「……さん…長谷川さん!」
「ん……ここは?」
目を覚ました私の視界に映ったのは綾瀬の顔だった。頭を振って、ぼやけた意識を戻しながら周囲を見回すと、裸の少女達が所狭しと詰め込まれていた。綾瀬、宮崎、早乙女、古菲。どれもクラスメイトで、先ほどまで一緒だったメンバーである。
「一体どういう状況だ?」
「どうやら私達は拉致されてしまったみたいなのです。おそらくはメンバーから考えて、ネギ先生がらみかと」
拉致か……。確かに、私の最後の記憶も大量の液体に飲み込まれたところで終わっている。よく見ると私達が囚われているているのは、液体に満たされた球形の檻のようだ。明らかに魔法的な防壁。殺されてないということは、人質か情報源ってところか?とりあえず、現状はそんなところだろう。
「ふーん、なるほどな。ってか、何でお前ら服着てないんだ?」
「そ、それはですね……」
「お風呂に入っているときに捕まってしまったアル。変な液体に纏わり付かれたと思ったら、ここにワープして……油断したアルよ」
古菲が悔しそうに答える。苛立ちと共に拳を壁面に叩きつけるが、私達を囲む液体の檻はびくともしない。周囲が液体であるため、突きの威力は相当落ちてしまっているし。しかし、古菲で破壊できないのならば、檻の破壊による脱出は不可能だろう。
「にしても神楽坂がいないみたいだけど、あいつは無事なのか?」
ネギ関連のメンバーのうち、ひとりだけ姿の見えない彼女のことを尋ねるが、綾瀬は首を横に向けることで答える。檻の外に視線を移すと、両手を頭の上で縛られ、立ったまま拘束された神楽坂の姿があった。なぜかエロい下着を身につけている。野外であんな露出プレイをさせられているあいつの心情を思うと泣けてくるぜ。いや、こんな透明度の高い液体の中で全裸を晒しているこいつらに比べたらマシか。とにかく、これでネギの従者は全員が囚われたってことだな……。
「こうなると、ネギの救援を待つしかねーか」
おそらく敵の狙いはネギだろう。そして、ネギの頭には他の魔法先生に救援を求めるという発想はない。アルビレオには相談するかもしれないが、あいつは学園長に報告するだろうか……?修行の成果を試す機会として、ネギが敗北してから報告しそうな気もする。実際にはどうなるか。やっぱり過負荷(マイナス)で相手の内面を読めないと予測がつかないな。仕方なく、左右に大きく頭を振って考えを中断した。人任せはやめて、打てる手は打っておくべきだろう。
「古菲、どうにかこの壁壊せないか?」
「こういう魔法の壁は初めてだから確信はできないアル。とりあえず、全力の寸勁を試してみるアルよ」
そう言って右拳を監獄の奥へと伸ばし、液体と外界と間の壁に貼り付ける。そのまま目を閉じて呼吸を整えると、気の扱えない私にも分かるほどに古菲から感じる圧力が大きくなった。その増大した気を一点にて放出しようとして――
「何をしようとしているのかね、お嬢さん方」
「っ……!?」
外界から声が掛けられ、中断させられてしまう。ビクリと反射的に振り向くと、そこには全身を黒のロングコートで覆った老年の紳士らしき男が立っていた。平然としたその表情から、この人物こそが自分たちを拉致した犯人であると悟る。
「ははは、そんなに硬くならなくとも結構。私の目的はネギくんだけでね。君達に
危害を加える気はないよ」
「そうかい。そりゃ助かるな」
気さくに話しかけてくる老人に返事をする。その間に私は過負荷(マイナス)を発動させた。何の障害もなく相手の精神に侵入することができ、心中でほっと安堵の溜息を漏らす。そして、同時に自分の心の動きに驚いていた。アルビレオに出会って以来、自身の過負荷(マイナス)に対する劣等感(じしん)がこれほど薄れていたなんて……。
「あんた!何で私たちを浚ったのよー!さっさと放しなさいよ!」
「おやおや、元気の良いお嬢さんだ」
外で拘束されている神楽坂は、じたばたと手首に巻きついた鎖を振り回しながら暴れていた。それを微笑ましそうに見つめる男。しかし、その平和そうな光景に騙されてはならない。
――上位悪魔、ねぇ
人間の姿を取っているが、この男の正体は悪魔で名前はヘルマンというらしい。そして、私を捕らえているこの水球の檻はスライムで出来ている。ヘルマンという男、こちらに害意はありませんといった様子だし、目的はネギと戦うことのようだが、実際は私達を処分する可能性も考えていた。この男は才能のある少年以外には興味がないのだ。依頼の目的である神楽坂は誘拐していく予定だが、利用価値の無い私達を生かしておく理由はないとのことだろう。最悪、このスライムの成分を強酸の溶解液に変化させ、消化して証拠隠滅を図ろうとまで考えていた。
「おい、古菲。奴の注意を引くから、その隙にこの檻を叩き壊してくれ」
「えっ……いや、わかったアル」
耳元で囁いた私の言葉に古菲は小さく頷いた。さりげなく壁面に拳を置き、静かに気を練り上げる。気付かれているだろうか。暴れる神楽坂と会話をしながらもヘルマンの注意はこちらへと注がれていた。先ほども気の高まりを感知してこちらへと声を掛けたのだろう。
「なあ、あんた私たちを生かして返す気なんてないんだろ?」
「なぜだね。それは誤解だよ。目的はネギくんだと言っただろう?無関係な君達を手に掛ける意味なんてないさ」
「生憎、私にはそんなプラスな発想はできなくてね。無関係ってのは殺されない理由がないってことだろ?」
ポケットからナイフを取り出し、刃を露にする。他の連中と違って入浴中に転移された訳ではないため、衣服と持ち物は没収されずにいたのだ。しかし、それを確認したヘルマンは呆れたように溜息を吐いた。
「その檻はナイフで斬れるような甘いものではないよ。ましてや、気も魔力も使えない無力な人間にはね」
「お見通しみたいだな。ま、無力で非力なのが私たち過負荷(マイナス)の特徴だしな。だけど、力が無いからといって、勝てないからといって、――無害なわけじゃないんだぜ」
そう言って私は鋭く研がれたナイフで、――自分の左腕を斬りつけた。
「何だとっ!?」
動脈を切り裂かれた私の腕から、勢いよく赤い液体が噴き出していく。明らかに致死性の傷だが、そんなことは私には関係ない。周囲の液体と鮮血が混ざり合って真っ赤に染まる。本命である古菲への視界が遮られていく。しかし、そんなことは些事であろう。一切の躊躇も無く、笑顔を浮かべて自身の動脈を深々と切り裂いた人間を前に、明らかにヘルマンは硬直してしまっていた。理解できない存在を目の当たりにしたその表情がおかしくて笑ってしまう。自分が悪魔よりも最低な存在であるということに、満たされるような嬉しさがあった。
「おい、古菲。まだかよ?」
いつまで待っても壊れない深紅の檻に、怪訝に思って私は小さく声を掛ける。視界が真っ赤に染まっているため、他の連中の様子が分からないのだ。しかし、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「ご、ごめんアル。集中が解けて……も、もう無理アルよ」
「くっ……早く浄化するのだ!」
ヘルマンの怒声によって周囲の赤色が透明に戻っていく。私の腕もスライムが強く巻きついて止血を行っていた。そして、透明になった檻の内部は凄惨な状況だった。全員が死人のように青ざめた表情で、寒気を覚えたように両手で自身を抱き締めている。頼みの古菲も、私のマイナスに当てられて、とても技を放てる状態ではなさそうだ。
「……ミスったな。なるほど。プラスとマイナスが共闘しようとすると、こうなるのか」
「いやはや。何ともおぞましい存在だ。君のような人間は初めてだよ。しかし、そのおぞましさゆえ、他人と共闘することはできないようだ」
「そうみてーだな」
やれやれと首を横に振って答える。だけど、これでも構わない。ヘルマンは先ほどの急激な緊張の反動でわずかに気が緩んでいる。だったら、私の本命が届くはず。
「無駄なあがきはもうやめておくのだね」
「そうするよ。私にできるのは他人の足を引っ張ることだけだからな」
その瞬間、ヘルマンの背後に跳び掛かってくる人影が見えた。背後からの奇襲。恐ろしいほどの速度で接近するそれに、私は一切の反応を表さずに会話を続ける。それにより、ヘルマンの反射がわずかに遅れてしまった。
「そのようだ……ぬっ!?」
人影が振り下ろした日本刀がとっさに振り向いて伸ばした右腕に衝突した。ガキィンと鈍い金属音が響き渡る。しかし、それで体勢が崩れたヘルマンは、続く斬り上げの一撃をバックステップによって回避する。しかし――
「ぐっ……」
――避けたはずの一撃によって縦一文字に血液が噴出した。
「――斬魔剣弐の太刀」
凍えるような冷たい声が響く。
「桜咲さん!?」
そこには一人の少女の姿。桜咲刹那だった。私が携帯で救援のメールを送っていたのだ。
「き、君は……」
「仕留めそこないましたか。ですが、神鳴流は退魔の剣。確実に滅させてもらいます」
鋭い眼光で手傷を負ったヘルマンを睨みつける。その瞳には暗く燃え滾る炎が浮かんでいた。膝を着いて掌で傷口を押さえるヘルマンに再び相対する桜咲。その視線がちらりとこちらに向いた。
「よくも千雨さんを……!貴様には送還など生ぬるい」
そう怨嗟の言葉を吐くやいなや、一瞬で距離を詰めた桜咲は目にも止まらぬ速さで刀を振り下ろす。ヘルマンも必死に魔力強化した身体で対抗しようとするが、無数の斬撃を前にしてはとても捌ききることができない。乱反射する閃光のように、剣閃が走るたびに浅い傷が生じていく。
「死ね!死ね!死ね!死ね!」
鬼気迫るとはこのことだろう。悪鬼のような形相で恨みと憎しみを込めて刀を振るい続ける桜咲。その姿はあまりにマイナスで、醜悪なものだった。
「千雨さんに仇なす者には死を!」
あまりに狂信的な叫び。周りのやつらが訝しげな視線を私に向けるのを感じた。ドン引きしたような表情が浮かんでいる。いや、まあ確かに私のせいではあるんだが……。
修学旅行以降、私は休日に桜咲と出掛けることが多くなった。どうも人外としての自分を受け入れてくれたのがよほど嬉しかったらしく、やけに懐かれたようだった。近衛との仲を取り持とうとしたはずだったのだが、予想外の結果である。そして、放課後も私の部屋で過ごすようになり。たびたび一緒に行動をすることで、ついにはマイナスな精神性までもが伝播してしまったようだった。
「ぐぅぅぅっ……!」
「はあっ!」
鈍い金属音が鳴り響くたび、ヘルマンの身体が右へ左へとピンボールのように跳ね飛ばされる。一撃ごとに苦悶の表情が浮かぶ。上位悪魔をこれほど圧倒するとは、桜咲の人外としての潜在能力は並ではない。人間を超えた種族としての潜在能力を惜しげもなく発揮した剣戟は、あまりにも重く、鋭かった。
「しまっ……」
「隙ありっ!」
あまりにも強烈な斬撃に、とうとうヘルマンの防御が崩された。両腕が弾き飛ばされ、身体が強制的にのけぞらされてしまう。完全にがら空きの体勢。それを見た桜咲は殺意に歪んだ笑顔を浮かべながら、両腕で刀を上段に振りかぶった。
「貴様はこの世に塵一つ残さない。千雨さんに歯向かったことを、後悔しながら死んで逝け」
桜咲の愛刀『夕凪』からバチリと雷光が迸る。その輝きは次第に光度を増し、プラズマのごとく青白く変化していく。
「極!大!」
上段に構えた刀身に、指数関数的に気の純度が増大していくのを感じる。極大化した稲妻は刀を媒介に再び圧縮されていく。これが桜咲の全力にして最大の一撃。これが炸裂すれば周囲一帯が更地と化すだろうという確信すら覚える。しかし、気の練り上げと圧縮に時間を掛けすぎた。相手も覚悟を決めたように表情を厳しく引き締めている。ヘルマンは拳をギュッと固く握り締め、腰溜めに構えた。
「雷鳴剣!」
「悪魔パンチ!」
――互いの剣と拳が交錯する。
雷鳴と轟音が炸裂する。まばゆい光と土煙が視界を埋め尽くした。私達の視界が晴れた頃、そこに立っていたのは――左肩から先の消滅したヘルマンだけであった。
「桜咲っ!?」
あの凄まじい拳の一撃を腹に受けた桜咲は、気を失ってその場に崩れ落ちる。しかし、ヘルマンも無事ではいられず、左肩の付け根は焼け焦げ、その先は消滅させられていた。
「はぁ……はぁ…恐ろしい一撃だった。しかし、私への憎しみゆえか、威力だけにこだわっていたために何とかカウンターを合わせられたがね」
紙一重の勝敗を分けたのは、私から学んでしまったマイナスの感情だった。先ほどの激突で生じたクレーターの中央で、一人は倒れ、一人は立っている。決着はこれ以上なく桜咲の敗北だった。救援に来た桜咲の敗北に、他の連中も沈んだ面持ちで黙り込んでしまっている。かく言う私も、これで万策尽きたと言わざるを得ない。先ほどのドタバタで携帯電話はスライムに奪われてしまったのだ。
「さて、彼女は君が呼んだ仲間だね?長谷川くんと言ったかね。君だけは先に殺しておくとしよう」
「おいおい、私達に危害は加えないんじゃなかったのか?」
「君は危険すぎる。前言は撤回させてもらおう。召還されただけの私とて、死にたいわけではないのでね。君に関わっていては、無事に送還されるという確証すら覆されそうだ」
死の予感に私の背筋に悪寒が走る。こいつ、スライムに命じて私を殺す気だ。どろどろに溶解させられた自分自身の姿を幻視する。ヘルマンが命令を発しようとして――
「僕の生徒を返してください!」
「おっさん!リベンジや!」
――箒に乗って現れた二人の子供に遮られた
私達の担任であるネギと修学旅行で敵側についていた犬神小太郎だった。そういえば、ヘルマンの本来の目的はネギだったか……。だけど、犬神はどうして?いや、二人は共闘するようだし、救援の戦力は高いのは歓迎すべきか。実力では桜咲に圧倒的に劣るネギだが、敵は満身創痍の上に隻腕、しかも二対一ならば勝ち目はある。
「ふふ……待っていたよ。私に勝てたら彼女達は解放してあげよう」
「ネギ、合わせろや」
「分かったよ。僕が後衛をやるから、前衛をお願い」
手負いの魔物であるヘルマンから滾る全力の魔力の奔流に、ネギと犬神は最大級の警戒態勢を敷く。軽い打ち合わせの後、二人は戦闘を開始しようとして――
――突然、ヘルマンが口から血を吐いて地面に倒れ伏した。
「えっ!?」
うつ伏せに倒れたその背中には、巨大な杭のような物が何本も突き刺さっていた。ピクリとも動かないヘルマン。深々と心臓を貫かれ、明らかに死んでいた。
「な、なんや……。何が起きたんや……!?」
「わからないよ。僕達が来る前にも戦ってたみたいだし、それが原因じゃ……」
ヘルマンの死体に突き刺さっているこれは……巨大な、ネジ?
『いいや、違うね。さっき戦っていた女の子はそこに倒れているし、この傷は明らかに即死させられたものだよ。何の目的があってこんなネジで串刺しにしたのかは分からないけれど、これは彼女の仕業ではないだろうね』
「誰っ!?」
「あんた何者や!」
血を吐いて倒れたヘルマンに視線が集中していて気付かなかったが、死体のすぐそばには一人の男が立っていた。いや、私達には死体との区別が付かなかったのかもしれない。中肉中背、黒髪黒眼、学ランを着ており、一見して普通の学生に思えることこそが驚きだった。なぜなら、その身体から発する気配は、あまりにも不気味で醜悪でおぞましい。全身に返り血を浴び、その両手には死体に螺子込まれたのと同じ巨大なネジが握られていた。
『おっと、そんな目で見ないでおくれよ。僕が来たときにはすでにこうなっていたんだ。だから――』
見違えることも勘違いすることもない。まるでこの世の全ての負の要素をかき集めて凝縮したかのようなこの感じ。声も仕草も、存在そのものがマイナス。間違いなくこの気持ち悪さはあの人のものだ。私が恋焦がれていたあの――
『僕は悪くない』
「球磨川さんっ!」
感極まって涙声になりながら、その名前を呼ぶ。感動の再会。長年待ち焦がれた瞬間だった。そして、球磨川さんはこちらを振り向いて首を傾げる。
『えーと、誰?』