十八話
――ただ外の空気を吸いたかっただけなんだ。
体が弱くて病院の外にあまり出たことがない僕にとって、空は四角く区切られたものだという印象を持っている。
だからか、こっそり病院の屋上に出るのが好きなんだ。
四角くない広い空を見ると、ほんの少し気が晴れるから。
前は鍵がかけられていたけど、少し騒がしかった夜の後からは鍵が壊れていたんだ。
今日は特に息苦しくて、広い空を見たいなと屋上に行ったらどんどん息が苦しくなって、呼吸出来なくなって倒れてしまった。
きっと、こんなことが無いように人目がない屋上は鍵がかけられていたんだな、ともがき苦しみながらぼんやり思う。
「……しに、た、くない」
どんどん狭くなる視界、深くくて暗い穴に落ちていく感覚、想像してたより何倍もする苦しさ。
そういうものから逃げたくて、口から出たのは陳腐な言葉で、そんな最期の言葉を残して僕は――
「……それは無理だけど、なんとかなるよ。言質は取ったからね?」
――一回、死んだのだ。
――――――――――――――――――――――――――
ヒュッ、と呼吸が出来る感覚。
陽の光を頬に感じて、薄らと目を開ける。
そうしたら黒に赤色のインナーカラーの髪を持った女の子が僕を覗き込んでて、驚いて目を見開く。
「あ、起きた。ごめんね、生き返したけど病気を治すのはなんか……無責任な気がしたから多分そのうちまた君は死ぬよ、それは言っとくね?」
この子は何を言っているんだろう? 生き返す? そうだ、僕はさっき死んで――
「――っ!?」
そうだ、僕は死んだ! 死んだはずだ、あんな苦しみが死じゃなかったらなんだと言うのだ?!
飛び上がるように起き上がり、僕は自分の手を見る。
透けてもいないし血の通った色をしている。
……生きている、生きている?
「生きてるよ、わたしが生かした。ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだ、生き返した恩で答えて欲しいんだけど――もう一度死ぬのが死ぬ前より怖くなった?」
「ちょっと黙ってくれないかな!? ……あ、いやごめん、かなり混乱してて――あの、本当に、僕は死んだ、んだよな?」
「そうだよ、どうやって生き返したかは説明できないけど、わたしは出来るの。……ねぇ、質問に答えてよ」
むすっとした女の子は不満げに言う。
質問? ええと、もう一度死ぬのが怖くなったか?
……とんでもないことを訊くなこの子。
本当にこの子が生き返したならマッチポンプって言うんだろ、こういうの、正気か?
「……本音を言うと、生き返したのが本当なら少し恨むよ。死ぬのって本当に苦しいし怖いんだよ、底に何か怖いものが待っている気がする暗い深い穴に無限に堕ちる感覚があった。でもね――」
そう、それでも。
「――君がその穴から一時でも掬い上げてくれたのは確かなんだろ、なら感謝の方が強い、かな?」
「……もう一度その穴に落ちるしかないのに?」
女の子は僕の言葉に疑念があるのか、にこりともせずに吐き捨てる。
「その穴に堕ちるのが、今日から少し先になっただけだよ?」
その言葉は確かに道理だ、でも、そうだな。
「死ぬのはどうしようもない終わりだよ、その終わりが遠ざかるのは良いことだし、同時にその堕ちるまで延びた数日に価値が無いと言うなら、何日、何年でも生きるのが無意味と言うのと同じだと思う」
こちとら死ぬのと向き合って、どうせ若くして死ぬと言われ続けて長いんだ、死生観ならそこそこ考えてるぞ。
「……わたしに都合が良すぎる答えすぎる。罵ってくれたなら少しは……なんだろう」
「ねぇ、君は何に悩んでいるの? 少し聞かせてくれないかな、そのくらいの恩返しはしてもいいだろ?」
「…………」
女の子は無言で僕の横に座り込んで、ぽつぽつと荒唐無稽な話を始めた。
人の生死を操れること、大好きな人が人殺しなこと、少しでも大好きな人の罪を分け合いたくて人殺しをしたいこと。
でもその前に、生き返すことの罪深さと怖さを知らないとダメだと思ったこと、なんでダメなのかはよく分からないけど、どうしてもダメだと思ったこと。
「だからどうせ死ぬ人をちょっと生き返らせて、罵ってもらいたかったんだ。なんでダメかよく分かると思ったから。なのに貴方は恨みこそすれ感謝しちゃった、困るじゃないか……」
膝を抱えて眉間に皺を寄せる。そんな女の子を見て僕はかなり困ったが、同時に納得もした。
「……あのね、もう君は答えが出てるよ、生き返すのはダメだって思ってないと、罵られたいなんて考えないよ」
「……そうなの?」
「そうだよ。でもね、僕は感謝してるんだ、ほんの数日でもこうやって、また息が出来るのは、死に向かった僕だからこそ言える、――幸運なんだよ」
そう、これは望外の幸運なのだ、本当はあのときに一人寂しく死んだのが僕なのに、おまけの人生を貰ってしまったから。
「……生きるのがそんなに幸運なら、殺すことは本当に罪深いってことになっちゃうよ」
「それはそうだよ、殺すなんて本当に罪深い、一生背負って呪われろじゃない?」
「……なんで善おにーさんが一人で殺したいか分かってきたかも、わたしはおにーさんがそんなに呪われてほしくない、けど、それは多分おにーさんも同じで……」
ん、初めて聞く名前だな、でも多分文脈からしてさっき言った好きな人だろう。
……なんと言うか、この子は普通の子供だなぁ。
「……命の価値の話をしたかったりする?」
「命の価値? そんなのみんな同じだよ、誰かの嫌いが誰かの大好きで、だから平等に奪われることも大事にされることもあるよ、違うの?」
「そこは答えを持ってるんだ…。じゃあいいじゃないか、世界で一番好きな人のために殺したり生き返したりしたらいいんじゃない? だって――」
そもそもとして少し僕は腹が立っているぞ、それはこんな女の子がただ一人で重すぎる問いを抱えているからだ。
「――出来ることは出来るんだから仕方ないだろ?」
僕が望んでもないのに病を抱いてるのと同じように、この子も望んで生死を操れるわけではない。
ならば、僕が死ぬことに悩むのが無駄なように、この子の悩みだって無駄じゃないか!!
「ねぇ、出来ることをしようよ、僕はこの通り何もできない病気だけど、こうやって外で気晴らしをして、親の前で笑ったりするのが出来ることなんだ。そのためにちょっと立ち入り禁止の悪いところに行ったりして、死んだりするけど、仕方ないよね? だって、何もしないのなら死んだのと一緒だからさ」
気がついたら言葉に熱が入ってた、長く喋りすぎて咳き込んでしまう。
女の子はそんな僕を気遣って背中をさすりながら、ぽつぽつと話し出す。
「……本当はね、消えた方がいいと思うことも多いんだよ、だって全部の全部が言ってるじゃないか、人を殺しちゃダメ、命を弄んじゃダメって。でも、でも……わたしは好きな人と一緒にいたいから……」
「じゃあ一緒にいなよ、そのために出来ることをしても、神様が怒ろうと僕は怒らないから。……でもね」
そう、でも、多分この子は――
「――自分で自分を許さないと、誰に許されても意味がないんだろうね」
ふと思い返す、健康な体で生まれて来れなくて親に謝りたくなった時とか、いつか親より先に死ぬことを残酷だと知った時とか。
きっとそれと同じなんだろう、この子は自分を納得させられない、納得できるような出来事に出会ってない。
「願わくば、君がいつか自由に生きられますように、納得が、出来ますように」
「……難しいなぁ、納得、納得かぁ、……ありがとう、死んでいたひと」
「どうってことないよ、変な女の子」