ライアー小隊とネメシス小隊の生き残り、そしてジムを乗せた救急車と武流はアベルと別れてから、十数分後にゼロ号ホロウから脱出することができた。
「やった! 外に出れたぞ!!」
救急車の運転手は喜びの声を上げる。
ホロウから出た瞬間、燃えるように赤く不気味な空ではなく、黒いベールに真珠を散りばめたかのような、綺麗な星空が広がっていた。
先程までの地獄の光景が嘘のようで、まるで生き残ったことを祝福してくれているようだった。
「⋯⋯やっと終わりか」
レテがそう呟く。
「いや、終わりじゃない」
カロンはいつになく真面目な表情と声でそう言った。
そう、これは終わりではない。なぜ、ゼロ号ホロウが拡大したのか。あの大型のエーテリアスは何なのか。何もわかっちゃいない。解明する必要がある。多くの仲間を失い、この地獄を生き延びた者としてだ。
「そうね⋯⋯始まりよ」
「隊長たちの死を無駄にしないためにも」
ハヤブサとヴァルチャーは手に力を入れながら呟く。ネメシス小隊の生き残りは自分たちだけだ。仲間たちの死を、悲劇で終わらせてはならない。
救急車が仮設基地に着き、止まると軍の医療班が迎えに来た。全員にエーテル阻害薬を配り、トリガーを担架で運び、ジムの腕を治療する。
「あなた!」
「お父さん!」
「サリィ! ジータ!」
ステュクスの妻であるサリィと娘のジータが、涙を浮かべながら抱きつく。ステュクスも大事な家族が無事であることをその目で確認できて安心したのか、強く抱きしめる。
「良かった。生きてて⋯」
「ああ、もう大丈夫だ」
ステュクスとサリィが見つめ合う中、ジータは辺りを見渡す。
「お父さん、あの治安官さんは? お父さんを助けるって約束したお兄さんはどこ?」
「あのお兄さんは、もう少し誰かを助けたら戻って来る。戻ってきたら、みんなでお礼を言おう」
「うん!」
ステュクスが家族との再会を喜ぶ一方で、カロンは基地の様子に違和感を覚えていた。
「君、軍上層部は何をしているんだ?」
カロンが近くで警備をしていた兵士に話しかける。
「軍上層部はエリー都の放棄を決定しました」
「そんなことはわかっている。どうやって、ゼロ号ホロウの拡大を止めるか聞いているんだ」
兵士は一瞬、戸惑った表情を浮かべるがすぐに口を開く。
「⋯式輿の塔を爆破し、人工の谷を作って抑えるそうです」
「な、なんだと!?」
人工の谷を作り拡大を抑える。つまり、今も尚戦っている生存者を見捨てるということである。
「いつだ!?」
「⋯⋯もう後一時間ほどで」
一時間⋯⋯間に合うかどうかギリギリの時間だ。それに、アベルたちはこの事を知らない。もし、少しでも遅れればゼロ号ホロウに取り残されることになる。
「そんな⋯⋯早く伝えないと!」
「僕が行きます!」
アケロンがそう言うと、武流は愛馬に跨る。
「皆さんはお疲れでしょう。僕とオオムギはまだ、体力があり余ってます」
「危険だぞ! 私が行く!」
カロンの制止の声を背に、武流はそれでも馬の手綱を握ったまま、まっすぐに言葉を返した。
「危険なのは、あの中に取り残される仲間たちです! 僕たちがここまで来られたのは、彼らが戦ってくれたから……だったら今度は、僕が走る番です!」
アケロンの瞳は、確かな決意に燃えていた。オオムギも鼻を鳴らし、覚悟を決めたように前足で地面を蹴る。
それを見たカロンは、一瞬だけ目を伏せ、そして小さく頷いた。
「……わかった。君に託す。絶対に、戻ってこい」
「はい!」
武流は力強く頷き、オオムギを駆けさせる。星の光に照らされた夜の街を、彼の影が風のように駆け抜けていく。
——その背中を、レテはじっと見つめていた。
「⋯⋯勇敢だな、本当に」
呟いたその声に、どこか安堵の響きが混ざる。無謀と知りつつ、彼の行動は誰よりも正しいと誰もがわかっていた。
残った自分たちにできることはただ一つ。
彼らの無事を祈るだけである。
「我々もできることをしよう」
ライアー小隊とハヤブサ、ヴァルチャーは基地内で、できることを行う。負傷者の手当てや、避難民への指示誘導、食料などの配布だ。
基地内は仮設とは思えないほどの緊張感に包まれていた。負傷者の呻き声、無線機から流れる断片的な通信。それらが、まだ終わっていない現実を静かに告げていた。
ライアー小隊とネメシス小隊の生き残りたちは、手分けして行動を開始する。
「こっちはもう医薬品が足りねえ! 備蓄庫の再確認を急げ!」
「負傷者の数、収容限界を超えてる! テントを追加で設営しろ!」
カロンは指揮官としての役割を果たし、誰よりも冷静に、迅速に命令を飛ばしていた。ヴァルチャーは自らの手で負傷者を担架に乗せ、処置場へと運ぶ。動ける者は皆、それぞれの「今、やるべきこと」を理解し、行動していた。
一方、武流とオオムギはすでにゼロ号ホロウの縁に差しかかっていた。吹き上がる瘴気、揺れる大地、まだ崩壊しきっていない構造物の残骸。そのすべてが、彼の進路を阻むように牙を剥いていた。
だが、彼の心は一片の迷いもなく、ただひたすらにアベルたちの元を目指していた。
「お願いだ、間に合ってくれ⋯⋯!」
もし、間に合わなければアベルとシュヴァルツ先輩、そして要救助者はゼロ号ホロウに取り残されてしまう。急がなければ、アベルの決意が無駄になってしまう。
武流がゼロ号ホロウに入った瞬間、熱波が彼の肌を襲う。火災は広がり、傾いたビルに散らばる死体、再び地獄へと戻ってきたのだ。
武流は奥歯を噛み締めながら、手綱を引いた。オオムギの蹄が焼けたアスファルトを踏み鳴らし、二人は炎と煙の迷宮を突き進む。
「ここまでひどいなんて⋯⋯!」
ゼロ号ホロウは、たった十数分でさらに変貌していた。崩壊した建物の間からは新たなエーテリアスが蠢き、エーテルの密度は明らかに増している。
だが、引き返すという選択肢はなかった。
「こちら、武流! アベル、応答してくれ!」
無線機からは何も聞こえない。ホロウの影響で、無線の有効距離が縮小しているのだ。特に小型無線機への影響は顕著に出ている。
アベルたちに近づかないと無線機は使えないか。
街を駆けていると突然、無線機から声が聞こえる
『ダーラン長官より、全治安官に告ぐ。諸君らの働きに感謝する。エリー都は陥落した。生き残った者は、ゼロ号ホロウからの脱出を目指せ』
「⋯くっ!」
治安局がとうとう陥落した。街を守るものは完全に無くなってしまった。今すぐにでもここから、逃げなければならない。
「アベル⋯⋯どこだ!」
焦燥に駆られながらも、武流は頭を冷やそうとする。闇雲に進んでも意味はない。アベルたちが向かった地点——確か、エリー都の中心付近だ。
あと50分で爆破される——!
武流が焦りながら走っていると、ビルの影からエーテリアスのタナトスが弓を構えながら現れる。
「ちっ!」
オオムギが咄嗟に身を翻し、間一髪でそれを避ける。だが、直後にもう一体、空中から羽ばたく異形、アフリマンが襲いかかってきた。
武流はMMP34を構え、背後から近付いてくるアフリマンを撃ち落とす。放たれた弾丸はコアに命中し、真っ直ぐ地面へと落ち、粒子となって消えた。
「邪魔するなよ! 僕は今、友だちを救うために走ってるんだ!」
だが、武流の背後からは無数のエーテリアスたちが追いかけてきていた。確かに、この街に生き残りはもう殆どいないだろう。数少ない、生き残りである武流にエーテリアスが集中するのもわかる。だが、いくらなんでもこれは異常だ。
エーテリアスたちは意志を持っているかのように、統率された動きで武流を追い詰めてゆく。
「アベル! アベル! 頼む応答してくれ!」
「ザー⋯⋯ザーザー⋯⋯」
返ってくるのは砂嵐のような音だけ。
エーテリアスたちが迫ってくる。
どうする? このまま、アベルたちの方向に向かうか? それとも、このエーテリアスたちを撒くのを優先するか?
「⋯⋯撒くことを優先しよう」
このまま、アベルたちの元へ行けばエーテリアスたちも一緒に連れて行ってしまう。それなら、撒いてから中央に向かう方がいい。
武流はビルの隙間を縫いながら、エーテリアスたちを撒こうとする。だが、どれだけ複雑に逃げてもエーテリアスたちは追いかけてくる。
「くそっ⋯⋯なんで⋯⋯」
オオムギも疲れてきたのか、スピードが徐々に落ち始めてきた。
「オオムギ、もう少し一緒に頑張ろう!」
武流は愛馬を励ます。愛馬もそれに応えようと、精一杯足を動かして走る。
だが、現実は無情だ。
「ヒヒィン!」
「ぐあ!」
タナトスの放った矢がオオムギの足に命中したのだ。オオムギは倒れ、武流はその衝撃で前に吹き飛ばされる。
武流が何とか起き上がる。視界に映るのは、陥落した防衛軍の基地と薬品や医療器具、死体が散乱する医療場、そしてそこに王者のように君臨するコアを複数持ち、糸でエーテリアスたちを操る大型エーテリアスだった。