淫夢厨社会人と封印から出れない妖狐   作:狐耳大すこすこすこてぃっしゅふぃーるど侍

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見なくていいやつその7

 日が傾き始めた頃、男はラーメン屋の暖簾の前で立ち止まり、隣に並ぶ金髪の女性に問いかけた。

 

「本当に、ここで良いんですか? もっと……落ち着いた所でも」

 

「構いませんわ。むしろありがたいですの。わたくし一人だと、こういうお店は少し入りづらいですし」

 

 佐竹アリスはいつもの笑みでそう答えた。服装も目立つし雰囲気もどこか上品すぎる彼女にとって、ラーメン屋のカウンターは確かに浮きやすい。そういう意味でも、こうして男と一緒に入れることを助けと感じているようだった。

 

 二人は奥のテーブル席に案内され、着席するや否や、男はバッグから小さな木箱を取り出した。

 

「はい、いつものやつです。銀狐さん謹製のお守り、最新版です」

 

「ありがたく頂戴いたしますわ。銀狐様にもよろしくお伝えくださいませ」

 

 アリスは丁寧に受け取ると、懐から小さな巾着を取り出し、すぐにそれをしまった。手慣れた仕草だった。すでに何度も繰り返された儀式のようなやりとり。

 

 注文したラーメンが届くまでの間、男はふと、昨日の出来事を思い出して話を切り出す。

 

「そういえば……昨日、銀狐さんから“無形の呪い”について聞いたんですよ。お金持ちとか有名人とか、結構ヤバいみたいですね?」

 

 アリスは頷き、湯飲みのお茶を口に含みながら柔らかく答える。

 

「ああ、銀狐様は江戸時代の方でしたわね。それでは、今のような呪いの質はまだご存じありませんでしょう」

 

「どういう意味ですか?」

 

「昔は、五十人百人もの人が一人を妬むなんて、そうそうなかったのです。社会も小さく、評判や悪意は“村”や“町内”といった物理的な範囲の中で完結しておりましたから」

 

「なるほど。妬みが“届かない”時代だったんですね」

 

 そこに、湯気の立つラーメンが運ばれてきた。アリスは箸を割りながら、口元に皮肉を浮かべて言う。

 

「でも、今は違います。悪魔の装置――SNSがありますもの」

 

 男が少しだけ苦笑する。確かに聞き慣れた言葉ではあるが、彼女のような口調で聞くと妙に実感がこもる。

 

「SNSって、そんなにヤバいんですか?」

 

「ええ。“見ず知らずの他人”が、まるで友人のように気軽に、悪意を投げつけてくる。それが“いいね”や“リツイート”の数字で可視化され、束ねられて、対象に飛んでくるのです。……それこそ、言葉という毒矢を遠隔で撃ち込むようなものですわ」

 

「自分じゃ何もしてなくても、注目されただけで呪いが飛んでくるってことですね……」

 

「その通りですわ。昔の呪いは“狙い撃ち”でした。でも現代は“自動追尾ミサイル”。誰がどこで放ったかもわからぬまま、負の感情の塊が押し寄せる。しかも、それが誰かの“意志”じゃないというのが一番厄介ですのよ」

 

 アリスは一息ついて、ラーメンを啜る。熱々のスープの香りが広がる。

 

「さて。SNSは悪意の沼――いえ、悪意の坩堝ですわね。まるで地獄の釜の蓋が開いたよう。皆さま、富、名声、知識、挑戦、愛情……そうしたキラキラしたものが溢れていると思って足を踏み入れる。でも、実際にはその光の裏にどれだけの呪詛が詰まっているかなど、入る前にはわかりません」

 

「SNSって……ある意味“信仰の逆”みたいなものなんですかね。信じることで守られるんじゃなくて、気にすることで呪われるみたいな」

 

「ええ、よく言いましたわ。それに――もっと厄介な側面がありますのよ」

 

 アリスは麺を啜りながら続ける。

 

「“人を呪わば穴二つ”という言葉をご存じかしら?」

 

「呪ったら、その呪いが返ってくるかもしれないって意味ですね」

 

「そうですの。実際に、昔の退魔術では“跳ね返す術”が数多く存在しました。呪詛を跳ね返された時用に“自分の墓穴”も掘っておけ、というのがこの言葉の由来ですわ」

 

 男は静かに頷いた。

 

「でも今のSNSで呪ってる人達は、そんな覚悟ないですよね」

 

「その通り、彼らには覚悟も強い意思もありませんの。彼らが出す負の感情は、呪いと呼べるほど強い力ではありませんし、仮に私どもの術で返したとしても、たかが知れてますの」

 

アリスはそう前置きしながらも、箸を置いて少し真顔になる。

 

「ですが――そういう輩というのは、たいてい複数人に攻撃をしておりますの。遊び半分で、十人、二十人に軽口を叩く。そして、気付かぬうちに十や二十の“呪い返し”を受けて、何とはなしの不調に見舞われるのですわ」

 

「……それで、終わらない?」

 

「ええ、終わりませんわ」

 

アリスの声には、軽蔑と警告が混ざっていた。

 

「不調になった人間が、何をするかご存じですか? 理由もわからぬ苛立ち、妙な運の悪さ、ちょっとした怪我や失敗――それらは、必ず“誰か”にぶつけられるのです。会社の同僚か、家庭の家族か、あるいはまたネット上の誰かに」

 

「……八つ当たり、ってことですか」

 

「その通りですわ。しかも、返された“呪い”を八つ当たりした側も、また新たな悪意を生み、次の誰かに感情をぶつける。そうして悪意は連鎖し、拡散し、増幅されていきますの。無自覚のままに」

 

「……それって、もしかして」

 

「ええ、それこそが。わたくしが“真の意味での悪魔の装置”と申した理由ですわ」

 

アリスは、少し冷めたラーメンの丼を見下ろして呟くように言った。

 

「“人を呪わば穴二つ”――とはよく言ったものですけれど、現代ではもっとタチが悪い。“人を呪わば、十の穴が開く”。そしてその十の穴から、また新たな呪いが生まれていく。そんな世界なのですわ」

 

 

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