旧都陥落の日   作:IamQRcode

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各々の夜③

 

 治安局

 

既に定時を過ぎた治安局は、最低限の明かりと人員しかいなかった。オフィスの灯りはまばらで、廊下には足音ひとつ響かない。そんな静寂の中、ロンは屋上に立っていた。

 

 近くのカフェで買ったホットコーヒーを啜りながら、遠くに佇むゼロ号ホロウの影を見つめていた。

 

「もう十年か⋯⋯」

 

 旧都陥落事件から十年が経った。

 

 あの夜の惨状は、今も脳裏に焼き付いている。まるで地獄だった。空を裂く悲鳴、地を這う炎、制御不能となったゼロ号ホロウ。それに呼応するように侵攻してきたエーテリアスの群れ。無線は沈黙し、通信網は途絶え、市民の声は助けを求めながら闇に飲まれていった。

 

 ――あの夜、旧都は音を立てて崩壊した。

 

 生き残った者の中で、あの地獄を真正面から見た者は、今や数えるほどしかいない。ロンもまた、その一人だった。

 

 ロンはふと、手に持った紙コップを見つめる。あの時、自分の手は震えていた。仲間を見殺しにして逃げることになると、わかっていながら。

 

 ――ケビン先輩、バン先輩。

 

 ヘリの搭乗口から手を振っていたふたりの先輩の姿が、今もまぶたの裏に焼き付いている。

 

 あの夜、二人がいなければ自分と兄は生きてはいなかっただろう。

 

—「お前らが生きれば、いつかこの事件の原因も解明する!」

 

—「俺たちはそれで充分だ!」

 

 今も二人の言葉は覚えている。 

 

 そして、笑っていた。あの絶望の淵で、誇りと覚悟を抱いて。

 

 あの瞬間、ヘリのハッチが閉まり、浮上を始めた機体の下で、ケビンとバンは背中合わせに並び立っていた。迫りくるエーテリアスの群れ、這い寄るゼロ号の影。それを迎え撃つ二人の姿は、最期まで誇り高く、そして哀しかった。

 

「⋯⋯充分なんかじゃないですよ、先輩」

 

 ぽつりと漏れた言葉は夜風にさらわれた。コーヒーはすっかり冷え、ロンの指先もまた、あの時と同じように冷たくなっていた。

 

「警部、こんなところにいらしたんですね」

 

 背後から聞き慣れた声が響く。振り向くと、制服のままの朱鳶が立っていた。手にはタブレット端末。いつもの几帳面さが滲み出ている。

 

「⋯⋯朱鳶か。お前がこんな時間まで残ってるとは、珍しいな」

 

「提出用の報告書、まとめ直してて。それに⋯⋯今年で十年目ですよね。旧都陥落から」

 

 朱鳶は隣に立ち、ロンと同じようにゼロ号ホロウを見つめる。二人の視線の先には、かつて旧都を蹂躙した災厄が今も眠っていた。

 

「当時はまだ学生でしたけど⋯⋯家でニュースを見て、泣きました。助けを求める人がいて、それに応えようとした治安局の皆さんがいて⋯⋯だけど、誰も止められなかった」

 

 朱鳶の声は静かだった。感情を込め過ぎず、それでも敬意がにじむような口調で。

 

「私は⋯⋯あの夜の映像を見て、決めたんです。誰かが向き合わなきゃって。生き残った人たちが黙ったままだと、何も変わらないって」

 

「⋯⋯そうか」

 

 ロンはかすかに笑った。わずかに、目元に柔らかさが戻る。

 

「お前がそう言ってくれるだけで、死んだ先輩らも報われるだろうな」

 

 二人は言葉を交わさぬまま、しばらくの間、ゼロ号ホロウを見つめていた。かつて制御不能となり旧都を蹂躙した巨影は、今や研究機関と防衛軍の厳重な封印のもと、監視し封じられている。その姿はかつての恐怖を思い起こさせるには充分だった。

 

 静かに、だが確かに、まだ“終わっていない”という存在感を放っていた。

 

 朱鳶がそっと口を開いた。

 

「先輩方の記録、読ませていただきました。戦闘ログも、最後の通信記録も⋯⋯全部」

 

「⋯⋯読んだのか。重かったろ」

 

「はい。でも、知っておきたかったんです。あの人たちが、どういう想いで最期を迎えたのか。誰かが覚えていないと、ほんとうに“なかったこと”になってしまうから」

 

 ロンは小さくうなずき、持っていた紙コップを手すりの上に置いた。すでに中のコーヒーは風に冷やされ、飲む気も失せていた。

 

 ふと、朱鳶の肩がそっと自分の肩に触れた。寄り添うようなその距離に、ロンはわずかに目を見開くが、拒むことはなかった。

 

「警部。あなたも、ずっと苦しかったんじゃないですか?」

 

「⋯⋯さあな。もう慣れたと思ってたけど⋯⋯この時期になると、どうしても思い出す」

 

 それは、誰かに分かってほしかったのかもしれない。あるいは、自分自身に言い聞かせるような独白だった。

 

「俺は⋯⋯あの夜、逃げたんだ。ケビン先輩とバン先輩を置いて。でも、それでも生き残ったから、俺にはやらなきゃいけないことがある。――あれを、終わらせなきゃならない」

 

 ゼロ号ホロウ。その存在は、ただのホロウでも災厄でもない。あの夜を引きずり続ける者たちにとっては、「終わっていない物語」の象徴だった。

 

 記憶、痛み、約束、そして罪。

 

 全てがあの中で眠っている。

 

「私、支えます。警部がどれだけ重いものを背負っていたとしても、それを一人で抱える必要はありません。私は⋯⋯あなたの背中を、追いかけてここまで来たんですから」

 

 朱鳶の瞳には、確かな意志が宿っていた。それは哀れみでも同情でもない。過去に向き合い、未来に立ち向かう者の覚悟だった。

 

 ロンは静かに笑った。

 

「お前は、強いな」

 

「いえ、私もまだ震えてます。でも、それでも⋯⋯前を向ける人のそばにいたいんです」

 

 二人の影が、夜風に揺れて並ぶ。

 

 遥か下の街には、穏やかな光が広がっていた。子どもが眠り、大人たちが帰路につき、明日が来ると信じて暮らしている世界。それこそが、あの夜に散った命たちが繋ごうとした未来だった。

 

 あの夜に失われた命も、夢も、絶望も。すべてを未来へ繋げるために、今の自分たちがある。

 

「⋯⋯さあ、戻るか。報告書、まだ終わってないんだろ?」

 

「はい。でも⋯⋯もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」

 

「ああ。構わんよ」

 

 そう言って、ロンは肩にかかる朱鳶の重みに、ほんのわずか寄り添い直した。

 

 沈黙は、やがて夜空の星と風の音に溶けていった。

 

 

 

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