淫夢厨社会人と封印から出れない妖狐   作:狐耳大すこすこすこてぃっしゅふぃーるど侍

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力ありて

男は帰宅早々、まるで抜け殻のように畳に倒れ込んだ。

 

「無理……今日は完全に無理……会議で詰められ、エクセルは飛び、最終的に俺のメンタルもクラッシュ……バンディクー」

 

 

押し入れの奥からそっと顔を覗かせた銀狐はその様子に眉をひそめた。

 

「お主、もはや屍ではないか」

 

「うん、俺は社畜ゾンビ……打たれ強いだけの硬めの雑魚だよ」

 

銀狐は少しだけ迷い、そして立ち上がった。

 

「しょうがないのぉ…儂に任せよ、ほんの気休めじゃがな」

 

銀狐は両手を胸の前に合わせ、静かに息を吐く。

薄く光る指先、掌から微かに銀色の火花のようなものが生まれる。

 

それは江戸の昔妊婦たちの苦痛を和らげるために銀狐が編み出した癒しの術。

 

単なる精神の撫で擦りに過ぎず本来は大した力ではない。

 

銀狐はそっと、結界の“縁”に手を添える。

押し入れの敷居の向こうに意識を滑らせるようにして術を放った。

 

その瞬間男の呼吸が少しだけ楽になった。

 

ぴくりと肩がほぐれ顔の緊張がゆるみうめき声が止む。

 

 「あれ…?なんか……あったかいなりぃ…!」

 

 そう呟いた直後男はそのまま眠ってしまった。

 

 銀狐は呆然と術の余波を見つめていた。

 

「待て待て待て…通った?術が、儂の力が、境を越えた…」

 

 本来なら届くはずのない結界の向こう。

 術が効いたことに、戸惑いと驚きが入り混じる。

 

 「いや、しかし…」

 

 銀狐の狐耳がぴくりと動いた。

 

 「……境を越えるには強行突破ではなく忍び足という事か?

 

癒しの術は害意を含まぬ、ゆえに結界に気づかれず通ったのかのぉ?」

 

 そう――

 癒しという名の偽り、柔らかな誤魔化し。

 

 それは狐の最も得意とする領分だ。

 

 騙すためではない、柔らかくすり抜けるために。

 

「ふふふ……ふふふふ……!」

 

 封印の間に銀狐の笑い声が響く。

 

 それは悪だくみではない。

 絶望に塗れた空間で何百年ぶりに見えた明るい出口への歓喜の笑いだった。

 

「よい、術で欺き形で騙し、空気のように……、儂は敷居を越えてみせる」

 

「産婆の仕事もな、誤魔化しと機転が要だったのじゃ」

 

 銀狐はそっと、眠る男の寝顔を見つめる。

 

「感謝するぞ?人の子よ。

 

お主の魂が儂の道を照らしてくれた」

 

 静かに銀狐は座り込んだ。

 

 ――その目に宿っていた諦めはいつの間にか消え、代わりに熱意が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「っしゃぁああああ!!」

 

 朝六時半、珍しく目覚ましの前に目を覚ました男が、掛け布団を蹴っ飛ばして飛び起きた。

 

「ぐっすり寝た! 頭スッキリ! なんだこれ!おっほっほっほっほ^~~!!体が軽い!もう何も怖くない!ゾンビ社畜改め、スーパー会社員!!」

 

変なポーズを取った後、キッチンに直行して冷蔵庫を開けるやいなや、麦茶を一気飲みした。

 

「残業なんて俺の敵じゃねぇ!かかってこいやオラァ!!」

 

 押し入れの奥から顔を出して様子を見ていた銀狐は眉をひそめていた。

 

「……これは、さすがにおかしいのではないか?」

 

 昨晩、銀狐が施したのは、ほんの撫でる程度の癒しだった。

 痛みや疲れを少し和らげる程度で元気がもりもり出るような術ではない。

 

「お主、何か変な薬でも盛られたのでは……?」

 

「え、いや? 寝たらめっちゃスッキリしててさ。てか銀狐さん、もしかして昨日のアレめちゃくちゃ効いたんじゃない!?」

 

うっひょひょうっひょー!と部屋の中をぐるぐるしていて控えめに言ってちょっとアレな男の有様な男に引きつつ答えた。

 

「あれはそんな高等な術ではない。せいぜい肩こりが楽になる程度の気休めのはずじゃが……」

 

 男が笑顔で出勤していく姿を見送りながら、銀狐は自分の掌を見つめた。

 

 「……いや、まさか。いやいや、そんな?」

 

 指先にまだ微かに残る“癒し”の余韻。

 そこに宿っていたのは確かに以前とは違う重みだった。

 

 封印の間に戻った銀狐は、静かに膝をついて結界の床に触れた。

 

 呼吸を整え術の感触をなぞるように精神を集中する。

 

 すると――

 

 「……これは」

 

 かつての術では感じなかった深さと密度がそこにあった。

 

 

 「……儂はいつの間にか育ったのか……?」

 

 銀狐の声はわずかに震えていた。

 

 「気づかぬうちに、古老の妖怪となり……術の質も、格も……変わってしまっておる」

 

 昔、銀狐はただの小さな狐の妖であった。

 里に混じり、人の手を借りて、細々と産婆を続けていた。

 だが今や何百年の歳月経て古妖となっていた。

 

何百年と封印された月日は銀狐を現代では飛び切り稀有な存在に押し上げていた。

 

小さく、笑いがこぼれる。

 

「なんじゃそれ……ふふ……あはは……産婆をしていただけの儂が、気づけば“大妖”の一柱とはのう……」

 

 銀狐は、結界の縁に指を滑らせる。

 昨日は“気休めの術”が越えたこの境界。

 

 今なら――

 もう少し、重い力でも通せるかもしれない。

 

「誤魔化しが効く、力が通る、封印の綻びは確実に広がっている」

 

 それは出られるという希望だった。

 

 銀狐の目が鋭く光る。

 

 「よい…よいぞよいぞ?ならば――もっと、試してみるまでじゃ」

 

 外の世界は変わった。

 だが銀狐もまた変わっていた。

 

 長い月日はそれだけの変化をもたらしていた。

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