悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
荷車から数歩離れたところで、あたしは振り返り、荷台にちょこんと座る二つの小さな影に声をかけた。
「いいかい、あんた達。ここからはあたしが一人でやる。あんた達2人で見張りをするんだ」
「魔物でも人間でも動物でも、とにかく新しい何かが現れたら大声をあげてあたしに伝えな」
黒い犬耳をぴんと立てたクロが、勢いよく「あん!」と返事をする。
はい、と言ったつもりなのだろう。
その瞳には、やる気とあたしへの信頼が満ちている。
白い犬耳のシロは、白い毛を不安げに逆立て、少し不安そうに小さな声で「ああーなぃ?」と鳴いた。
こいつは「分からない」と言いたいらしい。
その大きな瞳は、心細さで潤んでいる。
その様子に、あたしは思わず口元を緩めた。
人間の言葉にはなっていないが、言いたいことはなんとなく伝わってくる。
「人間の言葉にならなくてもいい。とにかく大声だ。分かったらはい、分からないなら分からないだ」
あたしは内心で(なかなか手強いね)と苦笑いしつつ、視線を遠くへ向けた。
そこには、先ほどからこちらの様子を窺っている鋼皮獣の姿がある。
こちらに気づいてはいるものの、まだ警戒して動こうとはしていない。
今のうちに、このちびっ子たちに最低限の仕事を覚えてもらわなければ。
「いいだろう。もう一度言うよ」
あたしは荷車を止め、身振り手振りを大きく交え、普通の番犬でもひょっとしたら理解できるかもしれないくらい平易な言葉で、再度指示を叩き込む。
声のトーンや表情も使い分け、何とかこいつらに意図を伝えようと必死だった。
元貴族令嬢が、こんなところで犬っころ相手にジェスチャーゲームとはね。
我ながら笑える状況だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
「あん!」
「あい!」
しばらくの格闘の末、今度は二人とも、力強く、そしてどこか得意げに返事をした。
よし、ようやく理解したらしい。
「よーし。良い子とは言いたくないが良く頑張った。……肝心なことを言い忘れていたね」
あたしはニヤリと笑い、言葉を続ける。
「敵があんた達に近付いたときは、大声をあげながら逃げるんだ。あんた達が追いつかれる前にあたしが敵を叩いて潰す。簡単だろう?」
そう言って、愛用の鉄槌――ずっしりと重い金属バットのような業物だ――を軽々と肩に担ぎ、一度空中で軽く振るってみせる。
ブォン、と鋭い風切り音が、朝の空気を震わせた。
その音と、あたしから放たれる闘気に反応したのだろう。
鋼皮獣の低い威嚇の唸り声が聞こえてきた。
野生のサイよりも力が強く、その名の通り鋼鉄のような皮膚を持つという魔獣。
その迫力は、確かに凄まじいものがある。
だが、あたしは適度な緊張感を保ちつつも、冷静さを失ってはいなかった。
(足を止めて正面から打ち合えば、さすがにあたしの腕力じゃ分が悪い。こいつ相手じゃ、速度をどれだけ保てるかが勝負だね)
あたしは自分の最大の武器である『足』――耐久力に比例して向上する、常識外れの走力と持久力――を活かすことを最優先に考え、意識を集中する。
まずは自身の速度を最大限に引き上げる。
鉄槌による一撃は、鋼皮獣に確実に大きなダメージを与えるだろう。
だが同時に、その衝撃であたしの速度も大幅に低下してしまう。
その度に再び加速し、トップスピードを維持し続ける必要がある。
消耗戦になるのは必至だ。
遠くで鳴く鳥の声。
そして、鋼皮獣が地面を掻く音。
全ての感覚を研ぎ澄まし、あたしは地を蹴った。
鋼皮獣の攻撃を紙一重で回避しつつ、その硬い装甲の隙間や、比較的柔らかい関節部分を狙って、鉄槌を的確に叩き込む。
ゴッ、という鈍い音と共に、鋼皮獣の分厚い皮膚がへこみ、くぐもった苦悶の声が上がる。
だが、一撃を加えるたびに、あたしの速度もわずかに殺がれる。
その度に、再度地面を強く蹴りつけ、加速し直す。
ヒットアンドアウェイ。
それを繰り返す。
鋼皮獣も、ただやられるだけの獣ではなかった。
戦闘を通じて、この人間が異常な速度と、それに比例した破壊力を持つこと、しかし、一度足を止めれば自分に分があることを学習したようだ。
執拗に足を止めさせようと、力任せの攻撃を繰り返してくる。
だが、それに気づいた時には、既に遅かった。
あたしの鉄槌が的確に捉えたダメージは、確実にその巨体を蝕んでいた。
本来ならば人間など一撃で戦闘不能に追い込めるほどの膂力を誇る鋼皮獣も、今はその半分程度の力しか出せないほどに消耗していた。
全身に刻まれた無数の打撲痕と、そこから滲み出る血。
本来の力の半分も出せないほどに、奴は消耗していた。
生存本能が、鋼皮獣に逃亡を決断させた。
巨体に似合わぬ俊敏さで身を翻し、森の奥へと猛然と走り出す。
「逃がすもんか!」
あたしも即座に追撃を開始する。
一方、そんな激闘が繰り広げられている場所から50メートルほど離れた場所に止められた荷車の上では、シロとクロが、あたしの優勢な戦いぶりに興奮を隠せないでいた。
特にクロは、顔を真っ赤にしてぴょんぴょんと跳びはね、憧れの眼差しであたしの姿を食い入るように見つめている。
時折、我を忘れて「わん! わん!」と応援(のつもりらしい)の声を上げている。
シロの方は、クロよりは多少冷静さを保っているようだ。
それでも尻尾はちぎれんばかりに振られているが、時折、きょろきょろと周囲を見回し、警戒するような素振りを見せている。
その小さな頭なりに、あたしから言われた「見張り」という任務を意識しているのかもしれない。
逃走を最優先する鋼皮獣は、もはやあたし以外のものに注意を払う余裕はない。
だからだろう。
音と動きがやけに目立つシロとクロに気をとられて、二人が乗る荷車へ一直線に突進してきたのだ!
(まずいっ!)
あたしの背筋を冷たい汗が伝う。
(荷車は最悪壊れても良い……いや、それは駄目だ! 倒しても荷車がなければ、目当ての皮も半分以上ここに捨てていくことになりかねない!)
(それに、手負いの魔物を逃がしたら、ギルドからの評価も下がる。最悪、銀札から降格だってあり得る!)
思考は一瞬。
あたしは叫んだ。
「シロ! クロ! 荷車から飛び降りて、あたしの方へ走りな!」
突然の怒声に、シロとクロは一瞬きょとんとした顔をしたが、あたしの切羽詰まった声色からただならぬ気配を感じ取ったのだろう。
訳も分からぬまま荷車から飛び降りた。
だが、悲しいかな、二人はまだ戦いに慣れていない。
(はぁ……新人はこんなもんだろうねっ!)
内心で盛大にため息をつくが、怒りは湧いてこない。
こいつらにそこまで期待していたわけでもないしな。
今は、この危機をどう乗り切るかだ。
あたしは残された力を振り絞る。
全速力で加速し、鋼皮獣の脇腹に渾身の鉄槌を叩き込む!
ゴシャッ!という、先ほどまでとは明らかに質の違う、肉を断ち骨を砕くような凄まじい音が響き渡る。
鋼皮獣の巨体がよろめき、わずかに進路を変える。
その一瞬の隙が、シロとクロに逃げるための時間を与えた。
「そっちじゃない! あたしから離れろ!」
再び叫び、シロとクロはようやく正しい方向――あたしの背後――へと進路を変えて逃げ出した。
鋼皮獣は執拗に二人を追う。
あたしは疲労を感じ、戦闘開始直後と比べてなかなか速度が上がらない。
それでも懸命に鋼皮獣を追い、時間をかけて追いつくと、再び鉄槌で渾身の一撃を見舞う。
メキョッ、という嫌な音と共に、鋼皮獣の動きが止まった。
限界を超えたのだ。
巨体は勢いよく地面を滑り、やがて完全に沈黙した。
「はぁ……はぁ……。さすがに……疲れたね……」
あたしはその場に膝をつき、荒い息を繰り返す。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、汗が滝のように流れる。
シロとクロは、まだ涙目で必死に走っており、鋼皮獣が倒れたことには気づいていない。
まったく、世話の焼ける奴らだ。
あたしは一度、大きく深呼吸して息を整えると、二人に戦闘の終了を告げるため、声を張り上げた。
「おーい! シロ! クロ! もう大丈夫だ! 戻ってこーい!」
その声に、ようやく二人は足を止め、恐る恐るこちらを振り返った。
冷静さを取り戻したシロとクロが、おずおずとあたしの元へ戻ってきた。
その顔には、「しかられないかな?」という怯えの色が浮かんでいる。
まったく、子供はこれだから面倒だ。
だが、あたしはそんな二人の様子を気にも留めず、近くに生えていた手頃な太さの木に、鋼皮獣の亡骸を吊るし上げる作業に取り掛かっていた。
「早く解体しないと血が腐って死体全部が臭くなっちまうからね」
「……シロ、クロ、何を遊んでるんだい。あたしが仕事しているときは周囲を警戒するんだよ」
「油断してたら苦労して倒した獲物を奪われることになるよ!」
叱咤すると、シロとクロは、あたしがまだ自分たちを群れの一員として扱い、命令を与えていることに気づいたのだろう。
安堵の表情を浮かべると同時に、その瞳に再び気合が宿った。
二人は互いに顔を見合わせると、周囲の警戒を始めた。
まだまだぎこちない動きだが、それでもやろうという意志は感じられる。
しかし、その真面目な警戒も長くは続かなかった。
あたしの解体作業が進み、鋼皮獣の新鮮な肉塊が露わになると、二人は途端にそわそわと落ち着きをなくし始めた。
やがて、その口の端からは、キラリと光るものが垂れ始める。
涎だ。
(こいつら……。まあ、馬刺しや生牡蠣があれだけ旨いんだから、魔物肉好きがいてもおかしくないか)
(けど、馬刺も生牡蠣もあっちの世界の調理技術と衛生管理があってこそ安全に食べられた代物だ)
(特に後者(生牡蠣)に至っては、あっちでも腹を壊す奴が後を絶たなかったくらいだしね……)
前世の記憶が、あたしの頭をよぎる。
「こら! 後で肉を焼いてやるから、今はちゃんと見張りをしな!」
「まったく……あたしだって、解体が得意なわけじゃないんだ。集中させておくれよ」
言葉通り、あたしの解体作業は決して手際が良いとは言えない。
時折、貴重な皮の一部を傷つけてしまい、思わず舌打ちする。
慣れない手つきでの作業は難航する。
悪戦苦闘の末、ようやく剥ぎ終えた鋼皮獣の皮を荷車に丁寧に積み込むと、あたしとシロ、クロは近くを流れる小川へと向かった。
川の水は澄んでいて綺麗だが、油断はできない。
川底の岩陰などには、肉食の小型魔物が潜んでいる可能性もある。
あたしは鉄槌を手に取り、剥き出しの殺気を周囲に放ちながら、川原の大きな石や岩を、手当たり次第に叩き壊していく。
凄まじい破壊音と衝撃、そしてあたしの殺気に怯えたのだろう。
水面が泡立ち、いくつかの魚が気絶して浮き上がり、岩陰からは慌てたように小さな魔物が数匹逃げ出していくのが見えた。
これで一時的にだが、安全な水場は確保できた。
「よし。あたしは火を起こして肉(鋼皮獣のもの)と魚(今気絶したやつ)を焼いてるから、あんた達は川に入って、念入りに体を洗いな」
「あん!」
「あい!」
元気な返事を聞きながら、あたしは手際よく焚き火の準備を始める。
乾燥した枝を集め、火打石で火花を散らすと、すぐにパチパチと音を立てて炎が燃え上がった。
鋼皮獣の肉を適当な大きさに切り分け、木の枝に刺して炙り始める。
気絶した魚も同様だ。
肉が焼ける香ばしい匂いが漂い始めると、あたしは川で水浴びをしているシロとクロに、頻繁に指示を飛ばした。
「おい、シロ、クロ! 服や毛布はちゃんと脱いでから体を洗うんだよ!」
「それから、ただ体を濡らせば終わりってわけじゃないからね!」
「石鹸はないけど、砂と水でしっかり汚れを落としな!」
焼ける肉から目を離さずに、あたしは指示を飛ばす。
まったく、手のかかる奴らだ。
(しかし、こうして見ると、腹は出てるけど手足は細いね、こいつら。栄養状態が悪いのか?)
(そういえば、こいつらはコボルトハーフの子供だったか、それともこれでもう成人なのか?)
(どっちにしろ、仕事のやり方だけじゃなく、言葉もちゃんと教え込まないと、使える仕事が限られるね)
そんなことを考えていると、川で体を洗っていたシロとクロが、肉や魚の焼けるたまらない匂いに気づいたらしい。
犬耳をぴんと立て、キラキラとした期待の眼差しをこちらに向けたまま、体を洗う手つきは完全におざなりになっている。
「こら! お前ら、ちゃんと洗え!」
あたしが思わず立腹しかけた、その時。
ふと、荷車に積まれた鋼皮獣一体分の立派な皮が目に入った。
あれだけの大きさの皮だ、高く売れるだろう。
そう思うと、不思議と怒りも収まってきた。
(まあ、いいか。賊や別の魔物に対する警戒を、あたし自身が気にしなくていいってのは、予想以上に気が楽だ)
(ひょっとしたら、ただの番犬でも同じくらいの仕事はできるのかもしれないが、この二人は今日、仕事を成功させた)
(わざわざ普通の犬で試してみる必要はないだろう)
気分が少し上向いたあたしは、鼻歌交じりで肉と魚を焼き始めた。
シロとクロの腹を満たしてやれば、少しは言うことを聞くようになるかもしれない。
それに、たまにはこういうのも悪くない。
ジュウジュウと肉の焼ける音と、香ばしい匂いが、川辺の風に流されていく。
空には夕焼けが広がり始めていた。
長い一日だったが、それなりの成果はあった。
(数は力だ)
当たり前のことだが、頭で考えるのと体で感じるのは理解の深さが違う。
その日、予定の倍近い肉と魚を焼くことになり、数の面倒さも実感することになった。