【完結】這いずり、泥を啜って…… 【最後まで人外転生】 作:大洲やとこ
少女はアヴィと言った。
聞き出せるわけではない。少女が自身をアビーと呼称することを理解するまで数日を要した。
アヴィ。
首輪がなくなってからは、少し人間らしさを取り戻したようで、ゲイルに向かって話をするようになった。
ゲイルが答えることはないので、ほとんど独り言のようだったが。
それでもアヴィの言葉に理解を示す動作をすると、嬉しそうに話を続ける。
彼女の知識はそれほど多くないらしく、同じ話を何度も繰り返す。それがゲイルには都合がよかった。
「アヴィたち
ここ、というのはこの洞窟のことではないだろう。
「女神と魔神が戦ったこの土地に住んでいた」
途中の単語については怪しかったが、時折身振りを交えて話してくれるおかげで理解が進む。
「ずっとここは清廊族の場所だった。海の向こうから人間が来るまでは」
呼び名が少し違う。男どもがアヴィを呼んでいた言葉と若干響きが違った。
蔑称だったのだと解釈する。
「人間は数が多く成長が早い。中には異常に強い者もいる。だから清廊族は人間に支配された」
そうして奴隷になっていたのだという話だった。
アヴィも、他の奴隷の清廊族から聞かされた話らしい。人間への恨みを積もらせて語り継がれる歴史。
ゲイルにとってはどちらも別種族の話なので、異種族間の争いの結果だとしか思わない。
仮にそのどちらが同族――ゲル状生物の種族だったとしても、あまり感情移入はしなかっただろうが。
とりあえず地上の歴史背景については多少理解できた。知ったからどうするわけでもないが、知っておいて損はない。
やはりアヴィを拾ったのは正解だった。
自分の行動を正当化する為にそう結論付けたいだけなのかもしれないが。
誰に対して正当化したいのか。
ゲイルの体内から這い出して、少しだけ離れた場所で落ち着かない様子でしゃがみ込むアヴィの気配を感じながら自嘲する。
アヴィは普通の動物的な生き物なので、食事をすれば排泄もする。
無意識に排泄――つまりおねしょなどをゲイルの体内でしてしまっていることもあったが、意識があれば羞恥心のある行動をするのだ。
一度、あまり離れた場所にいって蝙蝠に襲われたことがあった。
慌てて逃げながら漏らしてしまってから、ゲイルの姿が見える範囲までしか離れないことにしたらしい。
もっともゲイルには視覚がない代わりに鋭敏な触覚があり、音も臭いも全て感知できてしまうのだが。
(……その辺は見ない振りをしてあげるのも大人の役割だな)
別にゲイルの体内でしてしまってもいいのだが。他の人間や動物を食べる時にも一緒に消化吸収しているのだし、それらへの嫌悪感を比較するのであれば問題はない。
母猫は、赤子の存在を隠す為にその糞尿まで食べてしまうのだとか。
それと一緒だと思えば生物的に至極自然な営み。
(って母猫じゃねえけど)
用が済むと、アヴィはゲイルの粘液状の体内に戻ってくる。
服は、最初に着ていた
他の人間の服を保存しておけばよかったのだが、すっかりゲイルが消化してしまった。植物性の繊維だったので。
洞窟内の気温は低いので襤褸切れ一枚では寒いのだろう。そう思ってゲイルも自身の体温を少し高めに意識する。
ゲルに包まれて眠る少女。ウォーターベッドというところだろうか。
安心したように眠るアヴィを包むゲイルの心中も穏やかだ。
どちらもこの世界では生きづらい存在が、暗い洞窟で寄り添って生きる。
その先に救いはない。救われる道がない。彼女が幸せになる可能性はなく、時間だけが過ぎていく。
ゲイルにとってはアヴィの存在は温もりと言ってもいいのかもしれないが、かといって彼女をこのままこんな場所に繋いでいるのがいいのかと言われれば、違う。
こんな穴蔵生活を続けさせることが幸福だとは思えない。快適な生活は出来ないし、決して安全な場所でもない。
いずれ離別か、そうでなければ死別か。
(あるいは一緒に死ぬか、だな)
それも悪くないと思ってしまう。それが何より救えない。
◆ ◇ ◆
「たぁっ!」
アヴィの持つ剣がメラニアントの胸部と胴の継ぎ目辺りを貫くと、ばたついていた足がころりと力を失った。
狩り。
メラニアントの可食部は少ない。
アヴィにとってはという意味で、ゲイルはそのアリの全体を食べてしまうから関係ないが。
倒すと体内に小さな石――魔石と呼ばれるエネルギー結晶が出来ることはわかっている。
やはり一定以上のエネルギーのあるモンスターでなければ出来ないし、あまりに死体がひどく損壊すると出来ないらしい。
また寿命などで命が尽きた場合も同様。
エネルギーを食するゲイルには、その流れが感知できるようになっていた。
ほんのわずかに、結晶化せずに漏れたエネルギーがアヴィに流れ込むのもわかる。魂のエネルギーを奪っているような。
非常に微量だ。コンマ1%未満。
千匹以上倒せば一匹と同等のエネルギーを吸収したことになるのかもしれないが、気が遠くなる話だった。
群れをあらかた片付けて、最後の一匹だけをアヴィに任せているこの現状では。
それでも、拾った当初に比べれば強くなりつつあるのは間違いなかった。
「母さん、どうだった?」
自慢げな様子のアヴィに、ゲイルは少しだけ体を膨らませて見せる。
見ていたよ、とか、上手だったとか、そんな肯定的な意思表示として。
危なくないようにメラニアントの手足はゲイルが捕まえていたのだが、それでもアヴィの剣で仕留めたことに満足の意思を示した。
アヴィの剣というか、アヴィを奴隷として使役していた男の剣だが。もうアヴィの剣ということでいいだろう。
道具に罪はない。アヴィの首輪もそうだったが、この剣も何か不思議な力を宿しているようで、切っても切れ味が落ちないし妙に頑丈だ。
良い拾い物だっただろう。
魔法も使えないかと魔法使いの道具も使わせたが、小さな火を出すのが精一杯だった。
焚火を作るくらいの役には立っている。
ゲイルはともかく、アヴィは生肉や腐肉を食うわけにはいかない。
洞窟内はあちこち隙間があるようで、多少火を使っても酸素が欠乏するようなことはなかった。
ゲイルが最初にいた水中のような下層では、有毒なガス溜りなどあるかもしれないと思い、やや上の階層で活動するようにしている。
「魔石、あったよ」
アヴィが仕留めたメラニアントから魔石を引き摺り出してゲイルに差し出す。
そんなことをしなくても丸呑みしてしまうのだが、アヴィなりのお手伝いなのだとして有難く受け取った。
娘がいたらこういう感じなのだろうな、と。
母さんと呼ばれるせいで、本当にそんな気持ちになりつつある。
まあ、悪い気分ではない。
アヴィがいることでの精神面での変化と共に、ゲイルの活動にも変化がもたらされる。
どこにでも自由にはいけない。
ゲイルと違ってアヴィの体は形があるので、下手なことをすれば傷ついてしまう。
小柄なアヴィが通れる通路を選び、もし下に流れる必要があれば落差が少ない場所を選んでゲイルがクッションとして衝撃を受け止めた。
少しの間であればアヴィに息を止めさせて、彼女が身動きしづらい狭い穴の中をゲイルに包んで滑るように流れることも出来る。
そうした移動制限の問題と、食料問題。
アヴィが食べられるような生き物を定期的に狩らなければならない。
数が減ったとはいえメラニアントはまだ多いのだが、アヴィが食べられるのは筋っぽい部位だけ。
殻は食えない。
(不便なものだな)
メラニアントの筋を、小さな魔法の火で炙って食べている彼女を見ながら思う。
脆弱な生き物だ。
アヴィが悪いわけではない。こんな環境で不満も言わずにたくましくやっている。
だがやはり、彼女はこの洞窟で暮らすような生物ではない。
こうしてモンスターを狩ることで彼女がさらに強くなるのであれば、いずれは独力でも生きていけるようになるのではないか。
ゲイルの隣で硬いアリの筋肉を噛み千切ろうとしているアヴィを見ながら、そんな日が来ることを願えないのは、母親失格かもしれない。
(だから母さんじゃないんだろ、って)
◆ ◇ ◆