クリミア王城内は物々しい雰囲気に満ちていた。
無理もない。現在クリミアには他国の軍が陣を敷き、ベグニオン、ラグズ連合の首脳が王都に滞在している。三年前に祖国を失った彼らにとって、刺激が強すぎるシチュエーションだった。精神的に参ってしまう貴族や政務官も出る中、最も気丈に事態にあたったのが、政の経験が浅いエリンシア女王その人だったのは皮肉だった。
エリンシアは思い切った采配に出る。ベグニオン帝国皇帝サナキ、キルヴァス国王ネサラ、ガリア国王カイネギス、フェニキス国王ティバーン、そして今は亡きセリノス王国の第一王子ラフィエル、第二王子リュシオン。彼らの和平会談の場所として、王城内の円卓の間を配したのだ。
戦況はどちらかといえばベグニオン方が有利。本来、ラグズ連合側は和平条件を飲まされる側だ。そもそもクリミアにとっての宗主国と、被差別的な地位にあるラグズである。それをまとめて円卓に招き、各国に上下を当てはめないという采配は異例を通り越し、異常である。この采配はクリミア貴族の胃に穴を空ける一因にもなっているのだが、これくらいのことをしなければ実現しない会談だ。
――原作では、サナキは元老院に牛耳られた帝都シエネから神使親衛隊を伴い、辛うじてクリミアに亡命。帝都奪還のためにラグズ連合との同盟を結ぶという筋書きだった。だから皇帝が頭を下げても問題なく、ラグズ側もそれを受け入れることで自然と和解に持ち込むことが出来た。
しかし今回は違う。元老院は少なく見積もって戦前程度には皇帝のコントロール下にあり、ベグニオン帝国軍は厭戦感情こそあれ、戦争を続けられないこともない。本来であれば頭を下げる必要は全くないベグニオンが過去の過ちを認め、ラグズ相手に最大限譲歩して和平を結ぶという格好になる。
サナキがやりたいセリノス、ラグズに対する贖罪。しかしそれを真正直にやってしまうと、新たな政変の火種となる可能性もある。そこについてはネサラ、モンテも把握済みであり、ある程度の擦り合わせはサナキをキルヴァス島に潜伏させていた間に事前に済ませてある。
「……列席の方々よ。まずは我が呼びかけに、応じていただき誠に感謝する」
円卓の一席に座るサナキが、ラグズ連合の君主たち、そして主催のエリンシアに声をかける。サナキの後方にはセフェランが控えていた。
「サナキ殿。堅苦しい挨拶はよい。我らラグズは、形式には囚われぬ」
そう切り出すのはカイネギスだ。ガリア王国の立場として、確かに劣勢であるが国土の樹海を盾にもう一戦する程度の体力はまだ残っている。信頼のおけるエリンシアがこの場を用意したということもあり、へりくだることはせず、連合の最大勢力として会談に臨むつもりであった。
「まずは、この度の連合との開戦がなぜ起こったのか。その後和議を提案するまでの間になにが起こったのか。そこからお願いできますか?」
エリンシアが事前の取り決めの通りに、サナキに話を振る。
「……女神に誓って申し上げる。わたしは事の始めよりラグズ側の訴えを厳粛に受け止め、元老院の罪の追及を行うつもりであった。そして事実を明らかにしたうえで、セリノス王国に対し謝罪と賠償をと考えていた」
サナキはそもそも、戦争を挟むことなくルカンを始めとした議員を裁き、セリノス王国に対する謝罪――つまりセリノスの森全土の返還をするつもりでいた。彼女の"教育係"の潔癖に原因がないとは言えないだろう。
「わたしはそこにいる宰相セフェランと共に、議員らを告発する準備をしておったのじゃが……あやつらは突然暴挙に出た。マナイルの一室にわたしを軟禁し、セフェランを虚偽の罪で投獄した。首謀者はルカン、セリノスの虐殺を主導した男じゃ」
「……ルカン。そいつが鷺の民の仇ってことでいいんだな?」
ティバーンの問いかけにサナキは首肯し、言葉を続ける。
「その後の動きじゃが……元老院の議員であるアニムス公ヘッツェルの手の者の流した情報を元に、キルヴァス王国がわたしを救出した。その後ヘッツェルは、ルカンにより生かされていたタナス公オリヴァーと共同し、ルカン以外の北方貴族と連名でルカンの罪を糾弾。私兵を差し向けて帝都を制圧した。ルカンの捕縛こそ敵わなかったが、その取り巻きの捕縛や、ルカンの元老院からの除名には成功した」
嘘は言っていない。ただしかし、モンテの存在はかなり意図的に伏せられている。ここで語られる内容は、ほぼ間違いなく『歴史の真実』になる解釈だ。ここでモンテの名前が出てしまうと、モンテが元老院側として立つ際に不利になるリスクがあると、モンテから提案があったのだった。
「……待て待て。なんだその展開は。なんだってヘッツェル議員が立った? オリヴァーが生きてた? ルカンは今どこにいやがる?」
それでもラグズ連合にとって、帝都で起こった一連の政変について把握できていない情報のオンパレードだった。まくしたてるティバーンを、カイネギスが手をあげて制する。
「鷹王よ……焦るでない」
「……順番に説明してもらおうか」
「……ヘッツェルは、あのセリノスの虐殺が起こった際。事件に直接関わっていなかったのじゃ。それからもルカンの行う数々の悪行に罪悪感を募らせていた。そして今回のわたしの幽閉についても、やはり憂いていた。彼はオリヴァーや臣下に説得され、此度動くことを決断した」
ティバーンがちらりとラフィエルの方を見る。彼がラフィエルから聞かされたのは『ヘッツェルの心を読んだことにより、セリノスの虐殺は元老院が扇動したこと』という情報である。今回の戦の開戦事由であり、戦争の根幹部分にあたる。
「ラフィエル?」
「……事実です。あの方は事件に直接指示した訳でも、関わった訳でもありませんでした」
「……そうか。でも、見て見ぬふりしたってのは変わらねぇんだな?」
「うむ。よって、国外のことが片付き、国内に目を向けられる時期がくればヘッツェルの議員資格、財産を剥奪し、以後二度と政治に関わらせぬ。本人もそれを了承しておる」
サナキの言葉に沈黙するラフィエルに代わり、ティバーンが威圧するように言葉を吐き出す。
「……つまり殺しはしないってことだな」
鋭い語気で放たれた言葉に、サナキは沈黙を返す。
ヘッツェルの部下であるモンテは、サナキやネサラの企ての中核に深く入り込んでいる。その上で、自身の主の助命一つに何でもやってみせることを"既に実践"している。もしもヘッツェルの助命という約束を反故にすれば、彼はもう一度国を割って戦を仕掛けかねない。無理やり排除するにも、ベグニオン軍・貴族内での影響力が強くなりすぎている。
サナキとしても、潔白と言えないヘッツェルを生かすことに何も思わなかった訳でもない。そしてその葛藤は、心を読む力を持つラフィエルも強く感じていた。
「……っ…………私、私は……彼を、許すことはできないでしょう……」
ラフィエルは言葉に詰まりながらも、心の内に渦巻く負の感情に蓋をしながら、必死で自分の意志を伝えた。
「……ですがその気持ちが……私の、負の感情が……この会談に、悪い影響を及ぼしてほしくない……ですからティバーン……」
「お前の気持ちはよくわかった。ありがとうな、ラフィエル」
「……ラフィエル殿。寛大な対応、感謝する」
サナキは深々と頭を下げ、次の話題を切り出した。
「次に、その。オリヴァーの件なのだが。これもわたしは本当に寝耳に水で、どういった経緯で生きていたのか、把握できていないのじゃ」
「なんなんだろうな。あのオッサン」
「……ネサラ殿」
サナキに窘められるネサラだが、態度を改める様子はなかった。
「オリヴァーは、セリノスの虐殺の一件に関わっていないことは確実となっておる。三年前、そちらのリュシオン殿と諍いがあったのは把握しているが、かの者も一度は死の狭間を彷徨ったという。どうか矛を収めてはいただけぬだろうか」
サナキの説明は主に、セリノスの王子リュシオンに向けられたものだ。
三年前、鷺の民を欲しがったオリヴァーがネサラに大金を払い、リュシオンの捕獲に協力するよう要請した事件があった。その調査として当時ベグニオンに滞在していたアイク率いるグレイル傭兵団が、オリヴァーを撃破。この件で生じたリュシオンとネサラの確執については別口である程度解消している……といった状況だ。
「……半分は、私を騙して売り払ったネサラが悪い。確かに嫌な思いはしたが、今回の一件と無関係なのは承知している」
リュシオンは長年フェニキスで暮らし、ティバーンの傍にいたために兄のラフィエルよりは気丈であった。想定内の反応が無事に返ってきたことにサナキは内心で胸を撫で下ろし、最後の話題について話し始めた。
「最後にルカンの居所じゃが……デインにいるとの情報がある」
サナキが切り出すと、真っ先に口を開いたのはエリンシアであった。
「も、もしや今回のデインの侵攻は……そのルカンという者の策略なのですか?」
「その可能性はないとは言えぬ。じゃが元老院から追い出され、もはやルカンは一個人に過ぎん。一国を牛耳るほどの影響力があるとは思えぬが……」
語り始めたサナキを、カイネギスが制止する。
「その件は後にせぬか。今は、ラグズ連合とベグニオンの和平についてだ」
「す、すいません。出過ぎた真似を……」
「萎縮されることはない、エリンシア殿。自国の事柄に関心が向くのは当然だ。この件は後に、じっくり話をしよう……サナキ殿。続けてくれ」
カイネギスに促され、サナキは続きを話し始めた。
「ともあれルカンの確保は勿論最重要事項じゃ。しかし、その前にまずはベグニオンとラグズ連合の間にある諍いの種を取り除きたい」
「それはこちらとて同じだ。単刀直入に、和平を結ぶ条件ってのは?」
ティバーンの問いに、サナキが答える。
「……まずわたしは、ベグニオンとラグズ国家との間に、正常で対等な国交が結ばれることが望ましい。これがなければ、和平を結ぶという行為そのものが出来ぬ」
サナキの本音は、もっと深い間柄……それこそ原作で結んだような同盟のような関係こそ、望ましい。しかし現状を鑑み、これが精いっぱいの歩み寄りだという判断をしたのだった。彼女が今ここで結論を焦らなかったのは、『時間がある』という一点だった。
しかしそれでも、戦争を終わらせるために、セリノスの森はセリノス王国に返さねばならない。
「ベグニオンはセリノスの王族に対し、セリノスの虐殺は帝国元老院の扇動がきっかけであったことを正式に謝罪する。同時にセリノスの森全域を、セリノス王族に返還することを約束しよう」
サナキの宣言に、セリノスの王子たちは喜んだ。彼らはサナキの心の内が見えるからこそ、それが本心からの提案であることを察することが出来たのだ。
「兄上……! 森に、セリノスの森に帰れます。父上を連れて……皆が眠る森に……」
「……ッ……」
感涙の涙を流すラフィエルを尻目に、話を切り出したのはカイネギスであった。
「ガリアとしては、フラゲル、ムギルについて如何するかを問いたい」
フラゲル、ムギル。ガリア王国からエルツ山脈を挟んだ位置に築かれた要塞都市である。ベグニオンの本土からセリノスの森を挟んで築かれた両都市は、明らかにガリア、クリミア両国を睨んで造られたもの。セリノスの森が宣言通り返還された場合、かの地は飛び地となってしまう。
セリノス王国に対しての森の返還にあたっての、フラゲル、ムギルの飛び地化。原作では一文字も浮上しなかったが、現実的に考えれば間違いなく火種になる問題である。この問題に対し、モンテは条件的な領土通過か沿セリノスの森地域を開拓し、回廊とする案の二つを提示した。後者はかかる時間と森の開拓に対するセリノス側の忌避感情を考慮し、前者で行くことをサナキは決めていた。
「……あの地にはベグニオン人が多く住んでおる。今後とも飛び地として我が国の領土とした上で、セリノス王国には、領土通過の許可を申し出て――」
「セリノスの森の通過か。あの事件の後で?」
ティバーンの懸念は、セリノスの虐殺を鑑みればもっともであった。鷺の民は敵を攻撃する手段を持たない。もし領土通過と偽って、鷺の民へ攻撃を仕掛けられれば今度こそ鷺の民は絶滅してしまう。
「鷹王。そなたの懸念、もっともじゃ。セリノスの森は無防備すぎる。然るにセリノスの森に、フェニキスの戦士が常駐するのはどうじゃろうか。森を往復する者には常に監視を付けて貰って構わぬ」
「セリノスの森を通過したいって意図は伝わった。細かい所は今後、詰めていくことにしよう」
「……かたじけない」
今回の会談で幾つかある難所の内、セリノスの森通過はその最たるものだと予想していたためだ。これが決まったところで、会議後には制度の細かい部分を実務者間で詰めていく必要があるし、国内向けの説明も必要になる。胃痛の種は尽きないが、それでもセリノスの森の返還に目途がついたことに、サナキは胸を撫で下ろす。
峠は越えたが、会談はまだ終わりではない。ガリア王国、フェニキス王国についてがまだだ。
「ガリアに対しては、戦争による被害に対する賠償をと考えておる」
「賠償は要らぬ。元よりガリアは自給自足の国。ベオクの使う通貨の文化に縁遠い。それにベグニオンは敗戦した訳でもない。国内で顰蹙を買うだろう」
カイネギスはそう告げ、ガリア側の条件を告げる。
「代わりに我らが望むのは平和だ。戦士たちの流した血が、無駄ではなかったことを示さねばならぬ。ベグニオン国内に未だ残るラグズの同胞の地位を保障すること。それとベグニオンと、相互に不可侵条約を結びたい」
「それは我らも望むところじゃ。カイネギス殿。共にテリウスの平和のため、ベオクとラグズの融和に向けて尽力してまいりましょう」
ガリア側が物的補償を求めなかったのは僥倖だった。今回の一戦、ガリアはベグニオンの北部の数々の地域を侵攻した。ベグニオン人にラグズへの恐怖心を植え付けた彼らと不可侵条約を結んだのは、サナキも功績として持って帰ることができる内容である。
(不可侵条約、ね。ガリアは今回の戦争、相当堪えたみたいだな。それか後継者が血気に逸る、あるいは踊らされる展開への対策か?)
ネサラの推測の通り、ガリアは今回の戦争で最も益のない立場にいた。後継者候補のスクリミルは経験を積むことが出来たし、ベグニオンの追撃が緩やかだったために原作のような過酷な撤退戦にはならなかったが、それでも多くの獣牙族の戦士がベグニオンの地で果てた事実は変わりない。
不可侵条約が生きている間に、もしまたラグズ連合を組もうと他国に誘われた場合。それがガリアにとって益にならないときに、『不可侵条約を順守する』という手札が残るのは大きい。カイネギスから血気盛んな後継者に対する、国の平和を守るための贈り物である。
「フェニキスに対しては、特に被害が甚大であったフェニキス島については復興支援を約束する。代わりに、今後ベグニオン船に対する海賊行為を止めることをお約束願いたい」
ティバーンがちらりとネサラの方を見る。
「ちなみにキルヴァスは今回を機に、海賊稼業は廃業するんで」
「……三年前、セリノスであんたの謝罪を見届けて以降。少なくとも俺は船の襲撃を命じていねぇが、下の連中は今一度引き締めておく。海賊行為はもうしないことを約束しよう」
ティバーンが国家として海賊行為の停止を改めて宣言したことは、ベグニオン~クリミア間の航路の安全を確保するうえで重要な要素だ。これでガリア、フェニキスに対する補償を行いつつ、ベグニオン側もある程度の利益を得ることができた。
ベグニオンとラグズ連合間の話がつけば、次はキルヴァスだ。キルヴァスは当初ラグズ連合として参戦し、それを裏切ってベグニオン方についた。立場はベグニオンより悪いと言っていい。
「……次にキルヴァスについてじゃが、キルヴァス王。血の誓約について説明を頼めるか」
「あぁ」
サナキに促され、ネサラは自身に刻まれた血の誓約の紋様を見せながら、血の誓約について話し始める。ラグズ連合側にはティバーンの口から既に聞かされていた内容だ。
「……ま。こんな感じで。血の誓約っていうのがあったんでアンタらを裏切った。明かすわけにもいかなかった。事情は……この場で納得してもらう必要はないが、理解はしてくれたよな?」
ネサラの物怖じのない発言に、サナキは呆れながらもラグズ連合に対しキルヴァスの要求を伝えるのだった。
「キルヴァス王は此度の参戦が止むを得ない事情によるものだったとして、今回の戦争について白紙和平を望んでいる」
「……獅子王。ここは事前の取り決め通りに」
「うむ……」
キルヴァスに対する対応はラグズ連合内で、事前に協議されていた。ティバーンに促され、カイネギスが頷く。
「ガリア、フェニキス、そしてセリノスいずれも異存はない。キルヴァスとは白紙和平と致そう」
「……感謝する。本会談で決定した細かい部分については、今後実務者会議にて詰めていくこととしよう」
ベグニオン、キルヴァスとラグズ連合間の戦争は、いったんの区切りを見せた。実務者会議が拗れた場合などの懸念もあるが、講和を結ぶ方向で各国首脳が一致したのは、テリウスの平和にとって大きな進歩である。
講和の内容は、まずベグニオンとラグズ諸国の間に、正常で対等な国交が結ばれること。これが何よりも大きい。
ベグニオン視点はセリノスの森の放棄やフェニキス島の復興支援などを約束したが、ガリアの不可侵条約やフェニキスの海賊行為の停止などは成果と言えよう。ラグズ連合にとっても、セリノスの森の返還により戦争目標をほぼ達成した。お互い飲み込んだものは多いが、合意を優先した形だ。
「ふぅ……」
サナキは大きく息を吐く。少なくとも13歳の少女の双肩にかかるべき重圧ではなかった。
「いったん休憩を挟まれますか?」
「いや……かまわぬ。このまま続けよう」
セフェランの気遣いを断ったサナキ。ベグニオンとラグズ連合の問題が片付いてもこの会談は終わらない。
「次の議題は……デインによるクリミア侵攻についてです」
エリンシアが重苦しい表情で告げる。クリミアの要請に応じ、軍勢を貸したベグニオンとラグズ連合は、現状を把握し、今後の対応について協議する必要があった。