「次は夕波~夕波~。お出口は左側です。」
気だるげな駅員のアナウンスは、ほぼ無人の急行内に響き渡る。
先頭から二列目、窓側の席で頬杖をついて外を眺めていた黒髪の青年、七瀬旭はふわぁと大きな欠伸をした。
車窓からは、照りつける太陽によって乱反射する海が青と白に照らされていた。
「3年じゃなんも変わってないな。」
高校進学を機に都会へと進出し、そこの暮らしに慣れてしまった旭は久々の田園風景に懐かしさを覚える。
「夕波~。夕波。お足元にお気をつけて下さい。」
電車がゆっくり減速すると、アナウンスと共に扉が開く。
使い古した銀のキャリーケースを引きながら列車を降りると、都会とは違う澄んだ空気を堪能する。
「エスカレーターないんだったっけ。」
利用者の少なさが原因なのか、エスカレーターはおろか、エレベーターすらついていない。
自分の下半身と同じくらいの高さのキャリーケースを気合いで持ち上げると、改札のある側のホームへと歩いていった。
駅の出口には「ようこそ!夕波へ!」とゴシック体で書かれているだけのポスターが出迎えてくれる。
改札横の乗車券回収BOXに東京駅からここまでの切符を入れると、旭は駅を後にした。
ここから実家までは距離にして4km。歩けば1時間弱ほどかかるだろう。
本来であれば、母親が車で迎えに来て貰う予定だったのだが、仕事の関係で3ヶ月間関西へと赴任しているためそれもかなわない。
まだ実家をでていない姉も、1日2本のバスに乗って出掛けているようだ。
夏の炎天下を歩き続けることを覚悟した旭は、とりあえず駅前のコンビニへと足を運んだ。
「らっしゃーせ…。」
店内放送が8月初日を告げ、アイスの値引きセールをお知らせする。
耳障りな放送と気だるげな店員を他所に、天然水を2本カゴに投げ入れるとレジへ向かった。
品出しをしていた店員が小走りにレジへと戻ると商品をスキャンする。
「合計216円でー……旭?」
会計処理をするが
手を止め、鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔をしながら、店員は旭をじっと見つめる。
「俺の顔になんかついてる?海翔さん?」
「いや、気づいてたなら声かけろよ!なんなら、こっちに戻るなら連絡してくれよ!マジで!」
「いつ気が付くかなって思って…。」
店員、もとい海翔は旭の登場により、一気に元気を取り戻す。
「後10分で上がから待っててくれよ!時間あるならでいいけどな!」
「わかった。外は暑いから店の中いてもいい?」
「もち!」
5分前の気だるげさはもう無く、どこか浮き足だった様子で東北限定のカップラーメンを手際よく並べていく。
レジ横にあるコピー機の隣でキャリーケースに座りながら海翔の様子を眺める。
暫くたった後に、事務所から出てきた中肉中背の男とハイタッチした海翔が店の裏へと戻っていく。
少し待てば関係者以外立入禁止と書かれた扉から、白シャツ短パン姿の海翔が小走りに出てくる。
「待たせたな!積もる話を聞かせてくれよ、親友!」
「はいはい。じゃあ行きますかね。駅から歩いて帰るのってなかなか無かったよな。」
「小学校以来じゃね?ずっと自転車だったし。」
8月の炎天下、少し先で海の臨めるコンビニをを出た二人は、それぞれキャリーケースと自転車を転がしながら海とは逆方向へと歩き出す。
他愛もない話で盛り上がる2人の額には、当然だが汗が滴り落ちる。
「それにしても、背伸びたね。最後に会った時から5センチは伸びてるんじゃない?」
「何を隠そう6センチも伸びたんだぜ!!」
海翔が右親指をグッと立てながら笑って見せる。背が伸びようと海翔は海翔だなと、青春を感じた旭は白い歯をちらりと見せながらクスリと笑った。
30分ほど歩いただろうか。どうでもいい話をしているうちに見慣れた三叉路へとたどり着く。
まだ緑色の稲穂に囲まれた分かれ道で2人はいつもそれぞれの家へ帰るのである。
「明日暇だったら連絡くれよ!すっ飛んでいくからな!!」
「無理しなくてもいいよ。どうせ8月いっぱいはいる予定だし。」
「おう!分かった!またな!」
海翔は大きく手を振ると、6年前から使い続ける赤い自転車にまたがり、颯爽と去っていく。
旭はそれを微笑みながら見送ると、先ほど買った天然水を取り出し半分ほど喉を鳴らしながら飲み込んだ。
「暑過ぎだろ、まじで。」
袖で額の汗を拭うと、少しだけ早足に切り替える。3年前まではあまり気にならなかったこの暑さも今では嫌でも煩わしい。
関東とは違う澄んだ田舎の空気をこれでもかと堪能すると、慣れ親しんだ瓦屋根が目にはいる。
生まれた頃から庭に飾られた盆栽も暫くのうちに大きくなっているような気がする。
ポケットからカメラのキーホルダーがついた鍵を取り出すと、鍵を回す。菩提樹製の引き戸をガラガラと開くと木彫りの熊が出迎えてくれる。
「ただいまー。」
誰もいないのは分かっていても気持ちの問題だ。履きなれた白いスニーカーを揃え玄関をあがると、縁側のついた6畳ほどの和室に荷物を置く。
残りの天然水を飲み干すと、エアコンのスイッチを入れ、大の字で横になった。
旅の疲れからか睡魔が襲ってくる。眠い瞼に抗い時計を見ると1時30分ごろを指している。
「ちょっとぐらいいいか…。」
自分にそう言い聞かせ、瞼を閉じると30秒もしないうちに意識が無くなった。
ーーーーーーーーーー
カラン、カラン
家の外で鐘の鳴る音が聞こえる。和室から起き上がった旭は眠い目をこすりながら起き上がる。
「インターホンあるんだからそっち押せばいいのに。」
高校時代に使っていたサンダルを履くと、音の鳴る玄関扉へと向かう。
「今行きまーす。」
横開きの扉を勢いよく開くと、そこには旭より背丈が10㎝くらい低く、程よく長い白髪に赤いジト目で巫女装束に身を包んだ少女が笑顔で手を振ってきた。
右目のあたりには気蝶結びのような紋章が描かれており、不思議な魅力を感じてしまう。
「はじめまして。えっと、どちら様?」
「はじめまして…?あ!そっか!そうだね!はじめましてアサヒ君?元気そうで何よりだよ。」
「えーっと…失礼なんだけど、どこかで俺と…??」
「切っても切れない関係だよ。
「???」
少女は尚も笑顔で見つめてくる。
「せめて名乗って貰えないかな…。名前を聞けば思い出せるかもしれない。」
顎に人差し指を当て、少し考えた後に少女は口を開く。
「それじゃ、ユウナってところかな。」
「……。ごめん、やっぱり分からない。」
「うん。知ってるよ。いずれゆっくり思い出せばいいんだ。気長に待つとするよ。」
そう呟くや否や風が強く吹く。
舞い上がる土ぼこりに目を擦ると少女の姿は何処にも見当たらなかった。
「…え?どこ行った?」
玄関の先は広く開けており隠れる場所もなく、到底走っても一瞬で視界から外れることなど無理だと分かる。
「そうか。夢だ。」
旭は自分の頬をつねると痛みがないことに安堵する。よく考えれば今の時期、玄関に鐘などおいておらず、人がいきなり消えるなんて現象は摩訶不思議だ。
「……ひ……さひ。」
何処かで名前を呼ぶ声が聞こえる。続いて額をぺちっと叩かれる感覚に陥る。いや、これは現実で叩かれているのだと認識すれば、うたた寝から覚醒する。
「はよ起きろ。愚弟。」
目蓋を開けば、見知った姉の顔が目に映る。明る目の茶色の短髪を携え、面倒くさそうにため息を吐く。
「夜飯、いるでしょ?」
「いるけど…
「夜8時。」
「まじか…。」
少し年季の入った畳から起き上がると、ダイニングへと向かう。馴染みのある皿の上には、出来立てですと今にも声を発しそうな焼きそばが白い湯気をたたせていた。旭には、絶望的なまでに料理が下手だった姉の作ったものとは到底思えなかった。
「3年あれば料理もある程度できるようになる。」
得意気な顔をする姉に旭は笑う。
「嘘をつくとき左腕をかく癖は3年たっても治ってないね。」
「カップ焼きそばを盛り付けただけだよ。悪かったな!」
灯は閥が悪そうに手を合わせると自称手料理を勢いよく啜る。
「墓参り、お盆に行くから13~17のどこかはあけとけよ。」
「決まったら伝えるよ。」
あとは他愛もない近況報告をしあったりと、特段変わったこともなく夕食が終わった。
「それじゃ、私は明日も早いから寝る。よく寝ろよ愚弟。」
灯はそう告げると、いそいそと自室へと戻った。旭が夕波にいた頃から毎朝6時半バスに乗り、ここよりも少し都会な町で雑誌の編集をしているらしい。
旭は自身のスマホを確認すると、メッセージに通知マークがついていることに気が付いた。送り主は海翔だ。
『明日空いてる?楓も呼ぶから久々に集まろうぜ!いけるなら家まで迎えに行くから待ってろよ!』
『暇してる。迎え待ってる。』
暑苦しい海翔に返事をし、網戸から夜風を取り入れると、押し入れから引っ張り出してきた夏用掛け布団を被り目をつぶった。
ヒメギスの鳴き声だけが闇夜に響き渡った。