二度目の骨折をして、長期休養を強いられたライスシャワー。
メジロマックイーンとミホノブルボンのサポートで復帰を目指す。
有マ記念で復帰を果たしたものの、かつてのようなレースぶりができないライス。その一方で、新勢力であるナリタブライアンやダンスリムリックは順調に勝ち星を重ねる。
天皇賞・春でライスはどのような戦いぶりを見せるのか。
史実では1995年4月23日に行われた第111回天皇賞・春の物語です。それから30年を記念して、2025年4月23日にアップロードします。

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注意書き

1.「ウマ娘」のアニメやスピンオフコミックのオリジナルウマ娘が多数登場しますが、その口調、性格などを捏造しています。

2. アニメ、スピンオフコミックにも登場しない実在競走馬について、名前を変えてオリジナルウマ娘と同じように登場させています。

3.設定はアニメ二期に準拠しております。アニメ二期では一期のことを過去の出来事として扱っていた関係上、スペシャルウィーク、グラスワンダーの戦いは過去の出来事として描写しております。それ以外は全て原作当時の時代背景を採用しています。

4.作中にたびたび敗戦や故障の原因について、ミスであるという表現が出てきますが、作劇上の演出であり、当時の調教師や騎手の判断を批判するものではありません。

5.作中のレース内容は史実のレース経過結果を反映していますが、ステイヤーズSのみ、レースの動画を見つけられなかったため、netkeibaさんの通過順位を参考に捏造しております。

6.pixivに昨年8月に投稿したものに、それからの8か月間にアプリやスターブロッサムで登場したウマ娘について、名前や台詞を改変したものとなります。



たったひとりのヒーローへ

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「骨はもうくっついていますね。トレーニングを再開しても大丈夫でしょう」

 メジロ家の主治医がライスシャワーに告げると、ライスより先にメジロマックイーンが表情を綻ばせた。

「よかったですわ。ライスさん。これでまた走れますわ」

「ありがとう、マックイーンさん。主治医さんを紹介してくれたおかげだよ」

 ライスが二度目の骨折をしたのは今年の春だった。最初の骨折と同じ右脚ということで、症状が重く、全治までが長引いた。

 昨年の秋、ライスの成績は散々だった。天皇賞・秋では一番人気を裏切る六着、ジャパンカップでは十六人中の十四着という大惨敗。

 だが今年に入ってから、ライスの調子は再び上昇しつつあった。三月の日経賞で二着に入り、復活に手ごたえをつかんでいた。骨折したのはその最中のことだった。

 そこに手を差し伸べたのが、かつてのライバル、昨年の天皇賞・春でライスに敗れたメジロマックイーンで、彼女はライスをメジロ家に招き、医療とトレーニングの体制を調えてくれたのだ。

「復帰戦はいつくらいがよろしいですの?」

 マックイーンが主治医に尋ねる。

「さすがに完治したばかりで激しいトレーニングはお奨めできませんから、急ピッチで仕上げたとしても年末、普通なら年明けでしょう」

「ライスさんはGI(ジーワン)二勝ウマ娘ですから、オールカマー以外のG3(ジースリー)以下のレースは、斤量を背負うことになりますから難しいですわよね。とすると、有マ記念かAJCC(アメリカジョッキークラブカップ)……」

 主治医の言葉を受けてマックイーンが考え込む。G2以下のレースでは、あまり決まったウマ娘ばかりが勝たないように、強いウマ娘はゼッケンにおもりを仕込まれる。ライスの場合、当然かなりの重さを仕込まれる可能性が高い。

 しかしGIでは全員が公平な状況で戦うことになっているし、その直前に行われるG2ではおもりは最大で二キログラムと決まっている。

 ライスはちらりと主治医の机の上に載った新聞を見る。

〈ビワハヤヒデジャパンカップ回避へ〉

〈有マ記念での姉妹対決へ万全〉

 一面にそんな言葉が躍っていた。

 現在のシニア級のトップ、BNW。ビワハヤヒデとウイニングチケットはオールカマーから、ナリタタイシンは京都大賞典から天皇賞・秋を目指すという。

 そのビワハヤヒデの妹ナリタブライアンは現在クラシック級で三冠を目指している。ビワハヤヒデはジャパンカップを回避して有マ記念に集中することで、(ちまた)のファンたちが期待する姉妹対決に備えるというのだ。

「それならライス、AJCCにしようかな」

 ライスが微笑みながら言う。その表情を見て、マックイーンにはふと思うところがあった。

 

 十月に入ると状況が一変した。

 最初の異変は、ナリタタイシンが体調を崩し、京都大賞典に出られなかったことだ。そのまま年内休養が決まる。そして十月三十一日月曜日。

「うわぁあああん、ごめんねぇええええ、応援いっぱいしてもらったのにぃいいい」

 トレセン学園食堂のテレビには泣きながらインタビューを受けるウイニングチケットが映し出されていた。前日の天皇賞・秋、ビワハヤヒデは一番人気、ウイニングチケットは二番人気だったが、ハヤヒデは五着、チケットは八着と完敗した。そのことについて二人は記者会見を開いていた。チケットの隣にいるハヤヒデが続ける。

「そういうわけで、天皇賞のレース中に、私たち二人は故障を発生していたことが判明しました。私たち二人は、今日を以て引退させていただきます」

 そう言うとハヤヒデは立ち上がる。チケットもそれに続いた。

「私たちを一番人気、二番人気に推してくださった皆さん、私とブライアンの対決を楽しみにしてくださっていたファンの方、申し訳ない」

 ハヤヒデはそう言って頭を下げた。集まっている記者たちのカメラのフラッシュが光り瞬く。

 ライスは五種類の定食を胃袋に収めながら、その様子を見ていた。

「大変なことになりましたね」

 ライスの右隣で食べているスペシャルウィークが言う。

「うん。あのハヤヒデさんが負けちゃうなんてと思ったら、故障していたなんて……」

「まさかこんな形で記録が続くとはな」

 ライスの左隣にいるオグリキャップがライスの言葉を途中で止める。

「え?」

 ライスが聞き返す。

「私は天皇賞・秋で三度一番人気になり、その全てで負けている」

「ええっ?」

 ライスとスペは驚きの声を挙げるが、よくよく考えてみれば、稀代の人気者だったオグリは、全三十二戦のうち二十五回も一番人気になっているのだ。彼女から一番人気を奪ったのは、まだオグリが人気者になる前だった頃のフジマサマーチ、当時の現役最強だったタマモクロス、終生のライバルスーパークリークなどだ。

「天皇賞・秋は一番人気連敗記録が続いているが、それは私の三連敗から始まったんだ。今年もダメだったか」

「じゃあ私が天皇賞・秋を勝てたのは、セイちゃんが一番人気を引き受けてくれたから?」

 スペシャルウィークは京都大賞典で惨敗したこともあって、天皇賞・秋の一番人気を、札幌記念を勝ったセイウンスカイに譲っていた。

「これでシニア級のエース三人が全員秋のGI戦線に出ないことが決まったんですよね」

「私の三度目の秋を思い出すな」

 スぺの言葉にオグリが懐かしそうな表情をする。オグリ同様に地方からやって来たイナリワンが九月に、そしてスーパークリークが十月に故障し、秋のGI戦線から二人の名が消えたときのことを思い浮かべていた。

「本当に大事件だね」

 ライスが言うその少し離れたところ、食堂の厨房では、全料理人が崩れ落ちていた。

「あの三人が同時に食堂に来るのは、それだけで大事件なのよ」

 積み上がる皿、空の冷蔵庫を前に、彼らは力尽きていた。

 

〈妹は大丈夫だ! 妹は大丈夫だ!〉

 菊花賞、最後の直線、実況アナが叫ぶ。雨が降りしきる中、ナリタブライアンのリードは四バ身、五バ身と広がっていく。シンボリルドルフ以来のクラシック三冠達成はもう間違いない。

 有マ記念では姉ビワハヤヒデと現役最強の座を賭けて戦うはずだったが、それはもう叶わない。だがシニア級との初対戦を前に、誰が現役最強かを見せつけるような、七バ身差の圧勝劇であった。

「ブライアンさん、クラシック三冠おめでとうございます。次の目標はなんでしょう?」

 勝利者インタビューでそう尋ねられたブライアンは、迷わずに答えた。

「シニア級中長距離のGIも全部勝つ。手始めに、来月の有マ記念。そこでシニア級のウマ娘たちを倒す。彼女たちに姉貴が付けた以上の差で」

 そう答えたブライアン。その眼には、今や現役のウマ娘たちの姿は映っていない。ライスはそう感じた。

「それだけブライアンさんの中で、お姉さんに勝つというのが一大目標だったんだろうな。でも」

 ライスの瞳に一瞬蒼い炎が宿った。

 翌日、ライスはトレーニングのためにコースに出た。

「ライスさん、今日はウッドチップコースで行きましょう」

 待っていたミホノブルボンがライスに告げる。骨折が完治してからのトレーニングは、ずっとブルボンが付き合っていた。

「あのねブルボンさん、急なんだけど、仕上げをひと月早めることはできないかな?」

 ライスは、トレーニングメニューを作ってくれているブルボンに言う。ブルボンは菊花賞後に故障し、そこからの復帰を目指していた関係で、復帰プログラムを作るノウハウがあったのだ。

「ひと月ですか?」

「うん、AJCC(アメリカジョッキークラブカップ)から復帰するって言ったけど、やっぱり有マにしようかなって」

 ライスが言うと、ブルボンは表情を和らげる。

「可能です。マックイーンさんは初めから、有マに間に合うようなメニューを組んでほしいと私に依頼していました」

「ええっ?」

 その日のトレーニングを終えた後、ライスはマックイーンのもとを訪れた。マックイーンは、ライスを自分の対面に座らせ、紅茶を出す。

「マックイーンさん、なんでライスが有マに出ようとすると思ったの?」

 ライスが尋ねると、マックイーンはティーカップを置き、そっと新聞を差し出した。その一面にはこう書かれていた。

〈タケーズから二年ぶり新人王誕生〉

〈若虎の力で来年はV奪回や〉

「間違えましたわ」

〈ビワハヤヒデジャパンカップ回避へ〉

〈有マ記念での姉妹対決へ万全〉

「ライスさん、あのとき、こちらの新聞を見て、答えを選びましたわね」

「う、うん。みんながハヤヒデさんとブライアンさんの対決を楽しみにしてる。それをライスが邪魔しちゃいけないって」

「それですわ。その心の動きが私にはわかりましたの。ですから、いずれは説得して有マからの復帰に変えさせようと、ブルボンさんには有マを睨んだ調整をとお願いしたのですけど、ハヤヒデさんの引退で、説得する必要もなくなりましたわね」

 マックイーンは笑って紅茶を口に運ぶ。

「ただ、有マを勝つことは難しいと思います。本来ならAJCCがよいところを急ピッチで仕上げるのですから、万全の状態とはいきません。そこは了承してください」

「うん、わかってる。ブライアンさんは強いし。でも……」

 ライスはそう言って、ティーカップに手を伸ばす。下を向いたことで、ライスの右目もマックイーンの視界から消える。

「クラシック級で圧勝を続けたくらいで、シニア級に敵がいないかのような発言をする子の心に打撃を与えるくらいはできるんじゃないかな?」

 マックイーンは、昨年の天皇賞・春のスタート前に感じた威圧感を、再度感じた。

 

     2

 

 十二月になった。クラシック級レースは菊花賞を以て終了となり、クラシックを走ったウマ娘たちは、シニア級に混じって走ることとなる。果たして、クラシック級とシニア級の実力差がどの程度なのか、それをこれから量っていくこととなる。

 下級クラスでは、クラシック級とシニア級の対戦は何度も行われている。だが、トップクラスが激突しない限り、世代のレベルを計ることは難しい。

 十一月末のジャパンカップにはクラシック級のウマ娘が誰も出なかった。そのため、クラシック級シニア級のトップクラスがぶつかり合う最初の舞台は十二月十日土曜日の中山レース場となった。

 ステイヤーズステークス。中山三六〇〇メートル。ハンデG3。

 出走十人中、クラシック級に出ていたウマ娘は二人。そのうち一人は、ダービー二着、菊花賞三着、今年のクラシック級のナンバー2と目されているダンスリムリックであった。

 一方シニア級ではアーケードチャンプとシダーブレイド。アーケードチャンプは昨年の菊花賞でビワハヤヒデの二着、シダーブレイドは三年前の皐月賞でトウカイテイオーの二着。GI二着経験のあるウマ娘が三人も出ることになっていた。

(リムリックさんとチャンプさんとを見比べることで、ブライアンさんとライスの力関係が想像できる)

 ライスにとって、物差しにちょうどいいウマ娘が出ていたと言える。ライスが骨折する前、最後に走った日経賞。そこでハナ差でライスに勝利したのがアーケードチャンプなのだ。ライスは中山のスタンドで、この一戦を見守ることにした。

「ええか、リムリック。ここは三六〇〇メートル。トゥインクルシリーズ最長距離レースや。最後までスタミナが保つ奴なんておらへん。ゆっくり自分のペースで回って来い。それだけで、最後の直線、立っとるんはお前だけんなっとるやろ」

 ダンスリムリックの黒田自由(みゆ)トレーナーは、リムリックに作戦をそう伝えていた。

 リムリックは横目でこのステイヤーズステークスに出てきたもう一人のクラシック級ウマ娘アイアンキャッスルを見る。菊花賞では玉砕的な大逃げを打っていた。

 アイアンキャッスルの母親ハクテイキャッスルは、当時三二〇〇メートルだった天皇賞・秋で大逃げを打って勝った、伝説の逃げウマ娘である。菊花賞でのアイアンの走りっぷりに、母親の姿を垣間見たファンも多いという。おそらくは今回も彼女が逃げるだろう。

 ゲートが開くと、予想通りアイアンキャッスルが飛び出した。

「さあ。今回も逃げるよー!」

 外から二番目の枠に入ったアイアンキャッスルだが、内に切り込みながら逃げを打とうとする。だがそのさらに外、つまり大外枠にいたウマ娘が、あっさりと彼女をかわす。

「なるほど。クラシック級ならそれでも逃げられるだろうけど、シニア級はそんなに甘くはないわよ」

 大外イエスオフコースがアイアンキャッスルに背中を見せつけるように進む。アイアンキャッスルはぎりと歯噛みする。

「逃げを打つのは私だよ!」

 アイアンキャッスルはイエスオフコースに食い下がる。観客がざわめく。これは長距離戦にあるまじきハイペースになる。

 リムリックはすっと前に出て行く。全体の真ん中六番手を進んでいく。

(周囲は関係ない。青葉賞のときと同じ。私は私を信じて、自分のペースを守り抜く)

 後方待機にこだわることはない。全体のペースもどうでもいい。ただ自分のペースを守りさえすれば負けない。リムリックはそう考えていた。

〈最初の千メートルは五九秒三! これは長距離とは思えないペース、ハイペースになった!〉

 実況の声がリムリックの耳にも届く。まるで二千メートル戦のようなペース。どう考えても前には厳しいペース。アーケードチャンプは前で逃げグループを見ながら進めている。シダーブレイドはハイペースを察知して後方に待機していた。GI二着経験のある三人は奇しくも、前方、中団、後方に散っていた。

「だ、ダメだ……。こんなの……、無理すぎる……」

 向こう正面に入ると、アイアンキャッスルがバテた。このペースでは、三六〇〇メートルはおろか二四〇〇メートルを走り切ることすらどだい無理であった。ずるずると後退していく。

 だが彼女の逃げを阻止して、先頭を走り続けるイエスオフコースはまだまだ先頭にあり続けた。

(これがシニア級の実力)

 後ろでそれを見ながらリムリックは驚嘆していた。アーケードチャンプはもう二番手に上がっている。

(ここだ。ここからロングスパート)

 リムリックはすっと前との差を詰めに掛かる。後ろをちらりと見ると、誰も付いてきてはいない。表情を見るに、まだ脚を溜めておこうと考えているわけではなさそうだ。全員バテている。つまり敵はもう前にいる二人だけ。

 第三コーナーでアーケードチャンプとほぼほぼ並ぶ。前のイエスオフコースまではまだ四バ身。最終コーナーを回り、直線に入ると、アーケードチャンプを抜き去る。残るは一人。だがその背中も見る見るうちに近づいてくる。

(やれる。シニア級が相手でも、自分の力さえ出しきれれば)

 一歩ごとに確信を得ていく。残り数十メートルで計ったように差し切り先頭に立つ。

〈ダンスリムリック差し切った! 勝ち時計はなんと三分四十一秒六! レコードです。これはスーパーレコード。従来のレコードを二秒五も更新〉

 少し遅れてアーケードチャンプがゴール。そしてその後ろ、四着以下はアーケードチャンプから十バ身以上も遅れていた。

「レコードを二秒五も更新。凄すぎる……」

 スタンドで見ていたライスは戦慄を覚えていた。

 ライスは菊花賞を日本レコードで勝っているが、従来のレコードとの差は〇秒四だった。一度に二秒五もレコードを更新するなど常識では考えられないことだ。

 ウマ娘はだいたい二百メートルを十二秒で走る。二秒五あれば四十メートル走ることができる計算だ。もちろん今回はイエスオフコースとアイアンキャッスルがハイペースを作り出したことが、勝ち時計が早くなった要因ではあるが、ここまでとなると、ダンスリムリックのポテンシャルの高さの証明以外の何物でもない。

 

 一着ダンスリムリック

 二着イエスオフコース 四分の三バ身

 三着アーケードチャンプ二バ身半

 

 ダンスリムリックはアーケードチャンプに三バ身以上の差を付けたことになる。

 日経賞ではライスはアーケードチャンプより三キロ重い斤量でほぼ同時にゴールした。今回アーケードチャンプとダンスリムリックの斤量はほぼ同じ。一キロ斤量が軽いと一バ身有利と言われることを思うと、今年三月時点のライスと今のリムリックはほぼ互角なのかもしれない。

 そう考えて行くと、九か月ぶり実戦のライスでは、おそらくブライアンに敵わないだろう。だが自分の目的はブライアンに勝つことではない。その鼻っ柱をへし折ることだ。

(それなら戦いようはあるよ)

 

 二週間後、ライスはまた中山レース場を訪れた。今度は観戦ではなく実戦のために。

「ネイチャさん!」

 ゲート前で出走を待っているときに、顔見知りを見つけて、ライスは声を掛ける。

「おー、お久しぶりだね。アタシとしては今年の天皇賞・春で会うと思っていただけに」

 ナイスネイチャはライスの顔を見て挨拶を返す。

「タンホイザさん、今日は出るって聞いてたけどどうしたのかな?」

 ライスは、マチカネタンホイザの不在を気にしていた。ライスがこれまで最も一緒に実戦を走ったのがタンホイザなのだ。ライバル意識も仲間意識も強い。

「あー。それがね、あの子何か悪いもの食べたみたいで、今朝急に蕁麻疹(じんましん)が出て、ドクターストップが掛かっちゃったんだよね」

「え? 大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。不運というより、どっちかって言うとドジが原因だから。今年のAJCC(アメリカジョッキークラブカップ)のタンホイザは強かったからねー、同じ中山で走る今回はチャンスだと思っていたんだけど」

 ネイチャは友人の好機が逃げて行ったことを、心底残念に感じていた。

「じゃあ、お大事にって伝えておいてね」

「うん、きっとタンホイザも喜ぶと思うよ」

(さて後は……)

 ライスは周囲を見渡す。タンホイザがいなくなったことで、今年の有マは十三人で走ることになる。ライス以外に十二人。

 ライスの脚質は一般的な目で見れば先行ということになる。だが実際はそうではない。ライスが得意とするのは、これという相手に狙いを定め、その相手に勝つことである。

 一昨年の有マは、トウカイテイオーに狙いを定めた。だがそのテイオーが全く伸びを欠いて十一着に負けたため、ライスはそれに先着したものの八着に終わった。

 その次の天皇賞・春ではメジロマックイーンをマークしたところ、マックイーンに先着して、ライス一着マックイーン二着となった。

 休養前の日経賞はタンホイザをマークしたが、アーケードチャンプに出し抜かれて二着となった。誰に狙いを定めるかが、ライスのレースの肝心要の部分である。

 とはいえ、力量差のある相手に狙いを定めても仕方ない。それでは力負けするだけである。それは昨年の有マ記念、今年の京都記念で共にビワハヤヒデをマークしながら敗れたときに感じた。当時の不調の最中にあったライスはハヤヒデについていくことすらできなかった。つまり今回、ブライアンをマークすることは、今の骨折明けのライスでは無謀でしかない。

 二番人気は天皇賞・秋を逃げて押し切ったユリウスルコールだ。だがユリウスルコールは、おそらく今回は勝負にならないであろうとライスは見ている。それは逃げを得意とする彼女にとっては、天敵と言える存在が今回はいるからだ。とすると、

(三番人気シンプトンダッシュさん。あの人についてく)

 ライスの戦略は決まった。

 ゲートインが始まる。ライスは十番、ブライアンは十一番、隣の枠だ。ブライアンは隣のゲートのライスをじっと見ていた。

 レース前、ブライアンはチームメイトのメジロパーマーに質問をした。シニア級のウマ娘で警戒するべきは誰か、と。

「うーん。私も一月以来走っていないからなあ。直接対決の経験がある子は少ないけど……」

 パーマーはその一月のレース、日経新春杯で二着だったが、勝ったモンシュシュクレ、三着パッシブダンサー共にこの有マに出てきているが、ブライアンに次ぐ評価を得ているユリウスルコールとは対戦がない。ブランクは一年に満たないが、それでも刻一刻と勢力図が変わるレースの世界では、パーマーの見識もいささか古い物となっていた。

「対戦したことがある子の中でならシンプトンダッシュかなとは思うけど、ただ……」

 パーマーは真剣な表情に切り替わる。

「体調が戻っているならという条件付きだけど、一番強いのはライスシャワー。これは間違いない。多分来年の春の天皇賞でも、最大の敵になるんじゃないかな。私とマックイーンを寄せ付けなかったあの力は脅威だよ」

 パーマーはそう言っていた。そんなパーマーの回答に加えて、もう一つブライアンには、ライスに興味を抱く理由があった。それは昨年の有マ記念で、ビワハヤヒデと共に走った経験があるウマ娘が、マチカネタンホイザの回避によって、このライスとナイスネイチャの二人だけになってしまっていたことであった。

 ゲートが開く。

 ナリタブライアンは好スタートを切る。それを見たユリウスルコールは、なんとしてもブライアンの前にいなくてはと加速して、前に出ようとするが、それをも引き離す勢いで、内から小柄なウマ娘が先頭に立ち、みるみるうちに差を広げていく。

「ターボ行くもーん」

 そのレースの距離が何メートルだろうと関係ない。ゲートが開いた瞬間から全速力。それがツインターボだ。その逃げに、ライスも一度屈したことがある。

「行っけー、ターボ! タンホイザの分もアタシたちが自分らしいレースをするんだ!」

 最後方近くにいるネイチャが叫ぶ。聞こえているのかいないのか、ターボはどんどん加速し、二十メートル三十メートルとユリウスルコールに差を付けていく。

 これが、ライスがユリウスルコールは今回の敵とはなり得ないと判断した理由だ。ツインターボがいる以上、彼女は必ず自分のペースを見失う。そう見ていた。

 同じように、先行脚質でティアラ路線の頂点を極めた、今年のオークスウマ娘オラトリオがユリウスルコールに付いていく。

 そんなオラトリオとユリウスルコールのすぐ後ろに、ブライアンの姿があった。その後ろにシンプトンダッシュで、ライスはそのまた後ろだ。ライスの後ろにサクラチトセオー。以上六人が先団グループ。残り六人を少し離して最初のホームストレッチに入る。

 そのときターボのリードはもう五十メートルほどにまでなっていた。ライスはブライアンを見る。ブライアンはターボと対戦するのが初めてだ。あるいは焦りを見せるのではと思っていたが、泰然自若としていた。

(そうか。ブライアンさんはチームの先輩にパーマーさんがいるから)

 ブライアンの所属するチームハダルにはメジロパーマーがいる。チーム内練習で、逃げの真髄というものを何度も見てきているはずだ。ならばそれが、玉砕的なものか、逃げ切りを狙えるものか、見抜くこともできるだろう。今のターボは明らかに前者であった。

 向こう正面に入ると、先団から最初の脱落者が出た。

「も、もうダメ。このペース、付いていけない」

 オラトリオがずるずると下がって行く。ペースが速いのを見て下げたのではなく、完全に限界を迎えていた。今年デビューしたばかりで、まだこれが八戦目。

 この有マに出ているクラシック路線組でも、ブライアンは十四戦目、ヒシアマゾンと菊花賞二着のユナイトジョージが十二戦目である。オラトリオは出走メンバーで最もキャリアが少ない。強力な逃げウマ娘に会ったことがないという、その経験の浅さを露呈してしまった。

「オラトリオ!」

 ライスの左後ろからオラトリオを呼ぶ声がした。

「後は任せなよ」

 声の主はライスとシンプトンダッシュを抜き、オラトリオに並びかける。

「ヒシアマゾン……」

 オラトリオは顔を歪める。体力が限界を迎えているからなのか、こんなに早くライバルに並ばれたことへの不快感からか。

「先月のエリザベス女王杯で、アタシたちはハナ差だった。アタシとアンタの実力が互角だってことはみんな知ってるよ。アタシが勝てば、アンタが勝ったのと同じようなもんだろ?」

 アマゾンの言葉に、オラトリオが笑みを浮かべた。

「じゃあ任せるわよ。ティアラ路線の意地、見せてやってよ!」

 オラトリオは下がっていき、代わりにアマゾンが三番手に上がる。

「ここは行くしかないようですね。私も」

 サクラチトセオーがそれに付いて上がって行き、やはりライスとシンプトンダッシュを抜き去る。

(どうする?)

 ライスは迷う。このままシンプトンダッシュに「ついてく」のか、「ついてく」相手をアマゾンに替えるのか。

 ライスは状況を確かめるために前方を見る。そこで気が付く。ターボのペースが完全に落ちている。これでは第四コーナーまでも保たないだろう。

 アマゾンとチトセオーは外からライスたちを抜いて行ったから、アマゾンに「ついてく」なら内から追走することになる。そのときに間もなく力尽きるであろうターボを抜かなくてはならない。

 だがそのときにターボを避けるため外に行こうとしても、アマゾンとチトセオーがいるからそれはできない。そこで必ず両者に対してワンテンポ遅れることになる。

(それならこのままシンプトンさんに付いて行った方が)

 状況は大きく変わったが、ライスは結局作戦を初志貫徹することとした。

 第三コーナーと第四コーナーの中間点、残り六百メートルで完全にターボが止まった。ブライアンとユリウスルコールが代わって先頭に立つ。ヒシアマゾンとサクラチトセオーの二人は、ブライアンのさらに外から追走する。

 ライスはターボを抜いて、前の四人に迫る。

 直線に向くと、ユリウスルコールが限界を迎えた。ターボの作り出す壊滅的ハイペースを、スタート直後から二番手で追走したことには、やはり無理があったのだ。

 ブライアンが完全に先頭に立った。外に行ったヒシアマゾンが食い下がるが、彼女に誘い出される形で加速したサクラチトセオーの方はそこでスタミナを使ってしまったせいか伸びない。やはりライスはあそこでアマゾンについていかなくて正解だったのだ。アマゾンに誘い出されていたら、おそらくチトセオー同様、ここで力尽きていただろう。

(ブライアンさん、あとはあの人についてく)

 シンプトンダッシュは完全に置き去りにした。ライスの前にいるのは、ブライアンとアマゾンだけだ。

 ブライアンは後ろを振り返る。真後ろにライスの姿を確認すると、加速しようとする。だがその差は広がらない。

「くっ」

 十分な差をつけて先頭に立っているブライアンがなぜか苦しそうな表情をする。

「追いつけない」

 ブライアンの口から絶望したような言葉が漏れる。レース前、ブライアンは昨年の有マの結果を見ていた。ハヤヒデとライスとの差は一秒一だった。一秒一がどの程度の差なのか、ブライアンは視覚的に理解できる。なぜなら菊花賞で二着ユナイトジョージに付けた差が一秒一だったからだ。今、後ろを見てもライスの姿は、先月のユナイトジョージより近くに見える。

 ブライアンはアマゾンを三バ身引き離して先頭、誰の眼にもそう映っていた。だがブライアンの眼には、自身の一バ身前にとてつもなく大きな存在が見えていた。そしてライスの眼にも、昨年見たその姿が映っていた。

(そうだよね。お姉さんとの対決が叶わなかった今、ブライアンさんは誰かを物差しにして、お姉さんがどこにいるかを推定しなきゃならない。その物差しにできるのは、ここと同じコースで一緒に走った子だけ。ライスはブライアンさんについてく。一秒一の差を付けられないようについてく。これが今のライスの限界だけど、ブライアンさんの鼻っ柱を叩くにはこれで十分)

〈ナリタブライアンだ! ナリタブライアン四冠達成!〉

 圧勝だった。二着に三バ身もの差を付けたのは、シンボリルドルフが二度目の有マを四バ身差で勝って以来の大差である。にもかかわらず、ブライアンの表情は暗かった。

「まだまだだ。もっと強くならなければ、姉貴を超えたと言えない」

 現役最強の座に就いたはずなのに、ブライアンは自身の前に大きな壁があるのを感じていた。

 

「誰の頭がデカいって!」

 ビワハヤヒデがどこへともなく叫ぶ。

「そんなこと誰も言ってないし」

 ストレッチをしながらナリタタイシンが静かにツッコむ。体調不良で京都大賞典を回避して以降、トレーニングは体育館でストレッチするだけに留めていた。

「ああ、気のせいか。すまない、タイシン。で身体の具合はどうなんだ?」

「ケガじゃないから、復帰がいつになるかはわからないよ」

「いやレースを走れるかどうかじゃない。ただ君を心配して言っているんだ」

 ハヤヒデがあまりにまっすぐに言うので、タイシンは目を逸らす。

「別に生命に関わるようなものじゃないから」

「そうか。それはよかった。私もチケットもしばらく治療のためにトレセン学園を離れるつもりでいたから、その間のタイシンが心配だったんだ」

 心底ほっとした表情のハヤヒデだが、タイシンはなおも目を逸らしている。

「まあしばらくはレースを走れないけど、ブライアンが天皇賞・春と宝塚記念の両方に出るつもりをしているみたいだからね。同じチーム内で潰し合いをするのもどうかと思うから、アタシは春シーズンは全休するよ」

「そうか。しばらくは会えないが、私もチケットも、ずっとタイシンのことを応援しているぞ」

 ハヤヒデはタイシンの肩に手を置く。

「それと、私がいない間、ブライアンのこと、くれぐれもお願いする」

 タイシンは何も答えない。が、ハヤヒデはそれで充分であった。長年の友である彼女との信頼関係に言葉などいらない。

 

     3

 

 年が明けて半月ほど過ぎたある火曜日の早朝、未曽有の大地震が起こった。鉄道は歪み、高速道路は崩壊し、高層ビルは倒れた。巨大都市のあちこちで火の手が上がり、多くの人が命を落とした。

 阪神レース場は完全に崩壊した。再開時期は未定として、当面の阪神開催は全て京都レース場に振り替えて開催されることが決定したのである。

「四月の桜花賞はもちろん、六月の宝塚記念も、京都での開催となりそうですわね」

 ライスシャワーとミホノブルボンをメジロ家に呼び寄せて、メジロマックイーンが集めてきた情報を伝える。

 どんな災害が起こっても、レースは挙行される。ライスはそれに向かって準備を進めなくてはならない。おりしもテレビには現在行われているAJCC(アメリカジョッキークラブカップ)が映っていた。ライスが当初出ようとしていたレースだ。

 有マ同様快調に逃げていたツインターボが、第四コーナーで捕まる。替わってステラガールが先頭に立ち、さらにはアーケードチャンプが追撃する。だが、後方に待機して、さっきまでまるで映像に姿を見せていなかったサクラチトセオーが、彼女たち全員をまとめて外から抜き去ってしまった。

「この後は中山記念を走ってから、安田記念に向かおうと考えております。応援よろしくお願い致します」

 勝利者インタビューでチトセオーが言うと、

「あー」

「あと一回使って安田ね、なるほど」

 などという声が漏れる。

験担(げんかつ)ぎではございませんよ」

 チトセオーはふと気が付いて、記者たちに釘を刺す。

 実はチトセオーは昨年春から、

 メトロポリタンステークス一着

 宝塚記念六着

 京成杯オータムハンデ一着

 天皇賞・秋六着

 富士ステークス一着

 有マ記念六着

 AJCC一着

 と、一六一六の繰り返しなのだ。このまま行けば次が六着となり、安田記念で一着となる。それで場の雰囲気が微妙なものになったのだ。

「サクラチトセオーさんの目標は安田記念ですか。ライスさんと戦うことはなさそうで、強敵が一人消えたことになりますわね」

 昨年チトセオーが安田記念を走らなかったのは、同チームのサクラバクシンオーが安田記念に出たからだ。バクシンオーがいない今回、チトセオーは遠慮なく安田に出る。

「しかし最大の敵は……」

 ブルボンがマックイーンを見る。

「ブライアンさんとの対決は、本番まで見送った方がいいですわね。情報を与えないことが大事です」

「あれほどの強さがありながら、共に出るウマ娘の情報を検討したりするものでしょうか」

 ブルボンが異を唱えようとするが、マックイーンは首を振る。

「ブライアンさんは有マの前、同じチームのパーマーさんに、対戦経験のあるシニア級のウマ娘のことを尋ねていたそうですわ。あれほどの強さでありながら、驕ることなく情報収集にも余念がないようですわね」

 パーマーとマックイーンは共にメジロ家のウマ娘として正月に会っていた。そのときにそんな話題が上ったのだ。ブライアンは阪神大賞典から始動するという話も聞けた。

「ライスさんは、一昨年は目黒記念から日経賞、昨年は京都記念から日経賞と走っていますから、同じように行くなら対戦はないと判断します」

 ブルボンはそう言って、決断を促すようにライスを見る。

「じゃあ京都記念に出てみようかな」

 ライスは言う。

「いいですわね。昨年はビワハヤヒデさんに完敗でしたが、阪神レース場での代替開催でした。今年は正真正銘京都で行われる京都記念。ライスさんの得意コースとなります」

 マックイーンが賛成する。

「私も同意です。京都芝二二〇〇メートル。私はこのコースでライスさんと大接戦となったことをよく記憶しています」

 ダービーから四か月半。ダービーで〇秒七あった差が、菊花賞トライアルでは〇秒二にまで縮まり、ライスがブルボンを倒す自信を深めたレースである。そのときと同じ距離同じコースだ。

 

 AJCC(アメリカジョッキークラブカップ)の翌週一月二十八日、東京レース場でダイヤモンドステークスが行われた。ハンデのG3である。ここに、およそハンデのG3に相応しくないウマ娘が登場した。ダンスリムリックであった。

 すでに重賞二勝。間違いなく重いハンデを背負わされる。普通ならひと月後の阪神大賞典を使うべきところだろう。だが、

「リムリック、お前はダイヤモンドステークスから天皇賞・春に直行や」

 トレーナーの黒田自由(みゆ)はリムリックにそう告げた。

「ハンデ戦ですか?」

 リムリックもそのことを意外に思い、問い返す。

「せや。菊花賞、世代ナンバーツーと呼ばれとるお前は二着に来て然るべきやった。それがブライアンはおろかユナイトジョージにも遅れを取って三着。理由がわかるか?」

「それは私が不甲斐なかったからです」

 リムリックが答えると、黒田は手をぶんぶん振って否定する。

「ちゃうちゃう。あのときのお前は使い込み過ぎて、目に見えん疲れが蓄積しとったんや。あれはお前のミスやない。レース選択のミスや。ほんますまんかった」

「そんな! 黒田トレーナーが謝ることでは!」

 リムリックは、秋の始動戦から中二週で菊花賞トライアルを走り、そこからまた中二週で菊花賞を走った。秋三戦目だ。対してブライアンとユナイトジョージはいずれも菊花賞が秋二戦目。

「菊花賞トライアルでお前はブライアンと四分の三バ身差やった。それが菊花賞で八バ身に広がったのは、目に見えん疲れがあったんやろう」

 そのローテーションに前例がないわけではない。ライスシャワーがリムリックと全く同じローテーションを歩み、菊花賞を制している。ダービー二着であることも、強力な二冠ウマ娘が三冠を狙っているという状況も一緒だった。

「ライスシャワーが三連戦で菊花賞を勝ったときは全部良バ場やった。でもお前は休養明けで重バ場を走り、菊花賞も雨の中やった。状況が違っていたのに、同じローテーションを歩ませたんがあかんかった。せやから今度は、間隔を開ける。万全の体調で天皇賞・春に臨むんや」

 ダイヤモンドステークスから天皇賞・春へは三か月空く。それなら疲労の蓄積など出るはずもない。

「ここはお前のほかに強いのは一人だけや。ばっちり勝って、調子づけて天皇賞に向かうで」

 黒田が言う「強いの」とは誰なのか。レース場に行くと、すぐにわかった。そこにはステイヤーズステークスでリムリックの二着だった、イエスオフコースの姿があった。

「また会ったわね、ダンスリムリック。ハンデ戦ではリベンジとも言い難いけど、それでも勝たせてもらうわよ」

 オフコースも、リムリック一人だけを敵と定めている様子であった。

 ハンデ戦とは、ゼッケンにおもりを仕込み、強いウマ娘の力を抑制することで、力の劣るウマ娘にもチャンスを与えようとするものだ。ステイヤーズステークスでのリムリックとオフコースのハンデ差は三・五キロだったが、今回は四キロに広がっている。またステイヤーズステークスで最も軽いウマ娘はアイアンキャッスルだったが、リムリックとのハンデ差は九・五キロだった。今回アイアンキャッスルはいないが最も軽いウマ娘との差は十一キロとなった。いくらハンデ戦とはいえ、最も重いウマ娘と最も軽いウマ娘との差が十キロを超えるのは稀である。

 スタート直後、リムリックは三番手に付ける。後ろから行くことの多いリムリックにしては珍しい展開だ。だがその理由はすぐにわかる。一周目で早くもリムリックは二番手に上がった。逃げるのはイエスオフコース。要はこの二人だけがレベルが違い過ぎるのである。素のスピードが違い過ぎるから、リムリックが脚を溜めようとしても、先行しようとする他のウマ娘より前に行ってしまう。

 最後の直線オフコースが粘りこみを図る。リムリックは並びかけようとするが、おもりがあまりに重くて、なかなかオフコースに並べない。だが坂を上り切ったところで、少しだけオフコースのペースが落ちた。その瞬間リムリックが先頭を奪う。

「なんてスタミナなのよ。バケモノじみてる」

 オフコースが呆れたように言う。オフコースとて、二年前の若葉ステークスでビワハヤヒデの五着に敗れたのを最後に、十二戦連続で二二〇〇メートル以上を走っているスタミナお化けである。いや、その二二〇〇メートルもセントライト記念が最後だから、十一戦連続二三〇〇メートル以上と言った方がいいかもしれない。

 そんなイエスオフコースをして、バケモノと言わしめるダンスリムリックのスタミナ。天皇賞・春でナリタブライアンの最大の脅威となることは確実と言えた。

 

 二月十二日、伝統の競走、京都記念に集まったのは、わずか八人のウマ娘だった。昨年も十人と少なかったが、今年はそれ以上だ。だがメンバーの濃さは昨年以上だ。

「ライス、有マぶり」

 ライスに気付いたナイスネイチャが手を振ってくる。なんといっても、半数の四人が、有マ記念で顔を合わせた面々なのである。

 三着ライスシャワー

 五着ナイスネイチャ

 七着モンシュシュクレ

 八着オラトリオ

「はい、ライスさんは大外八番ですね。八番のゼッケンをどうぞ」

 係員はライスにゼッケンを渡す。これを体操服に付けて走るわけだが、受け取ったライスはずしりと重みを感じる。ゼッケンの裏には大量の金属片が入っているのだ。

「重そうだね、ライス。アタシより一キロ重いらしいじゃないの。その身体でその重さはキツイんじゃない?」

 ネイチャが気を遣ってくれる。が、こればかりはルールだからどうしようもない。

「でも去年の京都記念もこの重さだったから」

 ライスは平気だという顔をして、ゼッケンを体操服に巻き付ける。

「先々週、うちのリムリックが付けたのが、ネイチャさんと同じ重さです」

 二人にそう話しかけてきたのはスピカハートであった。スピカハートは、前走京都金杯を快勝。重賞三勝の実績を持つ。昨夏の函館では、クラシック級ではナリタブライアンに並ぶ大物と言われていたスノウインハザードを、二連続で文字通り赤子の手を捻るように一蹴している。

「私は距離的なものがあるので天皇賞・春には出ません。が、リムリックのために貴女のデータをいただいて帰ります。今日はお互いよいレースを」

 スピカハートはそれだけ言うと、去って行く。

「初めて会ったのに、凄く怖い感じだったけど」

 ライスが怯えたようにスピカハートの去った方を見ていると、ネイチャが、

「でもまあそうなるよね。世間じゃ、天皇賞・春はブライアン、リムリック、ライスの三強になるって評判だし。アタシは出ないけど」

 と言う。

「え? ネイチャさん、天皇賞・春走らないの?」

「去年負けて三二〇〇メートルはもう懲り懲りよ。ね?」

 ネイチャはそう言うと、モンシュシュクレを見る。去年の天皇賞・春で、モンシュシュクレは三着、ネイチャは四着だった。

「あのときのあたしとの差を考えると、貴女に適性がないとは思えないけどね」

 モンシュシュクレは肩をすくませる。彼女は、昨春は日経新春杯で強豪メジロパーマーを撃破。続いて中京二八〇〇メートルという超変則条件ながら阪神大賞典も勝つなど、順調なシーズンを送った。

 天皇賞・秋で除外を受け、仕方なく全く適性のない短距離のスワンステークスを走ったことで秋はリズムを崩していたが、前回の有マで七着とはいえ決して悪くないレースを見せたことで、調子を取り戻しつつあった。

 ファンファーレが鳴って、レースが始まる。スタートと同時に飛び出したのはオラトリオ。

「今度はあの無茶苦茶なペースで飛ばす子がいない。ここなら私のレースができる」

 ライスは内を見る。二番という絶好枠に入ったスピカハートがすっと先行する。

(ついてくならやっぱりこの人だよね)

「いけませんわ、それは!」

 観戦していたマックイーンが思わず叫ぶ。

「そうでしょうか。いつものライスさんのレースぶりと考えますが」

 ブルボンがマックイーンに異を唱える。が、

「今回のライスさんはかなりの重さを背負っていますわ。先月、ダイヤモンドステークスのダンスリムリックさんをご覧になったでしょう? イエスオフコースさんを差し切るのに、最後の最後まで苦戦していました。重さを背負うと、最後の伸び脚がなくなるんですわ」

 クラシック級にはハンデ戦がなく、ブルボンはクラシック級しか走ったことがないので、重いハンデを負って走った経験が彼女にはないのだ。

 たった八人しかいないので、隊列はほとんど変化のないまま、第四コーナーを迎える。スピカハートは内内を通り続けて最短距離でここまで来ていた。ここから一気にライスを突き放し、オラトリオを追って先頭を窺おうとする。

 同じように内を掬ってモンシュシュクレもライスをかわしていく。

「モンシュシュクレ! 今度は負けない!」

 道中最後方にいたネイチャが外から豪脚を使って前の三人に迫る。ライスも加速しようとするが、全く彼女たちについていくことができない。

 そこに内からクロスエクスプレスがライスを抜き去る。そのときクロスエクスプレスとネイチャに挟まれ、少し進路が狭まったことで、ライスは減速せざるを得なくなる。その隙に五人に一気に引き離される。

 先頭は完全にスピカハート。ネイチャが二番手に上がったところがゴールだった。ライスは五着にすら離されての六着だった。

 完敗だった。マークしていたスピカハートに一気に引き離されたばかりか、逃げたオラトリオにも追いつくことができなかった。後ろから来るウマ娘たちにも無抵抗に抜き去られた。

 敗因を分析する精神的余裕もなく、打ちひしがれながら、地下道を通って引き揚げようとする。観客席の近くに差し掛かるその時、観客の話し声が聞こえた。

「ライスてんでダメだったな」

「もう終わったんじゃないか? 九か月も休んでたんだし、もう衰えが来ていてもおかしくないだろ」

「落ちる前の線香花火がちょっと明るくなるやつ、あれが有マの三着だったのかもな」

 ライスの心臓の鼓動が激しくなる。

(ライス、もうこのまま終わっちゃうのかな。ブルボンさんもマックイーンさんも、ライスに期待して、あんなにトレーニングに付き合ってくれているのに、もう期待に応えられないのかな)

 そのブルボンとマックイーンは京都レース場のスタンドにいた。

「やはり身体の小さいライスさんにあの重さは無理があったのでしょう」

 ブルボンが言う。

「それもあるのでしょうけど、私には別の問題があるように思えましたわ」

「別の問題?」

「ええ。先々週のダンスリムリックさんはトップハンデを背負いながら、イエスオフコースさんを最後に差して勝ちましたわよね。今日のライスさんはあれを参考にしたのではないかと」

 マックイーンの言葉を聞いて、ブルボンはダイヤモンドステークスを思い出す。確かにリムリックはオフコースを最後までマークして、直線オフコースが力尽きたところを差し切った。

「ですがあれは三二〇〇メートルであることと、直線に坂がある東京コースであることから、オフコースさんが最後に伸び脚を欠いたに過ぎませんわ。今回は二二〇〇メートル、坂が第三コーナーにあって直線は平坦な京都コース。同じ作戦は通用しなかったんですわ」

「理解しました。つまり今回のライスさんの問題点は、昨年の九か月もの長期の休みで、勝負勘が鈍っていたということですね」

 どんなに厳しいトレーニングを積んだところで、勝負勘だけは実戦でしか磨けない。状況が〇・一秒ごとに目まぐるしく移り変わるレースという環境では、それが命取りになる。

 休み明けの有マ記念にはツインターボがいた。どんな相手が出てきても、決して自分の作戦を()げない彼女がいたことは、レースを単純化した。だからライスはレース前に描いた作戦をそのまま遂行するだけで力を発揮できた。

 だが今回は誰が逃げるかすら、事前に予想することが難しかった。そこで鈍っていた勝負勘というライスの弱点が露呈する形となった。マックイーンはそう考えていた。

 敗因は、昨年の九か月もの長期の休み。その結論はマックイーンもライスも同じだが、見ているところは少し違っていた。

 

 表彰式を終えてからスピカハートは引き揚げてきたので、もうほかの七人のウマ娘はみんな帰ってしまっていた。

「黒田トレーナー。どうやら私がここに出た意味はあまりなかったようですね」

 スピカハートは黒田に言う。

「そう言うな。確かに天皇賞・春のためのライスのデータは必要なかったけど、お前は勝ったんやから十分意味はあったやろ。それともブライアンのデータを取りに阪神大賞典に回った方がよかったとか言うんちゃうやろな?」

「いえ。それは……。私に三千メートルは長過ぎますから、やはりリムリックのためのデータ収集の役には立たなかったでしょう」

「せやなあ」

 黒田は天を仰ぎ、しばらく考え込む。

「ほかの路線のデータも集めていくしかないやろなあ」

「でもチームに出走できるメンバーがいません」

「せやな。でもわざわざうちのチームのウマ娘を出す必要はないやろ。少なくとも来週の目黒記念、リムリックとの力量差を量ることは十分できるで。目印がおるからな」

 京都記念の翌週二月十九日は、やはり伝統のG2、目黒記念であった。

「チャンプ、貴女トップハンデだそうね」

「げ」

 アーケードチャンプは怖い先輩に声を掛けられて思わず、声を漏らす。

「今、貴女『げ』って言ったかしら?」

「い、言ってませんよ。ぼくは『げにそのとおり』って言おうとしたところで、咳込みそうになって中断しただけです」

「なんで急に古語になるのよ。まあいいわ」

「で、何しに来られたんですか? ダイナムヒロインさん」

 チャンプの所属チームでも、二番目に優れた実績を持つ先輩がこのダイナムヒロインである。GI勝ちこそないものの、ジャパンカップで、日本のウマ娘では最先着となる三着になったこともあり、GIを勝つ力があったことは間違いない。

 それだけに怖い存在であった。

「貴女、天皇賞・春に向かうのよね」

「はい」

「そこで三冠ウマ娘と対決するのよね」

「まあそうなりますね」

「絶対に勝ちなさい。私は同期のメジロラモーヌにトリプルティアラを許したわ。まあオークスでしか対戦していないんだけど。でもその後、ラモーヌは……」

 ダイナムヒロインは震えながら話す。

「ふう。つまらないわね。これで私は引退するわ」

 ラモーヌは六連勝でトリプルティアラを達成すると、そんなことを言って、顔見世程度に有マだけ走ってさっさと引退してしまった。

「私はシニア級になってから力を付けるタイプだったのに、あの女は勝ち逃げして。絶対に許せない。トリプルティアラと三冠の違いはあれど、クラシックを全部勝つのはラモーヌ以来の出来事。私がラモーヌに対して抱いている無念を、貴女がブライアン相手に果たしなさい」

「そ、そんな無茶な」

 ただでさえトップハンデを背負わされているチャンプ。そこにさらに先輩からの重圧までが加わる。

(名門チームで期待されていると大変ね。私も名門所属とはいえ、レリックアースがいるおかげで、期待はそっちが持って行ってくれるだけ楽よね)

 イエスオフコースはそれを見ながらそう思っていた。

 ゲートが開いてレースがスタートする。イエスオフコースはいつものようにすっと前に出て行くが、内枠にいたクリスマスケーキが逃げを打とうとする。

 クリスマスを追うかどうか、オフコースは考える。だがクリスマスは二番枠。内ラチ沿いにぴったりとくっつく。ハナを叩こうとしても、第一コーナーまでは逆転することはできそうにないし、外に並びかけて行っても第一コーナー、第二コーナーのコーナリングで突き放されることは明白だ。

(ここは行かせよう)

 オフコースが控えると、観衆がどよめく。あのアイアンキャッスルにも逃げを打たせなかったオフコースが控えるとは、と。クリスマスケーキは今回が関東圏初出走で、関東のファンからすると馴染みがないこともあるだろう。

 第二コーナーを回ってからオフコースは仕掛け始める。クリスマスを追い始めるのだが、なかなか差が詰まらない。

(この子!)

 オフコースは気が付く。クリスマスはとてつもなくコーナリングが上手で、ラチにぴたりとくっつき、全く距離ロスをしない。第四コーナーを回ると、そのコーナリングだけでオフコースは二バ身ほどの差を付けられてしまう。しかも向こう正面で追いかけて行ったことで、スタミナを消費し、クリスマスを追う脚はもう残っていなかった。ずるずると差が広がって行く。

「黒田トレーナー。目黒記念には物差しがいるとおっしゃいましたけど、リムリックの物差しになるべきイエスオフコースが下がって行きますよ」

 テレビ観戦していたスピカハートが黒田に迫るが、黒田は余裕綽々の表情であった。

「ちゃうちゃう。ここでリムリックの物差しになる言うたんはイエスオフコースやない。逃げウマ娘言うんは成績が安定せえへん。とんでもない格上に勝ったり、格下相手に落としたりする。物差しには向いてへんねん。ここでの物差しはこいつや。来るで」

 黒田が言ったそのとき、後ろからただ一人、強烈な末脚で上がってきて、クリスマスケーキを難なく差す。

〈サクラローレル先頭に立って、坂を先頭で駆け上がってくる!〉

「サクラローレル!」

 スピカハートは思わず叫ぶ。

 前年の青葉賞、東京芝二四〇〇メートル。ここより百メートルだけ短いだけのコース。そこでリムリックとセレスタルポール、サクラローレルの三人は大接戦を演じた。

「あのときと似た条件、つまりここでローレルにぶっちぎられるような奴がおったら、それはリムリックの敵やないと判断してええ。つまりこうなったということは、この目黒から天皇賞へ向かう中で、警戒するべき相手はローレルしかおらん言うことや」

 黒田はもうレースは終わったとばかりに立ち上がる。が、

「黒田トレーナー!」

 スピカハートが叫ぶ。画面を見ると、ただ一人ローレルに食い下がる姿があった。いや食い下がるどころではない。一歩ごとに明確に差を詰めてきている。三番手には未だクリスマスケーキが粘っていて、それを二人が大きく引き離していく。

〈外からキングハリアーかわしたかどうか!〉

 実況アナウンサーはローレルの勝ちを確信していたのだろう。キングハリアーの襲撃に対する準備ができておらず、最後かわす瞬間まで名を呼べずにいた。それほどのとんでもない末脚だった。

 黒田は頭を抱えながらもう一度座りなおす。

「これはまた厄介なんが出てきたもんやで」

 一方、あと一歩で勝ちを逃したローレルも悔しがっていた。

「もうちょっと。もうほんのちょっとで、次こそブライアンちゃんと戦えると思ったのに」

 ローレルはキングハリアーの方をじっと見ていた。この敗戦で天皇賞・春への出走は絶望的となった。

「次は阪神大賞典を目指します」

 ハリアーはインタビューではっきりとそう答えた。記者たちがざわめく。重賞初制覇を果たしたキングハリアーの、ナリタブライアンへの挑戦状であった。

 

 三週間後、三月十二日、京都レース場で阪神大賞典が行われる。前年は中京レース場で行われているから、二年連続で阪神大賞典は阪神で行われないということになる。

 中山レース場では中山記念が行われ、事前アンケートでは支持率六割という圧倒的な一番人気だったサクラチトセオーが、ケーツースイサンを捕まえきれずに二着に敗れ、しかも一、六、一、六の繰り返しも終了するという波乱が起こった。その波乱は京都にも飛び火するのか。だがこちらでは事前アンケートでは実に八割がブライアンが勝つと予想していた。

 なにせ、およそブライアンの足元に届きそうな存在は、キングハリアーとクロスエクスプレスしかいないのだ。

 二周目第三コーナーでブライアンが仕掛ける。ブライアンより後ろから行って差し切るのは無理だと判断して、クロスエクスプレスはブライアンに前に出られないよう懸命に加速する。そこにブライアンが並びかける。エクスプレスはかわされる瞬間、ブライアンが自分を見たような気がした。

(ナリタブライアン、私だけを見ている? キングハリアーではなく?)

 後は一方的なレースだった。ただただブライアンが引き離すだけのレース。

「何やってんの!」

 観戦していたナリタタイシンは思わず叫ぶ。菊花賞でもブライアンは同じくらい後続を引き離した。それは菊花賞こそが当時のブライアンの最大目標であったから、手を抜いたりして万が一にも追いつかれたら事だから当然だ。だが今回は違う。ブライアンの最大目標は来月の天皇賞・春だ。そこに疲れを残さないためにも、こんな勝負がついた状況で、最後まで本気で走って引き離す必要などない。

 ブライアンより後ろから行って、あくまで自分のレースにこだわったキングハリアーが、最後にクロスエクスプレスを差して二番手に上がった。ブライアンとハリアーの差は七バ身と開いたものの、レースは順当に実績上位三人が三着までを順番に占めて終わった。

「ブライアン!」

 タイシンはレースを終えたブライアンのところに駆けて行く。自分の力を誇示したいだけでこんなことをしたのなら、叱らねばならない。

 だが、引き揚げてきたブライアンの表情は、勝者のそれではなかった。虚ろな表情で顔を伏せてとぼとぼと歩いていた。タイシンがいることにも気付かずに横を通り過ぎる。

「まただ。また負けた」

 などと呟きながら。

「ブライアン」

 タイシンが呼びかけると、ようやくブライアンがタイシンに気付く。

「負けたってどういうこと? あんなにちぎっておきながら」

 タイシンが詰問するように言うと、ブライアンは、

「姉貴と一緒に走った菊花賞はどうだった? 今日の私が出ていたらどうだったと思う?」

 とタイシンに尋ねる。

「え? いや、あのときのアタシは……」

「あ、そうか。すまない」

 菊花賞でのタイシンは、体調不良を圧して出走し、レース中に心房細動を起こしたユリウスルコールにしか先着できず十七着に負けている。当然ほかのウマ娘を見ている余裕などなかった。

 が、そう言われて、タイシンはブライアンの発言の意図を悟った。

「アンタ、クロスエクスプレスをハヤヒデとの差を測る物差しにしたね?」

 今回の阪神大賞典は、震災で阪神レース場が壊れた影響で、京都レース場で行われた。そのため、奇しくも菊花賞と同じコースになったのだ。そしてビワハヤヒデと菊花賞で一緒だったウマ娘が今回の阪神大賞典にいた。菊花賞五着のクロスエクスプレスだ。

「姉貴が京都三千メートルでクロスエクスプレスに付けた差は一秒四。今日の私とクロスエクスプレスの差は一秒二。まただ。有マに続いて、また私の一バ身前に姉貴がいる」

「そんな! 事はそんな単純じゃないだろ? 同じコースを同じウマ娘同士で走ったって、常に同じ差が付くわけじゃない。それにクロスエクスプレスだって、今と菊花賞を走ったときとじゃ力が違う。クロスエクスプレスはこの間まで三連勝してたんだよ?」

「じゃあ! じゃあ私はどうやって姉貴と力を比べればいいんだ!」

 ブライアンが叫ぶ。タイシンは返す言葉を失う。

「……、表彰式には出なよ。あれだけ突き放しておいて、そんな悲壮な表情でいたら、キングハリアーとクロスエクスプレスがかわいそうだ」

 タイシンはブライアンにそれだけ告げた。力なく去って行くブライアンの背中を見ながら、タイシンは北の空を見上げる。ハヤヒデが療養しているであろう方を見ながら。

(ハヤヒデ、アンタ、去るのが早すぎたよ)

 

「やっぱりブライアンさんに勝つには、ブライアンさんより前でレースをすること。それに付きますわね」

 末脚自慢のキングハリアーが、後ろから行って全く相手にならなかったのを見て、マックイーンが結論付けた。

「ダービーと菊花賞でブライアンさんに大差で敗れたダンスリムリックさんが、その後は先行策の練習をしているのも、そのせいでしょう」

「日曜の日経賞は、過去二回、ライスさんは先行策で好走しています。予行演習にはちょうどいいと判断します」

「日経賞の出走メンバーで前に行きそうなのは」

 マックイーンはそう言うと、新聞を取り出す。

〈虎 4番決まった〉

〈グレン これがメジャーのパワーや〉

「間違えましたわ」

 改めてレースについて書かれた新聞を取り出す。

「やはり行きそうなのは目黒記念の強いメンバーで逃げて好走したクリスマスケーキさんですわね」

「ライスさんに続く実績を持つのは、アーケードチャンプ、シダーブレイド。いずれも追い込み脚質です」

「このメンバーならば先行するのが容易ですわね」

 などと話す。マックイーンとブルボン。しかしくライスはどこか上の空で、全く会話に参加してこない。

「どうかしましたか、ライスさん?」

「え? あ。ご、ごめんね。ブルボンさん、マックイーンさん」

 ブルボンがライスをじっと見る。

「体温、呼吸数、脈拍、いずれも問題ないことを確認します。つまり……」

「つまりなんでもないってことだよ。それじゃ、ライス、ちょっと走ってくるね」

 ライスは慌てて言い繕うと、トラックコースへ向かって行った。

「つまりライスさんは精神的に何か問題を抱えていると、ブルボンさんはおっしゃりたいのですね?」

 マックイーンがブルボンの言葉の後を次ぐと、ブルボンはうなずく。

「勝利がライスさんの薬になってくれるといいのですが」

 マックイーンは先ほどの新聞記事を詳しく見る。日経賞は誰が勝つか、読者アンケートが載っていた。実に四割もの読者がライスの勝ちだと予想していた。九人も出走者がいる中でこれは断トツの人気と言っていいだろう。ライスの勝ちの見込みはかなり大きいと言えた。

 

 三月十九日。その日は全国的に大雨だった。

「これは……」

「嫌な予感が致しますわね」

 ブルボンとマックイーンはその空模様を見て、不安を感じていた。

 中山レース場の第九競走両国特別は、芝一六〇〇メートル戦だった。前年サクラチトセオーが打ち立てた中山芝一六〇〇メートルのレコードは一分三十二秒一。しかしこの両国特別の勝ち時計は一分三十九秒四。

 続く第十競走東風(こち)ステークスは、芝二千メートル戦。こちらのレコードはナリタブライアンによる一分五十九秒〇。東風ステークスの勝ち時計は二分七秒〇。

 レコードより七秒から八秒も遅い時計になるくらい、雨によるコースの悪化は深刻だった。まるで田んぼだ。

「これは相当ですわね」

 マックイーンは歯噛みする。マックイーンは東風ステークスと同距離の天皇賞・秋で不良バ場を経験している。だがその天皇賞・秋を二分二秒九でマックイーンは走破している。東京と中山の違いがあるとはいえ、そのときを遥かに凌ぐ酷い芝状態なのだとわかる。

「ライスさんには厳しいのでは?」

 ブルボンが言う。

 こんな水溜まりだらけのコースでは、スピードは殺され、パワーがなければ脚を水から抜くこともままならない。

 ライスは身体が小さいからどうしてもパワーに欠ける。まあ彼女の強みは素軽いスピードにある。そのスピードを封じられることになる。このようなコースは最も苦手とする。

 ライスに次ぐ二番人気となったのは、かつて不良バ場で六バ身差圧勝を飾った経験のあるインファイターだ。観客もこの状況なら、道悪適性のあるウマ娘に勝ち目が大きいと見ていた。

 ライスはゲートに入ると、何度か足踏みをした。コースはぐずぐずに濡れている。こういう雨天時は内の方が水の溜まり具合が深刻になる。

 通常、レースでは内を走った方がコーナーでの距離ロスがないので、皆内を走りたがる。ウマ娘の強い脚力で蹴られたコースは地面が少し剥がれることになる。そのため内は外に比べて地面が荒れやすい。その剥がれた跡に、また水が溜まり、内はひどい状況になっているのだ。

 そして今日のライスは一番枠に入った。よりによって一番酷いところを通らなければならないのだ。

(スタートしたら、外へ出ないと。でも)

 ライスは外枠の方をちらりと見る。九人のうちちょうど真ん中五番枠に、目黒記念で見事な逃げ粘りで三着を確保したクリスマスケーキがいる。

(クリスマスケーキさんは絶対に前に行く。ライスも前に行ったら、クリスマスケーキさんが邪魔で外に出られない。ここは前に行きたがる人たちを全員先行させてから、外に出よう)

 ライスの作戦はそのように固まった。

 レースが始まると、まず飛び出したのはチョウノジョオーだった。ライスが負けた先日の京都記念で最下位に沈んだウマ娘だ。京都記念では最初から最後まで後方侭(こうほうまま)という状況に陥ったが、昨年は先行策でヒシアマゾンと僅差のレースもしたことがある。京都記念の反省を生かして、飛び出して行く。

 当然クリスマスケーキも前に出て行く。それに加えてインファイターも前に行ったため、ライスは外に出すために、三人分待つこととなり、かなり後ろに位置を下げざるを得なかった。

 中山二五〇〇メートルコースはスタートしてすぐ第三コーナー。そのまま第四コーナーに入る。第四コーナーは二千メートルのスタート地点なので、五百メートルもの間ずっと直線のようでいて、なだらかなカーブが続く。絶対にありえないがカルストンライトオが中山二五〇〇メートルを走ったら、「偽物の直線め」とブチ切れることだろう。

 道悪を苦にしないインファイターは、荒れた内バ場を気にせず、ただ一人内ラチ沿いを走っている。

(あっ)

 直線を向いてライスは頭を抱えたくなった。第四コーナーを回るとき、インファイターはライスとほぼ並んでいた。だがコーナリングを終えると、内の経済コースを通って回ったインファイターの背中は三バ身ほど前にあった。

(外を回るのと内を回るのとでこんなにも違うんだ)

 その背中の遠さは絶望的な差に思えた。

 チョウノジョオーは大外九番枠、クリスマスケーキは五番枠。この二人も内外の差が大きく影響し、一周目第四コーナーを回る頃には、内にいたクリスマスケーキが完全に先頭に立っていた。チョウノジョオーのすぐ後ろ、内を通ってインファイター。

 ライスは彼女たちを大きく離れて追う。このままだとコーナリングだけで離され続ける。

(やっぱり内に)

 ライスはそう思い、内に入ろうとするが、センスオブワンダーが一周目のゴール前に差し掛かる頃に上がってきて、ライスの内側に並びかける。ライスは内に入ることもできなくなり、第一コーナーも外を回らされる。

 ライスのレースはなんともちぐはぐな形になっていく。第三コーナーでは、追い込み脚質であるはずのシダーブレイドが内から、アーケードチャンプが外からライスをかわしていく。

 チョウノジョオーがずるずると下がって行き、替わってアーケードチャンプが先頭に立って第四コーナーを回る。

「今日も負けたら、ヒロインさんに何を言われるかわからない」

 チャンプの脳裏に怖い先輩ダイナムヒロインの顔が浮かぶ。だが第四コーナーのコーナリングで、また内にいるクリスマスケーキとインファイターが先頭に替わる。三人がぐいぐいと後続を引き離す。インファイターが最後わずかに抜け出した。

 一番の末脚を見せたアーケードチャンプが二着をキープ。観客席で見ているダイナムヒロインは親指を上げて、チャンプの健闘を称えた。

 以下三着クリスマスケーキ、四着シダーブレイド、五着センスオブワンダー、六着ライスシャワー。ライスはまたも六着に終わった。

「おいおい。ライス、また六着かよ」

「京都記念はまだ一着から五着が強いウマ娘だったけどなあ」

「アーケードチャンプとシダーブレイドはともかく、それ以外に負けるのはダメだろ」

「はっきりわかったよ。ライスはもう衰えてるわ」

 京都記念のとき同様、観客の声がライスの耳に届く。耳を塞いで駆け抜けようとするが、ウマ娘の敏感な聴覚は、聞きたくない声も拾ってしまう。

「いや、衰えたんじゃなくね? 単にもともとメジロマックイーンもミホノブルボンも大したことなかったんじゃないか?」

 その言葉を聞いてライスは思わず立ち止まる。脚が震えて止まらない。一気に駆け抜けたいのに、足が前に進まなくなってしまう。その間もライスにとって聞きたくない言葉が、本人の耳に届いていると思いもしない者たちの口に上り続けた。

 

 四月七日、桜花賞まであと二日という中で迎えた金曜日。天皇賞・春までもあと二週間である。ブライアンは今日もトラックコースに入る。

 阪神大賞典以来、激しく自分を苛め抜くようなトレーニングを続けていた。タイシンがどれだけ止めても、ブライアンは止めなかった。

 それでもタイシンはブライアンへの目配りは怠らなかった。トラックを一周してきたブライアンの脚運びを見て、タイシンは何かに気付く。

「ブライアン?」

 タイシンは彼女を追いかけてコースに入って行く。ブライアンはそれに気付くと、タイシンの視界から逃れようと加速する。追うタイシン。その差はみるみる縮まって行く。病気でまともに走れないはずのタイシンを、ブライアンは振り切れない。

 タイシンはブライアンの腕を掴んで引き留めると、ブライアンの全身を隈なく観察する。

「ここか」

 タイシンがブライアンの腰椎を掴むと、ブライアンの顔が苦痛に歪む。

「保健室に行くよ」

「嫌だ」

「いいから行くよ。アタシはハヤヒデにアンタのことを頼まれてるんだ!」

 保健室で受けた診断結果は股関節炎だった。当然走るなどもってのほかである。

「アンタ、無茶するからだよ。これからはもっと自分の身体を大事にしてやりなよ」

 ベッドの上で横たわるブライアンの患部を、タイシンはなでながら言う。

(アタシが言うことじゃないかもしれないけどね。でもアタシはハヤヒデにブライアンのことを頼まれた。ハヤヒデならきっとこう言う)

 そう思ったときタイシンの眼から涙がこぼれそうになる。

 ガン!

 空いた方の手で自分の額を殴りつけ、涙が出るのを抑える。

(なんでだよ。ハヤヒデとかブライアンとか、なんで才能のある奴ばかりこんな理不尽な目に遭わなきゃならないんだ)

「決めた! アタシ、宝塚に出る」

 タイシンが言うと、ブライアンは驚き、上体を起こす。

「無茶だ! そんなすぐに上向くような体調不良じゃないだろう? それに、これまで秋の復帰を目指していたのに、急にそんな早めたりしたら」

「アンタ、人のこと、無茶だと責められる立場だと思ってんの? ハヤヒデの幻影を追いかけて、走り過ぎて、それでケガしたアンタが」

「でも姉貴から頼まれている。『放っておいたらタイシンは無茶をするからお前が見ていてやってくれ』と」

「アイツ」

 考えてみればそうだ。ハヤヒデが、タイシンならば気安いからと、妹のことを託すだけの性格か? 妹にも友人のことを託していると考えた方が自然だ。

 タイシンはふうっと息をつき、口論を中断する。ここからは冷静な自分の判断を伝えるべきだ。

「アタシはハヤヒデと何度も戦って、最後に一緒に走った天皇賞・春ではアイツが勝って、そのままアイツはいなくなった。アタシはアイツに勝ち逃げされているんだ。だからさ、アンタは勝ち逃げしちゃいけない。しっかりケガを治して、再度みんなの挑戦を受けてはじき返すんだ。アンタはハヤヒデをどうやったら超えられるか悩んでいるんだろ? ハヤヒデと違って勝ち逃げせずに、アンタが今まで負かしたウマ娘たちの再挑戦を受け、それをはじき返したならハヤヒデより上だってみんなが認めてくれる。アンタがいない間は、アタシが代わりにレースを盛り上げておく。だからその後、一緒にハヤヒデを超えよう」

 タイシンが言うと、ブライアンは再度、ベッドに横たわった。

 

「ブライアンさんが故障だそうです」

 マックイーンは新聞をテーブルに置く。

「天皇賞・春でライスさんは出走中唯一のGIウマ娘となる可能性が高くなったと思います」

 昨年のオークスを勝ったオラトリオも、天皇賞・秋を勝ったユリウスルコールも距離を危惧して、天皇賞・春には出ないことを表明している。ほかのGIウマ娘たちもケガしていたり、出走権自体がなかったりする。

「私にはその経験しかありませんが……」

 ブルボンが言う。二歳GIもクラシックも取り続け、他の世代と走らなかったブルボンは、常に出走中唯一のGIウマ娘だった。

「ライスさんがGIでそうなるのは初めてです」

 一番近かったのは、一昨年の天皇賞・秋。GIウマ娘はライスとヤマニンゼファーの二人だけだった。

「あ、あのね」

 前回に続いて、じっと黙っていたライスが口を開いた。

「ライス、天皇賞・春に出るのやめようかなって思ってて」

 マックイーンもブルボンも一瞬動きが止まる。が、一昨年も二人は同じ話を聞いている。驚きはしない。冷静にマックイーンが問いかける。

「何故そう思ったのか、お聞かせくださいますかしら?」

 が、ライスは首をぶんぶんと振って、答えることを拒む。

「質問を変えましょう。誰に何を言われたのですか?」

「な、なんでそれを」

 ライスはそこまで口に出したところで、マックイーンに鎌をかけられたことに気付き、口をつぐむ。だがもう遅い。

「ライスさんは、負けるのが嫌だからとか、そのような理由でレースから逃げる人ではありません。それは私たちが一番よく知っています」

 ブルボンが言う。

「だって。だって……、ライスが負けたら……、ブルボンさんやマックイーンさんまでが悪く言われちゃうから……」

「私たちが?」

 ライスは日経賞の後に聞いた観客の声を二人に伝える。

「ライスは慣れているから、どんなにけなされてもいい。でも……、でもブルボンさんやマックイーンさんまで悪く言われるのは、ライス我慢できない!」

「ライスさん!」

 ブルボンはライスの顔をそっと抱き寄せた。

「ありがとうございます。私たちのためを思ってくれたのですね。ですが……」

 ブルボンはライスの肩を掴んで、そっとライスの身体を離す。

「そのような放言を気に掛ける必要はありません」

「え?」

「ライスさんの京都記念と日経賞の敗因ははっきりしています。京都記念は重すぎた斤量、日経賞は雨によるバ場の悪化。力負けではありません。そこでライスさんの現在の力の評価などできるはずもありません」

「そうなのかな?」

「そうですわ!」

 マックイーンが少し怒気を含んだ大きな声で入ってくる。マックイーンは先ほどの新聞をライスの前に叩きつける。

「こちらの新聞では、ブライアンさんの回避が決まって、では誰が勝つと思うか、と読者アンケートを取っています。御覧なさい、この結果を」

 アンケート結果は円グラフで表されていた。

 

 ダンスリムリック二十二・八六パーセント

 インファイター十四・八一パーセント

 キングハリアー十四・五五パーセント

 ライスシャワー十三・七九パーセント

 ユナイトジョージ五・七一パーセント

 アーケードチャンプ五・七一パーセント

 

「あれ? ライスが勝つと思っている人、意外と多い? 日経賞でライスに先着したアーケードチャンプさんより?」

「そうですわ! ライスさんは昔からノイジーマイノリティに惑わされ過ぎなのです。あなたを見てくださっている方はこんなにも多い」

「私が三冠をライスさんに阻まれたときも、確かに三冠を惜しむ声が多かったですが、あなたのGI初勝利を祝う声も、十分に多かったと記憶しています」

「あなたが衰えたなんて思っているのは、ほんの一部に過ぎませんわ。何より私たちは、ライスさんが天皇賞を勝つと信じています。貴女のファンの声が遠くて聞こえないなら、近くで私たちが何度も言いますわ。たとえブライアンさんがいたとしても、勝つのは貴女であると私たちが信じています」

 マックイーンの言葉にブルボンがうなずく。

「ブルボンさん……、マックイーンさん……」

 ライスの眼から涙がこぼれる。

「かつて私は、ライスさんが私のヒーローなんだと言いましたが、ライスさんはすでにそれだけの数の人たちのヒーローなんです。本当は私がライスさんを独り占めしたいところですが、その人たちのためにも天皇賞を勝ってください」

 ブルボンが言うと、ライスは言葉にならず、うなずくばかりであった。

「そもそも世代が違う者同士の力比べなど何の意味もありませんわ。池内と弓長のどっちが凄いかとか、渡真利と亀山を比べたらとか、意味のないことは明らかでしょう?」

「う、うん。何言ってるかはわかんないけど、言いたいことはわかるよ」

「それでも、ライスさんを物差しにして私たちと今のウマ娘たちとの力を比べたいという者たちに、私たちの評価を貶めさせたくないというのなら、方法は一つだけあります」

 マックイーンはライスの眼を正面から睨みつける。

「勝ちなさい、ライスさん。それでその人たちを黙らせ、あなたがヒーローとして君臨するのです」

 ライスの身体がぶるっと(ふる)えた。

 

     4

 

 四月二十三日。

 京都レース場には雨が降っていた。しかしひと月前の中山レース場ほどではない。バ場状態は重。

 ライスは有マ以来四か月ぶりに、勝負服を身に着けていた。

「ライスさん。いい枠を得たようですわね」

 ライスの控室で、マックイーンがライスに声を掛ける。ライスが今回出走する枠は三番。二年前、マックイーンやパーマーを破ったときと同じであった。

「今回は『ついてく』相手をすでに決めていますか?」

 ブルボンが問いかけた。

 近年の長距離戦線でいつも逃げてレースを引っ張っていたイエスオフコースがこの天皇賞・春には出て来なかった。おそらくクリスマスケーキの一人逃げになるはずだ。そうなればペースは遅くなるだろう。

 速いペースだと後ろから行き、遅いペースだと先行するダンスリムリックは、今回は前にいくはずだ。インファイターも日経賞が上手く行ったのだから先行するだろう。

 一方、アーケードチャンプとキングハリアーは後ろから追い込むしかない不器用なタイプ。ナリタブライアンより前にいないといけないことがわかっていながら、それでも阪神大賞典のキングハリアーは後ろから行った。今回も後方待機のはずだ。

 ということはマークするべきは、リムリックとインファイターのどちらかにすべきだが、ライスの答えはどちらでもなかった。

「ライスは今回は誰にも付いて行かないよ」

 ライスはそう言って控室の扉に手を掛けた。

「ブルボンさん、マックイーンさん、見てて。二人の、そしてみんなのヒーローになるライスのレースを」

 ライスは力強く言って、扉を開けて出て行った。

(今日のメンバーに、GIウマ娘はライスしかいない。ライスがたったひとりのヒーローなんだ。だから誰かを意識するレースじゃなく、自分を出すためだけに走る)

 

 本来なら、先週まで八週間は阪神開催だった。それが大震災の影響でそれらが全て京都開催となり、十六週も使われっぱなしの京都レース場の芝の荒れ具合は相当なものであった。

 雨による水の影響は、日経賞の方が酷かったが、あれは中山レース場四週目の開催だったこともあり、芝はそこまで荒れてはいなかった。

 日経賞で最内一番枠に入ったライスが芝を気にしていたように、今回最内に入ったダンスリムリックも芝状態を相当気にしていた。鳴り響くファンファーレ。それがやむ前にリムリックは早くもゲートに入る。

 ゲート内で前を向くと、自分の走路がはっきり目に見える。

(この芝じゃ、内からでは追い込みは決まらない。後方待機なら外に持ち出すことが絶対ですね。しかし私は最内一番枠。一周目第四コーナーまでに、外に持ち出すチャンスが来れば後方に下げて脚を溜め、来なければ青葉賞やダイヤモンドステークスのように、先行策で行きましょう)

 リムリックは次いで外を見る。ファンファーレが終わり、ゲートインが進んでいるが、すぐ外にいるライスを見た瞬間、リムリックは戦慄する。

(これは?)

 本番ではブライアンと並ぶ強敵はライスであると見ていたリムリック。そのライスを偵察するために、同じレースをスピカハートが走ってくれた。だが、スピカハートは、

「私がライスと一緒に走った意味はなかったわ。だって、重すぎる斤量に戸惑って、まるで力を出せていなかったのだもの」

 と語っていた。今日のライスは京都記念のときとは別人のような雰囲気に満ちている。スピカハートの言うように、彼女が対戦して得た印象とはまるで違うレースぶりを見せてくるだろう。

 インファイターは十三番、アーケードチャンプが十五番、キングハリアーが十七番と、リムリックとライス以外の有力どころは外枠に固まったので、ここからは様子が窺えない。荒れた内側を終始避けられる彼女たちなら、こんな相手次第の作戦を練らなくてもいいのだろうと思うが、そんなことはとうに受け入れている。その不利をもひっくり返して勝つつもりだ。

 ゲートが開くと、内枠にいたウマ娘たちは荒れた内バ場を避けて外に向かい、外枠にいたウマ娘はコーナーでの距離ロスを防ぐために内に入る。すうっと縦長の列が自然とできあがっていく。

 そのなかでハナを切ったのは、大方の予想通り、クリスマスケーキであった。外枠十六番からのスタートだったが、内に切り込むようにして一周目第三コーナーの辺りでは後続を突き放しながら先頭に立っていた。

 ついて行こうとしたのはヤマナカシルバー。一刻も早く内に入りたかったのだろう、インファイターも早めに位置を上げて、右側に誰もいない状況を作って内に切り込み始める。二番手グループを四、五人で形成し、ライスとリムリックはその後ろについた。

「ライスさん、ペースを見極めるつもりのようですね」

 ブルボンが言う。一昨年はメジロパーマーが逃げた。当時実績を十分に作っていたパーマーがどの程度の逃げを打つかは、ある程度わかっていた。だがクリスマスケーキは重賞を走るようになって五戦目、GIに至っては初めてだ。果たしてどういう逃げを打つつもりなのか、見極める必要があった。

 そんな態勢で、第四コーナーを回り、一周目ホームストレッチ。ダンスリムリックのすぐ後ろに、シキシマジョナサンが付けてきた。外にはクロスエクスプレスがいる。

(このままだと封じ込められる。早いですが、ここで仕掛けないと)

 ホームストレッチ半ばでリムリックが仕掛けた。一度は前に行ったインファイターをかわして、クリスマスケーキ、ヤマナカシルバーに次ぐ三番手で第一コーナーに差し掛かる。

 それをライスは後ろで見ていた。

(リムリックさんが早めに動くと、このレースの重心が前に掛かってくる)

 リムリックが一番人気、インファイターが二番人気なのだ。その二人が揃って前でレースをするとなれば、全員が前へ前へと行こうとするだろう。ナリタブライアン相手にすら、後ろから行く自分のレースを守り続けたキングハリアーを除いて。

 全員が前の方に固まれば、進路は当然狭くなる。足下の芝はボロボロで今日は雨だというのに、好きな道を通ることもできなくなる。

(じゃあそのなかで、自分の好きな道を通るにはどうすればいいんだろう?)

 ライスは考える。答えはひとつだ。

 第二コーナー、ライスは外からリムリックに並びかける。

「ライスシャワー! 誰かをマークするとは思っていましたが、私でしたか?」

 リムリックは叫ぶ。どこからレースを進めるかわからないリムリックよりも、確実に前で進めるであろうインファイターをマークすると思っていた。だが、

「違うよ。ライスは今回誰にもついてかない。ライスは自分でレースを引っ張る」

 ライスはそう言ってリムリックをかわしてさらに前に行く。もう前にいるのはクリスマスケーキとヤマナカシルバーだけだ。

〈おお行った行った行った。ライスシャワーが行く。内から一番のダンスリムリック。インファイター。人気の三人がちょうど先行集団を形成しました〉

 実況の声がライスの耳にも届く。ライスは終わっていない、十分勝機のある人気どころなのだと実況のアナウンサーも捉えているのだ。

〈ライスシャワーが京都の坂の上りで先頭に立つ勢い〉

「ありえません」

 リムリックは呟く。京都レース場は、東京、中山、阪神と違い、直線に坂がない。といって新潟、小倉のように平坦なわけでもない。坂は第三コーナーにあるのだ。

 第三コーナー入口が上り坂、出口が下り坂である。ここで仕掛ければ、出口の下り坂で勢いが付きすぎ、第四コーナーのカーブに失敗する。だからここで仕掛けることはご法度なのだ。ここで如何に行きたい気持ちを我慢してぐっと抑えられるか、京都レース場とはそういう精神力の勝負の場なのだ。

 にもかかわらず、第三コーナー手前でライスは仕掛けて、先頭に立とうとしている。

 自分は行かなくていいのか? リムリックは迷う。如何にここ二戦結果が出ていなくても、最も警戒するべきはライスであると、リムリックは見ていた。

 坂の頂上でライスは敢然と先頭に立つ。

 インファイターとクロスエクスプレスがライスを追う。それだけではない。後ろに控えていたウマ娘たちが悉く前に出てきて、リムリックをかわしていく。あのキングハリアーまでが、リムリックより前に出て行く。

 リムリックはふふっと笑いをこぼしてしまった。

「なんだ。私だけではなかったのですね。このメンバーで最強はライスシャワーだと考えていたのは」

 ライスが前に行っただけで一気にレースの様相が変わった。結局このレースの中心はライスシャワーだったのだ。ここまでレースを引っ張ってきたクリスマスケーキとヤマナカシルバーがバ群に沈む。

 だがライスが先頭に立ったことで慌てて上がって行ったウマ娘たちは外を回っている。コーナーでの距離ロスは必至だ。彼女たちに任せておけばライスに鈴を付けられるとは到底思えない。

「やはり私自ら動かねば」

 リムリックも坂の下りで加速する。一杯になったクリスマスケーキをかわすために少しだけ外を回るものの、それでも内からコーナーを回ることで、一旦はリムリックより前に行ったウマ娘たちを再度抜き返していく。

「やはり敵はライスシャワーとインファイター」

 リムリックは少し離された前の二人を見る。

 坂の下り、いよいよ第四コーナーに差し掛かる。インファイターは加速してライスに追いつく勢いだ。

「インファイターさん、一周目はどんな気持ちで第四コーナーを回ったのかな?」

 ライスはすぐ外に並びかけたインファイターに尋ねる。

「え? それは十三番枠スタートの私がどうやって内側に切り込むかって」

「ライスはね、そのときこう考えていたんだよ。『二周目の第四コーナーではどこを回ればいいか』って」

「え?」

 インファイターはそんなことを考えてもいなかった。そう。ライスはこのために第三コーナーで先頭に立ったのだ。第四コーナーを好きな位置で回るために。

「京都記念でスピカハートさんは内を回ることで一気にライスを突き放した。それを今日はライスがやる」

 内側の芝は確かに荒れている。だが第四コーナーのラチ沿い。ここだけは、遠心力で多くのウマ娘が外に振られるため、荒れていなかった。ライスは外から内に切り込むようにコーナーを曲がる。

 かつてライスがマルゼンスキーの車に同乗して、ドライブに行ったときのこと。高速道路の緩やかなカーブを難なく曲がって行くさまに、ライスはマルゼンスキーに尋ねた。

「マルゼンさん、カーレースではこの倍以上のスピードを出すんだよね?」

「そうよ。スピードが一番上のランクのレースだと、私たちウマ娘の四倍くらいのスピードで走るんだから」

「ライスたちが走っても凄い遠心力を感じるけど、車は大丈夫なのかな?」

「まともに走ったらそうなるわね。ところがぎっちょん、カーレースのコーナリングではね。アウトインアウトが基本なのよ。外側から内側を通って外側に出る。これなら直線的に移動できるし、遠心力も最小に抑えられるってわけ」

 マルゼンスキーはそう言っていた。それで興味を持って後日テレビでカーレースを見ていたら、アウトインアウトは距離ロスが大きいためかなり昔のセオリーで、現在ではレース場ごとに攻略法が違うとわかったのだが、マルゼンスキーには黙っておいた。

 それでもその話が今生きる。コーナーの途中で内に入り込むというアイディアがライスの中に生まれたのは、マルゼンスキーのおかげだ。

 ライスは外から内に切り込み、下り坂の勢いを内に向けることで、コーナーの遠心力を相殺する。

「ああっ」

 直線に向いたとき、インファイターは絶望のため息を漏らした。第四コーナーでほとんど並んでいたはずなのに、直線を向いた瞬間、三バ身ほどの差に広がっていた。日経賞の一周目第四コーナーで、インファイターがライスに対してしたことと同じことをやり返されたのだ。

〈さあライスシャワー先頭だ! いやあやっぱりこのウマ娘は強いのか〉

 実況が叫ぶ。第三コーナーで追走したときにスタミナを使っていたインファイターにはもう逆転の芽はない。替わって内からリムリックが上がってくる。

「いや、私なら差せます。第三コーナー上り坂で我慢した分、ライスシャワーよりスタミナを消費していません。勝つのは私です」

 リムリックは加速しようとするが、思うようにライスとの差が詰まらない。

「ま、まさか」

 リムリックは一周目のホームストレッチで、シキシマジョナサンやクロスエクスプレスに囲まれそうになって脱出したときに脚を使っていた。思うように伸びないとすればそのせいだろう。だが、そのときライスも同時に上がって行ったはずなのだ。

 このレース中ライスとリムリックはほとんど脚を使ったタイミングが同じであった。違うのは第三コーナー坂の上りだけだ。それなのにライスとの差が詰められない。

「私よりもスタミナが豊富だというのですか、あの小さな身体で?」

 リムリックは遥か前のライスの背中がさらに小さくなっていくのを見送ることしかできない。天皇賞・春よりさらに四百メートルも長いステイヤーズステークスで、トレーナーから、

「ここは三六〇〇メートル。トゥインクルシリーズ最長距離レースや。最後までスタミナが保つ奴なんておらへん。ゆっくり自分のペースで回って来い。それだけで、最後の直線、立っとるのはお前だけんなっとるやろ」

 とまで言われたリムリックがスタミナで負けた。

「あの二人はもうライスを差せない。ということは後ろで脚を溜めていた人たち。つまり」

 ライスはこのレースのライバルが誰になるのか、すでに見切っていた。

「うわあああああああ」

 大声を挙げながら突っ込んでくるアーケードチャンプ。その外からはキングハリアーも来ている。だが脚色が違う。キングハリアーはもう届かないだろう。つまり勝つのはライスかチャンプかだ。

「勝つ、勝つ、勝つ。ぼくが勝つんだ!」

「アーケードチャンプさん」

 チャンプは凄い脚でライスに迫ってくる。

「ダイナムヒロインさんが怖いからじゃない。ぼくの世代のクラシックが最強だということを証明するために勝つんだ」

「チャンプさんの世代?」

「ハヤヒデも、チケットももういない。タイシンはケガでいつ帰ってくるかわからない。シュガーセーフティも一年以上休んでる。ぼくの世代のクラシックで三着以内に来たウマ娘で健在なのはぼくだけなんだ。みんなが本当に強かったことを証明するためにも、僕は負けられない!」

「それは……」

 ライスはちらりと横目で京都レース場のスタンドを見る。立錐の余地もない客席に、ブルボンとマックイーンの姿を見つけることは叶わない。だがあそこに二人は必ずいる。

「それはライスも同じだ!」

 並んだ?

 いや、その直前がゴールだった。

〈ライスシャワーだ。いやあやったやった。おそらく、おそらく、メジロマックイーンもミホノブルボンも喜んでいることでしょう。ライスシャワー今日はやった!〉

 実況の声を聞いて、スタンドで見ていたマックイーンは号泣しながら、

「はい……、はい……、そのとおりですわ」

 と呟いていた。

「行きましょう、ライスさんのところへ」

 ブルボンがマックイーンに声を掛ける。

「うわあああ! やったああああああ!」

 ゴール前で見ていた観客の一人が大声で叫ぶ。

「ラーイース! ラーイース! ラーイース!」

 たった一人でコールを挙げていた。ライスはそちらを顧みる。

(ああ。やっぱりいたんだ。ライスを応援してくれている人。なんで……、なんで今まで気付かなかったんだろう……)

 他の観客も拍手をして続く。雨の京都レース場。不思議と、二年前の晴れ渡ったときより明るい気がした。

 

 後日、ライスはトレセン学園の秋川やよい理事長に呼び出された。理事長室に入るや否や、理事長はいつもの扇子をばっと開く。

「栄誉ッ! URAが特別賞を授与することを決定したぞ」

「ええっ? そ、そんな。理事長さん、ライスなんかがそんな特別賞なんて……、なんで?」

 理事長にそう言われてもライスは驚くばかりであった。確かにGIは勝ったものの、それはさして特別なことでもない。年に十六のGIがあれば、十六の優勝ウマ娘が出るのだから。

「それについて説明しますから、ライスさんはまずはこちらに」

 側に控える駿川たづながライスに着席を勧め、その前の机に資料を置いていく。

「ではたづな。説明は任せた」

「はい。ライスさん、貴女の天皇賞・春制覇は特別なことです。それはご存知ですか?」

「えっと、天皇賞・春を二勝したのは、過去マックイーンさんとライスしかいないから、ですか?」

 ライスが尋ねるが、

「違います。それではマックイーンさんが特別賞を受賞していないことの説明が付きません」

 たづなが言う。確かにその通りだ。特別賞を受賞したのは過去オグリキャップ、トウカイテイオー、スペシャルウィーク、グラスワンダーだけである。

「実はライスさんの記録は日本のレース上、唯一無二なのです」

「ええっ? ライスが唯一無二?」

「はい。同一GIを二勝したのは過去数多くの例があります。そのほとんどが有マ記念で、スピードシンボリさん、シンボリルドルフさん、オグリさん、グラスワンダーさん。そして唯一有マ以外での達成がマックイーンさんの天皇賞・春」

 たづなが指折り数えていく。これだけの数がいるなら、さして特別とも思えないのだが。

「この中で連覇ではなく、一年空けて二勝しているのは、オグリさんとライスさんだけです」

「えっ? でもそれでも二人なんじゃ?」

「オグリさんが最初の有マを勝ったのはクラシック級のとき。シニア級で一年空けて同一GI二勝はライスさん一人です。おそらく今後、オグリさんに並ぶ人は何人か出るでしょうが、ライスさんに並ぶ人は果たして出るかどうか……。ライスさんの先日の勝ちはそれほどの偉業なのです」

 たづなは言葉を尽くして説明するが、ライスにはいまいち実感できない。それを横で見ていた理事長がにっこり笑う。

「難しく考えることはない。自分は唯一無二のヒーローになった。それだけ理解してくれたら十分だ」

 あえてヒーローという言葉を使ってくれたのは、おそらく理事長がライスの普段の言動を理解してくれていたからなのだろう。

「週末は表彰式です。それを受ければ、もう誰も、いえ貴女自身にさえも、貴女がヒーローであることを否定することはできなくなるでしょう」

 たづなはそう言うと、封書をライスに手渡す。URAの公式の封筒だ。表彰式の招待状だろう。

 天皇賞・春。そのたった一つの勝ちが、いくつもの波紋を起こし、そのたびに誰もが笑顔でライスを祝福してくれる。

 ブルボン。

 マックイーン。

 あの日京都レース場にいた観客たち。

 理事長。

 たづな。

 彼女たちはライスを祝福するが、祝う彼女たちもまた幸せそうな表情で祝ってくれる。

 ライスシャワー。それはみんなを幸せにする祝福の名前。

 


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