【完結】這いずり、泥を啜って…… 【最後まで人外転生】   作:大洲やとこ

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G34.母さんじゃないけれど_1

 

 人々の神話にはこう伝わる。

 

 

 女神は言った。

 

「人間に恩寵を与えましょう」

 

 魔神は言った。

 

「全ての者に等しく恩寵を与えましょう」

 

 そして二柱の神は争った。

 

 

 

 女神の恩寵を受けた人間は、魔物と呼ばれる生き物を殺すことで力を得るようになった。

 殺した魔物の力の一部を得る恩寵を授かった。

 

 

 魔神に付き従うことを選んだ者もいた。人と似たもの。

 女神の恩寵の薄れた彼らに、魔神はその魂の一部を砕いてより長寿な命と極寒の地でも生きられる体を与えた。

 

 真白き清廊。魔神とそれに従う人々とが約束を交わした場所。

 

 

 魔神は魔物にも恩寵を授けた。食らったものの一部を自らの力と出来る恩寵を。

 人間に殺され続ける魔物たちが、少しでも強く生きられるようにと。

 

 やがて魔神が滅びると、その血溜まりの特に濃い場所から生まれるものがあった。

 

 (くら)き血溜まりより這い上がり、あらゆるものを食らう魔物。

 それを濁塑滔(だくそとう)と呼ぶ。

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 勇者の一振り。

 

 そこから何を想像したのか、雷撃だという確信があった。

 全てを薙ぎ払う雷光を纏う一撃。

 

 そんなものを受けて生きていられるはずがない。

 まともな生き物であれば。

 

 

「かあ、さん……?」

 

 声が聞こえた。

 

 良かった、無事だ。

 その声に涙が溢れそうになる。

 もう涙を流せるような体ではないけれど。

 

 体から、流れ出るものが止まらない。

 

 

 

 たとえ気化していても、ゲイルの体の一部なのではないか。

 そうではないかもしれないが、もし一つだけでも奇跡が起こせるのであれば、と。

 

 今まで何度も切り離したりくっつけたりしていたゲルの体だ。やって出来ないことではないと思って、願った。

 

 そこに降り注ぐ雷光を、アヴィの小さな体を撃とうとする稲妻を、この身で受け止められたらと。

 

 広間に爆散した全てのゲル状の物質と繋がりなおして、勇者による必殺の一撃を受け流した。

 避雷針のように。

 

 

 それは、このゲル状生物の根幹を貫く、まさに必殺の一撃だったけれど。

 

 

(だけど、良かった)

 

 崩れる。

 女王蟻クイーンアントの為に作られた広間の足場が崩れた。

 

 天井と壁は塗り固められているが、地面はそうではない。

 

 

 つい先ほどの地割れを起こした一撃。

 数日前の雨による湿気。

 そして、地面に突き刺さった必殺の稲妻により、小さな亀裂の中に溜まっていた水滴が気化した。

 

 水蒸気爆発。

 

 隙間に溜まった水が落雷により瞬間的に気化することで、爆発的な力を生み出す自然現象。

 

 洞窟内の地盤は、雨の影響と勇者らの行動によって既にかなり(もろ)い状態になっていた。

 そこに向けてこの一撃が最後の楔となって、崩落を起こす。

 

 

(アヴィ)

 

 崩れていく洞窟の中で、愛しい少女を抱きしめた。

 力が、入らない。

 けれど決して離さない。

 

 アヴィだけは、たとえ何を犠牲にしても守るのだと。

 

 

(……愛している)

 

 抱きしめる。

 崩れ、流れ落ちていく中で、囁く。

 言葉にはならないが、囁く。

 

(愛しているんだ、アヴィ)

 

 たった一つだけの自分の光。

 この世界の……全ての世界の中で、ただ一つ何よりも大切な少女に。

 

(母さんじゃ、ないんだけどな)

 

 そんな自嘲と共に、愛しい少女と共に、闇の中に飲まれていって――

 

 

  ◆   ◇   ◆

 

 

 最悪な記憶は、産まれる前のこと。

 そう、生まれる前の。

 

 

「うっわぁ、まじ最悪ぅ」

 

 その声は、とてもとても楽しそうだった。

 言葉とは裏腹に、それはもう他で味わえない娯楽でも見ているかのように。

 

「……う、ぐ」

 

 口の中に広がる苦い味。

 汚物の中に這いつくばり、涙で滲む視界には歪んだ人間どもの卑しい笑みが。

 

「これちょーウケるぅ」

 

 最悪な記憶。

 

 

「ってこれヤバくない?」

 

 朦朧(もうろう)とした頭の中に響く声に、小さな焦りの色があった。

 何を言っているのかほとんど理解できないけれど。

 

 それを言うのならもっと前から、彼女らの言葉など知らない言語以上に理解できなかったけれど。

 

 

「あー、こいつマジ死んじゃってね?」

 

 まだ、生きている。

 だから聞こえているのだろうが。

 なぜ生きているのだろうか。

 

 

「やばいじゃん。誰か呼ぶ?」

「バカ、それじゃ問題になんだろ」

 

 それならこれは、別に問題にもならないようなことなのだろうか。

 私の生存や尊厳は、何も問題ではないのか。 

 

 

「あー、事故っしょ」

 

 ……

 

「事故事故、一緒に遊んでいる最中の事故だって」

「事故……?」

「あァ? 違うってか?」

「そ、それだよね」

 

 違う。

 

「事故ってことなら仕方ないじゃん」

 

 違う。

 

「まあそういうことで、全員オッケーだよな」

 

 違う違う違う。

 

 これが事故であってたまるものか。

 

 誰がどう見たって、お前らの人生は終わりだ。

 殺人だ。私は死ぬことでお前らの人生に復讐する。

 

 ざまぁみろ、クズども。

 ただで死ぬなんて――

 

 

「俺ら未成年だからさぁ」

 

 だから、なんだと。

 

「人殺しちゃっても名前も出ねえし、なんか保護とか言って自由にやれんだぜ」

「そうそ。先輩の兄貴がそれだって。ヤバいことしても記録に残んねーんだって」

「保護団体とかってさ。更生の為って言って旅行させてくれんの。それで海外行った奴いるし」

 

 そんな、ばかなことが。

 

 

「ええ? でもネットでリアバレんじゃん」

 

 そうだ、インターネットがある。

 法がどうであれ、こんな事件ならきっと大騒ぎになって、表沙汰になるはず。

 

「そしたらさ、名前変えれるんだって」

 

 意味がわからない。

 

「責任なんて関係ねえし。ふとーな不利益とかで理由があれば名前の変更できるんだって」

「マジで? そしたらあたしダサい名前変えちゃいたいかも」

 

 笑い声。

 笑い声。

 

 

 

 この世界は腐っている。

 救えない。

 

 誰も私を救えない。

 こんな世界に救いなんてない。

 

 滅びてしまえばいいのに。

 全て滅びてしまえばいいのに。

 

 

 けれど、どんなに私が願っても、きっと何も変わらない。

 私が死んでも、何も変わらない。

 この世界は、救われない世界が、ずっと続いていく。

 

 絶望。

 その絶望が私を殺した。

 

 

 

 最低の記憶。

 あの最悪の記憶を上回る――下回るような行為がこの世に存在するとは思わなかった。

 

 なぜ私は生きているのだろうか。

 

 死んだはずだった。

 世界に絶望して、全てに絶望して、そうして死んだはずだった。

 

 気が付けば、わずかな幼児期の記憶を残して、また底辺を這いずるような日々を送っている。

 

 以前とは違う場所で。知らない世界で。

 なぜ生きているのか。何のために生きているのか。

 

 

 

 奴隷に自由はない。

 死ぬ自由もない。ただ主の命令に従うだけ。

 

 初めの頃は、幼すぎたこともあり、ただの過酷な労役を課せられるだけだった。

 

 本当につらかったのは、荒くれものの冒険者三人組に買われて、飼われるようになってからだ。

 女の体を好き勝手にする三人の男どもに嬲られ、酷使される日々が続いた。

 

 だがそれさえ、その最低の記憶を思えばまだ安い。

 

 ただの肉体的な虐待だ。そう言ってしまえるほど、本当に想像を絶する醜悪な行為というものが存在するなど、思いもしなかった。

 

 

 

 呪枷と呼ばれる奴隷の印を刻まれると、主の命令には逆らえない。

 呪術師と呼ばれる人間の力が必要で、アヴィの首にはその首輪と呪紋が刻まれていた。

 

 だからこその、およそ知性のある生き物が考えられるとは思えないほどの悪徳に汚れた命令。

 

 

 ――お前も、もっと悦べよ。

 

 命令に、逆らえなかった。

 

 

 

 死ぬ。

 なぜ生きているのか。

 

 男にとっては他愛もない戯れのような命令だったのかもしれない。

 だが、これを上回る陰惨な気持ちは他にない。誰かを辱めるという行為の中で、これを超えることができるはずがない。

 

 

 言葉にならない。

 私は、あの時に死んだ。

 

 そう思って、あとは体が死ぬまでを待つだけの日々だった。

 

 

 そんな記憶でさえどうでもいいと思うような、そんな悲しみがあるだなんて、思わなかったのに。

 

 

  ◆   ◇   ◆

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