淫夢厨社会人と封印から出れない妖狐   作:狐耳大すこすこすこてぃっしゅふぃーるど侍

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八杯豆腐

封印の間の中から銀狐がふと顔を出した。

 

 「なんじゃ、その……塩辛い香り……?」

 

 男がコンビニ弁当のラベルを剥がしながら振り返った。

 

 「カツ丼とチキン南蛮弁当。あとカップ味噌汁」

 

 差し出された弁当を一口、カツ丼のつゆだくの部分をつまんだ。

 

 「しょっぱっ! これは食事というより調味料の暴力じゃ!」

 

 「そんなにか?」

 

 「舌が干からびるわッ!」

 

 銀狐は腕を組んで真剣な顔になった。

 

 「ぬし、毎日これを食しておるのか?」

 

 「まぁ……楽なんだよな。安いし。洗い物も出ないし、何より仕事帰りに料理する気力がなくて」

 

 「そりゃあ腹もくだすし、顔もむくむわけじゃ……」

 

 銀狐は押し入れに戻りかけて、ふと振り返る。

 

 「ぬしは八杯豆腐って知っておるか?」

 

 「八杯……何それ、居酒屋のメニュー?」

 

 「違わい、儂の時代の家庭料理じゃ。

 

 「酒:みりん:醤油:出汁=1:1:1:5。つまり、八杯分の旨みで煮る豆腐料理じゃ。味は優しいが、香りがふくよかでな、作るのも茶碗で八杯…酒1杯、みりん1杯、醤油1杯、出汁5杯入れて具を入れて煮るだけという単純具合じゃ」

 

 男の目が輝く。

 

 「調味料から見るに豆腐の煮物か、江戸時代の味にちょっと興味あるなぁ…それ作ってみたい、教えてよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数十分後。

 台所に立った男をビシバシ指導する銀狐がいた。

 

 「出汁は鰹と昆布じゃぞ、丁寧に作業して気持ちを込めよ、これは儀式みたいなものじゃからな」

 

 「酒は入れすぎると風味が飛ぶ。香りを纏わせる程度にな」

 

 「火加減は弱火じゃ、煮立たせたら酒の香りが全部飛んでしまうでの…慌てず弱火じゃぞ?混ぜる時も豆腐は崩さんようにな、撫でるように静かに……」

 

 やがて出来上がった八杯豆腐は、湯気をたっぷり立ち昇らせ、

 その香りだけで男の疲れが抜けていく気がした。

 

 「……うめぇ……やさしい味ってこういうのを言うんだな」

 

疲れた体に優しい味が染みわたる、外で買ってきた総菜では食べられない素朴な味わいに思わず笑顔が零れる。

 

 「ふふ、良きかな良きかな。塩と脂の獣も、これで人に戻ろうぞ」

 

 銀狐は懐かしそうに目を細めながら、そっと一口すする。

 

 「……懐かしいのぉ。これを食べると、思い出す。

 

夜の寒さ、炭の温かさ、人々の喧騒、火の用心の声、煮売家の掛け声」

 

あの時代特有の厳しさ温かさを思い出す、昔に思い馳せるそんな夜だった。

 

優しさと記憶で満たされる夜が、そっと更けていった。

 

いやあ…八杯豆腐ほんと最高だったな、というか今まで味の濃い物を食べすぎてたのを実感したよ」

 

 夕食後、のんびり背もたれに沈み込んだ男は、幸福感と満腹感に満ちていた。

 

 「じゃから儂は言うたであろう。素材と手間と、ほんの少しの気遣い。食とはそういうものじゃ」

 

 押し入れの奥から湯呑を片手に語る銀狐であった。

 

 

 

 

 

 

 

 数日経ち――

 

 「うーん……また作って食べたいけど、自分でやるの面倒だな……」

 

 手料理の誘惑に勝てず悩む男は、ある決意をする。

 

 男が通販で注文されたのは

 

安価なIHクッキングヒーター(1口)

 

片手鍋と両手鍋

 

よく切れる包丁とまな板

 

最低限の調味料セットと計量器具

 

 そして数日後、封印の間の敷居をまたいで運び込まれた箱の山を前に銀狐は唖然とする。

 

 「……これはなんじゃ?」

 

 「調理道具、銀狐のための」

 

 「ぬし、まさか……この儂に料理を任せる気ではあるまいな?」

 

 「え? いや、だって、銀狐が作った方がうまいし……俺、帰ってきたら食べられるとか最高じゃん」

 

 銀狐はしばらく無言だったが、やがてしょうがないといった風に笑ってため息をついた。

 

 「まったく……調子の良い奴め。だがまあ……厨房を与えられるとは、悪くない」

 

 設置作業は男が担当した、銀狐はその間にタブレットで「現代の火加減とIHの違い」を検索していた。

 

 「湯気の見極め、温度の勘……ふむ、“光る数字”で温度が出るとな? 文明とは面白い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その晩、封印の間にはほんのり味噌の香りが立ち込めた。

 

 初めてのIHで銀狐が作ったのは根菜の味噌煮。

 輪切りの大根、乱切りの人参、そしてこんにゃくにさつま揚げ。

 

 「これが狐の家庭料理じゃ!」

 

 帰ってきた男は、ほかほかの湯気とともに差し出された汁椀を見て目を丸くした。

 

 「うわ、なにこれ…最高の帰宅ごはんじゃん…!」

 

 銀狐はくすりと笑う。

 

 「労働のあとの癒しとは、こういうことじゃ。ありがたく食え」

 

 こうして封印の間にひとつ、狐の台所が生まれた。

 

 誰かのために作るご飯と、帰る場所にある香りの記憶。

 

 それは、またひとつの日常の魔法だった。

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