シグナルレッド   作:スナエ

1 / 1
シグナルレッド

 ひとりのチャイナ服を着た男が、主人に整体を施している。

 だが、男は整体師ではない。主人の専属医師である。

 

「ご主人サマ、姿勢が悪いから色々マズいですよ」

「あなたが何とかしてください」

「そう言われましても。ワタシは、根本的な解決を望んでいますので」

 

 医師は、通称をホンという。彼の主人は、Lと名乗っている。

 

「それに、甘いものを食べ過ぎですし、睡眠時間も足りてないですし」

「頭脳労働には糖分が必要です」

「だったら、たまにブドウ糖タブレットでも食べておけばいいではないですか」

「それは嫌です」

「……仕方のない人」

 

 ホンは溜め息をつき、やれやれというジェスチャーをした。

 

「はい。終わりましたよ」

「ありがとうございます。体が軽くなりました」

「どういたしまして」

 

 医師は、恭しく一礼する。長く赤い髪が、さらりと揺れた。

 

「ホン。あなたは、キラをどう思いますか?」

「ワタシは、ヒューマンライツをなおざりにすることを良しとしません」

「そうですか。あなたは、やはり正義の側の人間ですね」

「ええ、もちろん。ご主人サマの味方ですから」

 

 ホンの口元が弧を描く。

 

「さて。ではワタシは、ワタリさんと食事の準備をしますので」

「はい」

 

 Lと別れ、ホンは厨房へ向かった。

 医食同源。ホンは、健康的な料理を作ることも得意である。Lが普段食べている甘味の一部は、彼が出来る限り体にいい材料で作っていた。

 ホンは、広義の医療のスペシャリストなのである。

 そんな彼が、歳下のLを主人とし、支える理由。それは、彼の家族の仇が逮捕されたのが、Lの活躍によるものだからだ。

 その恩返しのために、ホンはLに助力し続けている。

 鍋をかき混ぜながら、男は考えた。

 家族を殺した者を、キラが殺したとしたら、ワタシは何を思っただろうか?

 件の殺人犯は、すでに死刑になっている。

 しかし、法的措置である死刑とキラの所業は全くの別物だ。

 ホンは、キラという人殺しへの熱狂を見ていると、人間という種に絶望しそうになる。

 歴史を学んで来なかったのか? ヒトラーやポル・ポトと、キラは何が違う?

 大衆は無責任に殺人犯を称賛し、信奉し、思考停止し堕落する。

 それでも、この世界にはアナタがいるから。ワタシは、まだ人間を信じられる。

 アナタを喪ったら、きっとワタシは立ち上がれないでしょう。

 ホンは、Lという光がなければ生きてはいけない。

 だからワタシは、アナタのために力を尽くすのです。

 

◆◆◆

 

 自室で、煙管を燻らせている。ホンは、ラベンダーの刻み煙草の香りを漂わせた。

 少しして、火皿に入れたものを吸い終わると、煙管から燃え殻を捨てて綺麗にする。

 その後、敬愛する主人の元へ行った。

 

「ご主人サマ」

「はい。どうかしましたか?」

「そろそろ、何か食べたいのではないですか?」

「そうですね。では、アフタヌーンティーの用意をお願いします」

「お任せあれ」

 

 ホンは機嫌良さそうに去って行く。その背中を見ながら、Lは考えていた。

 ホンから、ラベンダーの香りがする。精神安定のために煙管を使ったのだろう。

 その推測は、当たっていた。ホンは、殺された家族のことを思い出して悲しくなったから、煙管に頼ったのである。

 ホンの傷を、Lにはどうすることも出来ない。明るく振る舞っている彼に、余計なことを言うことはしない。

 しばらくして、ホンがチャイニーズアフタヌーンティーを運んで来た。

 温かい中国茶を注ぎ、生月餅や胡麻団子やマンゴープリンなどを並べていく。

 

「さあさあ、お召し上がりください」

「いただきます」

 

 Lは、次々とホンの作ったものを飲食した。

 その様子を、ホンはニコニコと見守っている。

 

「美味しいです」

「ありがとうございます」

 

 ホンは、拱手してお礼を述べた。

 

「たまには……」

「はい?」

「あなたも一緒にどうですか?」

「よろしいのですか?」

「ええ」

 

 ホンは、ふ、と笑い、「では、失礼します」と隣に座る。

 そして、余分に持って来ていた茶杯にジャスミン茶を注ぎ入れ、一口飲んだ。

 

「うん。いい味ですね」

「ホン」

「はい」

「いつも、お疲れ様です」

「いえいえ。ご主人サマに比べたら、ワタシなんて……」

「なんて、ということはないです」

 

 Lは、淡々と告げる。ホンの働きを軽んじてなどいないから。

 懸命に日々を生きるあなたを、頼りにしている。

 Lの瞳は、ホンを真っ直ぐ見つめた。

 

「……ありがとうございますね」

 

 ホンは、少し照れくさそうに笑う。

 

「ご主人サマ、杏仁ミルクもお飲みくださいませ。薬膳ドリンクですからね」

「はい」

 

 ホンは、Lが手製のものを食べたり飲んだりしているところを見るのが好きである。

 アナタが生きていくことに関われるのが、ワタシは嬉しいのですよ。

 どうか、いつまでもお側に置いてくださいね。

 

「ホン。この苺のタルト、もっと食べたいです」

「いけません。おひとつ限りです」

 

 両手の人差し指でバツを作るホン。

 ふたりは、しばし穏やかな午後を過ごした。

 

◆◆◆

 

 第二のキラが現れた、と主人は言った。

 ホンは、最悪な殺人犯が増えたことを憂い、Lが自ら動くことが不安になる。

 それでも、Lの意向には従う。それが、彼を信じるということだから。

 仕方のないこと。ホンが選んだ主人は、“解決する者”だから。時には、危険なこともある。

 では、ホンは?

 彼は、“見守る者”だ。持てる医術の全てを使って、Lが生きることを手助けしている。

 事件については、ホンの領分ではない。だから、捜査に口出しすることはないのである。

 ふたりは、お互いに背中を預けるような形で同じ道を歩いていた。

 ワタリがLの右腕ならば、ホンは別の役割を持つ腕であろう。

 

「ご主人サマ。お菓子をお持ちしました」

「ありがとうございます」

 

 配膳台からカップや皿を取り出し、テーブルへ並べていく。

 

「アールグレイとフルーツケーキ、ファッジ、カスタードプリンです」

「美味しそうですね。いただきます」

「はい。お召し上がりください」

 

 ホンは、姿勢正しく脇に控え、Lが食べているところを見つめた。

 長い前髪に両目が隠されてはいるが、主人には、その視線の先はバレているだろう。

 実際のところ、Lは、自分が飲食しているところを見るのをホンが好きなことは知っていた。特段、嫌でもない。

 

「ホン」

「はい」

「明日は、スコーンが食べたいです」

「承知しました。では、美味しいクロテッドクリームとジャムを添えましょう」

「よろしくお願いします」

 

 こうしてリクエストされるのは嬉しい。

 紅茶は、アッサムティーかセイロンティーか。ホンが、そんなことを考えていると、Lが質問をしてきた。

 

「ホン。私が、あなたの過去に触れたら、どうしますか?」

「……ご主人サマに触れられて困る過去などありませんよ」

「そうですか。この事件が終わったら、あなたの事件の続きを解決しましょう」

「お気遣い、ありがとうございますね」

 

 ホンの家族を殺害された事件は、癒えぬ傷として残っている。それを、“解決する”とLは言った。

 アナタがそう言うのなら、安心ですね。

 ホンは、柔らかく微笑んだ。

 精神的な傷を、彼がどう“解決する”のかは分からない。だが、Lが自分のことを慮ってくれているというだけで、幾分か気持ちが楽になった。

 

「ホン、角砂糖がなくなりました」

「……いつの間に。ダメですよ、そんなに砂糖を摂っては」

 

 そこからは、ホンによるLの生活全般への小言が続く。

 それも全て、ホンの愛情だった。

 

◆◆◆

 

 捜査本部としているホテルに入れなくなった。Lの命令である。

 心配だが、ホンは、通信のみで彼の安否を知ることしか出来ない。

 食べ物の差し入れは、部屋の前に置いておく形でしているが、Lの健康状態を診られないことは、ホンを不安にさせた。

 やがて。弥海砂と夜神月が拘束された。

 しばらくして、その拘束は解かれたが、Lは自分と月を手錠で繋ぐ。

 そしてホンは、新たな拠点となる高層ビルへ移ることになった。

 ワンフロアを与えられたが、ホンは一室しか使わない。必要がないからだ。

 中華風の室内では、いつものチャイナ服を着たホンが長い髪を一本の三つ編みにしている。

 

「よし」

 

 身支度を終えると、Lの健康診断をしに向かう。

 

「おはようございます、ご主人サマ」

「おはようございます、ホン」

 

「この人は?」と月が尋ねた。

 

「私の専属医です」

「はじめまして。月さん。ホンとお呼びください。よろしくお願いしますね」

「……よろしくお願いします」

 

 前髪で両目が隠れているが、ホンが笑顔であることが分かる。

 しかしLは、その笑みが警戒の色をしているのに気付いた。おそらく、無意識。

 

「ご主人サマ、まずは採血しますよ」

「はい」

 

 怪しい見た目の医師は、粛々と検査を続けた。

 

「では後日、検査結果をお知らせいたしますね」

「お疲れ様です。後で、甘いものを持って来てください」

「かしこまりました」

 

 ホンは、医療バッグと採取したものを持ち、一度自室へ戻る。

 それから、キッチンでフルーツの盛り合わせとクッキーを用意した。

 再び、Lのいる部屋へ行く。

 

「お待たせしました。どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 ホンは、主人の横に控えている。

 

「竜崎の知り合いは、個性的な人ばかりだな」

 

 月は、チェリーを食べるLと、その隣のホンを見て言った。

 画面越しの謎の男に、胡散臭い医者。一癖も二癖もありそうだ。

 

「ホンさんも、捜査に協力してくれるのか?」

「いえ、ホンは捜査には関わりません。司法解剖は出来ますが、キラ事件ではあまり意味がないでしょう」

「そうか」

 

 後日。Lと月が殴る蹴るの喧嘩をした時は、ふたりともホンに手当てをされながら説教された。

 

「全く、仕方のない人たちですね」

「すいません」

「へぇ。竜崎も謝ることがあるんだな」

「もう一戦しますか?」

「ご主人サマ?」

「冗談です」

 

 ふぅ、とホンは溜め息をつく。

 Lは、いい大人なのに。月と殴り合いをするとは。負けず嫌いとはいえ、そこまでしなくても。

 ホンは、半ば呆れて、「仕方のない人…………」と呟いた。

 

◆◆◆

 

 ヨツバキラ、火口が捕まった。そして、死亡した。

 死神の実在。

 ホンは大層驚き、狼狽えたが、主人であるLが言うのだから信じた。

 それからの日々も懸命に働き、男はLに尽くす。

 そして、運命の日が訪れた。

 ワタリとLが殺されたのである。

 主人の密葬に、ホンは立ち会えなかった。

 ただ布団にくるまり、自分の精神が壊れていく音を聴いている。

 

「ご主人サマ……ワタシを置いていかないで…………」

 

 その後。ホンは失踪した。

 ウエディとアイバーは始末されたが、彼は一度も素顔を見せたことがないし、彼の記録はワタリが消去したため、殺されずに済む。

 2009年。ホンは、英国のウィンチェスターにあるワイミーズハウスの一室に保護されている。

 

「おはよう、ホン」

「おとうさま?」

 

 ベッドから起き上がり、赤色の長い髪が揺れた。

 

「ロジャーだ」

「おとうさまと、おかあさまと、おねえさまは?」

「亡くなった」

「なくなった? わたしがわるいこだから?」

「ホン…………」

 

 ホンは、幼児退行している。自らの家族の死も、Lのことも忘れ、子供のように過ごしていた。

 

「Lの後継者が、仇を打ってくれるだろう」

 

「えるってなんですか?」と、ホンは首を傾げる。

 

「この部屋からは出ないように。でないと、怒られてしまうからね」

「……はい」

 

 ロジャーが出て行き、ホンは大好きな絵本を声に出して読み始めた。

 

「ヘンゼルとグレーテル」

 

 それは、子供の頃に姉と一緒に、お菓子の家を夢見た物語。

 

「ふたりがこやのすぐそばまでいってみますと、まあこのかわいいこやは、パンでできていて、やねはおかしでふいてありました。おまけに、まどはぴかぴかするおさとうでした」

 

 ホンの母は、ふたりの子供のためにミニチュアのお菓子の家を作ってくれたことがある。

 昔々の思い出。けれど今では、ついこの前のように思っている記憶。

 

「こうして、ばちあたりなまじょは、あわれなざまにやけただれてしにました。グレーテルは、まっしぐらに、ヘンゼルのいるところへかけだしていきました。そして、いぬごやのとをあけるなり、ねえヘンゼル、あたしたちたすかってよ。まじょのばあさんしんじゃってよ。と、さけびました」

 

 おねえさまはつよいから、きっとまじょをたおしてくれる。

 わたしはよわいけれど、おねえさまのためにおいしいものをつくるんだ。

 おとうさまも、おかあさまもよろこんでくれる。

 それに、×××××も。

 

「あれ?」

 

 絵本に落ちた雫を、ホンは服のYシャツの袖で拭った。

 自分がどうして泣いているのか、ホンには分からない。

 

◆◆◆

 

 2010年1月28日。キラ、夜神月は死んだ。

 同日。ホンは、いまだに幻想の中にいた。夢の中で夢を見るように。

「おとうさまたちは、いつおもどりになりますか?」と、ロジャーに尋ねる。

 

「いつになるかは、分からない」

「そうですか…………」

 

 ホンは肩を落とした。

 そして、ロジャーが部屋から出て行った後、ヘンゼルとグレーテルの絵本を読み返した。

 それが終わると、ホンは窓の外を眺める。

 

「もうずいぶんおそとへでていない」

 

 窓に近付くと、そこにうっすらと自分が映された。

 赤く長い髪。前髪で両目が隠れている。白いYシャツ。黒いスラックス。

 何か違和感を覚えた。まるで、自分が子供ではないかのような。

 それに、よくよく考えると、目線の高さもおかしい。

 

「あれ?」

 

 ホンは、身長が180㎝ある成人男性である。その姿は、子供に見えるはずもなかった。

 

「わたしは…………」

 

“ホン”

“それが、あなたの名前になります”

“あなたにぴったりでしょう?”

 

 頭の片隅で、誰かの声がする。

 

「だれだっけ?」

 

 思い出そうとすると、酷く胸が痛んだ。目眩がして、心臓がドキドキする。

 ホンはベッドに座り、頭を抱えた。

 

「わたし…………」

 

 自らの声も、かなり低くなっていることに気付く。

 否、なったのではない。ホンが成人したのは、15年以上前のことである。

 

“私について来るんですか?”

“あまりいいことだとは思えません”

“……あなたが、そこまで言うなら”

 

「わたしの…………」

 

 大切な人。そうだ。大切な人だったはず。

 確か、その人と出会ったのは。

 

「……お父様とお母様とお姉様が殺されたからだ」

 

 思い出した。家族が殺されたこと。Lと名乗る者が犯人を見付け、事件を解決したこと。彼の専属医になったこと。

 それから。

 

「ご主人サマは、もういない…………」

 

 死に目に会えなかった。葬儀に出られなかった。主人の死が耐えられなかった。

 

「……さようなら、エル様」

 

 ホンは、死者の安らかな眠りを祈る。

 

◆◆◆

 

 ワイミーズハウスに、赤い長髪を一本の三つ編みにしている、前髪で両目が隠れたチャイナ服の男がいる。

 彼は、通称をホンという。

 子供たちの健康を担う医師であり、料理をするのも得意な医食同源のスペシャリストだ。

 子供たちにせがまれて、今日も美味しいお菓子を作っている。

 

「ホン~。タルトもっとちょうだい!」

「ぼくも」

「ひとり、ひとつですよ」

「やだ~!」

 

 子供たちは、口々に文句を言う。

 

「仕方のない子たちですね……」

 

 ホンは、やれやれと言いながら笑った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。