彼方楽園のレチタティーヴォ―Interlude4 作:三文小説家
我はブラッキーである。
ポケモンであり、人間でいう所の姓や名は無い。キャップのように名のあるポケモンもいるが、彼は例外である。
(おはよう、ブラッキー。ここは……どこだろうね)
(分からぬ……しかし、留まっていてもあまりいいことは無さそうだな)
目が覚めると、我と師であるトゲキッスは線路と鉄パイプの支配する閉鎖的な通路にいた。窓が無いせいか、なんとも言えない閉塞感がある。あまりいい予感はしない。
我と師は慎重に歩を進め、この空間を歩き回った。この空間は閉塞感とは裏腹に存外広い。歩いても歩いても終わりが見えぬ。おまけにどこに行っても景色がほとんど変わらぬゆえに、迷子になる危険性まで孕んでいる。我は壁に目印となる傷をつけながら歩く。
歩けば歩くほどこの空間は異質だった。明らかに人間の手で作られたものであるにも関わらず、人間の気配がまるでしない。見捨てられた廃墟なのかとも思うが、それにしては〝生きている〟気配がするのも事実である。まるで幽霊の体内にいるかのような不気味さだ。これは地下であるが故の性質か、空気が妙に
(待って、ブラッキー。何かいる)
師の警告で我らは足を止める。曲がり角から様子を伺ってみれば、異様なものを目にした。それは鎖を纏う人間の女性。しかし、全身が陶器や石膏のように白く、背にはコロモリやココロモリの翼のようなものが生えている。手枷や足枷がついているが、ある程度は自由に動かせるようだ。何より、その女性には生き物であれば当然持っているはずの生気というものがまるで感じられない。ポケモンにもはがねタイプや人工物のような者達は存在するが、それとはまた別のものであることが直感的に分かる。
(! マズい!)
うっかり相手と目が合ってしまった。いや、あれは目と言えるのか? 相手の顔の目に当たる位置には当然存在するはずの眼球が無く、光を反射しない闇があった。デスマスの仮面とはまた違う、本能的な恐怖を感じさせる顔である。
(!)
と、そんな話はどうでもいい。人間の形をした何かはこちらに鎖を伸ばしてきた。攻撃か、捕獲か、目的は不明だが、いずれにせよ当たれば碌な事にはならないだろう。
(ブラッキー、大丈夫!?)
(平気だ。しかし、マズい事になったな)
あの人間の形をした何か……もう一言で表すとしよう。敵はこちらを逃がすつもりは無いようだ。《アルテミス》という名だったか、かつて密漁集団に狙われたこともあったが……我も師もつくづく運が無い。
(闘うしかなさそうだな)
(うん……そうだね。《エアスラッシュ》!)
師は争いごとを好む性格ではない。しかし、一度意識を切り替えればかなりの強さを発揮する。師の放った風の刃で敵はよろめく。その隙に我が《バークアウト》を叩き込んだ。
(《エアスラッシュ》!)
師が再度《エアスラッシュ》を叩きこもうとするが、今度は敵の鎖によって防がれてしまった。あの鎖、攻撃だけでなく防御にも使えるのか、厄介だ。
敵は鎖を我に伸ばしてくる。よく見れば、先端が返しのついた刃のようになっている。本格的に攻撃に振って来たな。今まで以上に細心の注意を払わねば大怪我では済みそうにない。
(おっと……)
我の足元から先端の尖っていない鎖が生えてきた。捕獲用だろう。避けられたのは勘としか言いようがない。
(師よ。ここからは地面も警戒しなければならないようだ)
(分かってるけど!)
地面の他の場所や壁からも鎖が伸びてきて、中々攻撃に転じることができない。あの鎖は《エアスラッシュ》では破壊する事が出来ないようだし、どうしたものか。
(僕が《マジカルシャイン》で視界を塞ぐ。その間にブラッキーが攻撃して!)
(了解した!)
師は全身から七色の眩い光を発する。単純な攻撃だけではなく、あまりの眩しさに、一瞬だけ敵の動きが止まった。
(トドメだ。《イカサマ》!)
その隙を突いて我は敵の攻撃力を利用した悪タイプの奥義を使う。先端の尖った鎖はコンクリートで出来ている地面を軽々と破壊していた。敵の攻撃力は相当なものであろうと我は予測した。この技はさぞ効くであろうな。
狙い通り、敵は戦闘不能となった。地面に倒れ伏し、起き上がることはないだろう。それにしても不気味な奴だった。ゴーストタイプのポケモンとはまた別の何か。こんなものと一緒にしたらヒトモシに叱られそうである。
そう言えば、リンの下に集っていた他のポケモン達は巻き込まれているのだろうか。仮にそうだとしたら、探さねばならぬ。
と、一匹長考に耽っていた我は、敵が再起動している事に気が付かなかった。
(ブラッキー! 危ない!)
我は鎖に絡めとられてしまう。そして、我の四方から先端に刃のついた鎖が迫っていた。
(イチかバチか! 《バークアウト》!)
幸い、口は下に向いている。我が敵本体を攻撃しようとした時、
「ドロー、《
突如敵が炎に包まれる。我は鎖から解放されるが、師の技にこんなものがあっただろうか……そう思って師を見るが、師は否定の動作をしている。
「危ないところだったわね~。大丈夫かしら~?」
声が聞こえた方向を向けば、これまた奇妙な女性がそこに立っていた。黒いドレス? のような服に、三角帽子、何より、右側に浮遊させている星見盤、いや、天球儀か? の周りにはこれまた複数のカードがそれを囲むように浮遊している。
「貴方達、可愛い顔して強いのね~。しばらく見てたけど、あれを倒しちゃうなんてやるじゃない」
喋り方は何かおっとりしている。胡散臭いと感じてしまうのは、我が人間不信故であろうか。
(見てたっていうのが少し気になるけど……味方って事で良いのかな? 助けてくれたし)
師が訝し気な顔をするが、その女性は飄々と答える。
「あらあら、そんな恨めしそうな顔をしないでちょうだい。私からすれば介入していいことかどうか分からないんだもの。敵同士なら争い合っていてくれた方がお得じゃない? でも、貴方達の姿って見覚えがあったのよ。子供たちが見せてくれたゲームに出てきた気がするのよね~。ポケモン……だったかしら? 人間と一緒に戦ってるみたいだし、もし助けたら仲間になってくれるかも、なんて思ったのよね~」
思ったことが全て口に出るタイプか? ただまあ、言っている事自体は筋が通っている。また、この女性はリンと同じく、ポケモンというものが幻想上の存在として語られる世界の住人であるようだ。
「なんだか変なものを見る目をされているけれど、今は協力した方が得策じゃないかしら。少なくとも、貴方達を襲った悪魔は私にとっても敵なのよ~」
リンのような事を言う。人間と言うのは皆こういう感じなのか?
(ブラッキー、ここは彼女の提案に乗るべきじゃないかな)
(師よ……しかし)
(確かに怪しさ満点だし、君が人間を信用していないのも知ってる。けど、ここの敵は僕達だけで相手をするには限界があるのも事実だ。少なくとも協力する姿勢は見せておくべきだと思うんだ)
(……そうか)
正直、信用できない部分もある。だが、この局面では協力するしかないのも事実である。我が彼女の方を振り向くと、彼女はしゃがみ込んでこちらを覗き込んでいた。
「アニメの通り、私の言っている言葉はちゃんと通じるのね~。そうじゃなかったら私は独り言を延々と呟く可哀想な人になっていたわ」
この人物は本当にポケモンと言うものを知らないのだな……少なくとも、色違いと見るや金の卵を産むクワッスを見るかのような下卑た視線と共に、同じく凶悪で下卑た雰囲気のポケモン達に「こいつらを捕えろ」と命令し襲ってきた奴らよりはマシか。
この人物と共に行動する中で、幾つか分かった事がある。
まず、この人物の名前はアストランティアというらしい。彼女の世界において、『星に願いを』という花言葉を持つ植物の名が由来だと彼女は語る。また、先程から人物と言っているが、彼女は厳密には人間ではないそうだ。なんでも、戦争のために人間に作られた兵器であるという。
戦う為だけに作られた兵器……それにしては随分と自我が豊かだ。なにゆえ人間に近い形を選び、人間に近い感情を与えたのであろうか。なんとも闇が深そうである。
それはともかく、彼女の話によると、外部参加組も含めて彼女のような特殊能力を持つ存在達で組織を作っているのだという。その数26人。正確には27とか28とか言っていたが、充分に多い。構成員にはそれぞれ
アストランティアの
情報量の多い境遇と能力だな。
我らも大概であるが、この女性も中々に数奇な運命を辿っていると見える。
しかし、彼女の言葉の節々には人間に対する怒りのような物も感じ取れた。言うなれば、アストランティア達も人間の都合で作られ、破壊される兵器。すなわち、人間の都合で振り回された存在であるということだ。
「人間というものは、本質的に堕落の性質を持ち合わせていると極東の文豪は言っていたけれど、やっぱり悲しかったわね……」
世相も変わり果て、戦火に花と散った若い勇士と同じ立場だった生き残りの帰還兵も闇屋になり、健気な心情で男を見送り、亡夫の位牌に額ずいていた女にもやがて新しい男ができてゆく。それは人間が変わったのでなく、元から人間とはそうしたものであり、変化したのは世の中の表層だけである。
アストランティアが諳んじた『堕落論』という書籍の一部である。流石に長いので全文は書けないが、我は故郷の人間の有様と比較して大いに頷いたものである。
ただ、人間とは本質的に堕落の一面を持っているというのがその本の著者の主張であったが、結論はここでは終わっていなかった。
しかしながら、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対し鋼鉄のようにはいかず、人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人は結局のところ、早世の処女の純潔や聖女を求め、武士道を編み出さずにはいられず、天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるだろう。
だが他者からの借り物でなく、自分自身の純潔なるものを留め、自分自身の武士道ないしは天皇を編み出すためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのである。そして人が堕ちるが如く日本もまた堕ちることが必要であり、堕ちる道を堕ちきることにより、自分自身、日本自身を発見し救わなければならない。政治による救いなどは、上皮だけの愚にもつかないものなのだ。
……いくつか聞き慣れない言葉があったが、ここでは割愛しよう。すなわち、人間とは本質的に堕落の性質を持ち合わせていながら堕落しきることもできない。しかし、人間が救われるには堕落しきる必要が有る。と著者は語る。
ならば、我らの故郷の人間達は未だ堕落の発展途上であり、あれ以上に酷い堕落の様相が待ち受けているというのであろうか。如何ともしがたい、受け入れづらい理論である。師も密かに絶望の表情を浮かべているな……
しかし、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろうとも語られている。ならば、リンはその堕落できない人間の性質が表層化した人物であるという事であろうか。時折奇行は見せるものの、『堕落』とは正反対の性質を持っているように思える。そして本人が語る『反逆』の精神は正に堕落と対を成すものであった。
「それで、人間とは一度堕落しきることが必要なのかもしれないとその本を読んだYは語るけれど、なんだかちょっと怖いわよね……」
(そうだね……争いが起きないという意味では良いのかもしれないけど、僕も堕落が良いことだとは思えないや)
Yというのがどのような人物かは知らないが、あまり我らとは話が合わなそうであるな。我はリンの反逆の心を否定する気は毛頭ない。たとえそれが人間にとって歓迎すべきでない状態なのだとしても、我が信ずると決めたのはその反逆の心であるのだから。それに、最後の方に語られた、『自分自身を発見し救わなければならない』という文言は、反逆の糸口になるのではなかろうかと我は思う。
「あら、おしゃべりはここまでみたいね」
おっと、新たな敵が登場した。我は思考を止め、目の前の脅威に意識を向ける。
ブラッキーが文豪口調ということで、文豪ネタを入れたくなり、『堕落論』が選ばれました。理由は反逆と対になる主張と見せかけて、いくらかは反逆を含む論調であったからです。
そして登場した【S】の調律文字を持つアストランティア。《The Stargazer》の能力は次回に出します。彼女が急に『堕落論』を語り出すのは不自然かもしれませんが、まあ、そういう事もあります。
備忘録
>タイトル
坂口安吾の評論文『堕落論』より。