山を下りたミカヤたちは、もっとも近隣の貴族家の邸宅を訪れた。そのもっとも近隣の貴族家の邸宅には、ちょうど領主が王都ネヴァサから戻ってきた所であったのは、なんたる偶然だろうか。
突如姿を現した救国の英雄から、すべての事情を聞かされた領主――マラド領主フリーダが、深く考え込むような素振りを見せながら、答える。
「……そのようなことがあったのですか」
フリーダに相対するのは、山を下りてきたミカヤたち一行である。漆黒の騎士、サザの他、エディやレオナルド、ノイス、そしてオルグまでもが同席している状態である。
「この話は、他言無用でお願いします……」
「分かっています。これは……外に漏れては、私の方針にも反するものです」
ミカヤの言葉に、フリーダは神妙な面持ちで答える。
「……私は先の大戦同様、中立を貫くことでこのマラドを守るつもりです。先のない戦に手を貸すわけにはいかない」
例えデインを取り巻く陰謀を知ろうとも、彼女が重んじるものは変わらない。彼女にとって重要なことは、父ランビーガより引き継いだ自国領マラドの安寧を守ることだ。
「あ、あの。俺たちも聞いちゃったけど」
「……エディに聞かせたのは、得策じゃなかったんじゃないかな」
「あっ! レオナルドお前!」
「まぁまぁ。饒舌に誤魔化せなんて注文じゃない。黙ってりゃいいだけだ」
「……ノイスはノイスでうろたえなさすぎ」
後ろで事の次第を聞いていた暁の団の面々は、そんなことを話し合っている。彼らは決して高貴な出自ではないが、ミカヤがフリーダに行った説明――それ即ち、セフェランが描いた陰謀を万が一言いふらしでもすれば何が起こるか、想像が付かないほどの間抜けではなかった。
唯一、この情報を知りえたオルグが、帰国後にニケ女王に対してこの事実を共有することがあれば、それは歴史に影響を及ぼすであろうが。
「私はペレアス王を……デイン軍を止めないといけません。謀略に振り回されて、沢山の命が消えようとしている」
ミカヤの言葉に対し、フリーダはあくまで冷淡に返した。
「それが……ペレアス王の望みだとしたら」
「なんですって……?」
「私が王城を出る直前、ペレアス王は主戦派へと転じました。その後は風の噂でしか聞いていませんが、ベグニオンを追放された元老院副議長のルカンを側近として配し、更にイズカ殿のなりそこないの研究も公然と認めているようです」
「そんな……」
「何か狙いがあるとするなら、それは戦争をより激化させることだと思います」
フリーダの分析は、当たらずも遠からずである。
ペレアス王は紛れもなく、デインという国を完全に滅ぼすことを目論んでいた。ベグニオンの親ラグズ派の……そしてセフェランの傀儡であることが濃厚な皇帝によって、ベオク世界はラグズとの融和で纏まりつつある。その世界の中で、アシュナードの影を追う国民は行き場を失うだろう。彼らの死に場所を用意することを、ペレアスは『嘘をついた自らの責任』として定義した。
そんな王の思惑を知らないフリーダからすれば、まさか自身の王が国を亡ぼすために戦っているなどとは思い至るはずもない。フリーダの考えるペレアス王像を、心を読み取ることで知ってしまったミカヤは動揺を隠せなかった。
ミカヤからすれば、ペレアス王は心根の優しい少年であり、彼の下でなら平和なデインを築けると信じていたのだ。ペレアスの人柄、考え、そしてデインを想う心。すべてが真であるからこそ、彼女はペレアスの下で解放軍を率い、ラグズ連合との戦にも従軍した。
ミカヤからすれば、それまでのペレアスの善性が嘘偽りないものであったからこそ、今の変節を信じられないのであった。
「私がデイン王城に赴き、ペレアス王の真意を聞いてこよう」
そう申し出たのは、漆黒の騎士であった。彼が転移の粉を用いれば、即座にネヴァサへと赴き、王の意向を知ることが出来る。
「騎士様、私も一緒に……」
「それはなりません。ミカヤ殿」
ミカヤが申し出たところを、フリーダが止めた。
「ミカヤ殿さえ無事でいれば、戦争を止めることは不可能ではない。デイン王城で王の真意を聞くまでは、不用意に近づくべきではありません」
フリーダの対応はあくまで、ペレアスに対する不信から来ていた。そしてミカヤという旗印さえ残っていれば、デインはもう一度立ち上がれる。これもまた、デインの地で生きる民にとって肌感覚で分かる残酷な現実であった。
「……すぐに戻る」
漆黒の騎士はそれだけ告げ、即座に転移する。彼の足元に浮かび上がった光の魔法陣は、即座に彼を飲み込み――その痕跡を跡形もなく消し去るのであった。
「ペレアス王……どうして……」
「なぁミカヤ。本当に漆黒の騎士を信用するのか? あいつが本当に、ペレアス王の下に行って帰ってくる保証なんてないんだぞ」
サザからすれば……いや、漆黒の騎士の暴露を聞いた者ならば、恐らく誰であっても。漆黒の騎士を信用するという選択肢を取りようがない。彼は全ての黒幕であるセフェランと結託し、デインを、そして世界を弄んだのだ。
「……信じましょう」
それでもミカヤは――漆黒の騎士と同じ、印付きとしての宿命を背負った彼女は、それだけを告げるのだった。
◇◇◇
デイン王城、玉座の間にて。
突如転移してきた漆黒の騎士を迎えるのは、デイン王ペレアス、そして元ベグニオン元老院副議長のルカンの二人であった。
「……イズカについては世話になったね。漆黒の騎士」
クリミアからイズカを救ったのは誰かを知っているペレアスは、あくまで冷静に漆黒の騎士へと問いかける。しかしその目には黒いクマが浮かんでいるだけでなく、彼の周囲を漂う闇の精霊との親和性もより強くなっていた。
ペレアスの背後に顕現する闇のオーラは、以前漆黒の騎士が彼と相対したときとはまるで別物であった。皮肉にもその背景が彼に足りなかった『王としての威圧』を補完し、見る者が見れば先王の面影と錯覚するオーラを醸していた。
「漆黒の騎士……いや、ゼルギウスッ!!!」
一方、憤怒の情を隠さないのはルカンであった。セフェランの陰謀に気づいたルカンからすれば、『漆黒の騎士がイズカを救い、デインに連れ帰った』、この事実のみでセフェランと漆黒の騎士の繋がりは容易に推察できる。デインの四俊に選ばれるほどの男だ、ひとたびその一致を疑えば、簡単にその正体を看破することが可能だ。
「貴様の主の居場所を言え! 樽にセメント詰めにして、センペル湖に沈めてやるわ!!!」
「ルカン殿。落ち着いてくれ」
ペレアスに促され、ルカンは大人しく引きさがる。
「それで……すべての黒幕の忠実なる部下が、この失敗作に何の用だろうか」
「……イズカ殿から全て聞いたか」
「逆に言うと僕は、イズカが知り得る情報しか知らない。そうだな……君の主は、我が父アシュナードの部下だったのか。それとも利用する立場にあったのか。それは興味があるな」
「……後者だ」
漆黒の騎士の――ある意味で正直な発言に対し、ペレアスは冷笑を零す。ぽつり、ぽつりと……やがてそれは豪雨のごとく連鎖し、悲痛な笑い声が玉座の間に響き渡るのだった。
「……はははっ! つまりなんだ。我がデインの民は、他国の宰相の操り人形を信奉し、夢を見て、隣国を食いつぶすほど凶暴になったのか」
「……」
「哀れだ。本当に哀れな国家、国民だ。滅んだ方がマシというのはこの事なんだろうな……!」
「ペレアス王。銀の髪の乙女は生きている。もうデインが戦う理由はない」
漆黒の騎士の言葉に対し、ペレアスは笑い声を止め、厳然とした態度で答える。
「だから連合軍に降れ。他国の食い物にされながら憎悪を貯め込み、またセフェランの手駒として使おう……そういうことだね?」
「それは――」
「……生憎だが、それは飲めない相談だ。デインは滅びる。セフェランの陰謀に操られ、世界に憎悪を振りまき続けるよりもずっといい。戦い、戦って、息絶えるその瞬間までを、自分の意志で決めるんだ」
ペレアスの言葉は、少なくとも彼だけは本気でそのつもりでいるかのようであった。
「……正気ではない。少なくない者は、貴殿の覚悟と同道することはできないだろう」
「元凶の片棒を担いだ男が、なにを――」
「私は今、主の意志ではなく、私自身が為すべきと思ったことをしている。王に戦を止めてほしいというのは、他ならぬ乙女の思いだ」
それまでにしてこなかった強い口調で言い放った漆黒の騎士。ペレアスはそれ受け、ほんの僅かに目を逸らす。
「ミカヤに伝えてくれ。『他国に憎悪を振りまくデインは僕と一緒に滅びる。君は過去に囚われない、新しいデインを築いてくれ』、と」
「……決意は固いようだな。ペレアス王」
ペレアスの言葉に、一国の王としての決意を見出した漆黒の騎士は転移にてその場を去る。
漆黒の騎士とペレアスのやり取りは、時間にしてみれば僅かなものだったが……それでもこの場でやり取りによって、ペレアスの確固たる意志がミカヤに伝わることは確定的であろう。
漆黒の騎士が去ってから。沈黙するペレアスに対し、ルカンが声をかけた。
「……後継者指名。それほどの逸材なのか、暁の巫女とやらは」
「ミカヤは未来を視る力を持つ。戦後、セフェランと対等に渡り合うには彼女の能力やカリスマが不可欠だろう」
ペレアスの説明を受け、ルカンは問いかける。
「……ちなみに、年は?」
「年? なんだってそんなことを……」
「……昔話だ。先代神使ミサハを暗殺したとき、同時に次期神使……今の偽神使の姉にあたる幼子の暗殺も命じたのだが……まさかな」
ルカンが自嘲する。彼が23年前――28歳の頃に主導した先代神使暗殺計画。神使として、未来予知の能力を持つ相手に対する暗殺計画を完璧に遂行し、『セリノスの虐殺』によって元老院に対する責任追及すらも回避した。当時の元老院の長老たちですら舌を巻くほどの、圧巻の成果だったはずだ。
次代の神使になるはずだった幼子の暗殺もそのフェーズの一つだった。彼はそれを完璧に為せたと、当時は思い込んでいたのだった。そして今、彼は追放され、他国の地にて自身の間違いをまざまざと見せつけられている。
「……自分よりも年上のように見えるサザを"弟"と呼んでいたこと、手の甲に在った、精霊の護符だと思っていた印……」
ペレアスにとっても、解放軍時代の経験から、ミカヤ=印付きであるという仮説さえ与えられれば、その説を補強するだけの材料は幾つか存在していた。
「世の中は上手くいかぬことばかりだ。あのとき殺し切っていれば、あなたの反乱も抑え込めたやも知れぬのに……これはもう、女神の思し召しというものなのだろうな」
先ほどまでの激情はどこへやら。そこに居たのは、ただ自身のミスに打ち負かされ、深く項垂れる一人の男であった。
「ペレアス王!」
沈黙が支配する玉座の間に、空気も読まずに入ってきたのはイズカであった。彼の手にはリワープの杖――ルカンから貸与されたものである――が握られていた。
「作戦の準備が完了しましたぞ」
「そうか」
ペレアスはそれを聞き、深く息を吐いた。
「デインの全てを賭した最後の反攻だ。せめて爪痕を残そう」
ミカヤたちの講和が有利になるために。少しでもミカヤの下で、新しい秩序の中で生き残るデインの民が虐げられることのないように。
――ただ、しかし。
「……無論、連合軍がこの程度を跳ね除けられないような連中なら、みすみす滅びてやる道理もない」
◇◇◇
デイン王国軍の前線にて。
モンテからデイン軍に対する内偵を頼まれていたルソードは、その卓越した剣の腕、そして従軍経験によりデイン軍将校の信頼を得ることに成功していた。力こそが正義、それが信条であるデインの風土からして、彼のような男が信用されるのは当然の帰結だった。
『よしんば、この作戦がすべて上手くいけば……! この絶望的な状況を潜り抜けられるかもしれん……!』
作戦を聞いた一人の将校が呟いた言葉。それは希望に満ち溢れていたが、ルソードは彼とは全く異なる見解を持っていた。
(……阿呆め)
将校の言葉を思い出し、吐き捨てるように内心で思う。
(確かにこの戦いに勝利し、アイク将軍やモンテ将軍、鷹、鴉の王、ユリシーズ辺りを討ち取れば、連合国に痛打を与えられるだろうが……それは国力の逆転を意味しない)
ルソードが耳にした作戦は、それが完璧に成立すれば、デイン国内における戦力バランスを一気に崩せるほどの威力を持つものだった。だがそれは、例えばその作戦が成功すればベグニオンが即座に降伏するであるとか、そういった性質の戦果でないことは確かだ。
(デインにとって最良の戦果を得られたとして。鷹は絶滅させられるだろうが、ガリアの獅子王は健在。鴉も全力は出していまい。クリミアを併呑するくらいは出来るかもしれんが……その先がない。先の大戦と同じだ)
デイン将校の評価はあくまで近視眼的、直近の戦闘の結果についてに比重が置かれているのに対し、傭兵であるルソードは作戦が成功した場合のその後にまで思索を巡らせる大局的なものだ。肩書と思い描くものが真逆のようであるが、その実将校としては目の前の戦に勝てねば王都ネヴァサへの接敵が現実的になり、反面傭兵はそんな差し迫った困りごとに対して考慮する責任がないのだ。
(結局は『国力で優越するベグニオンの一人勝ち』、それも半獣贔屓で、ヌミダのような部下の手綱すら御せない無能皇帝の勝ちだ。デインは、デインとしての在り方を否定され――今度こそ滅びるであろう)
ルソードは、自身が見聞きした作戦についてそう評価した。つまりこの作戦の向こうに、デインの未来はないのだ。
ルソードが空を見上げる。それは状況の切迫感に追いやられた末の、本能的な動作であったのかもしれない。しかしその時偶然、彼の視界に入ったものがあった。
(……赤鎧の竜騎士。哨戒か)
赤鱗の竜に跨る竜騎士。紛れもなくベグニオン軍の聖竜騎士団の特徴である。表向きはデイン軍に対する哨戒が任務であるが、その裏の目的はモンテ将軍が、デイン軍に潜ませているルソードと連絡を取るためである。とにかく目立ち、なおかつモンテ将軍が聖竜騎士団を政治的に囲っている事実はルソードも知っているためだ。
ルソードの行動は早かった。正面に衝撃波を飛ばす風鳴りの剣を振るい、竜騎士の注意をひいてから叫ぶ。本来は敵対的行動を取る相手の声を聞く道理もないはずだが、風鳴りの剣程度では騎竜に傷を付けることすら敵わない事くらいは竜騎士側も理解しているはずである。
「ベグニオンの竜騎士! 俺はかつてモンテ将軍に雇われていた傭兵だ、モンテ将軍に話がある!」
ルソードの思惑が届いたのか、竜騎士は傍まで近づいてきて――それがルソードにとって、見覚えのある少年であることが分かった。
「ルソードさん!?」
「なんだ、トラヴィーユ少年だったか。すまないがモンテ将軍の下まで頼めるか」