トリガーはあるお墓に来ていた。
そこは、星見家の前当主のお墓であり、星見雅の母が眠っている場所でもある。トリガーは菊の花をお墓にそえ、祈っていた。
静かに合掌し、手を合わせたままでいる。墓前に供えられた白菊が、風に揺れている。薄曇りの空の下、時間が止まったような静けさが広がっていた。
その背後に、かすかな足音が近づいてきた。
「⋯⋯私をここに呼んだのはお前か?」
背後から静かに声をかけたのは、星見雅だった。いつもの服に身を包み、冷たいまなざしでトリガーを見下ろしていた。
トリガーはゆっくりと立ち上がり、会釈する。
「はい。お時間をいただき、感謝します。自分はトリガー。防衛軍、ライアー小隊所属の狙撃手です」
雅の表情はほとんど動かない。だが、かすかに目を細めて相手を見定めるような視線を送った。
トリガーはポケットから、丁寧に包まれた小さな布を取り出した。その中にあったのは、繊細な細工が施された銀の髪飾り――かつて、星見雅の母が身につけていたものだった。
「これを⋯⋯お渡ししたくて、お呼びしました」
彼女はそれを雅の前に差し出す。雅は一歩、無言で近づき、髪飾りを受け取った。小さく息を呑むような音がしたが、涙は見せなかった。手の中で髪飾りをじっと見つめながら、尋ねる。
「⋯⋯どこで、これを?」
「⋯⋯旧都陥落の日を覚えていますか?」
「ああ⋯⋯もちろんだ。あの夜は忘れたくても、忘れられないものだ」
「旧都陥落の際、貴方を救助した治安官から預かりました」
雅はここで初めて、表情を変えた。
「私を助けた治安官と会ったのか?」
「はい」
「あの夜、助けてくれた礼を言いたい。彼はどこに?」
トリガーは少しだけ顔を伏せた。
「⋯⋯その治安官、ゼレフは――先日、亡くなりました」
風が一瞬止んだかのような、静寂が訪れる。
星見雅の目がわずかに見開かれる。だが、すぐにいつもの冷静な表情に戻り、髪飾りをもう一度見つめた。
「そうか⋯⋯そうだったのか」
その声は、かすかに震えていた。
トリガーは静かに続ける。
「彼は、貴方が生きていることに、そして貴方が人々を救う存在、虚狩りになったことに、深く感謝していました」
「⋯⋯」
「そして、この髪飾りを――貴方に渡してほしいと」
星見雅はしばらくの間、何も言わなかった。ただ、手の中の髪飾りをじっと見つめていた。やがて、ふと空を仰ぐように顔を上げる。
曇り空の隙間から、わずかに陽が差し込んでいた。
「私は⋯⋯誰かに助けられて今を生きている。その命を、誰かのために使うことしかできないと思っていた」
静かに語る雅の声には、迷いと、どこか解き放たれたような感情が混じっていた。
「でも、それを選ばせてくれたのが、あの人だったのかもしれないな。名前も顔も、ずっと思い出せなかったけど――ありがとう、ゼレフ。私を繋いでくれて」
風が再び吹き、白菊の花が揺れる。
トリガーはそっと一礼した。
「ゼレフのこと、どうか忘れないでください。彼は、ずっと誰かを救いたいと願っていた。その一端を担えたと、最後に知ることができたのです」
「⋯⋯忘れないさ」
星見雅はそう答え、そっと髪飾りを懐にしまった。
「そして――私も、彼のように、誰かに意味を遺せるようになりたい」
それは、強く、静かな誓いだった。
ふたりの間に、もう言葉はなかった。だが、その沈黙は重くも冷たくもなく、確かな絆と共感が流れていた。
トリガーは一歩、墓から離れ、背を向ける。
「では、私はこれで。使命に戻ります」
そう言って歩き出すトリガーを、星見雅はしばらく見送っていた。彼女の腰にはアベルの拳銃がかけられていた。
やがて、彼女の背中が小さくなるころ、雅は墓前に立ち直し、静かに手を合わせた。
空には、ようやく陽が差し始めていた。
その光は、冷たい雨に濡れた墓石を照らし、そして、彼女の瞳の奥にも、確かな輝きを灯していた。
旧都陥落事件。
それは多くの人が亡くなり、多くの絶望が生まれた哀しい事件だった。
泣き叫ぶ声、燃え尽きる街、壊れた日常。もう戻らない“昨日”に、誰もがすがりたくなった。
だが、それでも人々は歩みを止めなかった。
ライアー小隊、トリガー、ハヤブサ、ヴァルチャー、星見雅。かつてあの夜を生き延び、己の痛みを背負いながらも前に進んだ者たち。
彼らは、それぞれの想いを胸に、誰かを救い、誰かと繋がり、誰かを守ってきた。
ホロウ災害は終わっていない。
ゼロ号ホロウも、エーテリアスも、沈黙の奥でまだ蠢いている。
この世界は、まだ戦わなければならない。
けれど、それでも希望はあると。
——ありがとう。
あの日、諦めなかったすべての人へ。
今も戦い続けるすべての人へ。
たとえ闇がすべてを呑み込もうと——
この希望と命の光だけは、消させはしない。
旧都陥落の日⋯終わりました。
アベル生存ルートを書いた後、旧都陥落の日・Anotherを書きたいと思います。
詳細は活動報告をご覧ください