悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
街道を、一台の荷車が土埃を上げて進んでいた。
その荷車を力強く牽引しているのは、馬ではない。
このあたし――セレスティア・フォン・ヴァイス、その人だ。
あたしの『足』は、並の馬に最高速度でわずかに劣るものの、その速度を持続させる力と、悪路での安定性においては遥かに勝っている。
荷台には対ユニコーンもどき用の罠を作るための資材が満載されており、その資材の上には、最近手下にした犬耳の子供、シロとクロが神妙な顔で、しかしどこか楽しげに揺られている。
二人とも、先日手に入れたばかりの革製の作業着と手袋をしっかりと身に着け、頭には犬耳を隠すための特注の帽子をちょこんと乗せている。
一行の雰囲気は、鉛のように重かった。
特に、あたしの表情は普段の不敵さや皮肉めいた笑みが消え、どこか自嘲的な影が差している。
「敵意に敵意を返すのは気が楽だが、本気で泣かれて懇願されるとこんな気分になるんだねえ……」
ぽつりと漏れた言葉は、数日前の出来事をあたしの脳裏に蘇らせていた。
あれは、ユニコーンもどき討伐の依頼を受け、その準備として自宅の庭で罠の試作をしていた時のことだ。
完成した罠は、戦闘や戦争に詳しくない一般人が見ても、その殺傷能力の高さと構造の凶悪さが一目で分かる代物だった。
あたしは、万が一にも善意の人間が不用意に近づかぬよう、「危険! 製作者は侵入者の生死を問いません。悪しからず」という立て札を周囲に複数設置する配慮はしていた。
悪意を持って庭に侵入した者がどうなろうと、あたしの知ったことではなかったが。
しかし、結果としてその配慮は裏目に出た。
近隣の住民たちは、庭に設置された見るからに凶悪な罠の数々を目の当たりにし、恐怖に震えた。
衛兵などに通報こそされなかったものの、噂はあっという間に広まり、この土地と建物の元の所有者である鍛冶親方が血相を変えて飛んでくるほどの大騒ぎになったのだ。
最終的には、住民の中で特に信望の厚い古老が、やつれた顔であたしの元を訪れた。
古老は、皺だらけの手であたしの手を握り、涙ながらに「お嬢様の事情も分からぬわけではないが、どうか、このような恐ろしいことはなさらんでくだされ。わしらも、夜も安心して眠れんのです」と切々と訴えかけてきた。
その真摯な懇願を前に、普段なら鼻で笑うか適当にあしらうあたしも、さすがにバツが悪かった。
本当に珍しいことだが、あたしは心から謝罪し、練習のために設置した全ての罠を即刻解体、撤去した。
その回収された資材が、今、この荷車に積まれているというわけだ。
ちなみに、その騒動の際には、どこから聞きつけたのか、街の腕利きの職人――そのほとんどが親方格の者たちだったが――が何人も野次馬として集まっていた。
彼らは、住民の恐怖などどこ吹く風で、目を皿のようにしてあたしが作った罠の巧妙な構造を記憶に焼き付け、「これは売れるぞ」とばかりに算盤を弾いているようだった。
その抜け目なさに、あたしは呆れを通り越して若干の感心を覚えたほどだ。
「……まあ、あの爺さんには悪いことしたけど、職人連中にとってはいい見本市になったみたいだし、結果オーライ……なわけないか。後味が悪すぎる」
あたしは誰に言うともなく呟き、あたしは荷車の速度をわずかに上げた。
街道は徐々に細くなり、石畳は途切れ、轍の跡もまばらな土の道へと変わっていく。
周囲の木々は鬱蒼と茂り始め、文明の気配が薄れていくのを感じる。
「かなりの田舎だね。まあ、交通の便が良い所に大型の魔物が出たら、貴族や軍が素材目当てで部隊を派遣するから冒険者の出番がないわけだが」
荷台の上のシロとクロは、街近くの森とは明らかに異なる、深く濃い緑の奔流に目を丸くしていた。
生命の息吹が濃密に漂い、同時に得体の知れない気配も感じられる。
「街の近くの森とは違うさ」
あたしの声が、シロとクロの緊張を促す。
「いいかい、あたしもあんたらも安全靴……頑丈な靴を履いているけど、杭みたいなものを真上から踏みつけたら靴ごと足の裏を貫かれる」
「そうしたらもう戦えないし動けない。できる限りは助けてやるが、あたしも大型の魔物と戦いながらじゃできることは限られる。いつも以上に気をつけるんだよ」
シロとクロは緊張した面持ちで深く頷いた。
やがてあたしは街道を外れ、森に向かって慎重に荷車を進めた。
森の縁からおよそ百メートルほど手前、比較的開けた場所で動きを止める。
「さあて、問題はどこにいるかだ。あんたら、森に住んでいた記憶は……」
あたしが問いかけると、シロとクロは顔を見合わせる。
あたしと出会ってからの日々は、満腹と、そして時には命の危険を伴う激動の日々だった。
その強烈な印象が、それ以前の記憶を曖昧なものにしていた。
特に、最も苦しかったであろう、あたしに会う前の生活の記憶は薄れており、「わあんない……」「あう?」と、力ない声が返ってくるだけだった。
「あたしもOL時代も令嬢時代も森とは無縁だからねえ」
「おーえう?」
シロが小首を傾げ、大きな瞳であたしを見上げる。
「すごく昔のことさ」
あたしは軽く手を振ってごまかした。
詮索されたい過去ではない。
その、ほんの一瞬。
あたしの意識が、目の前の森からほんのわずかに逸れた、その瞬間だった。
ヒュッ、と鋭い風切り音。
次の瞬間、あたしの肩に衝撃が走った。
森から放たれた矢だ。
しかし、角度が浅かったことと、あたしが身に着けていた特注の革鎧のおかげで、矢は甲高い音を立てて弾かれた。
あたしの耐久力は並外れて高く、この程度の衝撃で戦闘行動に支障が出ることはない。
「伏せな!」
あたしが鋭く叫ぶと同時に、シロとクロは条件反射のように荷車に積まれた資材の隙間へと素早く潜り込んだ。
これで、万が一矢で狙われても、資材が盾になる。
「あたしは銀札冒険者のセレスティア! 馬の化け物の討伐に来た!」
あたしは大音声で名乗りを上げた。
森は静まり返っている。
しかし、緊張感はむしろ増している。
再び、ヒュッ!という音。
今度は、あたしの足先すれすれの地面に、一本の矢が深々と突き刺さった。
警告か、それとも単に腕が悪いのか。
「あたしは名乗った! あんたが知性と理性を持つ生き物なら名乗り返しな! それとも言葉が使えないのかい? だったら鳴き声でもいいぞ、わんわん、ってな」
あたしの口調は、前半こそ堂々としていたものの、後半になるにつれて悪役令嬢時代を彷彿とさせる嘲弄のニュアンスが色濃く滲み出ていた。
その挑発に反応があった。
森の奥から、潜めた声ではあるが、いくつかの声が聞こえてくる。
「短い耳の猿ごときがっ、調子に乗りおって!」
「よせっ、長の許可なく森の外の勢力と諍いを起こす気か」
どうやら、一枚岩ではないらしい。
(森と言えばアレかね。強力な弓を入手可能なイベントがあった気がするけど、あたしもこいつらも鉄バットと解体用と兼用の刃物しか使わないからね)
(そろそろ加速して殴る以外にも攻撃手段を持ちたいんだが、利用価値のあるイベントやアイテムがどこにあるか分からないんだ。記憶力が足りない)
あたしは内心で舌打ちしながら、次の手を考える。
「そっちの方針がまとまるまでこっちは休憩してるよ。シロ、クロ、こっちの文化的な生活を見せつけてやろうじゃないか」
そう言うと、あたしは手際よく焚き火の準備を始めた。
「はい!」「あうー!!」
シロとクロも、資材の陰から出てきて、元気よく返事をする。
恐怖よりも食欲が勝ったようだ。
あっという間に焚き火が熾され、あたしは荷物から取り出した肉の塊に手早く調味料を擦り込み、串に刺して火にかざした。
じゅうじゅうと音を立てて焼ける肉から、香ばしい匂いが風に乗って森の方へと流れていく。
さらに、持参したチーズの塊も串に刺し、火に近づけてとろりと溶かし始める。
肉とはまた違う、濃厚で芳醇な香りが辺りに立ち込めた。
「友好を示すための土産は持って来たのにねー。長持ちしない奴だからしたないねー」
あたしはわざとらしく大きな声で、森に聞こえるように言った。
シロとクロは、自分たちの分のパンも火に近づけて軽く炙り、表面がカリッとなったところにナイフで切れ込みを入れる。
そして、焼けた肉ととろけるチーズを、これでもかと挟み込んでいく。
「相手が出てきても驚くなよ。それと、おそらく戦いにはならないが油断はするな。いいね」
あたしは、表情こそ変えないものの、いつもの落ち着いた口調でシロとクロに小声で指示を出す。
二人は、肉とチーズを挟んだ熱々のパンを(これはあたしの!)とでも言いたげにしっかりと両手で保持しながらも、真剣な顔で深く頷いた。
やがて、森の木々の間から、二つの人影が姿を現した。
人間よりも明らかに長い耳。
そして、人間の美的感覚からしても「とても美形」と評さざるを得ない、整った顔立ち。
障害物の多い森の中で暮らしているとは思えないほど、長く艶やかな髪。
エルフだ。
(原作の主要キャラかもしれないね。しかしあたしはエルフを初めて見たからねえ)
(ひょっとしたらこれがモブ顔かい? だったら妬ましいより恐ろしいよ。エルフの美形がいたら聖人でも道を踏み外しそうだ)
あたしは内心でそんなことを考えつつ、彼らの姿を冷静に観察する。
あたしは「人間」という言葉が、それ以外の種族を暗に「人間より下」と見なすニュアンスを含むことが多いことを知っている。
今はエルフと揉めるつもりはないので、その表現を口に出さないように細心の注意を払った。
現れたエルフの一人――仮にエルフ1と呼ぼう――は、鋭い敵意を隠そうともせず、あたしを睨みつけている。
もう一人、エルフ2とでもしておくか、こちらは比較的落ち着いており、中立的な態度を崩していない。
エルフ1が、あたしがエルフの森に近づいたことを激しく問い詰めてきた。
「何故我らが森に近づく!」
「あんたたちエルフが住んでいるって、あんたたち自身が言っちまっていいのかい? あたしも吹聴するつもりはないが、そんな調子で口に出したら知れ渡っちまうよ」
あたしは肩をすくめて冷静に指摘する。
「ふん。短い耳の猿ごとき、何匹襲って来ても我らの敵ではないわ!」
エルフ1は鼻を鳴らし、侮蔑の言葉を吐き捨てた。
その言葉に、シロとクロが反応した。
自分たちのリーダーであるあたしを馬鹿にされたと思ったのだろう。
口の周りを肉汁やチーズで汚しながらも、鋭い目つきでエルフ1を睨みつける。
その小さな体から放たれる威圧感は、しかし、漂う食べ物の美味しそうな匂いにかき消され気味だ。
エルフ1が、無意識にごくりと唾を飲み込むのが見えた。
食欲は本能だからな。
「交渉を始める前の雑談は、この程度でいいね?」
あたしは、エルフ1ではなく、冷静なエルフ2に視線を向けた。
これ以上エルフ1に好き勝手喋らせ続けるなら、宣戦布告と見なす。
その無言の圧力を、エルフ2は正確に読み取ったようだ。
彼は軽く頷き、エルフ1を制止した。
「本題に入る前に手土産を渡しておくよ」
あたしはそう言うと、荷物から小さな革袋を取り出した。
「餌付けしようとするなど、我らを愚弄するか!」
エルフ1が再び噛みつこうとするが、エルフ2がそれを厳しい視線で黙らせる。
「あんたあたしをなんだと思ってるんだい」
あたしは心底呆れた、という目をエルフ1に向けた。
エルフ2も少し恥ずかしそうだ。
この短気な同族には苦労させられているのだろう。
シロとクロは、いつの間にか一つ目のパンを食べ終え、二つ目のパンや肉、チーズを串に刺して焼き始めている。
まったく、切り替えの早い奴らだ。
あたしは革袋から小さなガラス瓶を取り出す。
「消毒薬として使える強い酒だ。味は、酔っ払えるだけのひどいもんだがね」
この世界の消毒薬は貴重品だ。
切り傷の消毒だけでなく、出産時に産婆が使うこともある。
森で暮らす者たちにとっては価値が高いはずだ。
エルフ2は、その酒瓶を見て、わずかに目を見開いた。
そして、あたしに対する態度をやや友好的なものに改め、初めて自らの名を名乗った。
「私はフィリアス。こちらはリーファという」
あたしは「セレスティアだ」とだけ返し、小さな瓶をフィリアスへと手渡した。
その時、シロとクロが何やら葛藤している様子を見せた。
自分たちで食べるつもりだった、二つ目の焼きたてのパン。
それを、もじもじとしながらも、敵意むき出しだったエルフのリーファに差し出したのだ。
そして、自分たちはそそくさと三つ目のパンと肉、チーズを焼き始めた。
この純粋な行動に、リーファは一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐにふいと顔をそむけた。
しかし、その耳が微かに赤くなっているのを、あたしは見逃さなかった。
さて、とあたしは内心で区切りをつける。
「それで、フィリアス。例の馬の化け物なんだが――」
あたしが「ユニコーンもどき」の具体的な情報、位置や習性、能力について尋ねようとした、まさにその瞬間だった。
ブルルルルルルルル!!!! グォォォォォォォンンン!!!! ヒヒィィィィィィンンンン!!!!!!
森の奥深くから、馬のいななきにしてはあまりにも異様な、そして途方もなく大きな咆哮が響き渡った。
それは空気を震わせ、大地を揺るがすほどだった。
その音量に、森の木々から鳥が一斉に飛び立ち、大小様々な動物たちが一目散に逃げ出すのが見えた。
フィリアスもリーファも、その音には隠せない怯えを見せ、顔面蒼白になっている。
「……へえ。経験値が多そうだね」
対照的に、あたしの口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。