土埃の煙る、穴だらけの教室。半壊した校舎の教室の隅で、月詠からの襲撃を撃退した私達は怪我の治療を行っていた。
「ふぅ……。助かったぜ、桜咲」
「いえ、当然のことです。むしろ、千雨さんの身体に傷を負わせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、あの殺人狂を相手に生きてるんだから御の字だぜ」
話しながら桜咲は上半身の服を脱いだ私の身体に包帯を巻きつける。同時に、肌に直接札を貼り付け、回復魔法っぽいことをしてくれていた。その表情は真剣そのもので、しかし――
「……やけにベタベタと触ってるみたいだが」
「ふぇっ!?な、何を言っているんですか!そんな訳ありません!これは純粋な医療行為です!」
「……そうか。悪かったな、疑って」
「いえ、誤解が解けたようで何よりです」
荒い息遣いのまま早口に答える桜咲。しかし、この女は本当に気付かれないと思っているのだろうか。興奮で脳みそが焼き付いたとしか思えない。撫で回し方がどう考えても普通じゃないし、そもそも下着の中に手を入れるのがどんな医療行為になるんだよ。もはや理性が吹っ飛び掛けているのか、さっきからどんどん手付きがいやらしくなっており、左右の掌の位置が胸と局部に固定されていた。指が激しく這い回る。
桜咲のおかげで助かったのは事実だし、ご褒美として私の身体を好きにさせてたんだが、そろそろ身の危険を感じるレベルになってきたな。もはや戦闘中よりも息が荒いし、目が血走っていて恐いくらいだ。それを中断したのは、携帯電話の着信音だった。
「どうした、朝倉?」
「どうしたじゃないって!何を二人でエロいことしてんのよ!」
「エ、エロいことなんてしてません!」
隣で桜咲が往生際悪く叫んでいる声を無視して、私は問い掛ける。わざわざ朝倉から連絡があるなんて、嫌な予感しかしねー。
「緊急事態よ!ついさっき、ウルスラの投票所が破壊されたわ」
「……やってくれる。魔法使いの襲撃だな。だが、ウルスラには高音と佐倉が防衛に回っていたはず。あの二人を撃破するとなると、かなりの数の奴らが押し寄せてきたのか……?」
「違うよ、敵は一人。高畑先生が単独で私達を潰しに来たんだ」
その言葉に私は思わず舌打ちする。戦闘力ならば学園随一と目される男が攻め込んできたのだ。
「まずいな……。すぐにマクダウェルに連絡して男子高から退避させてくれ。魔力のないあいつに勝ち目は無い」
「だね。桜咲も合わせて全員で掛からないと相手にならないだろうし」
私と桜咲とマクダウェルの三人で何とかできるか?空繰を別件で動かしたのは悪手だったかもしれないな。とにかく、戦力を一点集中してしのぐしかない。
「高音先輩と佐倉さんの消息は不明だよ。おそらくは捕まったんだと思うけど」
「そうか。じゃあ、すぐにそっちに向かう。準備を整えておいてくれ」
「了解……っと、あれ?あ、ヤバっ!」
直後、受話器の向こう側に轟音が響き渡った。いや、同時に電話の外からも。慌てて振り向くと、視界の先、麻帆良女子中の選挙会場が跡形もなく崩壊させられていた。
「千雨さん!」
「わかってる!行くぞ!」
慌てて駆けつけた私達の目に映ったのは、全壊した選挙会場の跡地だった。まるで上から何度も執拗に押し潰されたように、まっさらな更地となっていた。こんな芸当が可能なのは、奴しかいない。瓦礫だらけの更地と化した中学校の敷地に、ひとりの男が立っていた。上下白のスーツを身に纏い、その両手をポケットへ突っ込んでいる。
彼こそが学園最強の警備員、高畑・T・タカミチ。かつて、私も煮え湯を飲まされたことのある天敵。やはり、正義の魔法使いを体現するこの男を倒さなければ、私達に勝利は訪れないのか……。
「こんにちは、高畑先生。一体こんなところへ何の御用ですか?確か、先生は選挙の担当じゃなかったと思いますけど」
私の声を聞いて、ゆっくりと振り返る高畑。その顔は張り付いたような無表情だった。無言で佇んでいる男を、ニヤニヤと気持ち悪い視線で眺めてやる。直後――
「千雨さんっ!?」
私の身体はガクリと膝から地面へと崩れ落ちた。頭がぐらぐらする。視界が回転する錯覚。完全に脳震盪の症状だった。以前も喰らったことのある高畑の戦闘技法、居合い拳。
まさか、問答無用で生徒の顔面に叩き込んでくるとは……!
「悪いが、君達と話をするつもりはない」
「……へえ、非道い先生ですね。生徒との対話こそが教師の本分でしょうに」
ガクガクと震える膝に鞭打って、何とか立ち上がる。生まれたての小鹿のような脚の震えだが、どうにか平静を装って相手へと声を発していた。かつて一度喰らったことで、脳震盪への慣れがあったおかげだろう。しかし、私では高畑と勝負にすらならないだろうことを確信させられていた。超高速で迫る無音拳に気付くことができなかったのだから。しかし、そもそも直接戦闘など私の本領ではない。
「ごめんなさい、高畑先生」
突然、私の目から涙が溢れ出した。地面に膝を着き、頭を床に擦り付ける。それは土下座の姿勢だった。泣きながら高畑に懇願する。桜咲は呆然とした表情を浮かべるが、しかし、これが弱者の手段。
――泣き落とし
高畑の性格ならば、これは効果的なはずだ。弱さを曝け出した相手に暴力を振るうなど、善人にはできない。
「本当は球磨川先輩に脅されていたんです。こんなことはしたくなかったのに……。ですが、あの人は――」
しかし、涙を流しながら顔を上げたその先には、変わらず無表情の高畑の姿があった。それを理解した瞬間、再び私のあごが跳ね飛ばされていた。
「言ったはずだよ。君達と話をするつもりはないと」
マジかよ……。本当に容赦無しじゃねーか。
薄れゆく意識の中で悪態を吐いた。が、自身の舌を思いっきり噛むことで、どうにか気絶だけは免れるのに成功する。だが、それだけだ。立ち上がったとしても、また一撃で倒されるだけ。
「さて、投票箱は破壊できたようだね。校則にある通り、投票箱を紛失した会場では選挙を行うことができない。残りの男子高等部の物を壊せば、君達は終わりだ」
私は見誤っていた……。高畑は教師である前に魔法使いなのだ。それも、大戦を生き抜いた精鋭中の精鋭。敵対者に同情を向けるなんて、甘すぎる見通しだった。
与えるべきは憐憫ではなく恐怖だったのだ。それを確信した瞬間、私の全身から凶々しいまでの負の空気が漂い出す。気持ち悪い笑みを浮かべて、私はゆっくりと立ち上がった。高畑との間に立ち塞がるようにしていた桜咲を、肩に手を置いて横へどかす。心配そうな表情の桜咲だが、負の塊と化した私を認識するやいなや、口元を吊り上げて嬉しそうな笑みを作った。どろどろに濁った瞳を高畑へと向ける。
「女子生徒の顔面を殴るなんて、まったく非道い教師もいたもんだぜ。まったく、痛みで気が狂いそうだぜ。何度も殴られたせいで顎が痛いし、歯も折れたかもな、こりゃ」
「君と話し合う気は……」
「ない、って言うんだろ?分かってるよ、会話をする気はない。それに、敵対する気もねーよ。勝てないってのは身に染みて理解したからな」
ガラリと雰囲気の変わった目の前の生徒に対して、わずかに高畑の顔に警戒が浮かぶ。そして、その表情は私が言葉を重ねるに連れて険しさを増していった。だが、言葉の通りに私には高畑と戦う気はない。もはや武器や拳を交わすつもりもない。ただ、――言葉を交わすだけだ。
「つまり、降伏するということかい?」
微塵も信じていないといった風に声を出す高畑。まったく失礼な教師だぜ。
「いいや。こんな甚大な被害を受けて、あっさりと降伏できるほど私は寛大じゃないぜ。だけど、あんたには逆立ちしたって敵わない。だから、顔面を二回殴られた痛みは、顔を傷つけられた恨みは、――あんたの大事な誰かに対して晴らさせてもらうことにするぜ」
気持ち悪い笑みを浮かべて発せられたその言葉に、高畑の顔面が引き攣った。
「どうぞ。好きなだけ殴ってくれて構わないぜ?目を潰してもいいし、骨を砕いてもいい。レイプしても一向に構わないぜ。あんたの大切な人が同じ目に遭うだけだ」
両手を大きく左右に広げ、胸を張って宣言する。完全に高畑の瞳には異形の化物を見るような恐怖が映っていた。得体の知れない怯えにより、気圧された男は無意識に一歩後ずさる。あまりにも醜悪な脅迫。これこそが私のマイナスの真骨頂であった。
「誰の顔面をぐちゃぐちゃにして欲しい?やっぱり女の顔を殴ったんだから、恨みは女の顔を滅茶苦茶にすることで晴らすべきだよな。同僚のしずな先生か?それとも大切な教え子か?それとも――」
血の気が引いたかのように青ざめる高畑の表情。それを眺めながら私は愉しげに口元を歪める。
「――ようやく人並みの幸せを取り戻した、神楽坂にしようかな?」
高畑の心が折れたのを感じた。
「ああああああああああああっ!」
一瞬の思考停止。歴戦の英雄でさえ、私と向き合うのを放棄せざるを得なかったのだ。高畑の脳内が殺意のみに埋め尽くされる。一瞬にして相手の全身から感じる圧迫感が増加。それと同時に弾けんばかりの強烈な殺意が叩きつけられる。
究極技法、――咸卦法。
それは高畑の無音拳を圧倒的ともいえるほどの攻撃力へと昇華させる。打ち出されるであろう殺意を込めた一撃。当たれば私の脆弱な肉体など弾け飛ぶだろう。しかし、高畑の瞳に私は映っていない。恐怖と怯えに支配された心は、私と向き合うことを拒絶したのだ。そんな理性を失ったやぶれかぶれの攻撃なんて、私にとっては隙でしかない。
「――隙だらけだぜ」
丸見えのタイミングに、フェイントも何もない殺意のみの一撃。それを回避してカウンターの打撃を加える。それを夢想していた私の表情が一瞬にして凍りついた。
――千条閃鏃(せんじょうせんぞく)無音拳
危機を悟って肥大した知覚が捉えたのは、一面に広がる無音拳の壁だった。視界を埋め尽くす無数の打撃を前に、回避することなど物理的に不可能。しかし、これは明らかに大軍を相手にした際に使用する大技である。こんな技をたった一人の無力な女子相手に使うなんて……!
ここにきて、またしても自身が見誤っていたことを理解した。私は高畑を追い詰め過ぎたのだ。相手の理性を奪い過ぎた。恐怖を与え過ぎた。つまり、自身のマイナス性の増大に無頓着だったツケが回ってきたのだ。
圧倒的な力の奔流。魔法界屈指の実力をもつ高畑の、全力の殺意を込めた致死性の弾幕。広範囲を殲滅するためのこの技を前に、気での防御すら不可能な脆弱な私に生き残る術はない。呆然と迫り来る拳の壁を眺め、数瞬後の死を確信した。しかし――
「一瞬千撃・黒刀斬空閃」
――その全てが無数の斬撃によって打ち落とされた。
「これ以上、千雨さんには指一本触れさせません」
禍々しい負の空気を纏って、桜咲が高畑の前に立ち塞がった。その瞳は濃密な殺意に彩られている。驚いた表情を受かべる高畑。全力での攻撃を防がれたのは予想外だったのだろう。しかし、妖刀『ひな』の狂気は、潜在能力を限界まで引き出して増幅する。現在の桜咲の力は高畑にさえ届くのかもしれない。
「千雨さん。高畑先生は私が受け持ちます。ここは私に任せて千雨さんは男子本校へ向かってください」
「わかった。ここにいても私じゃ足手まといになるだけだしな」
「護衛を離れることになって申し訳ありません。ですが、必ずや高畑先生に、千雨さんに殺意を向けた報いを受けさせますので」
頼んだ、と言い残して私は瓦礫に埋もれた選挙会場跡を見回した。そして、ある地点へとまっすぐに駆け寄り、目的の人物の頭を思いっきり踏みつける。
「痛っ!ちょっ……何するんすか!」
「どさくさに紛れて死んだフリしてんじゃねーよ!いいから、さっさと私を男子本校に連れて行け!」
瓦礫の陰に隠れていたのは、かろうじて選挙会場の破壊から逃れたらしい春日だった。私達の戦闘も、我関せずで無視を決め込んでいたらしい。
「いやー。これ以上あんたらに関わると命の危険がありそうで……」
「この激戦区に留まるつもりなら止めねーぜ。たぶん、中東の戦場に居合わせるよりも危険だと思うけどな」
視線で示した先には尋常でない密度の気を纏った二人の姿があった。桜咲は刀を構え、高畑は両手をポケットに入れたいつもの体勢。二人の激突による被害が、選挙会場の崩壊程度で済まないことは明らかだ。それほどに埒外な戦闘力を双方が所持していた。春日の顔色が一変する。
「おっと、一人で逃げられると思うなよ?」
がっしりと春日の肩を強く握り締める。すると、彼女は諦めたように嘆息した。
「……わかったよ。口論している時間の余裕はなさそうだし。早く背中に乗って」
「やはり持つべきものは親友だな」
「……さっきまで私を脅迫してた同級生の台詞とは思えないって」
諦念の篭った声音でつぶやく春日だった。自動車並みの加速でこの場を離れる私達。直後、背後の二人の間で張り詰めていた緊張が炸裂した。
――七条大槍無音拳
――真・黒刀雷光剣
麻帆良史上最強の対戦カードがここに成立した。