【完結】這いずり、泥を啜って…… 【最後まで人外転生】 作:大洲やとこ
夜明け近くまで外でアヴィと話をした。
もちろんゲイルが聞き手、アヴィが話し手。
アヴィは、物心つくかどうかという頃に集落ごと人間の手に落ちて、それからずっと奴隷だったのだという。
それにしては不思議と知識があるようにも思う。夜空を見ながら、地動説を知っていたような話しぶりだったので。
清廊族では一般的なのか、そもそもこの世界では常識なのか。
他にも、布を作っていた時の様子がリリアンのようだったとか。
リリアンなんて言葉がこの世界にもあるのだと妙な関心を抱く。
夜空の下で、いつもより少しお喋りなアヴィと過ごしているうちに、それまで悩んでいたことなどすっかりどうでもよくなってしまっていた。
くだらないことで、どうしようもないことで何を落ち込んでいたのか。
ゲイルがどう思ったところで、アヴィは今が幸せだと言って笑う。それ以上は必要ない。それより大事なことはない。
少しぎくしゃくしていた関係が元通りに、それ以上に強く繋がった気がした。
だから、たぶんこの為に外に出たのだという結論で良しとしよう。
そう思って二人で洞窟の奥に戻ろうとしていたのだが。
「? かあさ――」
喋りかけたアヴィの口を塞ぐ。
まだ入り口からそれほど遠くない場所。ゲイルの動きが遅いので、急いでみても遅々として進まない。
近かったから察知出来たとも言えるが。
(誰か来たな)
入り口付近に複数の生き物の気配がする。
モンスターなら、メラニアントのような群れで行動する生き物でなければ、同時に複数が現れるということは少ない。
人間だろう。人間の冒険者だ。
数は四人……五人か。
足音の感じからして、一人は素足のようだ。音が静かですぐにわからなかった。
素足というのも妙だ。こんな場所に素足で?
(どうしようか)
もともとはアヴィの衣類を調達できたらという目的で上まで来たのだが、その辺は今はどうでもいい。
また神洙草とやらを採取して帰るだけなら、別に構わないかと思っていたのだが。
――魔物の気配がないわね。
女の声が響いた。
洞窟内のモンスターの多くはゲイルたちが狩ってしまったので、生息数が少なくなっている。
メラニアントにいたってはほぼ絶滅だ。まだどこかに生き残りがいるかもしれないが。
(まずいかな)
安全だと思えば入ってくるかもしれない。
ゲイルの移動速度では追い付かれてしまうだろう。人間の入れないような隙間に潜り込んでしまえばやり過ごせるが、アヴィがいる。
(アヴィだけ先に逃がして、どこかで奇襲を……)
洞窟内では敵なしのゲイルだとしても、別に戦闘能力が非常に高いというわけではない。
あくまで自分の特性を活かすことで他の生物より有利に立ち回っているだけ。
人間であれば、そういうゲイルの特性に対応する術を持っているかもしれない。
状況は常に最悪を想定しよう。ゲル状のモンスターの討伐を得意としていて、魔法や神洙草などの道具も持っていると。
その条件で五人の人間を相手に勝てるかと言われたら難しいと思える。
ゲイルの様子と、微かに人の声が聞こえたことでアヴィにも事情がわかったらしい。
表情が硬くなる。敵だ、と。
(敵、なんだよな)
清廊族にとって人間は敵という認識でいいのだろう。
普通ならこのゲル状モンスターも敵だとは思うが、関係性から言えば人間はアヴィの天敵と言ってもいい。
アヴィの敵ならゲイルにとっても敵だ。
難敵かもしれないが、可能なら倒してしまおうか。
そうすれば布も手に入り、アヴィの服を何とかしてやれるかもしれない。
(とはいえ、危険は出来るだけ避けておきたいからな)
過去にも何度も甘い目算で痛い目に遭ってきた。楽観はしない。
まとめて相手にしないで済むようにしたいところだが、何しろ今は洞窟の上層部。
可能なら下層の方で戦う方がやりやすいのだが、ゲイルの移動速度を考えれば無理がある。
とにかく出来るだけ下に行くことにした。
アヴィを下ろして、先行するように
ゲイルが追い付かれて戦闘になったとして、アヴィがもっと奥から隙をついて援護することも可能かもしれない。
暗がりでも見通しが利くし、素足で足音もほとんど立てない。
アヴィはゲイルの指示を理解して、洞窟の下り坂を速足で降りて行った。
◆ ◇ ◆
「魔物の気配がないわね」
イリアは黒涎山の風穴入り口から中を覗き込んでそう言った。
物音だけではない。臭いが薄い気がしてそう判断したのだ。
魔境と呼ばれるような場所では魔物の生活臭が強い。
それがなかった。普通の町の近くの森とかそういう程度の雰囲気。
「油断するのはいけませんわ」
「誰に言ってるんだか」
知ったような口を叩くマルセナを軽くあしらって、どうしようかとシフィークの判断を待つ。
なぜ彼が黒涎山に行くと言ったのかはわからないが、近場の割と有名な魔境だったからという程度の理由なのかもしれない。
黒涎山の風穴。
麓は森に包まれているが、登ってくると途中から急に草木が生えない岩肌になる山だ。
草木がないから、見通しは良い。
中腹あたりの出っ張りに見える場所に入り口がある。他にも亀裂はあるが、途中で身動きが取れないほど狭くなっているという話だった。
「魔神の血か」
ぼそりと、ラザムが呟いた。彼が自主的に言葉を発するのは珍しい。
黒涎山は、大きな三角の岩が割れたような形をしている。魔神の血が降り注いだ場所が溶け落ちてこんな形になったのだとか。
改めて近くから山を見上げて、そういう言い伝えを思い出したのだろう。
「今にも崩れそうですわね」
マルセナの言い分だが、それにはイリアも同意だった。
砂で固めた山に、何か溶けるような液体をかけて作ったようないびつな形。
尖って突き立った部分がいくつかと、その間に強い風が抜けていく。
数千年前の魔神と女神との戦いの跡地だと言うのだが、よくこの形を保っているものだと。
ただの言い伝えかと思っていたのだが。
「本当に神話の通りなのかもね」
登ってくる途中で、ゴロゴロした岩肌に引っかかっている枯草を見つけた。
噂の神洙草というやつだ。見るのは初めてだが、その一部を足の傷が
勿体ないことをした。
素足で岩山を登れば傷も出来る。まあ奴隷の傷はもっと前からだったようだが。
どれだけ痛みがあっても呪枷を刻まれた奴隷は主人の命令に逆らえない。
「別に連れてこなくても良かったんじゃない。その足手まとい」
イリアが不機嫌さを隠さずに言う。
マルセナも同意見のようで、ちらりとそれを一瞥した。
ラザムには意見がない。彼は基本的に自分の意見を主張しない。
「まあ、夜目が利くのは事実だからさ。何かの理由で灯りを失った時の為の保険だよ」
シフィークがそう言うのならいい。それが正しい。
これまでも、どれだけ暗がりでも必要な道具を取れと命令すると素直にそれに応じていた。
役に立つ道具としての奴隷なら、そういう扱いでいい。
間違ってもシフィークの愛玩用ではないのなら。
「本当にモンスターの気配がないな……おい」
シフィークも洞窟の中を見て呟くと、奴隷を呼んだ。
「中に何か見えるか?」
影陋族の奴隷少女に洞窟の中を確認させる。
洞窟という環境が恐ろしいようで、恐る恐る覗き込むその姿にイリアは苛立ちを感じた。
頭だけを突っ込んで尻を突き出しているせいで、スカート一体型の
(……ふん、汚らしい!)
反吐が出る。
外見は人間の少女に近いのがまた腹が立つが、所詮は下賤な生き物だ。
「なに、も……ありません」
役にも立たない。
この場合、とりあえず見える範囲に何もないことを確認しているのだから、その役は果たしているのだが。
「とりあえずすぐに危険はなさそうだな」
「奥まで行ってグィタードラゴンを倒すんですの?」
マルセナが訊ねたのは探索の目的だった。
メラニアントの大群など、倒しても労力に見合わない。洞窟のような狭い場所で大群に襲われたら、いくらシフィークでも危険かもしれない。
ブラックウーズなど問題にならない。何も利益がないので無視して進んでいい。
ドラゴンなら、今のシフィークが相手にするのも納得できる。爪や牙は良質な素材だし、魔石も高額で売れるだろう。
「まあドラゴンもそうだけど……」
シフィークが答えを迷った。
それでいいはずなのに、何か言い訳を探すかのように。
やはり何か、ここで壊滅したという『奸猾の骨』との間に過去にわだかまりがあったのかもしれない。
イリアはそう察するが言葉にはしない。
「神洙草がこの山のどこかで生えているはず、だろ」
「しんじゅ……あぁ」
シフィークの返答を聞いて、小さく声を上げてから嬉しそうに笑うマルセナ。
本当に幼い少女のような、心から嬉しそうな微笑み。
女のイリアでさえ、ふと心がほだされそうになる。
こういう顔が出来るのがマルセナの強みかもしれない。
「そうです、神洙草そうですわ。枯れ葉じゃなくて、もっと新鮮なのがどこかにあるはずです」
「見つけられたら、それを町でも栽培できるかもしれない」
「すごいです、シフィーク!」
そんなに簡単な話なのかイリアにはわからないが、確かに実現したらシフィークの名声は更に高まるだろう。
そうでなくても、生の状態の神洙草を持ち帰るだけでも相当な価値がある。
黒涎山に住むモンスターのことに気を取られていたが、そちらの方が意義のある結果だ。
ドラゴン退治なら、新大陸のどこかで、年に一度くらいは誰かが成功していることなのだから。
素直にシフィークの言動に感動を示すマルセナに、彼もまんざら悪い気はしていないようだ。
(……言いながら考えたって感じだったけど)
理由を探してから神洙草と言ったような。
そこは気付かない振りをしておこうとイリアは目線を逸らした。
ラザムの視線が、影陋族の娘を追っている。
チュニックでかろうじて隠している尻と、そこから伸びる太ももに。
ラザムはどうも人間の女が苦手らしい。そういう人間で、冒険者としての腕も非常に高いので、シフィークのパーティにいるのだが。
いろんな男がいる。女もそうだ。
少なくともイリアにとってラザムが何か不利益なことを働いたことはないし、冒険の際には助けてもらっている。
ラザムが奴隷の雌にどういう欲情を抱こうが関係ない。
だが、卑俗な生き物が女として振舞うのを見るのは不愉快だ。しかもこの生き物は老いが遅いというのだから、余計に腹が立つ。
洞窟の入り口でびくびくと中を窺っている小さな背中を蹴った。
「ひぁっ!」
中に転がり、少し下り坂になっているらしい洞窟内を転がっていった。
「イリアったら、もう……」
「安全確認よ、いいでしょ」
「あ、ぅう……」
暗がりから声が聞こえる。洞窟内は暗いので何か灯りが必要だろう。人間には。
用意してきた松明――
独特な臭気があってあまり好きではないのだが、これを焚いていると大抵の昆虫系の魔物は寄ってこない。
メラニアント程度、シフィークはもちろんイリアやラザムも対応は出来る。マルセナは……勢い余って洞窟を壊しかねないが。
悪い条件で絶え間なく攻められたら危険だが、寄ってくるものを逐次倒していく分には問題ない。
とはいえ、洞窟内部の構造もわからないし、どんな危険があるかもわからないのだから、余計な戦闘はなるべく避けるのが常道だ。
光を灯すだけの魔法ならマルセナもラザムも使える。
ラザムはともかくマルセナに関してはイリアの信頼は薄い。危なっかしい。
常時魔法を、となれば体力も消耗していくので、普通に松明を用意してきた。アリ対策を兼ねて。
「じゃあ行くわよ。マルセナ、あんたは後ろ」
「別に危険はなさそうですけれど……ええ、わかっていますわ。怖い顔しなくても」
既に洞窟内に蹴り込んだ奴隷は別として、イリアは仲間に声をかけて黒涎山の風穴に足を踏み込んだ。
◆ ◇ ◆