逆襲の弾丸―the Revenge・Bullet― 作:タピオカ&ピスタチオ
赤信号に変わる直前の、あの一瞬の静けさが好きだった。
夕暮れの交差点はどこにでもある景色で、焼き鳥屋の匂いと車のエンジン音が、穏やかに混ざり合っている。
人々は何も疑わず、ただ日常を歩いている。
だからこそ、その光景は簡単に壊れる。
次の瞬間、地面が内側から弾けた。
爆音が空気を叩きつけ、アスファルトがめくれ上がると同時に、車体が浮き上がりガラスが夕焼けの中に散った。
悲鳴が遅れて広がる。
逃げる者、立ち尽くす者、状況を理解できずに振り返る者が交差点に溢れた。
煙の奥に、それは立っていた。
人の形をしているが、皮膚は裂け黒く浮いた血管が脈打ち、焦点の合わない目がただ前を見ている。
拳が振り上げられる。
その動きだけで空気が震え、周囲の人間が本能的に距離を取った。
だが、その前に一つの影が割り込む。
「下がれ!」
低く通る声とともに、真紅の外套が煙を裂いた。
柊巧は逃げる人々の間を迷いなく進み、誰を庇うべきかを一瞬で見極める。
泣き崩れる子どもと母親、その前に立つ。
背後を完全に塞ぐように位置を取り、暴走体と正面から向き合った。
暴走体の拳が落ちる。
衝撃が地面を震わせたが、巧の前に展開された半透明の障壁がそれを受け止め、波紋のように歪むだけで崩れない。
重い。だが退けない。
ここで引けば、後ろの人間が死ぬ。
(止める)
踏み込む。
最短の軌道で拳を叩き込み、体勢が揺れたところへさらに距離を詰める。
だが倒れない。
暴走体は痛みを無視するように、再び拳を振り上げた。
その瞬間――乾いた銃声が響いた。
高所。ビルの屋上。
白銀の髪を風に揺らした少年が、静かに銃を構えている。
神城玲雄。
その視線は戦場全体を捉え、必要な情報だけを切り取っている。
撃った瞬間に結果は決まっていた。
二発の弾丸が関節へ吸い込まれ、暴走体の腕の動きが明確に鈍る。
「三秒。右腕、硬直」
淡々とした声。
感情は乗っていないが、迷いもない。
巧は短く頷く。
その三秒で十分だった。
一歩で間合いを詰め、肘で体勢を崩す。
崩れた重心に合わせて膝を打ち込み、さらに拳を叩き込む。
玲雄の三発目が足を撃ち抜いた。
巨体が膝から崩れ落ちる。
その瞬間、巧の拳が胸部へ突き刺さる。
鈍い衝撃が遅れて響き、暴走体の動きが止まった。
静寂が落ちる。
いや、完全な静寂ではない。遠くの泣き声とサイレンの音が、現実をゆっくり引き戻してくる。
巧は息を整えながら、倒れたそれを見下ろした。
その口が、かすかに動く。
「……たすけ……」
玲雄の指が止まる。
照準は頭部、引き金には指がかかっている。
(撃てば終わる)
それが最適解だと分かっている。
だが 、その声が、思考をわずかに乱す。
「まだ抑えられる」
巧の声が通信に乗る。
確認ではなく、選択だった。
玲雄は数秒だけ黙り込む。
そのわずかな時間に、自分が“兵器ではない”ことを確認するように。
やがて、銃口が下がる。
「……任せる」
巧は頷いた。
壊すのではなく、止める。
踏み込み、最後の一撃を叩き込む。
急所ではない、沈静の一点。
数秒後、完全に動きが止まった。
黒い車両が到着し、現場は封鎖されていく。
割れたガラスも血痕も回収され、何事もなかったかのように処理されていく。
日常は戻る。
だが、残るものもある。
「助けて」
その声だけが、玲雄の中に残った。
夜。本部屋上。
街の灯りが静かに広がり、風がフェンスを鳴らしている。
巧はフェンスにもたれ、下を見ている。
視線の先には街ではなく、あの日の光景が重なる。
玲雄が隣に立つ。
同じ景色を見ているようで、見ているものは違う。
「迷ったな」
巧が言う。
責めるでもなく、ただ事実を置くように。
「迷ってない」
玲雄は即答する。
だがその言葉のわずかな遅れを、巧は見逃さない。
沈黙が少しだけ続く……
やがて巧が口を開いた。
「俺は守るためにいる」
短い言葉だが、迷いはない。
過去から逃げることなく、そのまま立っている。
玲雄は夜景を見つめたまま、静かに言う。
「自分は……撃つために作られた」
風が吹き、白銀の髪が揺れる。
それでも、その言葉の奥には微かな抵抗がある。
「でも、誰に撃たれているかは忘れない」
それが玲雄の“人間としての線”だった。
巧は小さく笑う。
肯定でも否定でもなく、ただ受け入れるように。
「それで十分だ」
また沈黙が落ちる。
だが、今度は悪くない沈黙だった。
「なあ…」
巧が空を見上げる。
「俺たち、弾丸みたいじゃないか」
玲雄が横目で見る。
興味がないわけではない。
「一度放たれたら、真っ直ぐ進むしかない。止まるかどうかは当たるまで分からない」
玲雄は少し考え、短く息を吐いた。
「……悪くないな」
夜の街は変わらず動いている。
だがその裏で、確実に何かが動き始めている。
それでも二人は歩く。
守るために。
自分で在るために。
そして――
いつか撃ち返すために。