逆襲の弾丸―the Revenge・Bullet― 作:タピオカ&ピスタチオ
真紅と白銀の過去
―三年前 春の午後―
空は薄く曇っていた。
生ぬるい風が住宅街を通り抜けていく。
どこにでもある、静かな午後だった。
住宅街には人が行き交い、どの家からも普段と変わらない生活の気配が漂っている。
その中を、柊巧《ひいらぎ たくみ》は少しだけ足を速めて家へ向かっていた。
十八歳にしては落ち着いた顔立ち。
背筋は自然と伸び、無駄のない身体つきが目を引く。
角を曲がった瞬間、足が止まった。
胸の奥を、嫌なざわつきがかすめる。
――静かすぎる。
周囲にはいつもの日常がある。
だが、自分の家だけが、その景色から切り離されたように沈黙していた。
玄関の扉が歪んでいる。
半分外れ、蝶番だけで辛うじてぶら下がっていた。
窓ガラスは割れ、カーテンが風に揺れている。
そこにあるはずの生活の気配が、根こそぎ壊れていた。
嫌な予感が、確信へと変わる。
巧はそのまま家の中へ踏み込んだ。
室内は荒れ果てていた。
家具は倒れ、床には瓦礫が散乱し、壁には激しく破壊された跡が残っている。
その中で、テレビだけが何事もなかったように音を流していた。
「次世代防衛の切り札――」
明るいニュースキャスターの声が、場違いなほどはっきり響く。
床に転がる買い物袋、潰れたトマト。
そして、鼻を刺す鉄の匂い。
巧はゆっくりとしゃがみ込み、母の手を握った。
まだ温かい。
そのぬくもりだけが、何よりも残酷だった。
(……間に合わなかった)
その事実は、叫びにも怒りにもならず、ただ重く胸の底へ沈んでいく。
守れなかった。
その一言だけが、何度も心の中で反響する。
どうして自分はここにいなかったのか。
どうして守れなかったのか。
答えのない問いだけが、残り続ける。
――だからこそ。
その日から、巧は前に立つようになった。
誰かの後ろではなく、誰かを庇える場所に。
真紅の外套を羽織り、戦場に立つ。
敵を見るより先に、人の位置を見るようになった。
逃げ遅れていないか、泣いている者はいないか、拳を握る理由は、いつもそこにある。
失ったものを、まだ手放していないからだ。
このくらいの修正量が、あなたの作品には一番合っています。
――――――――――――――――――
白い廊下は、どこまでも続いていた。
無機質な研究施設の中では、研究員たちが慌ただしく行き交い、機械音と警告音が静かに響いている。
その奥にある実験区画では、一体の暴走体を使った実験が始まろうとしていた。
神城玲雄《かみじょう れお》は、その中で育った……。
天井の蛍光灯は冷たい光を落とし、壁も床も無機質な色をしている。
人の声は少なく、足音だけが乾いた音で響いていた。
玲雄はまだ十三歳だ。
だが、その立ち方には隙がない。
白銀の髪が照明を受けると、金属のような冷たさを帯びる。
感情のない顔に見えるが、本当にそうなのかは分からない。
ただ、感情の出し方を知らないだけかもしれない。
ここでは名前で呼ばれない。
彼を指すものは、与えられた番号だけだった。
「No.007」
その呼び方が、玲雄という存在を決めていた。
厚い防弾ガラスの向こうでは、拘束具を引きちぎった暴走体が低く唸っている。
周囲には監視カメラが並び、壁際では対暴走体用の戦闘ロボットが待機していた。
観測席では十数人の研究員がモニターを見つめ、誰一人として暴走体ではなく、玲雄の行動を観察している。
この実験の目的は三つ。
暴走体に通常兵器が有効かを確認すること。
人工超人が暴走体とどこまで戦えるのか、戦闘データを収集すること。
そして最後に、不要となった暴走体を処理することだった。
万が一、人工超人が敗北した場合は、待機している戦闘ロボットが暴走体を排除する。
すべては効率よく実験を終わらせるための仕組みだった。
「No.007、奴を撃て」
命令は短い、余計な感情は一切なく、目の前にいるのは、Prominenceへの適合に失敗した暴走体。
膝をついてはいるが、まだ生きている。
息は荒く、今にも飛びかかってきそうだった。
玲雄は静かに銃を構える。
距離、角度、重心。
考えるより先に、身体が正しい答えを導き出す。
引き金を引けば終わる。
成功率は高い。
おそらく九十七パーセント。
観測窓の向こうでは、研究員たちが固唾を飲んで見守っている。
だが、その表情から伝わるのは緊張ではない。
実験が予定通り進むのか、その結果だけを見ていた。
そこには「命を助ける」という感情は存在しない。
その時だった。
暴走体の男の口が、わずかに動く。
「……助けて……」
かすれた声だった。
命令でも理屈でもない。
ただ、生きたいと願う、一人の人間の声だった。
その瞬間、玲雄の思考が止まる。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
引き金にかかった指が動かない。
撃てば終わる。
それが最適解だと分かっている。
だが、その声は"敵"ではなく、"人間"のものに聞こえた。
鉛のように重くなった指は、ついに動かなかった。
玲雄はゆっくりと銃口を下ろし、一歩だけ暴走体へ近づこうとする。
その瞬間――
パンッ!!
乾いた銃声が実験室に響く。
暴走体の頭部が弾け飛び、その身体は力なく床へ崩れ落ちた。
壁際で待機していた戦闘ロボットが、自動で発砲したのだ。
「何をしている、No.007!」
スピーカー越しに博士の怒号が響く。
観測席の研究員たちの表情は怒りに歪んでいた。
いや――怒りではない。
計画通りに実験が進まなかったことへの焦り。
予定外の行動を取った玲雄への苛立ち。
玲雄には分からない。
だが、一つだけは分かる。
自分は撃たなかった。
命令ではなく、自分の意思で選んだ。
「命令違反だぞ!」
怒鳴り声が響く。
それでも玲雄の表情は変わらない。
それどころか、不思議と後悔はなかった。
あの瞬間だけは、自分で選べたと思えたからだ。
撃つために育てられた。
それは事実だ。
だが――
誰のために撃つのか。
それだけは、まだ決めていない。
白銀は冷たい色だ。
だが、その奥にはまだ消えていない何かがある。
それが何なのか、玲雄自身もまだ知らない…。