とあるライブ会場、そこにゼレフと武流、そしてザンジバルがいた。ステージにいるのは、新エリー都随一の歌姫と呼ばれている女性「アストラ」である。
「アストラさーん!!」
ゼレフは他のファンと同じように、ペンライトを振りながらアストラの名を叫ぶ。隣でザンジバルも、声を張り上げていた。
「アストラさん! この世の光!!」
場内の照明が一気に落ち、静寂が訪れる。数秒の沈黙の後、幻想的な青のスポットライトがステージ中央を照らす。そこに、アストラがいた。いつものドレスに身を包み、髪が光を浴びてまるで星のように輝いている。観客席からどよめきが起きた。
「アストラさん⋯⋯!」
ゼレフは感極まって、目を潤ませていた。ザンジバルに至っては、すでに両目から涙を流している。
「⋯⋯いつ見ても美しい⋯⋯」
「うおおお、アストラ! その声で俺を殺してくれぇぇぇ!」
武流は一歩引いた位置で、そんな二人を見ていた。
「⋯⋯戦場よりもテンション上がってない?」
腕を組み、軽くため息をつきながら、観客の熱気に押されるようにして壁際に立つ。彼にとってこの手のライブは初めてで、どう反応していいか分からなかった。だが、ゼレフとザンジバルの異様な盛り上がりぶりは、少なくとも場違いではないらしい。
「当たり前だろ! 見ろあの美しい髪と目、そして全てを包み込む女神のような微笑みを!」
「エーテリアスに比べ月とスッポン⋯⋯いや、比べるのもおこがましい!」
ゼレフとザンジバルに迫られ、武流は困り顔を浮かべる。
「わかったよ⋯⋯だから、顔を近づけないで」
ライブは熱狂の渦の中で幕を閉じた。
アンコールも含めて全十数曲、アストラの歌声はまるで祈りのように会場を包み、観客の心を震わせていった。
その余韻を残しつつ、三人はライブ会場を後にし、夜風の吹く大通りを歩いていた。
「はぁぁ⋯⋯やっぱりアストラさんは、次元が違うな⋯⋯」
ゼレフは夢見心地の声で呟いた。ザンジバルも深く頷く。
「心が洗われた⋯⋯このまま世界が滅んでも、俺はもう悔いはない」
「⋯⋯それ、前も聞いたよ。戦場でね」
武流は肩をすくめ、ふたりの浮かれっぷりに苦笑を浮かべる。とはいえ、完全に白けているわけでもない。どこか、救われたような気持ちもあった。
「⋯⋯久しぶりだよね。こんなふうに、まともに『街』を歩けるのは」
武流の呟きに、ゼレフとザンジバルがふと足を止めた。
沈黙が、夜の空気に溶けていく。
「旧都陥落事件の直後は、こんな時間、こんな風に過ごす余裕なんて⋯⋯なかったよな」
ゼレフが低く言った。いつもの能天気な顔から、仮面がはがれたように真剣な表情をしている。
「陥落の日⋯⋯俺たちはあの場所で、全部が終わると思った。戦線が崩れて、ホロウに飲まれて、指揮系統もバラバラでさ」
「俺、あのとき正直――死ぬのが怖かった」
ゼレフがぽつりと漏らした。
あの日の夜、仲間が死ぬという経験を初めてした。
親友の一人である王明もカズキと共に死んでしまい、それを聞いた時は今までの人生がガラガラと崩れるような気持ちになった。
「でもさ⋯⋯あれを乗り越えて、こうしてアストラの歌が聴けるってだけで、生き延びた価値はあったな」
「⋯⋯バーカ」
武流は、口元を少しだけ緩めた。
「アストラの歌じゃなくても、生きてる価値くらい、あったでしょ」
「そうだけどさ。やっぱり“音楽”って、戦場じゃ聴けないだろ。人の心が平和じゃないと、生まれないんだろうな、ああいうのって」
しばし、三人は黙って歩く。
旧都は失われた。だが、こうして新しい街で、新しい光が生まれている。生き延びた人々の大半は、何かを失い、絶望し、悲しみにくれていたはずだ。けれど、いつか平和に笑って過ごせるという希望を信じ、新エリー都を建設した。
ならば、自分たちがその希望を守らなければいけない。
旧都で仲間たちが命をかけて守った人々を守り、次世代に受け継がなければならない。
やがて三人は、大通りを抜けて小さな公園に辿り着いた。夜風が木々の葉を優しく揺らし、街灯がぼんやりと地面を照らしている。武流がベンチに腰を下ろすと、ゼレフとザンジバルも隣に座った。
しばらく、誰も何も言わなかった。静かな時間が流れ、遠くでアストラの歌を口ずさむファンの声が微かに聞こえてくる。
「なあ、武流」
不意に、ゼレフが言った。
「俺たち、ちゃんと守れてるのかな。新しい街も、人々もさ。あの日、命をかけてまで旧都を支えた仲間たちに、胸を張れるかな」
その問いに、武流はすぐには答えなかった。
空を見上げると、都会の光に隠れた星が、かすかに瞬いていた。
「⋯⋯わからないよ。正直、僕だってまだ迷ってる。何が正しくて、どこまでやれば“守った”って言えるのかなんて、答えはない」
彼の声は、夜に溶けていくように静かだった。
「でもね――」
武流はゆっくりと顔を下げ、ふたりの方を見る。
「今日、君らと一緒にアストラの歌を聴いて。笑って、泣いて。こんな時間があること自体が、たぶん“守れてる証”なんじゃないかって思った」
ゼレフとザンジバルは目を見開いた。
「⋯⋯そっか」
ザンジバルがぽつりと呟いた。
「俺たちは、ただ戦うだけじゃなくて――こういう時間を大切にしなきゃいけないんだな」
「そう。戦場で失ったものを、少しずつでも取り戻すために、生き延びたんだから」
武流の言葉に、ゼレフが笑った。
「お前、いいこと言うじゃん。らしくないな!」
「うるさいよ、バカ」
三人は、笑い合った。
その笑い声は、小さく、しかし確かに――
戦火を越えて生き延びた者たちの、再出発の音だった。
ふと、ゼレフが夜空を見上げ、懐から小さなメモ帳を取り出す。
「なあ、次の休みにさ……またライブ行こうぜ。今度は、ロンも誘って、もっと前の席取ろう。最前列とかさ!」
ザンジバルが目を輝かせて頷く。
「よっしゃ! アストラさんの吐息すら浴びられる距離だな! 生きてて良かった!!」
武流はため息をつきながらも、肩を揺らして笑った。
「⋯⋯戦場より厳しい戦いになりそうだね。チケット争奪戦」
「それでも戦う価値はあるだろ!」
その夜、彼らの笑い声は、静かな公園の片隅でしばらくの間、消えなかった。
そしてその翌日から――
再び、彼らはそれぞれの「戦場」へと戻っていくことになる。
だが、あの夜の記憶は。この日の夜と共に、心のどこかに確かに残り続けるだろう。
希望とは、灯火のように消えかけるものではない。
それは、生き続ける者たちが繋ぎ、守っていく光だ。
だから彼らは、歩き続ける。
旧都を越えて、新たな未来のために。