淫夢厨社会人と封印から出れない妖狐 作:狐耳大すこすこすこてぃっしゅふぃーるど侍
押し入れの襖がガラリと開いた。
そこから、何事もなかったかのように、ふわりとした足取りで銀狐が現れる。手には茶碗、口元にはまだ茶の香りが残っていそうな微笑み。
「……あ、よう帰ったの?」
「えっ!? 銀狐さん!?」
男は思わず立ち上がった。
たしかにそこに、銀狐はいた。畳でも、襖の向こうでもなく、男の部屋のカーペットの上に、ふわりと降り立った姿で。
「まさか……出られたんですか? 封印の間から……」
「うむ。どうやら、信仰がたまったようでのぅ」
さらりと語る銀狐に、男は一瞬で目を見開く。
いつものゆったりした調子は変わらない。しかし、その言葉の意味は重い。いや、むしろ軽く言うからこそ重大だ。
「それは……おめでとうございます!」
いやー出れたんだ、良かったなぁと思いつつ男は言った。
「いやぁ、長かった……いったい何百年封印されとったかわからんからのう……」
ふぅ、と息を吐いて銀狐が辺りを見回す。その動作ひとつとっても、何かが違って見えた。今までの“押し入れから出ることのできない神格”ではない。
彼女は今、自由な存在だ。
「いやあ、ほんとうに、よかったですね。銀狐さん……!」
「うむ。では、戻るぞ」
「えっ」
男が言葉を失う前に、銀狐はまた押し入れへとすいっと戻ってしまった。
「ちょちょちょ! なんで戻るんですか!? ようやく出られたのに!」
「え? いや、ワシの部屋こっちじゃし……」
少しきょとんとした様子で顔を出す銀狐。そのあまりにも当然だと言わんばかりの態度に、男は思わず脱力した。
「……いや、まあ、そうですけど! もうちょっとこう、達成感というか、外の空気を味わう感じとか!」
「ちなみにの。力を纏うだけなら、今は消費もせんのじゃ。信仰の力を常にまとっておる状態に入ったから、またいつでも出られるぞ?」
「なら、いいですけど……急に戻ったらびっくりするじゃないですか」
「はっはっは、すまんすまん」
押し入れの中から笑い声。とても神の封印が解けたとは思えぬ、のんびりとしたやりとりだ。
「いや、でも、本当におめでとうございます……苦節何百年も、ずっと待ち続けてたんですもんね」
「そうじゃそうじゃ。しっかりお祈りしてくれた者らのおかげでのう……予想よりずいぶんと速かった」
銀狐は満足そうに笑いながら、枕元に置いてあった緑茶に手を伸ばす。
そうして一口飲むと、ふぅっと遠くを見た。
「ちなみに、昼間に一度出てみたのじゃ。日差しも気持ちよくてのぅ……」
「へぇ、そうなんですか」
「じゃが、警察という者に絡まれてしもうてな」
「は?」
「いやー、今時着物姿で歩いておると、怪しまれるんじゃのう。いきなり誰何されたと思うたら、なんか他にもいろいろと聞かれて……途中でにっちもさっちも行かなくなって、術で誤魔化して逃げたわい」
「えええ……」
思わず頭を抱えた男。
たしかに銀狐の姿は、いかにも時代錯誤だった。けれど警察に声をかけられるまでとは思わなかった。
「昔とは景色も、人の数も、何もかも違うのう……同じような景色が続くので道が覚えられんし、車が凄い速さで往来を走っておった」
「ああ、車……。エンジン音とかも凄いですからね」
「うむ。まるで怒っているような音で、しかも鉄でできた巨体が地を這っておる……威圧感がとんでもない。あれでぶつかったら人など潰れてしまうであろうな」
銀狐は眉を寄せ、思い出し笑いのように首をすくめた。
「それから、人の格好も驚いたぞ?」
「服装が、ですか?」
「うむ、男子はお主が着ているような服が多かったのじゃがな、女子は極端に裾が短い服装が多かった。頭は青やら赤やら銀やらで、まるで奇天烈な妖のようじゃったし、 何人かは男と女の区別もつきにくくて困惑するぞ……。 後は色だけでなく形も珍妙よな、髪を片側に寄せて刈っておる奴もおった!」
一旦言葉を区切りこちらの手を取り話を続ける。
「それで、結局道に迷うて部屋に戻れなくなる前にと思い戻ってきたんじゃ。やはり案内役が必要じゃと察したわけよ。お主……断らんよな?」
ため息を着いた銀狐は上目遣いでこちらを見た。
「……ええ、もう、それは勿論!」
笑うしかなかった。
それは、とても尊く、そして可愛らしい“神の願い”だった。