旧都陥落の亡霊、ゼレフとの勝負に勝ったライアー小隊は依頼人と共にポート・エルビスに来ていた。救助された依頼人に目立った怪我はないことが、今のライアー小隊にとって一番喜ばしいことである。
「救助感謝する。そして、あいつを⋯⋯ゼレフを止めてくれてありがとう」
依頼人は悲しさと申し訳なさが混ざった表情で、ライアー小隊にお礼を言う。
「ゼレフとは知り合いだったのですか?」
「ああ、俺とあいつは同期だ」
「じゃあ、貴方も⋯⋯」
「あの地獄を経験したさ。俺の名はザンジバル、元治安局銃器対策部隊隊員として旧都を守っていた」
旧都陥落の治安局の数少ない生き残り、依頼人はその内の一人だったのだ。
その名を聞いてカロンは目を細めた。
「君もか⋯⋯改めて言わせてくれ。あの日、私たちを助けてくれて、ありがとう」
「お礼なんてやめてくれ。あの時の俺たちはただ死にたくなかっただけさ。逃げ場もなく、必死に生きようと、撃ち返していただけさ」
「ゼレフも、同じだったと思う」
コキュートスが呟く。
「彼は、復讐という形でしか己を保てなかった。それだけ、心の傷が深かったのでしょう」
ザンジバルは小さく頷いた。
「あいつは昔から繊細で、仲間思いなやつだった。強がりながらも、その実、誰よりも脆かった」
悲しそうな表情で言う。
「俺がもっと早く気づいてやれれば、何かが変わっていたかもしれない。だけど、それでもお前たちがあいつを止めてくれて、本当に感謝してる」
「ゼレフは、最後に笑っていた。自分が誰かを救えたと気づいて、救われたように見えたよ」
そう言ったのはリンだった。彼女はずっと黙っていたが、ゼレフが雅に託した髪飾りを思い出していた。
「彼の願いは、きっともう、次の世代へと受け継がれています」
ザンジバルは、トリガーの言葉を静かに受け止め、深く頷いた。
「そうだな⋯⋯さて、遅くなったけどトリガー、俺はあんたを探していたんだ」
ザンジバルはトリガーを真っ直ぐに見つめながら、懐から小さな録音装置を取り出した。古びた金属の縁が、彼がそれを長く大切に持ち歩いていたことを物語っている。
「これを、あんたに渡すために生き延びたようなもんだ」
静かに差し出されたそれを、トリガーは戸惑いながらも受け取った。
「これは⋯⋯?」
「アベルの、遺言だ。旧都が陥落した日の夜、俺は偶然にもあいつを見つけたんだ。崩れかけたビルの壁にもたれていてな、腹を撃ち抜かれ、体中からエーテル結晶が生え、もう助からない状態だった」
ザンジバルの声がかすかに震える。思い出が胸を締めつけるのだろう。
「俺に気づくと、アベルは笑ったんだ。『よかった、まだ誰かが生きてる』ってさ。そんで、これを俺に託した」
トリガーは黙って装置を見つめていた。仲間たちもまた、息を呑み、彼の手元に目を向けている。
「再生してもいいですか?」
「もちろんだ。むしろ、今じゃなきゃいけない気がする」
トリガーが装置のスイッチを押すと、わずかなノイズのあと、アベルの声が流れ始めた。
『⋯⋯トリガー。これを聞いてるってことは、僕はもう——』
小さな笑い声が入り、次の言葉は少しだけ掠れていた。
『生きて帰れなかったんだな。⋯⋯ごめん。約束、守れなかった』
短い沈黙のあと、アベルの声がかすかに震えた。
『アキラくんにも、リンちゃんにも、生きて戻るって言ったのに……結局、僕はこの街で終わって。弱いな、僕は』
音声の向こうで、誰かが崩れかけた瓦礫を踏むような音が聞こえる。息は荒く、苦しそうだった。
『でも、不思議と怖くはないんだ。最後の瞬間に思い浮かぶのは、王明やゼレフと共に過ごした学校時代とか、シュヴァルツ先輩とのパトロールとか、トリガーと並んで歩いたあの帰り道ばっかりでさ』
短い沈黙のあと、アベルの声がかすかに震えた。
『……カロン隊長、貴方はまるで母のように、僕の健康を気遣ってくれましたね。ステュクスさんには、色んな恋愛術や社会の生き方を教えてもらいました。コキュートスさんは、治療術や面白い話を沢山聞かせてもらって、レテさんには機械知識を教えてもらった。アケロンさん、貴方にはファッションについて教えてもらいましたね。ハヤブサさん、ヴァルチャーさん、お二人とはこんな形ではなく、もっと早く出会っていたかったです』
『⋯⋯みんなに出会えてよかった。ありがとう。みんなと過ごせた時間は、本当に最高でした』
言葉が一瞬途切れ、再び続く。
『それから、トリガー。君にだけ、最後に伝えたいことがある』
呼吸が浅くなりながらも、声はまっすぐだった。
『僕は君のことが、これまでも、これからも、ずっと、大好きだよ』
音声記録はアベルの微笑み声と涙の混じった声になる。
『あはは⋯⋯こうして、振り返ると⋯⋯⋯⋯やっぱり、死にたくないなぁ』
『もっと、みんなと⋯トリガーと生きたかった』
アベルの声は、次第にかすれ、まるで霧の中へ消えていくようだった。
『でも⋯⋯後悔は、してないよ。だって僕は、こんなにも幸せだった。辛くて、苦しくて、何度もくじけそうだったけど⋯⋯それでも、君たちと出会えて、戦えて、笑いあえて⋯⋯本当に、本当に、ありがとう』
しばらくの間、何も音がしなかった。ただ、遠くで風が港の帆を揺らす音だけが聞こえていた。
そして、最後の一言。
『⋯⋯トリガー。お願いがある。君は、ちゃんと生きて。僕の代わりなんて言わない。でも、君には、君にしかできない未来がある。その未来に⋯⋯僕の分の笑顔も連れていってほしい』
『——それが、僕の願いです。さよなら。みんな。ありがとう』
カチリ、と乾いた音がして、録音は終わった。
沈黙が訪れた。誰もが、声を出せなかった。リンはそっと目元を押さえ、アキラは拳を握ったまま目を伏せていた。ステュクスとコキュートス、レテは目に涙を溜めていた。ハヤブサとヴァルチャーも、静かに祈るように目を閉じている。
カロンは鼻をすする音を隠すように背を向け、アケロンは涙を流しながら、口元をきつく引き結んでいた。
そして、トリガー。
録音装置を胸に抱いたまま、トリガーは空を見つめた。もう涙は流れていない。ただ心の奥に灯ったものを、静かに噛みしめていた——それは、決意だった。
「⋯⋯アベル。私もです。貴方が、私の中にずっと生きてる。そう思えるだけで、もう——」
彼女はゆっくりと、仲間たちの方を振り返る。
「私たちは、進める。これからも、どんな時も。貴方の思いを背負って」
その言葉に、仲間たちはそれぞれ頷いた。
それは別れではなく、誓いだった。アベルの遺言は、終わりではなく新たな始まりとして、ライアー小隊の心に刻まれた。
風が吹く。澄んだ港の空に、未来の兆しを運ぶかのように。
そして、その空のどこかで——アベルは、きっと笑っていた。