外気はしんと冷え、口から漏れる息は白い。フラゲルの近辺では雪が降っている様子はないが、今後進軍する先で降雪とかち合う可能性は十分に考えられる。その可能性をノーズから聞かされた以上、将兵を急がせながらも、進軍計画には余裕を持たせている。
日の出と共に、ベグニオン帝国中央軍は進軍を開始した。物資を積載した聖竜騎士団を先鋭とし、ノーズから齎されたクリミア南部の町村を渡るように進軍する。無論強制徴収などはしない……というか、出来ない。今後のことを考えて、というのも勿論だが、サナキが軍に同伴しているからだ。
「……モンテよ」
馬車の中から、サナキが話しかけてくる。軍団全体の進軍速度で言うならば、サナキの乗る馬車がボトルネックだ。そのぐらい一般兵の進軍や物資輸送については、ゴリッゴリに計画を練って最適化してある。ノーズ将軍という兵站の天才と、聖竜騎士団とかいう中世ヘリコプター旅団がなければ、この進軍計画は実現しなかった。
流石にサナキをフラゲルに置いていくという選択肢はなかった。シグルーンでも代用は効くかもしれないが、原作主人公勢に顔が知れているのはサナキだ。その上ベグニオン軍を率いるのは、フェニキス島を焼き、ラグズ連合と徹底的に交戦したゼルギウスの右腕である。交渉の伝手として、サナキの随伴は必須だった。
「なんでしょうか」
「おぬしは馬車に乗らぬのか?」
「兵たちに無理を強いる私だけは、歩かねば示しがつきません」
大義のない戦争に加えて厳しい行軍スケジュールも合わさって、兵たちの士気はかなり低い。兵たちは何も見ていないふりをするが、その実周りをよく見ている。俺が少しでも楽をしようとしたならば、自分たちにばかり負担を押し付ける無能だとの誹りを受けかねない。
「……モンテ将軍のような人物がこれまで頭角を現わせなかったのは、ベグニオンにとって大きな痛手ですね」
サナキの馬車に同乗しているセフェランから、お褒めの言葉を与る。頭角はまぁ……前世のモンテ将軍はここまで出世できるタイプではないからな。
「よう」
ネサラがきさくに声をかけてくる。彼は今回の遠征に、わずかな供回りのみを連れて参加している。目的は和平会談前のラグズ連合との邂逅だ。
ネサラの読みはこうだ。ラグズ連合にもクリミアから救援要請が飛んでいるなら、連中は必ず軍を出す。その時の総大将としてカイネギスが選ばれることは、彼が国許を離れる選択肢はないから除外される。そうなると自然に総大将はフェニキス王ティバーンとなる。俺も全くその通りの展開になると思う。
因縁の深いフェニキスへの裏切りについてティバーンと一騎打ちで話をつけ、和平会談の滞りを少しでも減らしたいというのがネサラの狙いだ。サナキがいれば血の誓約の件についても説明可能。俺から提案することが何もなくて苦労しないね、本当に。
ちなみに今回キルヴァス本国に控えている兵には、いつでも本国から出陣できるよう備えさせるに留めているそうだ。一部の諜報部隊はデインに潜り込ませているらしいが。
「ベオクにしちゃずいぶん早い進軍だが、この調子で持つのか?」
「持たせないとラグズ連合に先を越されるでしょうからね」
「妥当な判断だ。デインとラグズ連合がやり合ってるところに到着したら、向こうから見たら間違いなくデイン方の増援だろうからな」
「クリミアに『ベグニオンも救援要請を受諾した』という伝令を飛ばしていますが、間に合うか分からないですからね」
敵情を探らせているトラヴィーユとは別に、クリミアにいくつか質問を送っている。俺たちが進んでいる間にメリオルが落ちるなんていう頓珍漢な展開にならなければ、進軍中に回答が来るものだと思っている。
「そういえば、獣牙族の行進速度はどれほどなのですか。化身を用いた短期的な移動速度は驚異的ですが」
「常に化身状態で行軍する訳じゃない。ただ最終的な進軍速度は荷物が少ない分、基本はベオクより多少速い程度に落ち着く」
「ラグズに槍や鎧は不要ですからね」
「ただしラグズは本人の腕っぷしで軍内の地位が決まる。となると戦争の前準備が下手な奴がトップに収まることも当然あるわけだ。副官を定めて丸投げするっていう手もあるが、その副官も別にそこまで上手じゃない場合は……まぁ、現地での狩猟と薬草摘みに精を出す羽目になる」
それはそうか。ただ適材が適所にいないかもしれないっていうのは、別にラグズに限った話ではない。今回の進軍について、俺が権限を持っていたから適材だと判断したノーズに兵站を任せた。ただ、例えばゼルギウスが選んでいたらノーズの担当ではなかったかもしれない。
「ただ、この問題を一発で解決する冴えたやり方がある」
「と、言いますと」
「ベオクを軍の中枢に置いて、後方のことを全部ベオクにぶん投げる」
「……あぁ、グレイル傭兵団」
よくよく考えてみたら、グレイル傭兵団はクリミア、ベグニオンの軍勢を率いてデインからクリミアへの進撃を行っていたはずだ。傭兵団なんてこじんまりした肩書だが、その軍勢を率いる経験値については並みの将軍を遥かに上回る。クリミア救国の英雄であり、ラグズ上層部の多くが信頼しているアイクが旗印で、なおかつベオクにしてはやたらと強いのもラグズ軍を率いるのに都合がいい。
「だから急いだほうがいいだろう」
「そうですね」
しかしここから縮める方法か……メリオル到着前に休憩を挟むつもりでいたが、リバン河の時のように強行軍するか? いや、デイン軍がすぐそばまで来ている状態で疲労困憊ではそのまま大敗を喫しかねない。それについては敵軍の情報も鑑みて、計画の修正が出来るよう構えつつ、事前に取った余白をなるべく使いきれるよう調整するか。
「……そういえばキルヴァス軍はその辺りどうなのですか?」
「その辺りってのは……腕っぷしで上官を決める話か?」
「えぇ。今後共闘する可能性もあるので、傾向くらい掴んでおきたいと思います」
「俺たちも腐ってもラグズだから、あんまり戦闘が上手くない奴を上官にするのは難しいが……うちは正面から戦う部隊ばかりじゃないから、そっちは割と俺の裁量次第だな」
なるほどな。軍は一般的なラグズ的組織構造を大きく逸脱しているわけではないとして、諜報や特殊部隊はその限りではないということか。
「そう思うとラメールは本当に優秀でした」
「そうだな……確かにあれだけ我慢強い役を任せられるとは、俺も予想外だった」
「褒めてあげました?」
「もっと褒めてやらんとなと思っていたところさ」
俺がそう問いかけると、ネサラはニヒルに笑って見せた。
「ラメール。褒められてますよ」
「……王もモンテ将軍も、あんな大きな声で話す内容じゃないでしょ……」
フォレの隣で辟易とした声を漏らすラメール。かなり照れたのか、頬を真っ赤に染めていた。
「そうです。鴉王」
「なんだ?」
「デインとの戦では、鴉王に前線に出ていただければと思っているのですが。考えている作戦に、少し実験的な試みがあります」
ネサラは鷹王には一歩劣ると扱われがちだが、せっかくの
「ま、いいだろう。元老院派筆頭将軍のお手並み拝見と行こうじゃないか」
ネサラは快諾してくれた。……しかし元老院派筆頭将軍か。なんかその称号、あんまり強そうじゃないなぁ。
◇◇◇
クリミアの空を滑るように飛翔する一頭の赤竜と、その背にまたがる少年騎士トラヴィーユ。彼らは王都メリオルを東進し、テルブレー伯爵領上空まで辿り着いていた。
「……いたいた」
眼下に広がるのは、黒鎧を纏った無数の兵士たち。間違いなくデイン軍であった。彼らは平野に陣を敷き、敵を待ち構える構えを見せている。
そのデイン軍に対抗するよう布陣するのはクリミア王宮騎士団。先頭に立つ青髪の青年は王宮騎士団長ジョフレ将軍。ジョフレ将軍はデルブレー伯の息子であり、ここは父祖伝来の地でもある。ここで食い止められるならば、必ずやそうするだろう。
(……いや、デイン軍多すぎ……!?)
トラヴィーユが愕然としたのは、そのデイン軍の数であった。相対する王宮騎士団が騎兵中心の、いわば精鋭部隊であることを差し引いても、その3倍から4倍の兵数があることは陣容から把握できた。おまけにデイン方には弩弓部隊や竜騎士部隊など、兵科の多様さも十分に備わっている。
(数は……えーっと、15,000くらいか? 歩兵はまばらだから分かんないけど、騎兵1,000から2,000、竜騎士1,000程度……?)
フラゲルに詰めているはずのベグニオン中央軍の総兵力が20,000、聖竜騎士団が2,500程度。そう考えれば、数ヶ月前まで独立国ですらなかった国がこのレベルの軍勢を率いているのはぞっとする話である。
(……これは、早く情報を持って帰らないと――!)
トラヴィーユが騎竜を繰ろうと手綱を引いた、その時だった。デイン軍の竜騎士団から一人の竜騎士が、猛然とした速度でトラヴィーユへと迫る。
緑竜を駆る赤いポニーテールをたなびかせる女竜騎士。トラヴィーユよりは年上だが、それでもまだ年若さがある。トラヴィーユは彼女の外見に、心当たりがあった。
(ジル・フィザット……!)
ジルとはガドゥス領に待機していたタイミングで顔を合わせたことがあった。フィザット隊の伝説については、彼女と別れてから聞かされたのだ。
そして彼が訓練生になる前、二年前に彼の故郷に引っ越してきた操竜術の師匠。デイン人の妻を持つベグニオン人の彼が、そのフィザット隊に所属していた人物である可能性が高いことも、モンテとルソードから聞かされていた。
彼女はその遺伝子を色濃く受け継いだエリートだ。単騎とはいえ、勝負を仕掛けるべきではない。そもそも彼の芯の部分には確かにモンテ将軍の教えが残っている。
『伝令は、振り切れそうなら振り切る。無理なら周囲の味方に擦り付ける』
周囲の味方――クリミアの王宮騎士団がそれにあたるが、彼らと合流するのは位置関係上難しい。とあれば必然、トラヴィーユの取れる選択肢は一つしかなかった。
(俺だって――俺だって、何もしてこなかった訳じゃない……!)
騎竜を即座に反転させ、全速力で退避に転じた。
事実上の初陣であるリバン河での戦いは、グレイル傭兵団に組した黒い竜騎士に後れを取った。味方の援護を受けられなければ、確実に討ち取られていただろう。
その当時からすれば、トラヴィーユの操竜術の技量は飛躍的に向上していた。師匠の真実を知った彼は、訓練所で習ったことと師匠に習ったこと、双方の主張を比較して自身に取り込むことに努めた。そしてルソードという歴戦の傭兵に鍛錬に付き合ってもらった経験が組み合わさり、彼は
全速力で戦場から退避するトラヴィーユとジルとの距離はなかなか埋まらない。二人の技量の拮抗が窺える内容だったが、追う側の有利を活かし、じりじりとジルが距離を詰める。
「待ちなさい! ベグニオンの竜騎士!」
ジルが風に搔き消されないよう、大声を上げる。だがそれでもトラヴィーユはスピードを緩めず、何も答えない。
(距離が迫ってる、まずい……!)
それは単に余裕のなさからくるものだった。トラヴィーユは自分の手札から、名うての竜騎士に通じるものを探る。そしてふと、思いついたことがあった。
トラヴィーユは意を決し、戦斧を構えて手綱を特定の動作で操る。後ろを追跡するジルはその動作を見て、一瞬の判断の下、手綱を操って騎竜を停止させる。
――その一瞬の隙を突き、トラヴィーユは騎竜を止めることなく大きく距離を離した。
理屈は簡単だ。相手が『フィザット流』を骨身に染み込むまで熟知した相手なら、それをフェイントに活かせるということ。トラヴィーユがやって見せた動作は"元フィザット隊の師匠"から教わった、『反転し、追跡者に対してカウンター気味に戦斧を打ち付ける動作』。当時の彼にとってそれはあまりにも高度なテクニックだったが、それを釣り餌にフェイントをかけるだけなら話は別だ。
(やられた……ッ!!!)
ジルは顔を赤くし、騎竜を全速力で駆る。
(どうする、どうする。さっきのはそう何度も使える手じゃない。ここから振り切るには地の利か味方が必要……!)
一時的優位を得たトラヴィーユだが、戦局は決してよくなってはいない。思考を巡らせる。いくら高速で飛翔したとはいえ、王都メリオルは遥かに向こう。地上に降りても恐らくは閑散な農村か平野、あって森林だ。森林があればいいが、それ以外なら最悪、自ら殺される道を選ぶに等しい。
当然だが熟練の竜騎士は雲に飛び込む程度で撒ける相手ではない。彼らは風鳴りの音を聞き分け、確実に追跡相手の場所を割り出すことが出来る。
(誰か、誰か……!)
そんな叶うはずもないトラヴィーユの懇願は、正面から迫りくる"黒竜に跨る竜騎士"によって果たされることになる。竜騎士ハール。トラヴィーユにとっては苦い思い出だが、彼の騎竜の頭部には黒の装甲を貼られ、より威圧感が増した装いになっていた。
「……なんだ、ジルと……リバン河の小僧か」
黒竜の騎士を視界にいれたジルは、直ちにその場で停止した。
「小僧、こっち来い」
トラヴィーユは一瞬ためらうが、ベグニオンはクリミアの要請の下デインと敵対し、ラグズ連合と共闘する旨を理解していたために、一旦は従う決断をした。ジル相手に苦戦している竜騎士が、援護なしにハール相手に逃げ切れるわけもないという現実的な判断もあったのだが。
「で、この状況はなんだ。ジル。なんだってベグニオン兵を追っかけてるんだ?」
ハールの問いかけに、ジルは眉間にしわを寄せて答える。
「……ベグニオンはクリミアに味方したから、そう軍部が判断したためです」
「はぁ。軍部ね……つまりジルはデイン軍ってことだな?」
「そういうハールさんはどうなんですか? 運び屋にしてはずいぶん帰りが遅いじゃないですか」
「俺か? 俺はまぁ、行きがかりでクリミアの反乱鎮圧に付き合って……その後はアイクとの付き合いで、ラグズ連合だ」
「なんですか、そのだらしない理由はッ!!!」
ジルの激昂に肩を震わせるトラヴィーユ。彼はジルのことを、どことなくフォレに似た真面目一徹な人物だなと思っていた節があったが、フォレが他人に対してここまで感情を高ぶらせる構図が思い浮かばず、考えを改めることとなるのだった。
「あぁ……で、どうすんだ。俺とやりあうか?」
一方の当事者であるハールはというと、ほぼ堪えていない様子で戦斧を構える。
「無理です! そんなの」
「じゃあお前、こっちに寝返れよ」
「簡単に言わないでください!」
「そもそも、なんだってデインはこんな無謀な戦を仕掛けたんだ」
ハールの問いかけに、ジルは躊躇いながらも答えた。
「……ミカヤ殿がクリミアに攫われた。軍の上層部からは、そう聞かされました」
ハールは一つ大きなため息を吐く。
「で、お前はそれが真実だと思ったってことか?」
ジルは沈黙を返すばかりであった。
「ならやっぱ、お前こっちに寝返れよ。一緒に死んでやるのがお前の正義か? 敵に回ってでも、目を覚まさせてやったらどうだい」
躊躇い、迷いの表情を見せるジル。ジルは三年前のクリミア解放戦にて、アイク将軍の旗下でデイン軍や、それに組する父とすら戦ったことがある。己が世界を巡って見識を広め、苦悩した末に立脚した信念のもとに。その時知り合ったクリミア軍の人々や女王エリンシアが、少なくともミカヤ誘拐のような卑劣な手を選ぶとは到底思えなかったのだった。
「さぁ、一緒に来い。ジル・フィザット。裏切り者の汚名を被ってでも行動した方がいいって俺たちは知ってるだろう? あの人のためにも……己に恥じぬ生き方をしろ」
ハールの言葉に追い打ちをかけられ、ジルはとうとう首を縦に振った。
「はい、ハール隊長……!」
……それは戦場にて、たった二人が相対している現場であれば美しく締められたかもしれないが。少なくともこの場には、トラヴィーユという赤の他人がいて、彼の視点からすれば明らかに二人が『何かしらの関係』を持っているようにしか見えないのだった。
「あの」
恐る恐る話しかけるトラヴィーユに、ハールは答える。
「なんだ?」
「その……お二人は、どういう関係で?」
「亡くなった恩師の娘。それ以上でもそれ以下でもない」
そう答えるハールに、トラヴィーユは愛想笑いを浮かべるのだった。