【完結】這いずり、泥を啜って…… 【最後まで人外転生】 作:大洲やとこ
魔法攻撃を諦め、置いていた剣を手に立ち向かう。
自分の倍以上の体躯から振り下ろされる鋭い剣のような腕を、全身全霊で打ち払う。
右へ、左へ。
小さな体で、必死に防ぎながら叫ぶ。
「母さん! 母さん!」
母を呼ぶ声。
こんな穴蔵にお前の母はいないだろうに、懸命に呼びかける。
その小柄な敵を叩き潰そうと振るわれる王の剣。
受けられているのは、その王の剣閃も万全ではないからだ。
動きが鈍い。
寒さで体節の動きが十分ではない。だから振るう剣速が当初より遅い。
アヴィの魔法は無駄ではなかったといことか。
最初の剣閃を見ていたからだろう。それより遅い剣だから対応出来ている。
(さすが、自慢の娘だよ……)
薄れる意識の中でそう思う。
ひび割れる体。
さっきから上から踏んでいる六本の足が、凍り付いた体を踏み砕いていく。
どこまでが自分の体なのかわからない。今の状況をどういう手段で把握しているのかもわからない。
それでもわかる。聞こえている。
いつもより鈍くぼんやりとだけれど。
「母さん、しっかりして!」
アヴィが、自分を呼んでいることはわかっていた。
(母さんじゃねえけど、な)
一呼吸の溜め。
その瞬間をアヴィは見逃さない。
「だああぁっ!」
彼女の剣がカイザーアントの肘あたりの体節を貫いた。
だが体格が違いすぎる。アヴィの倍以上の大きさのカイザーアントには、
痛みで逡巡することもない。痛覚というものがない生き物。
「ギィィィィィッ!」
カイザーアントの口が細かく動いた。
「シィアァァァァァッ!」
霧吹きのように、その口から異臭を伴うガスのようなものが放たれた。
「くっ!」
突き刺した剣を離して、顔を庇うアヴィ。
吸い込んだら命に関わるかもしれない。特に目や口はアヴィにとって重要な部位だ。
ゲイルのように体のどこでも犠牲にしていいわけではない。
「ギィ!」
それで終わりではなかった。
カイザーアントの両手の剣が、激しく擦り合わされる。
ノコギリを激しく擦るように、強く、素早く。
(摩擦……熱!)
カイザーアントは、自分の種族をここまで追い詰めた敵に対して、我が身を構わずに倒すための手段を取ろうとしている。
(アヴィ!)
発火した。
「かふぁっ!」
ボムッという音と共に炎が広がり、周囲に熱が拡散する。
ほんの一秒に満たないことだが、熱風が通り過ぎた。アヴィの小さな体を軽く吹き飛ばして。
「う、ぐぁ……」
倒れて呻くアヴィと、爆熱で少し焦げつつも立ち尽くすカイザーアント。
肘の辺りに剣がささったままだが、それを気にせずふるふると腕を上げる。
勝利を示すかのように。
その腕に、粘り気のある液体を巻き付けたまま。
(殺す!)
溶けたのだ。熱で、溶けた。
凍ったゲイルを踏み砕きながらアヴィと戦っていたカイザーアントは、ゲイルの真上にいた。
爆熱で溶けながら、砕かれていた体組織と繋がりながら、ゲイルはそのゲル状の体をカイザーアントに巻き付けていた。
(よくもアヴィを!)
体の半分くらいは残っていない。だが関係ない。
クソったれなアリの体に取り付いたゲルを全力で締め上げながら、隙間から体内に入り込む。
アリの重要な臓器を、呼吸器を、脳を掻き回した。
ゲルの体を体内に侵入させれば堅い外殻など関係がない。
(こいつ……なんてどうでもいい!)
息絶えたかどうか確認するよりも先に、吹き飛ばされたアヴィの下に駆け寄ろうとそれから離れる。
這いずる。
アヴィの呻く場所まで、全力で這いずる。
遅い。遅い遅い遅い!
今までさんざん自分の動きが鈍く遅いと思ってきたが、今日は中でも最悪に遅い。
凍ったり熱されたりで遅いのか。そうではない、いつもと同じだ。
だけどその速度は、アヴィの下に辿り着くまでの時間は、ゲイルを激しく苛立たせる。
「ぁ、ひぅっはっ……」
アヴィの体が痙攣している。
口を大きく開けて、爪で胸の辺りを掻きむしるようにして痙攣を繰り返していた。
(呼吸できてない!)
辿り着いたゲイルは、何も考えられなかった。
何も考えずに、アヴィの口の中に体を押し込む。
気道を確保しなければ。
突っ込んだ体を筒状にして空気を送り込む。
熱風を吸い込んで気管支が火傷のようになっていた。
とにかくそれを治す、癒す。
(しっかりしろ、アヴィ! ゆっくり呼吸を)
声をかけたいのに、ゲイルの体に発声器官はない。
どうしてだ。
アヴィはあんなにゲイルを呼んでくれていたのに、ゲイルはアヴィに声もかけてやれない。
苦しんでいるのに。こんなに苦しんでいるのに。
こんなゲル状生物でなければ、もっとアヴィに何かしてあげられたのに。
魔法が使えたら、治す魔法が使えたら。
ゲイルは、涙も出ない体で嘆きながら、己の身を呪いながら、愛する娘の体を癒すことだけをやめなかった。
「……かあ、さ……」
どれくらい経っていたのだろうか。
(アヴィ!)
身を震わせて応える。
「……喉、乾いた」
よかった。
よかった、本当に良かった。
アヴィの要求に従って水を出す。
ただ体が砕けたりしていたので、残っていた水は少なかったが。
それでも、我が身を絞ってでも水を与えると、アヴィはゆっくりとそれを飲み下した。
体を起こして、二度、三度と呼吸をする。浅く、浅く、それから深く。
そうして小さく頷いて、ゲイルに向かって笑いかけた。
最高に可愛い笑顔で。
「聞こえてたよ。母さんの声」
そんなはずはないのに。
優しい子だった。
◆ ◇ ◆
熱風に晒されたものの、温度そのものはそこまで高温ではなかった。
衝撃での傷や所々の火傷を癒しながらアヴィに休息させる。
カイザーアントはもう動かない。無我夢中のゲイルの攻撃で息絶えていた。
戦いに敗れた王の亡骸を食らう。
小さくなってしまったゲイルの体だが、カイザーアントの死骸を消化、吸収するとある程度まで回復する。
どうやらこのゲルの体は、過去に成長したところまでは増加しやすくなっているらしい。
伸びたパンツのゴムとでもいうのか。
食事しつつアヴィの体の傷を隅々まで治そうとするゲイルに、もどかしそうに身を
へその辺りの擦過傷を癒していたので、くすぐったかったのだろう。
「もう大丈夫だってば」
そうは言われても心配なのだ。
ゲル状の体と違ってアヴィの体は傷つくし、部位によっては重要な場所もある。
せめて見える部分の傷だけは万全にしておきたいと思う親心だと。
(……もうすっかり親だな)
「心配しすぎだよ、母さん」
心中で嘆息するゲイルと、呆れながらも嬉しそうに笑うアヴィ。
カイザーアントの残骸を処理しているうちに、今ほどの死闘を忘れていつも通りの様子で笑った。
死にそうだった。ゲイルもアヴィも。
未知の敵との戦闘で死にかけた。どの手が良くて、どの手が悪かったのか。全て悪手だったと。そもそも安易に踏み込むべきではなかった。
生きているのは運が良かったのと、強引な力技で生き延びただけ。
(力技、か)
そうするだけの力は、身についていたということになる。
やはりゲイルは弱くはない。アヴィにしても、この洞窟内では弱い存在ではない。
今のカイザーアントのような敵が複数いたら、その時は逃げの一手だが。
女王アリの居室内に、もうカイザーアントの気配はなかった。
岩陰から出てきたメラニアントを処理するのは容易い。時折、地面をのたうつような幼虫もいたが、これも問題にならない。
敵を片付けながら奥に向かう。
「これが……」
巨大な腹を抱えたクイーンアント。
むしろ腹からちょっとだけ胸部と頭が出ているというそんな風にも見える。
メラニアントは黒い体をしている。カイザーアントは赤かった。それに対してクイーンアントは緑色の塊だとアヴィが言った。
産む卵も黄緑色だと。
楕円形をしていて、ぬめりと共に排出されていく。
本来なら排出された卵をしかるべき寝床に運ぶ働きアリがいるのだろうが、既にゲイルたちが片付けてしまっていた。
ただ地面に転がる卵と、歯を鳴らしながらゲイルたちを見据えるクイーンアント。
「……」
言葉はない。
ゲイルよりも高い場所から、ゲイルとアヴィを見下ろして、何の感情も示さずに蠢いている。
何も出来ないようだ。巨体すぎて身動きが取れない。
そんな女王アリの姿を見て、ゲイルは思う。
(このまま生かして、産まれてくる子供を殺し続けたら)
力を増すことと、食料の確保が楽に両立できるのではないか。
そんな考えが浮かんでしまったゲイルを、アヴィがどうしようかと見上げていた。
アヴィの赤い瞳がゲイルに答えを求める。
瞳の色はアヴィが言っていた。清廊族はだいたい黒髪赤目なのだと。
彼女の姿はゲイルには視認できないが、母にどうしたらいいか尋ねる仕種なのはわかった。
(……違うな、そういうのは)
子を産ませて殺し続けるなんて、いくら外道に落ちた身でも一線を越えている。
生き物としてすべきことではない。
(……)
違う、そういう
ただ単に、アヴィにそんな姿を見せたくないだけだ。
ゲイルだけだったら選んでいたかもしれない。
産ませて食う。自分の力を増す為に効率的な方法として。
底辺を這いずり泥を啜って生きるモンスターだ。下衆な行いだと誰が
そんなゲイルを見るアヴィの目は、どんな色を浮かべるのだろうか。
濁って、くすんで、冷たいものになってしまうのではないか。
アヴィの目がなければ、心の芯まで外道な魔物に堕ちていた。
だからこれでいい。
アヴィの手に魔法の武器を持たせた。
「……うん、わかった」
賢い子だ。やるべきことを理解して、武器を構えた。
冷たい息吹が女王アリを包む。
カイザーアントと違って抵抗する術がない。巨大な体をゆっくりと凍らせながら、その命の火を消していった。
(アヴィがいてくれてよかった)
死にゆく女王アリを見届けて、ゲイルはそっと頭を下げた。下げる頭はなかったから体を小さくした。
アリたちの母の最期を見送る、アヴィの母の心境で。
(母親じゃないけどな)
◆ ◇ ◆