ガリア王宮に激震が走った。
ベグニオン帝国軍がクリミア王国の国境を破ったという報告があったのは、つい数日前のこと。クリミアからすれば、ベグニオンは宗主国であるからこれを止められない。ラグズ連合としても、精鋭をクリミア国境に送り込み、帝国軍と雌雄を決するべしと意気込んでいた。
ところが帝国軍は突如反転。自国領のフラゲルへと帰還した。そして今日、ガリア王国にクリミアから書状が届いた。帝国の神使サナキがクリミアに亡命し、ラグズ連合との和議を望んでいるという内容だ。
それと時を同じくして、ベグニオン帝国本土にて政変があったとの情報も飛び込んでくる。力で王を選ぶラグズにとって馴染みのない、権謀術数渦巻く政争というものに、連合の上層部は頭を抱えていた。
「……つまり何が起こったのだ! 色々起こりすぎて、訳が分からんぞ!!!」
こうした話題に疎いスクリミルが真っ先に音をあげた。
「とりあえず、ベグニオンに戦意はないとみていいんだな?」
ティバーンが話を振った相手は、自身の腹心である『千里眼』のヤナフと『順風耳』のウルキであった。偵察に向いた能力を持つ二人は、ガリア東部にそびえるエルツ山脈を常に見張り、聖竜騎士団に睨みを利かせていた。
「俺とウルキで偵察に行きましたが、エルツ山脈に貼り付いてた聖竜騎士団も引き上げてるんで、信憑性はあるんじゃないですかね」
「……フラゲルに詰める帝国兵も、その話題で持ちきりです。間違いはないでしょう」
偵察の二人が肯定することで、少なくとも帝国側の意志は書状の通りという確認が取れる。
「聖竜騎士団は元老院派の組織とされています。その彼らが、大人しく神使の言うことを聞くというのが、少し気になりますが」
「モンテ将軍が、中央軍内の元老院派の手綱を握れているのかもしれん。それなら説明がつく」
「……だとすると神使が元老院に、なにかしらの譲歩をしている可能性があります。その内容を精査する必要があるでしょう」
セネリオとアイクがそんな会話を繰り広げる。
「……そもそも神使を完全に信じていいのか? ゼルギウスの主のセフェランという男は、神使派の筆頭というではないか!」
スクリミルが疑問視したのは神使と元老院とのつながりではなく、サナキそのものに対する信用だった。
ゼルギウス=漆黒の騎士説。当初はスクリミルが声高に唱えていただけの珍説であったのだが、三年前にライがトハの港町で漆黒の騎士と遭遇した際、黒髪の何者かに助けられたこと。当時トハにいたアイクがその容姿に見覚えがあったこと。その他数々の情報が集積され、共有された結果、確証こそないもののラグズ連合内でそれなりに信憑性のある説にまでなっていた。
それでもティバーンやセリノスの鷺の民、そしてアイクたちはサナキを信用する立場だった。
三年前、アイクたちはベグニオンで活動する中で、サナキがセリノスの虐殺に対して冤罪という認識を持っていたことを確かに覚えていた。鷺の民に対し、まだ10歳だったサナキが膝をついて謝罪した光景は鮮烈だった。それまでベオクをニンゲンと蔑んでいたティバーンやリュシオンが、ベオクに対する態度を改める契機になったほどに。
「神使はセリノスの森での一件がある。個人としては信用に足るとは思うが、下の者を御しきれてねぇのは火を見るより明らかだ」
ティバーンが神使派の中で懸念しているのはあくまでセフェランとゼルギウス主従である。ゼルギウスはフェニキスを焦土化した作戦を教えられるという因縁もある。
議論が白熱する中、玉座に座していたカイネギスが口を開いた。
「……神使を信じるか否か。それとは別軸で、我らラグズ連合を裏切ったキルヴァス王国も、和議に参加するという問題もある」
書状にはベグニオンの他、キルヴァスも同席するとの旨が記載してあった。キルヴァス……鴉の民に対するラグズ連合の心象は最悪の一言に尽きる。彼らが裏切ったのは血の誓約が原因だが、現状彼らはそれを知る由もない。
この場で最も激情家であるスクリミルが、隠すことなく憤りをあらわにする。
「裏切り者の鴉どもめ……! よくもいけしゃあしゃあと、しかもベオクの威を借るような真似を……!」
「よさぬか、スクリミル」
「しかし叔父上……王よ! 奴らの裏切りにより、連合軍がどのような目にあったか……!」
「言わずとも分かっておる。だが、かの国の裏切りに、我ら以上に憤っている者もいるのだ」
カイネギスが視線を送るのはティバーン、そしてその傍に控えるリュシオンだ。今回こそ、鳥翼族で一体となることが出来たと思った矢先の裏切りは、彼らに深い失意を残した。
「……獅子王。あんたはこの和議、受けるつもりか?」
ティバーンの問いに、カイネギスは首肯を返す。
「ベグニオンを完全に信用する訳ではない。キルヴァスの件もどう転ぶかは分からぬ。だがわしは、この調停を買って出たエリンシア殿を信じようと思っている」
「クリミア女王か。俺はまともに話したことはないが……どんな人物だ?」
「治世も心根も実に好ましい女性だ。彼女の父、先代のクリミア王ラモン殿の遺志を受け継ぎ、ラグズとベオクの友好を心から望んでいる」
カイネギスはベオクとの共存を望んでおり、その融和姿勢はベオクの国であるクリミア王国との同盟にも表れている。かつてはごく一部を除いたガリア、クリミア双方の民に理解されないような状況だったが、三年前のアシュナードによるデイン侵攻とそこからの復興を経て、少しずつ民草にも友好の輪が広がりつつあった。
先代から細々と試行錯誤されてきたガリアとの関係が、僅か三年の間に飛躍を遂げたのはエリンシアの人徳によるところも大きい。ゆえにカイネギスはエリンシアに信頼を寄せていた。
「鷹王、そなたはどうする」
「……今の俺たちは居候の身だ。あんたの判断に従う」
ティバーンの了承を取ったカイネギスは、次にアイクへと言葉を投げかけた。
「グレイル傭兵団には、事の趨勢が定まるまで依頼を延長したいのだが、構わぬか」
「あぁ、俺たちもそのつもりだった」
アイクの返答に、カイネギスは満足げに頷いた。
◇◇◇
帝都某所。ここはベグニオンに数ある牢獄でも政治犯が収容されることで有名だった。仄暗い牢の中で、己が今ここにいることを嘆くことも、怯えることもせず、平然と佇む男がいた。長い黒髪と人間離れした端正な顔立ち。名をセフェランという。かつてはベグニオン帝国の宰相兼元老院議長を務めていたが、元老院副議長ルカンを始めとした一部議員の手によって投獄されていた。
「き、貴様!? どうやってここに……ぐわっ!?」
牢の遠くで、そんな断末魔が響く。すぐに牢の前に人影が立ち、鍵を開けた。人影は牢の扉を開くと、その場に跪く。
「お待たせしました。我が主よ」
人影――ゼルギウスが告げる。
「神使様は……ご無事ですか?」
セフェランの問いかけに、ゼルギウスは答えた。
「はい。神使様はアニムス公の差配により、鴉の民の助力を得てマナイルを脱出。クリミアに亡命されました」
「……すみません。私の耳がおかしくなったのでしょうか」
「いえ……事実のようです。その後は元老院を割り、ガドゥス公を討つべく兵を帝都に……」
「そんなまさか……天地が引っくり返ろうと、彼はルカンに逆らうまいと思っていましたが」
セフェランの脳裏によぎるのは平素のヘッツェルの姿。セリノスの同胞の仇であるルカンに、縮こまりながらも追随する哀れで矮小な老人の姿だ。表向きは神使に対する最低限の敬意を払っているようでもあったが、むしろ旗色を鮮明に出来ない優柔不断さゆえにも見えていた。
片側で悪に染まり、片側で善に縋る。セフェランから見たヘッツェルは、ルカン以上に不完全な存在に映っていた。
「……23年前に、彼にその勇気が備わっていれば。いえ、過ぎた話です」
セフェランがひとりごちた後、またゼルギウスに問いかけた。
「ルカンはどうなりましたか」
「どうやら帝都を離れた様子です」
「そうですか……まだ血の誓約は生きているとは言え、時間の問題ですね」
「……血の誓約をご存じなのですか?」
ゼルギウスは、セフェランの大目標である『大陸を巻き込む戦争を起こし、メダリオンに封じられた負の女神を解放し、ベオクとラグズを滅ぼす』については理解している。
彼は総司令という立場であり、度が過ぎた無能を晒せば降格や解任のリスクがある。時に勝ち、時に負けつつ、臨機応変に戦を進めていた。もっとも三年前はアイクの計らいによりベグニオン中央軍が最前線に出ることは叶わず、今回はモンテ将軍により円滑すぎるくらいに戦争を進めることとなった。
それは良かったのだが、彼とセフェランの想定外の出来事が一つ。デイン王国復活を援助するため、ゼルギウスが漆黒の騎士としてデインに赴いたとき、彼は軍を事実上率いるミカヤと出会った。
印付きは、同族をすぐに見分けることが出来る。ゼルギウスはすぐに、ミカヤが印付きであることに気が付いた。それに加え自身の主であるセフェランに、とてもよく似た雰囲気を醸している。その彼女が自身の出自をひた隠しつつ、デイン再興のために軍を率いる決断をした。ゼルギウスが気に掛けるようになるのも、無理はなかった。
「あれは私が仕向けたものです。ルカンならば必ず血の誓約を結ぼうとすると考え、デイン側に間者を送り込んでいました。イズカがそれです」
それこそ何気ない世間話でもするかのように。なんの感情もなく放たれた主君の言葉は、ゼルギウスの心を揺すった。『ベオクとラグズを滅ぼす』。主のその野望を肯定して手を汚してきたにも拘らず、たった一人の少女が無差別に殺されそうになっていた事実を、彼は平常心で受け止めることが出来なかった。
「それは……ルカンに、そのような権限を与えていたのですか……?」
「元老院議長である私が身を隠していれば、彼の独断では発動できません。戦争に乗じて私を投獄してきたのは想定外でしたが……議長席が空白だとしても同様です。実態はさておき、制度上、元老院は彼の私物ではない」
それを聞いたゼルギウスは安堵する。それでも彼はミカヤから、血の誓約について連絡を受けていた。その文面は悲壮感が漂うものであり、神使派であるセフェランの将ゼルギウスという立場から、何か動けないかと模索したりもした。結局元老院が分裂し、有耶無耶になってしまったのは彼にとって僥倖だったと言えるかもしれない。
「つまり空手形だったということですか。でしたら、生きているとは……」
「誰もそうとは思っていなかったでしょう?」
「……はい」
「投獄されなければ、貴方にも伝えようとは思っていました。気を悪くしないでください」
セフェランはその場で顎に手を当て、少し思考を巡らせてから問いかけた。
「……そういえば、イズカは何処に?」
セフェランは戦争開始直後に投獄されてから、外の情報を十分に得られていなかった。ゼルギウスとの意思疎通も十分に出来なかったのは彼にとって想定外だったが、手駒の一つであるイズカの行方がデイン王即位式直後から途絶えていることもまた想定外だった。
「デイン王の即位式以降、依然として行方知れずです」
「……元老院に彼を取り除く理由はない。ラグズは動機こそあれ、物理的に不可能。となると必然的に、クリミアに絞られる訳ですが」
セフェランの脳裏に、三年前王宮で出会ったクリミアの貴族たちの顔が浮かぶ。ベグニオンの元老院を希釈したような小物が多かったが、石くれの中にも光る人物はいるものだ。
フェール伯ユリシーズ。先代クリミア王ラモンの弟であり、王位継承権一位だったレニングの文官を勤めていた男だ。道化染みた言葉回しが特徴の、年の割には老け顔だが、頭はクリミア貴族の中でもっともキレる男だ。
彼の主であるレニングだが、公的には三年前にアシュナードに討たれたこととなっている。が、実はイズカの実験により、"なりそこないの薬"を投与され、精神攪乱した状態に陥っていた。イズカからその情報を直接得ていたセフェランからすれば、クリミアにイズカを攫う"動機"はあると言えた。
「……即位式にクリミアの使者として来ていたのは、フェール伯でしたね」
「はい」
他国の重鎮を攫ったとあれば本来ならば大事になる。だがイズカは、デイン王を嵌めるための仕事を終えた後だ。デインが彼の身柄のために犠牲を払うことはないだろう。
……だが、もしクリミアがイズカに続いて、『デインに最も必要な人物』を攫ったら?
イズカという前例があり、サナキを救ったキルヴァスという手段もある。誘拐という手段に説得力は十分ある。動機は幾らでも誤魔化せる。
「……ここで銀の髪の乙女が消えれば、クリミアの犯行と煽ることも出来ますか」
「ここから戦争を続けるおつもりですか。次の機を待てばよいのでは……」
「私も貴方も、今の地位にいられる期間はもう長くありません。近い内に表舞台から消える必要がある」
「それは……仰る通りです」
セフェラン、ゼルギウス共に表舞台に長く立ち過ぎていた。セフェランに至っては就任時からほとんど変わらない容姿に、ベグニオン内の貴族からも奇異の目を向けられる機会が増えつつあった。ゼルギウスも長らくベグニオン帝国軍の総司令を務め、その勇名は伝説となりつつある。
印付きであるゼルギウス、そして千年以上の時を生きる鷺の民であるセフェランは、普通の人間と老化の進行具合は異なる。同じ場所に居続ければ、いずれ加齢を誤魔化しきれずにその出自はバレる。そうなる前に現在の地位を捨て、戦争を主導できるような立場を築く所から始めねばならない。当然タイムラグが発生する。
ゼルギウスの頭に、今回の戦争を共に駆けた男の顔がよぎる。自分を戦友だと言ってくれたモンテ将軍。
彼は自分が印付きだと知ったら、どんな顔をするだろうか。自分が漆黒の騎士として暗躍していたことを知ったら? この戦争も、主君の野望を実現するための戦争だったと知ったら?
積み重なる自問自答が彼を苛んだ。
「種は蒔けるだけ蒔きましょう。ゼルギウス」
もしもミカヤの出自をセフェランが知っていれば、そのような提案は絶対にしなかった。せめてデイン駐屯軍の調停の際、彼とミカヤが直接顔を合わせていればこうはならなかった。
「銀の髪の乙女を消してください」
セフェランの語り口は変わらない。あくまで平静そのもの。まるで今日の夕食を決めるかの如く。ゼルギウスが、もっとも頷きたくない言葉を的確に口にした。
血の誓約周りの設定については、私はこう思う!でしかないです。あしからず