修学旅行二日目が無事に終了した。何事もなく旅館に戻った私と桜咲は、今後の打ち合わせのために人気の無い一室に集まっていた。
「今日は襲撃がなくて助かったな」
「ええ、昨日の女が首謀者だったようですから。おそらくは今後の方策を考えていたのでしょう。自身が不在でも計画は続くように命令してあるようですし。今夜辺りからは仕掛けてくる可能性があります。それにしても……」
ちらりと横を向いた桜咲の視線の先には、クラスメイトの朝倉和美がいた。それに気付いた彼女は軽く手を振って返す。朝倉は今回のために協力を要請した助っ人である。
「朝倉には、私と同じく索敵を担当してもらってる。今日も一日中、周囲に不審な目が無いか確認してくれてたんだぜ」
「そうですか。ありがとうございます。朝倉さんも魔法使いだったのですか?」
桜咲の質問に、いやいやと軽く手を振って答えた。
「魔法も気も使えない、ただの普通(ノーマル)な一般生徒だよ。ただのしがない悪平等(ノットイコール)さ」
「悪平等(ノットイコール)、ですか?」
「気にしなくていいよ。たぶん桜咲が関わることはないと思うしね」
そう言って笑う朝倉。その笑みは強者のような凄みもなく、弱者のような醜悪さもない、普通のものだった。
――悪平等(ノットイコール)、安心院なじみ
一京のスキルをもつ人外。朝倉は彼女の端末として、麻帆良学園の調査を行っていた。今回の協力も、私のもっている麻帆良大停電時の情報と引き換えの取引によるものだ。そんな私と朝倉との間には一つだけ条件が結ばれている。互いの情報を誰にも流さないこと。麻帆良は魔法使いのお膝元だ。魔法や気によらない能力者の存在は秘匿しておきたい、というのは二人の共通認識であった。
「そういや桜咲のアドレス知らなかったな。教えてくれよ。別行動してるときに襲撃掛けられると困るからな」
「わかりました。はい……どうぞ」
携帯電話を取り出し、赤外線で互いのアドレスを交換する。朝倉はすでに知っているようなので、交換しないようだ。全校生徒のアドレスを網羅していると噂の朝倉だ。学園の表の情報量については麻帆良随一だろう。私の過負荷(マイナス)は隠し事という制約があるためか、周知の情報には疎い面がある。そもそも、情報屋をやっているわけでもないし、他人の情報なんてわざわざ調べたいとは思わないしな。
「それで、明日の予定は……」
「それより!ちょっと千雨には私のイベントに付き合ってもらうよ!」
「ちょ、ちょっと待て。何だそれは?」
困惑する私を引っ張っていこうとする朝倉。嫌な予感しかしない。そのまま面白がるように満面の笑顔で口を開いた。
「『修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦!』。千雨もエントリーしてあるから」
「ふざけんな!ガキに興味ねー、ってかそれ仮契約目的だろ!お前もあいつらと接触してたのかよ!」
「はいはい、いいから参加しなって。修学旅行中は最大限に協力してやるからさ」
そのまま押し切られ、無理矢理参加させられたのだった。
朝倉の企画したイベント『修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦!』とは、ネギの唇を奪うことを目的とした、誰が一番にネギとキスできるかという勝負である。イベントは旅館に仕掛けられた監視カメラによって中継されており、一位を予想して賭けまで行われるそうだ。
……あまりにもくだらないゲームだ。こんな企画に参加していると思うだけで頭が痛くなってくるぜ。とはいえ、参加するからには一位を狙う……はずもなく。開始と同時に、私は監視カメラの死角に潜り込み、呆れ交じりの溜息を吐きながら歩いていた。
「ネギ先生の唇はわたくしが頂きますわ!」
「ここは拙者が時間を稼ぐでござる。二人は先へ……」
遠くの方からドタバタと音が響いている。音源から離れるように、うろうろと旅館内をさまよっていた。
「ったく……騒がしいやつらだな。見回りの教師に見つかるじゃねーか」
こういうのは遠くから眺めてるだけで十分だってのに。館内に散らばっている教師たちの位置を感じ取り、それらを避けるように散歩を続けていく。しかし、その瞬間、周囲に異分子の反応がひとつ現れた。
「……ちっ、早くも来やがったか」
敵は一人、か……。即座に携帯を朝倉へと繋ぐ。
「朝倉!敵だ!正門から百メートルくらいの位置。堂々とこの旅館に近付いてきてる」
「了~解。正門なら人がいるね。ちょっと待ってて……見えたよ!同調完了!」
「なら、桜咲に連絡を取って誘導してくれ。携帯いくつか持ってたろ?この電話は通話状態のままにしといてくれ」
「わかってるって。あんたはどうすんの?」
「私も行くからルート上の監視カメラは切っといて」
そう言って私は走り出した。私の過負荷(マイナス)、『事故申告(リップ・ザ・リップ)』の発動には条件がある。周辺の違和感を読み取る程度ならまだしも、他人の思考や記憶を暴くには本人を一度視認する必要があるのだ。そのせいで、いまだに侵入者の容姿も目的もまったく不明という状態である。現在の状況を読み取るためにも、侵入者の元へ急がないと……
一京のスキルをもつ人外、安心院なじみ。三年前、朝倉は彼女から一つのスキルを借り受けていた。
――『欲視力(パラサイトシーイング)』
その効果は『他人の視界を乗っ取る』という荒唐無稽なものである。他人の視界を共有できるという方が正確か。すなわち、この旅館に存在する全ての人間が朝倉の『目』というわけだ。処理能力の問題もあるが、数百個の監視カメラを掌握しているようなもの。この旅館内で彼女の『目』から逃れるのは困難だろう。そして、このスキルこそが朝倉の異常なまでの情報収集能力の根源なのだ。
麻帆良学園に所属する悪平等(ノットイコール)は、実のところ結構な数がいるようだが、それでも能力所有者(スキルホルダー)は数えるほどしかいない。しかし、そのスキルはどれもこれも、私の過負荷(マイナス)に匹敵するほどの厄介さである。『欲視力(パラサイトシーイング)』は朝倉の性分に完全にフィットしており、三年前に借り受けて以来、このスキルを十二分に使いこなしていた。
「朝倉、相手の容姿を教えてくれ」
「ええと、眼鏡を掛けたゴスロリの女だよ。年齢は……私らと同じくらいかな?刀を二本腰に下げてる」
「分かった。たぶん月詠ってやつだ。桜咲と同じく神鳴流の剣士らしい。桜咲を予想ルート上の空き部屋に配置してくれ。奇襲を仕掛ける」
「はーい。すでに対象は玄関に来てるから気をつけて」
息を殺して玄関に通じる廊下の奥に潜む。昨日の誘拐犯、天ヶ崎千草からすでに情報は読み取ってある。相手は裏の世界では結構有名な剣士らしい。昨日の女は桜咲が尋問したのち、結界を張って探知されないように隠したはず。おそらくは雇い主の奪還ではなく、近衛の拉致が目的だろう。
「ちょっと千雨~。桜咲が奇襲は嫌だって言ってるんだけど。闇討ちは剣士としての誇りがとか」
「近衛の安全のためだって言って説得してくれ」
まったく、これだから強者(プラス)の連中は困る。何で戦力未知数の相手にわざわざ勝率を減らさなきゃならないんだよ。明日のためにも、ここで敵を減らしておかないと。曲がり角の陰から通りの奥へと視線を向けた。
「……隠された心の中、全て暴いてやるよ」
情報の奔流が私の脳内を駆け巡る。現在のアジトの場所から仲間の動向まで。おかげで十分な情報を得られた。満足げな笑みが浮かぶ。あとは、集められた情報を元に今後の予定を組み上げるとするか。
「千雨、もうすぐ対象が予定地点に到着するから巻き込まれないようにね」
了解、と小さく答えて壁の陰に隠れる。こちらの方向へと歩いてくる月詠が、空き部屋の一室の前を通り過ぎようとした瞬間――
――月詠のいた場所が木っ端微塵に吹き飛んだ
「……すげー威力だな」
轟音が響き渡る。空き部屋に隠れていた桜咲による、扉越しに放たれた強烈な一撃。
――斬空閃
その奔流は部屋の扉はおろか、延長線上の壁までをも粉々に破壊して月詠の身体を吹き飛ばしていた。神鳴流の技の一つ。衝撃波と共に飛来する斬撃は回避不能の突風である。視界の動きからも計算して、最も無防備な瞬間に月詠の側面から真空波が襲っていた。さらに、刀を構えた桜咲が、追撃のために壁の大穴から外へ飛び出していくのが見えた。直後、連続で響く金属音。
「朝倉、どうだ?」
「押してるよ。さっきの不意打ちで左腕に深手を負ったみたい。たぶん、桜咲なら勝てると思う」
「そうか、わかった」
そう言って私はこの場を離れる。これ以上、私にできることはない。不本意だがイベントに戻るとするか。人気の多い場所へと足を向ける。そのとき、曲がり角の向こうにネギの反応があった。おそらく桜咲の起こした騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。
「足止めしておくか」
慌てて走っているのだろう。急激に距離が縮まっているのを感じる。ネギが曲がり角にやってきたタイミングに合わせて、私も陰から飛び出した。
「わぁああああ!」
「うわっ!」
ドンッと目論見どおりにお互いが激突した。勢いよくぶつかった私達は、もつれ合うように床に倒れこむ。よし、これで少しは時間が稼げる。内心でほくそ笑んだ私だったが、しかし、ひとつだけ忘れていることがあった。このガキは、呪いでも掛かっているのかというほどに女運が良いということを――
「んむぅっ!?」
床に倒れた私の口からくぐもった声が漏れた。それと同時に床に描かれた魔方陣が光を放つ。反射的に事態を悟り、全身から血の気が引いた。
――倒れ込んだ拍子に、私の唇にネギの唇が押し付けられていた。
キスされた。ファーストキスがこんなガキに奪われた。半泣きになった私の口元がヒクヒクと震える。呆然と魂が抜けたように放心するしかない。球磨川さんに捧げるはずだったファーストキスが……
「ご、ごめんなさい!千雨さん!あの……!」
「いい。何も言うな」
静かに私はネギの顔の前に掌を出して押し留める。安堵したようにネギが息を吐いた。しかし、私の心の奥からは静かに怒りの炎が湧き上がっていた。殺意と憎悪が渦を巻いて凝縮される。やっぱり負の感情に満たされるのは心地いいな。何気なく右手をポケットへと入れた。その顔には気持ち悪い笑みが浮かんでいたことだろう。ナイフを振り上げ、ネギに突き刺そうと襲い掛かる。
「死ねクソガキがぁあああああああああああ!」
「うわぁああああああ!」
それからしばらく命がけの追いかけっこは続き、最悪なことに『修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦!』は私の優勝となったのだった。