昭和13年夏。大日本帝国海軍練習艦隊は、大西洋を横断しアメリカ東海岸へ向かった。
波静かな海を南米大陸の沖合から北上し、バージニア沖で大きく舵を西に切ると、蒸し暑い風が甲板を吹き抜ける。前方にうっすらと陸影が見えた時、艦上の空気が変わった。水兵たちは一斉に帽子を整え、士官たちは階級章を正し、慎也も制帽のつばを下ろして直立した。
初の訪問地はノーフォーク海軍基地――米国海軍大西洋艦隊の拠点である。そこには無数の艦影が浮かんでいた。戦艦、巡洋艦、駆逐艦……巨大な船体に、大日本帝国の士官候補生たちは言葉を失った。
「これが……アメリカの海軍力……」
慎也は唇を噛んだ。大日本帝国も大国を自負するが、規模では米海軍に一歩劣る。艦の数、ドックの広さ、兵站設備、補給インフラ――どれを取っても、無駄がなく整っていた。
着岸と同時に、艦内には米軍の将校団が乗り込んできた。笑顔をたたえた歓迎の挨拶に、通訳を介して返礼を述べる。慎也たちは分隊ごとに数名ずつに分かれ、米軍基地の施設を案内された。
工業力の壁を突きつけられたのは、基地内の造船所を視察したときだった。
鋼鉄の塊がベルトコンベア式に次々と加工され、巨大な旋盤が火花を散らす。見学通路の下には、20メートルを超えるタービン軸が回されていた。軍艦の主機関、艦体、武装が、分業と標準化のもとに次々と組み立てられていく。
「これは……ほとんど、軍艦を“量産”しているのか……?」
出雲皇国では、軍艦建造は匠の技と時間を要する“職人芸”だ。だが、ここでは違った。管理された部品体系、流れるような作業工程。戦争が長引けば、この差が響く――慎也は背筋が冷えた。
基地訪問後、士官候補生たちはニューヨークへ移動し、市街見学を許された。摩天楼が林立する街並みに、彼らは圧倒された。
「高い建物が……果てしない……」
「道路がどこまでも真っすぐだ。しかも舗装されてる……」
五番街を走る自動車、自動ドア付きの百貨店、電気で動くエレベーターと冷房。慎也たちはまるで異世界に来たような感覚にとらわれた。
だが、最も彼らを驚かせたのは、“市民生活の豊かさ”だった。
人々が笑い、余裕を持ち、自由に時間を使っている。カフェでは新聞を読みながら談笑する紳士がいれば、書店では子どもが絵本をめくっていた。学校帰りの少女たちが芝生に寝転び、ラジオからは流行音楽が流れる。
「この国の強さは、兵器の数や船の大きさだけじゃない……市民そのものが、豊かで、自信に満ちている」
慎也はそう思った。アメリカという国は、巨大な市場と工業力を背景に、国民全体が“戦争をするための余力”を持っている。技術は市民に還元され、生活の中に浸透している。そのことが、何よりも衝撃だった。
翌日は、**ワシントンD.C.**で公式レセプションが開かれた。会場は海軍関係者のほか、議会や政府の要人も出席していた。大統領代理が挨拶し、慎也たち士官候補生は、各国の未来を担う若者として、満面の笑みで迎えられた。
だが、言葉の裏に含まれた“友好と抑止”の二面性に、慎也は気づいていた。
「歓迎しているが、こちらの規律と練度を見極めている」
列席した将官の眼差しは、敵としての評価を含んでいた。慎也もまた、米軍の士官学校出身者の姿勢や作法を観察した。どの士官も腰が低く、理知的で、控えめに振る舞う――だが、どこか根底に“揺るがぬ自信”がある。
「慢心ではない。裏打ちされた強さだ……」
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寄港の終わりが近づく頃、慎也たちはボストン港に立ち寄った。学術都市として名高く、ハーバード大学やMITも視察の対象となった。
大学の構内には外国人学生が多く、黒人や女性も自由に学んでいた。
「我が国では、大学は一部の特権階級のためのもの。だが、ここでは知が開かれている」
機械工学の実験室では、学生たちが小型の内燃機関を自ら分解・再構成し、性能改良に挑んでいた。軍属でない一般学生が、ここまで自由に技術に触れているとは……慎也の中で“知の裾野”という概念が根底から崩れた。
「戦争になれば、こうした技術力と動員力が一気に形になる。恐ろしいことだ……」
慎也は、帰りの艦内で日誌を開いた。
――見たもの、触れたもの、全てが衝撃だった。
だが、我らが皇国も負けてはならぬ。技術を学び、練度を高め、精神を研ぎ澄まし、真に備えなければ。
彼らの“文明”に呑まれることなく、誇りを持って立ち続けねばならない。
艦が出港し、自由の女神が遠ざかっていく。その姿に、慎也は静かに敬礼を送った。次なる目的地は、南へ――パナマ運河を経て、アメリカ西海岸である。
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