違った選択
燃え盛り、死体が散らばるエリー都、武流はそんな地獄と化した街を愛馬のオオムギと共に必死に走っていた。
ゼロ号ホロウから一度は脱出したが、軍は式輿の塔を爆破させて、エリー都を物理的に遮断する気なのだ。武流はそれをアベルとシュヴァルツに伝える為に走っていた。
「お願いだ、間に合ってくれ⋯⋯!」
もし、間に合わなければアベルとシュヴァルツ先輩、そして要救助者はゼロ号ホロウに取り残されてしまう。急がなければ、アベルの決意が無駄になってしまう。
武流は奥歯を噛み締めながら、手綱を引いた。オオムギの蹄が焼けたアスファルトを踏み鳴らし、二人は炎と煙の迷宮を突き進む。
「ここまでひどいなんて⋯⋯!」
ゼロ号ホロウは、たった十数分でさらに変貌していた。崩壊した建物の間からは新たなエーテリアスが蠢き、エーテルの密度は明らかに増している。
だが、引き返すという選択肢はなかった。
「こちら、武流! アベル、応答してくれ!」
無線機からは何も聞こえない。ホロウの影響で、無線の有効距離が縮小しているのだ。特に小型無線機への影響は顕著に出ている。
すると、突然無線機から声が聞こえる。
『ダーラン長官より、全治安官に告ぐ。諸君らの働きに感謝する。エリー都は陥落した。生き残った者は、ゼロ号ホロウからの脱出を目指せ』
「⋯くっ!」
治安局がとうとう陥落した。街を守るものは完全に無くなってしまった。今すぐにでもここから、逃げなければならない。
「アベル⋯⋯どこだ!」
焦燥に駆られながらも、武流は頭を冷やそうとする。闇雲に進んでも意味はない。アベルたちが向かった地点——確か、エリー都の中心付近だ。
武流が必死に考えていると、背後からエーテリアスたちが襲ってくる。
「邪魔するなよ! 僕は今、友だちを救うために走ってるんだ!」
だが、武流の背後からは無数のエーテリアスたちが追いかけてきていた。確かに、この街に生き残りはもう殆どいないだろう。数少ない、生き残りである武流にエーテリアスが集中するのもわかる。だが、いくらなんでもこれは異常だ。
エーテリアスたちは意志を持っているかのように、統率された動きで武流を追い詰めてゆく。
「アベル! アベル! 頼む応答してくれ!」
「ザー⋯⋯ザーザー⋯⋯」
返ってくるのは砂嵐のような音だけ。
エーテリアスたちが迫ってくる。
どうする? このまま、アベルたちの方向に向かうか? それとも、このエーテリアスたちを撒くのを優先するか?
「⋯⋯アベルたちの所に向かおう!」
撒くにしても、これだけの数を撒くには時間がかかるし、時間の余裕もそれほどない。
武流はオオムギを操り、アベルの元へと向かう。
エーテリアスたちは、まるでそちらに行かせないという意思を持つかのように、邪魔をしてくる。
武流はオオムギの腹を蹴って速度を上げた。風を切る音すら、炎とエーテルにかき消される。視界は歪み、熱と煙が敵か味方かも曖昧にさせる中で、彼はただアベルのいる方向を信じて進み続けた。
だが、エーテリアスたちはあまりにも執拗だった。ビルの瓦礫から飛び出し、黒い影を長く引きながら追ってくる。その数、五、十⋯⋯いや、二十体以上。武流の背後には、まるで闇が形を持ったような群れがつきまとっていた。
「っく、速い⋯⋯!」
オオムギの脚力でも撒けない。まるで武流の進行方向を理解しているかのように、エーテリアスたちは横から、上から、挟み込むようにして道を塞ごうとする。
「いい加減ッ!」
武流は片手を離し、サブマシンガンのMMP34を後ろに向かって乱射した。だが、弾はエーテリアスの虚ろな身体をかすめるだけで、決定打にならない。数発撃つたびに、彼の焦燥はさらに膨れ上がった。
そのときだった。目の前の道の端に、倒れた軍人と彼のそばでじっと動かず立ち尽くす一頭の馬が見えた。
「⋯⋯ッ!」
武流は反射的に手綱を引き、オオムギを横に滑らせるようにして急停止させた。背後のエーテリアスたちが一瞬追いつくが、炎の壁が彼らの間に立ち塞がり、数秒の猶予を作る。
「助かった⋯⋯!」
その隙に武流は地面に飛び降り、倒れている軍人に駆け寄る。顔は焼けただれ、名前すら分からない。だがその腕に抱かれていたのは、今の彼にとっては救世主のような装備だった。
「⋯⋯ロケットランチャー?」
それは小型で肩掛け式の簡易携行兵器だった。弾は一発分しか装填されていないが、背負いポーチに予備弾が二発ある。加えて、軍人の足元には頑丈な木製ストックのレバーアクション式ショットガン。古風だが、近距離では圧倒的な制圧力を誇る。
「これがあれば⋯⋯!」
武流は急いで二つの武器を装備し、オオムギの背に再び飛び乗った。背後ではエーテリアスたちが炎を越えて迫ってくる。
「消えろぉッ!」
武流は振り返り、ロケットランチャーの照準を定めてトリガーを引いた。
轟音と共に、地面が跳ね上がる。火と煙が巨大な竜巻のように吹き上がり、爆風が一帯のエーテリアスを吹き飛ばした。
「はあ、はあっ……!」
肩越しに見えるのは、焼け焦げた地面と、崩れ落ちた数体のエーテリアス。全てを倒せたわけではないが、数は確実に減った。
「行かないと⋯⋯さあ、君も行こう」
武流は再び前を向き、ショットガンを装備し、ロケットランチャーをリロードして左肩に担ぎながら、オオムギともう一頭の馬を駆けさせた。
瓦礫の中を越え、崩壊した広場を抜け、倒壊寸前の建物の合間を縫うようにして進む。焦げた風景に血と煙の匂いが混じり、ただそこにあるだけで心を押し潰してくる。だが、武流はもう止まれなかった。
「もうすぐ⋯⋯もうすぐ、アベルのところだ⋯⋯!」
武流の視界には、大型エーテリアスのニネヴェの姿があった。そして、エーテリアスに包囲されながらも、必死に戦うアベルとシュヴァルツの姿だ。
武流の心臓が強く脈打つ。全身の血が沸騰するような焦燥と怒り、そして安堵が同時に込み上げてくる。
——生きていた。
——まだ、戦っていた。
「アベル⋯⋯! シュヴァルツ先輩!」
目の前の光景は地獄そのものだった。焼け爛れた地面の中心に、巨大な影が不気味に揺れる。大型エーテリアス——“ニネヴェ”。それは無数の触手のようなものを生やして、都市そのものを喰らわんとするように蠢いていた。
そのニネヴェを中心に、エーテリアスの群れが渦を巻くようにアベルとシュヴァルツを取り囲んでいた。だが二人は、決して退いていなかった。
アベルは軍用剣を手に、炎を纏いながら敵を斬り伏せる。シュヴァルツは無言のまま、拳銃とナイフを振るい遠近両方に対応して戦っていた。
「間に合った⋯⋯間に合ったんだ!」
武流は喉の奥から何かがこみ上げてくるのを堪え、馬上からショットガンを構えた。
「そこをどけぇッ!!」
怒号とともに、ショットガンの銃口から炸薬が火を吹く。至近距離で炸裂した散弾が、エーテリアスたちの群れに穴を穿つ。
そのまま、武流はオオムギを全速力で突進させた。片手で手綱を操り、もう一方の手でショットガンをリロードしながら、道を切り拓いていく。背後からはもう一頭の馬が、まるで理解しているかのようについてくる。
「アベルーッ!! 来たぞーッ!!」
その声に、アベルが振り返る。驚きと、喜び、そして何よりも希望の色が彼の瞳に宿る。
「武流!? 戻ってきたのッ!?」
「間一髪だよ! でもそれはお互い様だ!」
その間にも、ニネヴェの巨大な触手が空を切り裂く。シュヴァルツが咄嗟にアベルを突き飛ばして回避する。
「話は後だ。こいつを何とかしない限り、全員死ぬぞ!」
「了解ッ!」
武流は迷わず、ロケットランチャーを構えた。照準器越しにニネヴェを捉える。
——だが、ニネヴェの動きがそれを察したかのように、体を螺旋状にねじ曲げ、強烈なエーテル波動を発した。
「くっ⋯⋯っがぁッ!」
武流は衝撃波で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。ランチャーは遠くに転がり、視界が一瞬、白く霞む。
「武流!」
アベルが駆け寄ろうとするが、その前に触手が生えて、進路を遮る。
「まだ⋯⋯終わっちゃ⋯⋯いない⋯⋯!」
武流は血の混じった唾を吐きながら、這うようにして手を伸ばす。転がるロケットランチャー。あと数メートル——。
そのとき、もう一頭の馬が彼の横に滑り込み、鼻面で武流の背を押すように動いた。
「⋯⋯ありがとう」
その小さな助けに背中を預け、武流は最後の力でランチャーを掴み、膝をついた姿勢からニネヴェへ照準を合わせる。
「お前なんかに、アベルの決意も、シュヴァルツ先輩の命も、奪わせてたまるかッ!!」
引金を引く。
ロケット弾が閃光を残してニネヴェのコアに命中し、轟音とともに爆裂した。エーテルの火花が激しく舞い、ニネヴェが大きくよろめく。
そこを武流は見逃さなかった。
「今だッ! 逃げるよ!!」
武流はオオムギにまたがり、シュヴァルツがもう一頭の馬にまたがる。アベルもシュヴァルツの後ろに乗り、三人は急いでその場から逃げる。
地獄からの逃亡劇の始まりだ。