アベルが目を覚ました時、そこは医療用のキャンプテントの中だった。
天井は簡素な帆布、周囲には消毒液と薬剤の匂いが漂っていた。シーツに包まれた自分の体は、鈍く、しかし確かに痛みを感じる。生きている——その事実が、ぼんやりとした意識の中に少しずつ染み込んでいく。
「⋯⋯僕は⋯⋯ゲホッ、ゴホッ⋯⋯」
咳き込む声に反応するように、すぐ傍から声が飛ぶ。
「アベルッ!」
目の前には、焦った顔のシュヴァルツ先輩。その後ろには、やや安堵した表情の武流とゼレフがいた。どうやら三人は交代でずっと看病してくれていたらしい。
「ゼレフ⋯⋯君も無事だったんだね」
「ああ⋯⋯なんとかな。お前も生きてて、本当に良かった」
アベルは、彼らの姿を見て微かに笑う。だが、視界に違和感があった。右目ははっきりと像を結んでいるのに、左側の世界は、まるでノイズが走ったように歪み、淡い紫のフィルターがかかったようになっている。
——左目が、もう普通ではないのだと、直感的に理解した。
「目、は⋯⋯」
その言葉を遮るように、テントの外から足音が聞こえてきた。
「アベル!!」
駆け込んできたのは、ライアー小隊の仲間たちだった。全員泥にまみれ、疲れ切っているはずなのに、顔には安堵の色が浮かんでいる。
だがその中で、アベルの目がとらえたのは——
「⋯⋯トリガー⋯⋯」
彼女だった。
髪が少し乱れ、両目に包帯を巻いたトリガーが、アケロンの力を借りて、ゆっくりとアベルのそばに歩み寄ってくる。
「アベル⋯⋯」
その声はかすれていたが、確かに生きていた。
「目はもうほとんど見えない。でも⋯⋯生きてる。貴方と、また⋯⋯話せる⋯⋯また、貴方に触れられる」
アベルの右目から、涙が溢れた。痛みも不安も、すべてその瞬間だけは溶けていく。
「それで⋯⋯それだけで⋯⋯いい。生きててくれて⋯⋯ありがとう」
トリガーは微笑み、アベルの手を優しく包み込むように握った。アベルは弱々しくも、その手を握り返した。
その直後、キャンプの医師がテントに入ってくる。白衣は埃にまみれていたが、眼差しは冷静だった。
「落ち着いたようですね。では、アベルさんの状態を説明します」
全員が静かに耳を傾ける。
「左目は、エーテルにより内部構造が変質し、“エーテリアスのコア”のような機能を持ちはじめています。完全な眼球としてはもう機能していませんが、特殊な波長のエーテルを感知する能力を得ているようです」
どうやら、左目はエーテリアスのコアと化したらしい。ということは⋯⋯。
「また、頭部からは角状のエーテル結晶が、腕からは小石程度のエーテル結晶が少し発現しています。これは、エーテル侵食が大幅に進んだ証拠であり⋯⋯」
医師は一度、言葉を止めた。そして少し、表情を曇らせながら続ける。
「アベルさんは、半分⋯⋯“エーテリアスのような存在”になりつつあります。ですが、侵食自体はすでに止まっており、少なくとも今は人間のままです」
テント内に、静寂が落ちる。
その言葉の重さに、アベル自身も息を呑んだ。
「⋯⋯僕は、もう人間じゃないかもしれない」
その言葉に対し、誰よりも早く口を開いたのは——
「違う。お前は、俺たちの仲間だ」
シュヴァルツの言葉だった。
「身体がどうなろうと、心が変わらないなら、それで十分だろ」
武流とゼレフも頷き、続けた。
「君がこの地獄で沢山の人を守り、ここまで生き延びた。それが全てだ」
「だな。誰も文句も言えねえし。非難する権利もねえよ」
ライアー小隊の仲間たちも、次々に声をあげる。
「どんな見た目だろうと、お前はお前だよアベル」
コキュートスは優しく微笑みながら、アベルの頭を撫でる。カロンも「そのとおり」と言いながら、優しい笑顔を浮かべた。
「エーテリアスは人を無差別に襲う化物だが、アベル、君は違う」
「そうそう。アベルくんが優しいのは、変わらないからな」
「だから、胸をはって生きて」
レテとコキュートス、アケロンも微笑んでいる。
「アベルくんが、今こうして生きているだけでも、僕らは十分だよ」
「貴方ほどの治安官が、内なるエーテリアスに負けるとは思えないわ」
ハヤブサは変わらない優しい声で、ヴァルチャーもゼロ号ホロウの中では見せなかった、優しい微笑みと声で語る。
言葉が、出なかった。
アベルはただ、ベッドの上で皆の顔を見回した。かつての仲間たち。血にまみれ、涙に濡れ、それでも自分の変わり果てた姿を見て、眉ひとつ動かさず、笑ってくれている。
左目がノイズのような紫の揺らめきをとらえた。だがそこに映る“光”だけは、本物だった。
「⋯⋯僕は、怖かった。侵食が始まった時、自分が何か別のものに変わっていくのが。あのとき、焼けるような痛みの中で、自分が自分じゃなくなる気がして⋯⋯」
その言葉に、誰も何も言わなかった。ただ、聞いてくれていた。
「でも⋯⋯みんながこうして受け入れてくれるなら。僕は、人としてここにいてもいいのなら——」
アベルの声に、かすかに力がこもる。
「なら、もう一度⋯⋯戦うよ。この身が何でできていようと、誰かのために戦えるなら、それでいい。たとえ半分がエーテリアスでも、僕の“意志”は、僕のものだ」
その言葉に、誰もが頷いた。トリガーもそっと微笑んで、彼の手をもう一度ぎゅっと握った。
「⋯⋯ありがとう。戻ってきてくれて」
「今度は、ちゃんと守る。君も、みんなも。何があっても、もう⋯⋯絶対に失わない」
トリガーとアベルのやり取り、全員が優しく温かく見守っていた。本来なら、ここでゆっくりとしていられるほど、落ち着いた状況ではない。だが、あの地獄から抜け出した二人にこの時間は必要なのだ。
「そうだ⋯⋯カロンさん、頼みたいことがあるんです」
「ん? なんだ?」
トリガーの傍で守りたい。だから、僕は道を変えないといけない。
「⋯⋯実は——」