【完結】這いずり、泥を啜って…… 【最後まで人外転生】   作:大洲やとこ

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G31.人の魔手_2

 

 

 最初に遭遇した大ホールで。逃げた魔物の追跡に移る前のこと。

 

 

 ついている、というのはこういうことだ。

 

 イリアの体に付着していた粘液。凍りかけていた粘液が、体温で再び溶けてぬめりを取り戻す。

 濁った黒色の粘液。

 決して清潔そうには見えないそれを手に取り、マルセナは笑顔を浮かべた。

 

 いつもの、考えの足りない純真な少女の笑みを。

 

 

「これで追えますわ」

「あ、ああ……そうなんだ」

 

 答えるシフィークの表情が少し引き攣っている。

 

 おっといけない、ここは少しは忌避感を示すべきだったかも。

 (おぞ)ましい魔物の体液などを手に、(ほが)らかな笑顔を浮かべるのは奇妙だったかもしれない。

 

 

(つい、ですわね)

 

 目的に近付く実感を手にして、思わず素の笑顔を浮かべてしまった。

 

 汚らわしい魔物。

 どうせ汚いものに触れるのは慣れているのだ。

 愚かでどうしようもない勇者様の欲求に応えている時の嫌悪感と比べたら。魔物の体液程度はどうということもない。

 

(お前の体液と比べたら何でもないのですよ。こちらの方がまだ愛おしいくらいかしら)

 

 マルセナの掌でぷるりと揺れるその粘液に、いっそ口づけでもしたいくらいだ。

 さすがにそんな姿を見せたら、洞窟という環境で気がふれたのかと思われるだろうが。

 

 

 そっと目を閉じて呪文を唱える。

 目を閉じたのは集中の為ではなくて、変な方向に高まる気持ちを静める為だったが。

 

 

「分かたれた血肉よ、その連なる枝を示せ」

 

 ねっとりと、マルセナの手から粘液が浮き上がる。

 浮き上がったその粘液の粒を薄く光る球体が包み込んだ。

 

 水晶球の中に小さな粘液系魔物の体液を封じ込めたようなものが出来上がる。

 その球の内側で、粘液が一定の方向に進もうと泳ぐように、もがくように。

 

 

「……あちらの方角ですね」

 

 残った血肉から元の主を探し出す魔法。

 迷子を捜す目的や、手負いの魔物を追う時に使われるのだとか。

 マルセナが持つ魔法の珠を見るラザムが、

 

「聞いたことのない魔法だな」

「この量だと長くは続きませんわ。この洞窟の広さはわかりませんけれど……」

「急ごう」

 

 シフィークはそういうと思っていた。

 彼としては、せっかく見つけた神話の魔物を逃がしたくないという焦りがあるだろうから。

 

 急かされた形になるラザムだが、彼は彼で目的があるのだから別に不満はない。

 足の傷は魔法薬で治癒したようで問題なさそうだった。

 

 

「で、でも……」

 

 問題があるのはもう一人の仲間。

 

 粘液塗れになったものの、それによる肉体的なダメージはない。

 斬られそうになったことも防いでいた、

 

 肉体的なダメージというのなら猛烈な氷雪を吹き付けられたことだが、それもマルセナが回復した。

 

 

(心のケアまではしていませんけれど)

 

 あやうくシフィークに斬られるところだったイリアの、精神的な動揺。

 ダメージが大きいのはそちらだが、そんなことシフィークが思いやるはずもない。

 彼にとって他人は自分の小間使いや道具であり、気が向いた時に欲求を吐き出すだけの相手。

 

 勇者様にとってはそうでも、イリアも一人の人間なのだから、一人の女なのだから、言いたいこともあるだろう。

 このまま進むと言われて完全に気後れしているイリアに、シフィークは苛立ちを隠せない。

 

 

「あ……」

 

 不満を言いかけたイリアが恐怖の表情を浮かべる。

 その顔は、気の進まない作業を押し付けられる時の影陋族の奴隷と同じ。

 今も黙って(うつむ)いている、そこの奴隷女に似た色の。

 

「だけど、洞窟の道は……」

 

 苦し紛れの咄嗟の言い訳だが、真っ当な意見でもあった。

 ルートのわからない洞窟の探索なのだから、セオリーで言えば急いではいけない。慎重に慎重を重ねていかなければ。

 

 だがそれを勇者が認められるか。

 

「影陋族を使役するような異常な魔物だ。あれを放ってはおけない」

 

 シフィークが意見を曲げないことなど承知の上だったろう。

 イリアは(うつむ)いて口を閉ざす。

 

 

(さっき見捨てられそうになったことを持ち出さないのは、本当にこれに惚れているのでしょうか?)

 

 マルセナには到底信じられないが、やはり人の性癖は様々だ。

 まあイリアがシフィークを責めたところで、君を助ける為だったとか何だとか言うだけだろう。

 実際、それで助かっているのだし。

 

 マルセナの爆炎魔法では助けられなかったとも考えると、少しばかり腹が立つ。

 

(わたくしの方が下というのは面白くありませんわね)

 

 

「一刻も早く追う。道なら――」

 

 すっと姿勢を正して、まるで御伽噺(おとぎばなし)の英雄のように剣を掲げた。

 

「僕が開く」

 

 そうそう、その調子ですわ。

 よけいな苛立ちを忘れ、マルセナの思うシナリオを進めてくれる役者に、笑顔を浮かべて頷いて見せた。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 ずっと流された場合にどうなるのか。

 

 ゲイルは平気でもアヴィはそうではない。

 冷たい水の中を泳がせるわけにはいかないので、ゲルの中に包み込んでいたが、呼吸は必要だ。

 

 流れに翻弄されながら、途中何度か壁に掴まっては空気を取り込もうとしたが、水面がそのまま洞窟の天井だったりしてうまくいかない。

 

 何とかへばりついて岸に上がって、咳き込むアヴィの背中を擦る。

 

 

「うぇぼっ、げふっ、ふ……」

 

 窒息しかけていたアヴィが、涎や鼻汁を噴きながら咳き込むのを介抱して、落ち着いてきたところで顔を拭った。ゲル状の手で。

 荒く肩で呼吸をしながら、とりあえず涙目で頷く。大丈夫だと。

 

 

(このままだと、また追ってくるな)

 

 地下水脈から這い上がってみたが、この先どうするか。

 

 どの程度の距離を稼げたのか、水流の中だったのでわからないが、どうしたって洞窟内には変わりがない。

 アヴィの呼吸を気にしながらだったから、そこまで長い距離ではないだろう。

 

 

(この地下水脈は……)

 

 このまま流れても、地底湖のような場所に流れ着くかもしれない。そこが天井まで満水だったとしたら、アヴィの命がない。

 危険すぎる。

 

 

(呼吸の確保を考えたら水流任せはダメだ。とりあえずここは?)

 

 周囲の様子を探る。と、記憶にある場所だった。

 

「アリの……?」

 

 アヴィも気づく。

 アリの巣穴の入り口に近い。

 

 アリの巣穴は、入り口から登っていくような構造になっていた。

 登って、あちこちに部屋があって、奥の方で下がりながら女王が暮らす大広間に、と。

 

 もしかすると地下水が増水した時に流れ込まないような構造だったのか。

 

 

(……近付いてくる)

 

 洞窟を震わせる振動と音。

 ずっと昔に、初めてグィタードラゴンの咆哮を聞いた際、洞窟の壁が震えるようだと感じたものだが。

 

(今度は本当に振動している)

 

 先ほどと同様に、邪魔な壁を切り開いて進んでいるのだろう。

 無茶苦茶だ。

 

 洞窟が崩落するなど考えたりしないのだろうか。

 そうした心配以上に、こちらを追ってくる理由があるというのか。わからないけれど。

 

 なんにしろ選択の余地はなかった。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

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