悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
古びた木の扉に手をかける。
ギィ、と軋む音は、この建物が重ねてきた年月の重みを物語っているかのようだ。
一歩足を踏み入れると、埃っぽさと、微かに残る薬品の匂い、それでいてどこか甘ったるい薬草の匂いも混じって鼻をついた。
以前、あの魔族の美容師ミレットに髪の手入れを頼んだ時と、雰囲気はあまり変わらない。
店内には、やはり客の姿はない。
ミレットが一人、カウンターの奥で何やら書き物をしていたが、あたしの姿を認めるや否や、ビクリと肩を揺らし、慌てて椅子から立ち上がった。
その顔には、明らかに「うわ、面倒なのが来た」と書いてある。
その拍子に、インク瓶が倒れそうになるのを、あたしは目で追う。
「め、めんどうな髪型ばかり注文しやがって、魔力なしどもめー……」
小さな声で、日頃の鬱憤だろうか、人間客への愚痴がミレットの口から漏れた。
どうやら、あたしだと気づく前にこぼれた本音らしい。
「セ、セレスティア様!?」
あたしの顔を認識した途端、ミレットの顔色が変わる。
さっきまでの疲弊した魔族の姿はどこへやら、途端に背筋を伸ばし、緊張した面持ちで頭を下げた。
まったく、現金なやつだ。
その変わり身の早さには、ある意味感心するね。
「まだ営業してるかい?」
あたしは咳払いを一つして尋ねる。
その時、店の外で二つの小さな影がうごめいているのに気がついた。
不安そうにこちらを見ている。
あの位置なら、窓ごしにミレットも見えているだろう。
「あたしがいいと言うまで動くんじゃないよ」
外の二人に、静かに、だが有無を言わせぬ口調で厳命する。びくりと震える気配が伝わってきた。
ミレットもその影に気づいたのだろう。
「コボルトと人間の雑種!? なんでこんなところに」
あからさまな嫌悪感を顔に浮かべた。相変わらず、種族に対する偏見は隠そうともしない。
あたしは店の外に掲げられた看板を指差した。
以前から気になっていた、あたしには読めない文字で何やら書かれた看板だ。
「あの看板に魔族しか読めない文字で何か書いてたのかい?」
「コボルトごときを魔族と言わないでくださいっ。それも雑種を! セレスティア様でも怒りますよ!」
ミレットが、まるで自分の領域を汚されたかのように激昂する。
だが、その勢いも長くは続かない。
あたしが敵対した相手に対してどれだけ容赦がないかを思い出したのだろう。
みるみるうちに顔が青ざめ、恐怖で涙目になっている。
本当に分かりやすい。
「悪かったね。あんたの価値観にケチをつける気はないんだ」
あたしは軽く頭を下げて謝罪した。
意外だったのだろう、ミレットが目を丸くしてあたしを見ている。
だが、この程度のことで驚かれても困る。
「あたしが読めないってことは人間にとって一般的な言語じゃないんだろう。教会にケチをつけられるような言語だったりしないだろうね?」
核心を突くと、ミレットは「今すぐ下ろしますっ!」と慌てて外へ飛び出していった。
運動神経が悪いのか、店の入り口で派手に転んでいたが、今はそれどころではないのだろう。
外の二人は、あたしの命令を忠実に守り、動かずにいる。
ミレットは助けようともしない二人を、恨めしげに見上げていた。
やれやれだ。
あたしも外に出て、二人に指示を出す。
「何かが近づいて来たら唸りな。仕事が終わったら飯をやる」
こくりと頷く。
その後、あたしは看板の取り外しに取り掛かる。
少し不慣れではあったが、持ち前の頑丈さと膂力で、それほど時間をかけずに看板を地面に下ろすことができた。
一行は美容院の裏手にある、ミレットの住居スペースへと移動した。
質素だが、それなりに片付いている。
「悪いが水と台所を貸してくれ。古いのでいいから毛布も2枚あるといいね。あいつらは服を買いに行く服がない状態なんだ」
あたしはそう告げると、迷惑料込みで金貨数枚をミレットに渡した。
質の良い金貨だ。
ミレットは一瞬、金貨の輝きに目を奪われていたが、すぐに訝しげな表情であたしを見ている。
(言動は蛮族なのに取り引きは甘いくらいに誠実だよね。以前はまともな場所に住んでいたり? セレスティアこそどこかの密偵じゃないかな)
そんな心の声が聞こえてきそうだ。
勝手に推測していればいい。
あたしは借りた台所で簡単な食事の準備を始めた。
一度煮沸し冷ました水に、塩と少量の砂糖を加える。
パンと食べやすい大きさに切って、ハムとチーズとピクルスを挟んで簡単なサンドイッチを作る。
見た目よりも手は込んでいるつもりだが、お洒落さとは無縁だ。
前世の知識がなければ、こんなものすら満足に作れなかっただろう。
盆に乗せて運ぶと、二人が期待に満ちた目でこちらを見ている。
「食べてよし」
合図と共に、二人は勢いよく食事にがっついた。
その食べっぷりは、数日何も口にしていなかったかのようだ。
あたしの分には決して手を出さず、二人の間では分け合っている。
だが、ミレットの分の食事は、隙あらば奪おうと虎視眈々と狙っているのが見て取れた。
野生の血がそうさせるのか。
「これ(二人のこと)、どうするつもりなんです?」
ミレットが、自分のサンドイッチを死守しながら尋ねてくる。
「番犬程度の仕事をするなら独り立ちするまで面倒を見てやるさ」
「コボルトですよ? 魔力なし……んんっ、人間の血は混じっているようですけど」
「待て、の命令を聞けるなら十分だろ。それすらできない馬鹿がどれほどいるか」
あたしの言葉に、ミレットは内心で大きく頷いているようだった。
実際に口に出せない不満でもあるのだろう。
やがて、腹を満たした二人は、安心しきった様子で眠りに落ちた。
これまで、まともに眠ることもできなかったのだろう。
あたしの傍にいれば安全だと、本能的に理解しているようだ。
まるで、強く頼れるリーダーを迎え入れた、小さな群れのようだ。
ぼろぼろの外套の代わりにあたしが与えた毛布を被り、その隙間からは白い毛と黒い毛、そしてぴこぴこと動く犬耳が見えている。
「明日、街の外の川で水浴びさせてからまた来る。そう嫌そうな顔をするな。あんたに迷惑をかけるつもりはないさ」
「……あんたの失敗をフォローするって意味じゃないからね」
釘を刺すことも忘れない。
今回の看板の件も、放置すれば教会に目をつけられ、ミレット自身が危険な目に遭っていた可能性が高いのだから。
そのあたりの危機感が、この魔族には致命的に欠けている。
ミレットが落ち込み、数が少なくなったサンドイッチをちまちまと食べていた。
翌日。
街道を荷車が一両、疾走していた。
荷車を牽いているのは馬ではない。
このあたし、セレスティア自身だ。
荷車は街でレンタルしたものだ。
馬を借りなかったのは、金を惜しんだわけではない。
魔物が出没する可能性のある地域へ行くのに、万が一馬を失った場合の賠償金が高すぎるからだ。
あたしのこの『足』ならば、馬車の一つや二つ、余裕で引ける。
荷台には大した荷物はない。
代わりに、満腹になって元気を取り戻したシロとクロが、高速で流れる景色を楽しんでいる。
髪と犬耳が白い方がシロ、黒い方がクロだ。
「シロ! クロ! 仕事中に遊ぶなら今日の飯は抜きだよ。しっかり見張りな!!」
あたしが喝を入れると、クロが「あん!」と返事をした。
ワン!と吠えたつもりらしい。
シロは「おあん!」と鳴いた。
こちらは、ごはん!と言いたかったようだ。
先は長そうだが、まあ、退屈はしなさそうだ。
馬鹿でも非力でも忠実なら使いようはある。
敵の増援や、漁夫の利狙いの奴等に対する警戒はこいつらに任せて、あたしは目の前の敵を狩ることを考えればいい。
たっぷり食って体力がついた後は、戦闘は無理でも荷運びならできるだろう。
「3人分稼がないといけないんだ。あんたの皮は有効に利用させてもらうよ」
遠くに見えた鋼皮獣(こうひじゅう)に、あたしは獰猛な笑みを浮かべた。