその表情に、戦闘前にはあった能天気さのようなものはなかった。彼が驚異的な回復力を見せたことは、傷つくガリア兵たちにも勇気を与えた。
しかしそれと、敵の総大将……それもニンゲンの男に一対一で敗れたという事実は別の話だ。
「で、これで進むっていう選択肢も出来たのか?」
ティバーンがセネリオに問いかけるが、セネリオの表情は芳しくない。
「やれと言われれば、敵に損害を与える策を出すことはできます。しかしそれをやって連合が勝利できるかと言われると、一切保障できません」
「つまり無理ってことだな。そんな気はしたが」
「……相手に仕掛けるには兵が足りません。モンテ将軍を狙った暗殺も、こちらの総大将を危険に晒すことと隣り合わせです。二度、三度と取るべき手ではありません」
ラグズ連合の兵力はガリア兵6,500、フェニキス兵3,000程度まで擦り減っていた。河を渡る前はガリア兵10,000,フェニキス兵4,000を数えていたことを考えると、ガリアの獣牙兵の消耗が激しい。
これでもソゼ峠での早期停戦があったからかなりマシな結果に収まっており、あの停戦がなければ多くのガリア兵が包囲され、戦後には3,000も残らなかっただろう。そうなれば正面からデインは突破できず、半獣狩りを恐れながら、散り散りになってガリアを目指すしかなかったはずだ。
「ベグニオンに動きがない今のうちに、デイン軍を打ち破って本国に帰還することを進言します」
セネリオの言葉は、スクリミル、ティバーン両将に投げかけられた。
「……俺は敗れた。敗軍の将である俺がやるべきは、一人でも多くの同胞をガリアの地に帰すことだ」
「スクリミルがそこまで言うなら、俺も異存はねぇ……となると、相手はデインだな」
「対岸のデイン軍を排除し、渡河を成功させるための策は既に練ってあります」
そう言ってセネリオは、机の上に地図を広げた。
「敵の偵察は済ませてあります。デイン軍は下流域を中心に16,000を展開。とはいえシューターは配備されておらず、魔導士、竜騎士の数はベグニオン軍と比べるまでもありません」
ざっと広げられた地図には以前のように凸記号を用いた部隊配置に、弓兵や竜騎士、魔導士などの備考のメモ書きがびっしりと書き込まれている。その情報量は以前に比してますます際立っており、感嘆の声が複数上がるほどだった。
「上流はがら空きだな」
アイクが指摘すると、セネリオは首肯する。
「復興したばかりにしてはこれでも頑張った方だと思いますが、そもそもベグニオン本隊とは数が圧倒的に違います。ベグニオンのようにラグズが渡河できる範囲全てをカバーするという訳にはいきません」
「なら誰かがデイン軍相手に陽動をやっている内に、上流で渡河を済ませてしまうか……俺たちが囮を引き受けよう。俺たちがデイン軍と交戦を始めたタイミングで、ガリア軍とフェニキス軍は渡河を始めてくれ」
アイクの提案に、スクリミル、ティバーンは同意を示す。
「それなら俺もそっちに参加しようか。獣牙族も何人かいないと、怪しまれるからな」
ライがそう提案すると、セネリオが待ったをかけた。
「それなのですが、別の策があります……もっともこれは天候に左右される上、スクリミル将軍の体調が万全である、という前提なのですが」
「おう! 俺は全く問題ない、話してくれ」
「デイン軍の士気の高さに、暁の巫女の存在があります。霧に紛れたフェニキス兵でスクリミル将軍を輸送、奇襲し撃破しましょう」
セネリオの策に、会議室内の空気が引き締まる。それ自体はリバン河渡河の際にも実践したのだが、その時はライが出向いた。セネリオはその役を、スクリミルに振ろうと言っているのだ。
「スクリミル将軍をか? ライじゃダメなのか」
「『一騎討ちで敗れた』という、ラグズの将としては致命的な汚名を払拭する好機です。正直、今のスクリミル将軍が部隊を率いても、リバン河の渡河を成功させた時ほどの威力は発揮できないでしょう」
「……珍しいな。セネリオが、そういう政治らしいことを気にするのは」
アイクの指摘に、セネリオは目つきを少しだけ鋭くした。
「……アイク、勘違いしないでください。僕はただ、全盛期のスクリミル将軍が率いる部隊の攻撃力が、今後ベグニオンと戦っていくうえで必要になると考えているだけです」
セネリオのその言葉に、アイクはなお驚いた。しっかりとガリアまで撤退した後のことまで見据えているのもそうだが、その言葉には武の求道者にも通ずる熱が籠っていた。セネリオにとっての武の道とは即ち軍略の道。彼の前に立ち塞がったのは誰なのか、もはや言うまでもない。
武の道を進むアイクから見て、このセネリオの"熱"は好ましく感じられた。だからアイクは彼のために、スクリミルに向き直る。
「……スクリミル将軍。危険な任だが、やってくれないか」
「俺はやるぞ! その暁の巫女とやら、獣牙の誇りにかけて倒してやろう!!!」
力強く宣言するスクリミル。
彼らは知らない。暁の巫女は、決してその武勇でデイン復興を成し遂げた訳ではない。戦闘能力はごくごく一般的な魔導士のそれであり、獣牙の牙どころか矢の一本ですら大きなダメージを受ける、鷺の民の如き儚い存在であることを。