悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
息が詰まるような圧迫感で、あたし――セレスティア・フォン・ヴァイスは、意識の底からゆっくりと浮上した。
夜明け前の薄暗い寝室、なぜこんなに寝苦しいんだ、と重いまぶたをこじ開けると、その原因はすぐに判明した。
視界に飛び込んできたのは見慣れた自室の天井と――ではなく、黒い犬耳と、白い犬耳だった。
「……ぐっ、お前たちか」
ベッドの右側にはクロが、左側にはシロが、あたかもそこが自分たちの定位置であるかのように、すやすやと寝息を立てていた。
ただ寄り添っているわけではない。
クロはあたしの右腕にぎゅうとしがみつき、全体重をかけて血の巡りを悪くしている。
シロに至っては、寝ぼけて伸ばした腕が、あたしの喉元を的確に圧迫していた。
これは、愛情表現というより、寝ている間の無意識な暗殺未遂だ。
(昨夜、疲労困憊でベッドに倒れ込んだ時には、確かにいなかったはずだ)
半ば寝ぼけたクロがトイレの帰りに寝室を間違え、それを見つけたシロが「ずるい!」とばかりに続いた、といったところだろう。
容易に想像がつく。
(下の侵入に全く気付かないとは……あたしも鈍ったか?)
こいつらに気を許しすぎたというのもあるだろうが、連戦の疲労が思った以上に溜まっているのかもしれない。
警戒心が鈍るのは、この世界では命取りだ。
内心で舌打ちし、二人の小さな体をそっと引き剥がそうとした、まさにその時だった。
ドン、ドン、ドン!
静寂を切り裂き、施錠された玄関のドアが、遠慮なく、しかし明らかに切迫した様子で連続して叩かれた。
その音に、あたしの意識は一瞬で覚醒する。
「シロ! クロ! 起きな!」
先ほどまでの寝ぼけ眼が嘘のように、冒険者としての鋭い声が喉をついて出た。
その声に、二人はぱっちりと目を見開く。
だが、状況が理解できず、きょとんとした顔であたしとドアの方を交互に見ている。
「作業服を着て、得物を装備! 貴重品をまとめるんだ。急げ!」
有無を言わせぬ命令に、二人は弾かれたようにベッドから飛び降り、自分たちの部屋へと駆けていく。
その背中を見送りながら、あたしは手早く予備の革鎧を身に着け、壁に立てかけていた相棒――鉄バットを手に取った。
最悪の事態、この家、あるいはこの街からの脱出も視野に入れる。
(原作で発生する可能性があった、戦乱か内乱のイベントかい? 決めつけて過剰に対応するのは危険だが、油断も命取りだ。遠征から帰った翌朝にこれとは、本当に運がないね)
内心で毒づき、気持ちを戦闘モードに切り替えて、静かに玄関へと近づいた。
「姐御っ、寝てるんですか!? ああもう、大声で言えない用件なのにっ!」
聞こえてきたのは、聞き覚えのある焦った声。
リリの声だ。あたしは警戒を解かずにドアの鍵を開け、万一の奇襲に備えて、いつでも横から攻撃できる位置へと身を滑らせた。
ドアが開くと同時に、リリが転がり込んできた。
息を切らし、その顔には焦りの色が浮かんでいる。
「開いた!? 姐御っ、じゃなくてセレスティア様、親方からの急ぎの依頼です!」
「夜明け直後にかい? 穏やかじゃないね」
「はい。すごく格上の工房からの依頼らしくて。でも、報酬はすごく良いって……」
「ここで言っていい話かい? その依頼、すぐに済むのか?」
「いえ、最短でも往復で一週間はかかるそうです」
一週間。
その言葉に、あたしは数秒考え、決断を下した。
「鍛冶親方に直接話を聞きに行く。一週間以上ここを離れるなら、一度顔を出しておかないといけない場所があるんだ。用件を済ませてすぐに向かうと、親方に伝えてくれ」
リリはあたしの意図を測りかねたようだったが、こくりと頷くと、慌ただしく工房へと戻っていった。
寝室から、すっかり準備を整えたシロとクロが顔を出す。
その背中には、貴重品の入った背負い袋。
「仕事だ。夜逃げの準備はやめ。遠征の準備を始めな。あたしは挨拶してくる」
「はい!」「あう!」
二人の頼もしい返事を聞き、あたしは一人、早朝の街へと足を踏み出した。
向かう先は、教会が炊き出しを行っている広場だ。
今日はちょうどその日に当たるらしく、広場には既に気の早い貧民たちが集まり始め、教会関係者が慌ただしく準備を進めている。
目的は、あの老シスターだ。
シロとクロの帽子について助言をくれた彼女に礼を述べ、可能なら新たな情報を得たい。
骨惜しみせず働く老シスターの姿は、すぐに見つかった。
彼女はあたしに気づくと、なぜかほっとしたような表情を浮かべた。
(何故そんな反応を?)
この世界で、自分自身の利益を求めず他者に奉仕する人間は稀だ。
だからこそ、この老シスターにあたしは比較的好意を抱いている。
「遠征から戻られたそうですね。ご無事でなによりです」
「あんたの助言のおかげで、シロとクロも少しはマシな扱いを受けるようになったよ」
あたしがそう言うと、広場の隅からいくつかの刺すような視線を感じた。
炊き出しの責任者らしき、出世コースから外れたと噂の若い聖職者。
それから、貧民の中に紛れた、明らかにカタギではない目つきの連中。
「次の炊き出しにでも使ってくれ。少々なら別に使っても構わないよ」
あたしは銅貨と金貨を重ね、金貨は老シスターにしか見えないように、そっと手渡した。
老シスターは礼儀正しく感謝を述べると、声を潜め、あたしにだけ聞こえるように囁いた。
「好ましくない者たちが、あなた様と……『角』に注目しております。どうか、お気をつけください」
囁かれたと悟られないよう、あたしは頷きもせず、ただ「次はシロとクロも連れてくるよ」と言い残してその場を去った。
追ってくる気配はない。
だが、視線はいつまでも背中に突き刺さっていた。
自宅が遠くに見える場所まで戻ってくると、家の前が騒がしいことに気づいた。
人だかりの中心には、衛兵と向かい合うクロの姿。
クロは「どろぼー!」と繰り返し叫びながら、地面で痛みに呻いている冒険者を指差している。
見覚えのある顔だ。
以前ギルドで因縁をつけたあげく、シロとクロに返り討ちにされた男。
「クロちゃん、こんどは魔物じゃなくて空き巣を倒したのかい?」
「それが、冒険者を殴ったんだって」
「なあ衛兵さん。その子はクロっていってここに住んでる銀札さんの弟子だよ。元気よく挨拶するし金払いもきちんとしてる」
「ごろつきだよごろつき。そいつと違って、クロちゃんは無茶な値切りなんてしないからな!」
騒ぎを聞きつけた近所の住民たちが、口々にクロを擁護している。
衛兵は犬耳のクロに明らかに偏見の目を向けているが、住民たちの声に押されているようだ。
隅の方では、シロが自分の無力さに落ち込んでいる。
どうやら、手加減できる技を覚えていないため、手を出せなかったことを気に病んでいたらしい。
あたしが人垣を割って進み出ると、その場の空気が変わった。
「冒険者ギルド所属、銀札のセレスティアだ。そっちの黒いのと白いのはあたしの弟子で、ギルドに登録済みだよ」
そこで言葉を切り、じっと衛兵を見る。
装備も、個人の戦闘力も、あたしの方が数段上だ。
衛兵は怯えを隠せない。
「冒険者同士なら力比べで怪我することも珍しくないんだが……」
犯罪ではなく、ただの揉め事。
お互い、その方が面倒がないだろう?
そういうあたしの意図を察したのか、衛兵は「あまり騒ぎを起こすなよ」とだけ言い残し、そそくさと立ち去っていった。
地面で呻いていた冒険者もおもむろに立ち上がり、逃げ出す。
ここで捕まえれば騒ぎが大きくなる。
顔は覚えた。
後で必ず落とし前はつけさせてやる。
住民たちも散り、後に残されたのはあたしと、シロとクロだけだ。
(あの角が狙いか。これで、全て繋がった)
「貴重品も全て持ち出す。いいね」
他者に聞こえぬよう囁くと、二人は真剣な顔で頷き、家の中へと戻っていった。
再び荷車を牽き、鍛冶親方の工房へ着くと、親方は珍しく上機嫌だった。
「おお、来たか! 格上の工房から、対等な条件での取引が舞い込んできてな!」
親方は興奮気味に依頼内容を語る。
封印された重量物の急ぎでの輸送。
破格の報酬。
聞けば聞くほど、話が出来すぎている。
「親方、言いにくいんだがね」
あたしは老シスターからの警告と、たった今起きたばかりの空き巣騒動――その目的がおそらく『角』であったことを伝えた。
リックとリリの顔色が変わる。
リックが口を挟む。
「姐御がユニコーンの角っていうすげーマジックアイテム手に入れたんじゃないかって、冒険者連中が噂してたっすよ」
(あたしが倒したのはもどきだ。……ひょっとしたらもどきじゃないかもしれないが、角を持ち帰ったところで特に効果はない。根も葉もない噂だよ)
リリも続ける。
「セレスティア様は美容にも気を遣っていますから、髪や肌の綺麗さを、ユニコーンの角の効果だと思われたのでは?」
親方の顔から笑みが消え、厳しい職人のそれへと戻った。
「セレスティア殿を貶めるつもりなら、噂の順番など関係ない。あるらしい、隠しているらしいと決めつけて、力ずくで奪いに来るのは荒っぽいが常套手段だ」
親方の機嫌が急降下する。
公になっていない『希少鉱石』の件を抜きにしても、あたしは親方に大きな利益をもたらしてきた。
親方の了承を得ずにあたしに手を出すのは、親方のメンツを潰すことと同じだ。
息子で後継者候補のリックも、夜目候補で会計担当のリリも口を挟めない。
だからあたしが言葉にすることにした。
「親方、この依頼自体が……」
「……罠だろうな。舐めやがって」
親方の全身から荒々しさい怒気が立ち昇る。
だが、格上相手だ。
この依頼は断れない。
悔しさに歯噛みする親方と、不安げなリックとリリ。
その前で、あたしはふっ、と不敵な笑みを浮かべた。
「確認だ。依頼は断れないんだね?」
親方は怒りを堪え、無言で頷く。
「荷物を目的地へ運べば、相手は受け取り拒否できないのかい?」
親方が契約書を確認し、再び頷く。
その目には、怒りと共に、あたしへの期待が宿っていた。
「だったら、その依頼、受けてやろうじゃないか」
あたしは鉄槌を肩に担ぎ、悪女らしく、しかし心の底からの闘志を込めて言い放った。
「襲ってくるなら好都合だ。輸送依頼を完璧にこなした上で、返り討ちにしてやれば、面倒はまとめて片付くだろうさ」
その言葉に、シロとクロの目が期待に輝いた。
親方も、あたしの覚悟を認め、顔に獰猛な笑みを浮かべる。
「面白い! よし、セレスティア殿。最高の武器を用意しよう。飛び道具もだ。奴らに目にもの見せてくれるわ!」
危険な輸送任務という名の、壮大な返り討ち。
その準備の火蓋が、今、切って落とされた。