地方都市の外れにある廃墟遊園地「夢幻パーク」。
正門のアーチはペンキが剥がれ、かつての賑わいを偲ばせる名残だけが残っている。
空は紫と群青が混じり合い、夕暮れなのか夜なのか、時間の感覚が曖昧だった。
藤原ナオキは、重い足取りでその門の前に立っていた。
彼の視線の先には、朽ち果てた観覧車のシルエット。
錆びた鉄骨が空に突き刺さり、いくつかのゴンドラは窓ガラスが割れ、風に揺れて軋む音が響いている。
(……あの日から、ずっとここが夢に出てくる)
妹の小さな手を引いて歩いた、あの夏の日。観覧車の中で聞いた幼い笑い声。
あの日、彼が妹を迷子にしたこと――
それが、ナオキの人生に消えない影を落としていた。
ポケットに忍ばせた赤いリボンを指先でなぞる。
「何かが、ここで終わればいい」
声に出さず、ナオキはただそう願った。
門の前は静まり返っている。
駐車場は雑草に覆われ、チケットブースの窓は割れ、破れたポスターが風に揺れている。
ポスターには、かつてのマスコットたち――クラウンくん、ポポリちゃん、ムゲンくん――の笑顔が色褪せて残っていた。
その目だけが、夜の中で異様に光って見える。
ナオキはスマホを取り出し、画面を点けては消す。
SNSで見かけた「夢幻パーク肝試しオフ会」の告知。
誰が主催かも分からないまま、彼はここに来てしまった。
(本当に誰か来るのか……?)
不安と期待が入り混じる。
画面の時計は、集合時間からほとんど進んでいない気がした。
「……まだこんな時間?」
ナオキは小さくつぶやいてスマホをしまう。
空の色も、さっきから変わっていないように思えたが、気のせいだろうかと首をひねる。
そのとき、背後から細い足音が近づいてきた。
「……すみません」
振り返ると、長い髪をひとつに結んだ女性が立っていた。
リュックを肩から下げ、手には小さなメモ帳。
瀬戸カナエ――大学で心理学を学ぶという彼女は、どこかおずおずとした雰囲気をまとっている。
「ここ、夢幻パーク……ですよね?」
カナエは不安げに周囲を見回し、ナオキに視線を合わせた。
「うん」
ナオキは短く答える。カナエの表情が少しだけほっと緩む。
「やっぱり、ちょっと怖いですね。……私、こういう場所に来るの初めてで」
カナエは言い終えると、恥ずかしそうに視線を落とした。
「僕も、だよ」
ナオキは優しく微笑む。
カナエは小さくうなずき、メモ帳を指先でいじる。
「でも、何か知りたいことがあって」
「……同じです」
二人はそれ以上、理由を語らなかった。
沈黙が流れ、風が門柱のプレートを鳴らす。
カナエはふと空を見上げた。
「……夜って、こんなに長かったっけ」
彼女の言葉に、ナオキも空を見上げる。
「さっきから、空の色が全然変わらない気がして」
カナエは眉をひそめる。
「そうかな……」
ナオキは曖昧に返し、もう一度スマホを取り出して画面を確認した。
やはり、時間はあまり進んでいないようだったが、深く考えずにしまい直した。
しばらくして、軽快な足音が近づいてきた。
「おーい、ここで合ってる?」
スポーツバッグを肩にかけ、明るい表情を浮かべた青年が現れた。
青葉タケル。
「廃墟探検って、やっぱワクワクするな! SNSで見て飛んできたけど、他にも来る人いるのかな」
タケルはスマホを取り出して自撮りを始める。
「こういうの、やっぱり記念に残さないとさ」
カナエが小さく笑うと、タケルは得意げにピースサインを作った。
「でも、なんか……ずっと夜のままな気がしない?」
タケルが空を見上げて言った。
「時計も止まってるし、スマホもおかしい。なんだろ、電波障害かな」
「私も、さっきから時間が全然進んでない気がして」
カナエが同意する。
「まあ、気のせいだろ!」
タケルは明るく笑ってみせる。
ナオキは、二人のやり取りを聞きながら、どこか胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
その直後、カメラのシャッター音が響いた。
「やっぱり、いい雰囲気だな」
黒縁メガネの男が、プロ仕様のカメラを首から下げて現れた。
緑川シュンスケ。
廃墟探索系の動画配信をしているらしく、門のアーチを夢中で撮影している。
「廃墟系の動画、今夜はバズる予感しかしない」
彼は誰に言うでもなく、門のアーチを撮り続ける。
「視聴者のリクエストでね。まさか本当に人が集まるとは思わなかったけど」
「動画……配信ですか?」
カナエが尋ねると、シュンスケは軽くうなずいた。
「そう。視聴者のリクエストでね」
「……私も、ネットの噂で」
カナエがぽつりと呟く。
タケルは「へぇ」と感心したようにシュンスケのカメラを覗き込んだ。
そのとき、低い声が三人の背後から聞こえた。
「……賑やかだな」
革ジャンを着た男が、無精ひげを撫でながらゆっくりと歩いてきた。
黒崎リョウタ。
地元紙の記者らしい彼は、ポケットから小さなノートを取り出し、何かを書き留めている。
「ここで何か、面白いことでも起きるのか?」
リョウタは門のアーチを見上げながら、淡々とした口調で言う。
「さあ……」
ナオキは答えに詰まる。
タケルは「どうだろうな」と肩をすくめ、カナエは少し緊張した面持ちでリョウタを見つめた。
リョウタは観覧車の方をじっと見つめていた。
しばらく沈黙が流れる。
風が強くなり、門柱の錆びたプレートがカタカタと鳴った。
「すみません」
静かな声が、門の影から聞こえた。
ワインレッドのカーディガンを羽織った女性が、ゆっくりと近づいてくる。
灰原アミ。
彼女は門柱に指を添え、「1989年開園」の文字をそっとなぞった。
「昔、ここで働いていました」
アミの言葉に、全員が一瞬だけ視線を向ける。
その時、シュンスケがカメラをアミに向けて言った。
「それ、すごく助かります。中で動画を撮るとき、マスコットとか裏話、ぜひ解説お願いしますよ」
アミは少し驚いたように目を丸くし、それから小さくうなずいた。
「……できる範囲で、はい」
タケルが「元スタッフがいるなら心強いな!」と笑顔を見せ、カナエも「いろいろ教えてください」と優しく声をかけた。
アミは少し照れたように微笑んだ。
最後に、細身の女性が一人、ためらうように歩いてきた。
白いワンピースが風に揺れ、長い髪が顔を隠している。
白鳥サヤカ。
彼女は門の前で立ち止まり、何度もスマホの画面を見てはため息をつく。
「……やっぱり、帰ろうかな」
サヤカのつぶやきに、カナエが優しく声をかける。
「無理しない方がいいですよ」
サヤカは俯きながらも、小さくうなずいた。
タケルは「大丈夫、みんな一緒だし」と明るく声をかけ、シュンスケも「せっかくだから記念に動画撮ろう」とカメラを向ける。
リョウタは無言でノートに何かを書きつけていた。
こうして、七人が自然に門前に集まった。
誰もが自分の理由を語りたがらず、ただこの場所に引き寄せられたようだった。
ナオキは改めて門の向こうを見つめる。
観覧車のゴンドラが、夜の中で静かに揺れている。
その奥で、マスコットたちのポスターの目が、じっとこちらを見つめているような気がした。
(本当に、ここで何かが変わるのだろうか――)