悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
意識の淵から浮上するように、ケイルはゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした視界に、白い何かが映る。
徐々に焦点が合うと、それは自分を覗き込む少女の顔だと分かった。
以前の、必死で泣きそうな表情とは打って変わって、今はどこか自信ありげで、それでいて幼さを残した気品のようなものが漂っている。
ケイルは、それが自分を助けてくれた「天使様」だと認識した。
その頃、あたしことセレスティア・フォン・ヴァイスは、山と積まれた鷹型魔物の「売り物になる状態の部位」でぎしぎしと軋む荷車を、黙々と牽いていた。
(あっち――前世の――現代医療レベルの外科手術まがいの治療に、術後の患者を揺らさずに運べる念動力、か。とんでもない能力だ。使い方によっては戦場の様相すら変えちまう)
ハネッコと仮称したあの少女の持つ力は、魅力的であると同時に、底知れない厄介さを秘めている。
下手に刺激すれば、どんな災厄が降りかかるか分かったものではない。
荷車の両脇では、シロとクロが、時折あたしの顔色を窺いつつも、比較的元気に並走している。
ハネッコは、その白い翼でふわりと宙に浮き、荷車の縁に軽く捕まって涼しい顔だ。
もっとも、その翼は物理的な揚力というより、何らかの神秘的な力で浮遊しているように見える。
そして、そのハネッコの後ろには、同じく念動力で浮かされたケイルが、まだ少しぼんやりとした表情でついてきていた。
「これ! あたしの!」
不意に、クロが荷台に積んであった保存食の干し肉の袋をぎゅっと抱え込み、所有権を主張した。
長旅で空腹だったのだろう。
その剣幕に、ハネッコが眉をひそめる。
「ですが、私は哀れな人間に治療を施したではありませんか! 相応の対価があって然るべきですわ!」
どうやら、自分も治療という「労働」をしたのだから、当然分け前があるべきだ、と言いたいらしい。
プライドの高さだけは一人前だ。
「こーはい(ケイル)は、むれ、ちがう!」
クロがケイルを指差して反論する。
ハネッコの貢献は、あたしの「群れ」に対する直接的なものではない、だから分け前を主張するのはおかしい、という理屈のようだ。
「リーダーはハネッコに借りはないお。借りがあるのはケイルだお。それに、これはリーダーがみんなのために用意した保存食だお」
シロが冷静に、しかしきっぱりとハネッコを諭す。
(シロもクロも、遠征続きでかなり体力がついたね。まあ、今はかなり加減した速度だから、こいつらでも余裕でついてこれてる訳だが)
手駒の成長は喜ばしい。だが、新たな火種はご免被りたい。
「おばさん、何がどうなって……痛っ」
ようやく状況を把握し始めたケイルが、あたしに声をかけようとして、傷口に痛みが走ったのか顔をしかめた。
「目が覚めましたか!」
ハネッコが、ケイルの声に気づき、慌てて取り繕ったような高貴な態度で振り返る。
だが、直前までシロとクロと子供レベルの言い争いをしていたため、いまいち様になっていない。
あたしはハネッコの言葉を遮り、先手を打った。
「すまないがこっちの話を先にさせとくれ。なあ、ハネッコ。あんた、人の頭の中を覗くときは、相手にバレないようにやるもんだぜ」
ハネッコの顔がサッと青ざめた。
どうやら無意識にあたしの思考――教会との接触を避けたい、こいつの悪知恵にこれ以上付き合うのはご免だ、等々――を読んでしまったらしい。
「癒やしの力を使えない私が教会に接触するなんて危険過ぎますっ。何とかして、この人間から情報を引き出して、安全を確保しなくては……! この人間、倫理観は終わっていますけれど、悪知恵……いえ、処世術には長けているようですし!」
聞こえるように言っているつもりか?
その割には小声だから無意識に口に出しているだけか?
どちらでも腹は立つね。
「人の頭の中を覗くときは、もう少しうまくやりな。あたしより凄腕の魔法使いも、あたしより気配を読むのが鋭い暗殺者も、あたしよりよっぽど気が荒くて口より先に手が出る傭兵も、この世にはごまんといるんだ。まだ死にたくないだろう?」
「な、なんのことです! 事実無根の中傷ですわ! 謝罪を物理的になさい!」
ハネッコは動揺を隠せない様子で叫ぶが、その声は震えている。
どうやら、あたしの言葉がただの脅しではないと理解したらしい。
(やれやれ、これ以上関わりたくないね、まったく)
「天使様。もしお住まいがないのでしたら、僕が世話になっている宿なら、なんとかなるかもしれません。僕が相部屋に移れば、一部屋空きますし……」
ケイルが、純粋な善意からそう提案すると、ハネッコはパッと顔を輝かせた。
「なあハネッコ。あんた、これまでどんな環境で暮らしてきたんだい? 別にあんたの種族の高貴な暮らしぶりを聞きたいわけじゃない」
「ケイルみたいな、駆け出しの新人冒険者が泊まる安宿ってのは、汚いわ狭っ苦しいわ虫は出るわで、およそ快適とは程遠い環境のはずだよ」
あたしの言葉に、ハネッコが怪訝な顔であたしの思考を(またしても無遠慮に)探り、そしてケイルの住むであろう宿の惨状(あたしの誇張まじりの予想だが)を読み取ったのか、顔を引きつらせた。
「えっ……うそ、本当にそんな劣悪な場所で人間は生活しているのですか……?」
「あたしたち、かいてき!」
クロが胸を張る。
「クロちゃん、リーダーに生活費も寝床も、ほとんどぜーんぶお世話になってるんだから、あたしたちも威張れないお」
シロが冷静にたしなめる。
ハネッコの動揺が念動力に影響したのか、ケイルが乗せられている不可視の何かが小刻みに上下し始めた。
(このままじゃ、ケイルが振り落とされて死ぬんじゃないかね? ……いや、この程度じゃ死なないか、あのガキは)
「分かった、分かった。教会には関わってなくて、そこそこ安全な宿をいくつか紹介してやるよ」
あたしがそう言うと、ハネッコは何か言いたそうにしたが、結局口を噤んだ。
「まさか、職まで紹介しなきゃ駄目だなんて言わないだろうね? あんたが何か問題を起こした場合、紹介したあたしが責任を問われることになる。それは真っ平ご免なんだが」
心底迷惑だというあたしの態度に、これまで周囲から傅かれるのが当たり前だったらしいハネッコは、少なからずショックを受けたような顔をした。
やがて、見慣れた都市の門が見えてきた。
「ケイル、あんたの外套、ハネッコに貸してやりな。どうやら、あの翼は目立つと本人が一番よく分かってるようだし、尊い天使様扱いされたくない事情もおありのようだ」
あたしの言葉に、ケイルは小首を傾げながらも、素直に自分の外套をハネッコに差し出した。
ハネッコは、ケイルの汗の匂いが染みついた外套に一瞬顔をしかめたが、背に腹は代えられないと観念したのか、それを受け取って窮屈そうに翼を隠そうと四苦八苦している。
見かねたシロとクロが、「しょーがないなー」とでも言いたげな顔で、その手伝いを始めた。
まったく、世話の焼ける奴らだ。
速度を落とし、門番の前で荷車を止める。
「よう、セレスティア。また随分と大物ばかり持ち帰ったな。こりゃまた報告書が大変だぜ」
顔なじみの門番が、荷車に山と積まれた鷹型魔物の素材を見て、呆れたような、それでいてどこか期待するような目で声をかけてきた。
外套で姿を隠したハネッコには気づいていないようだ。
「これは密輸品じゃなく、討伐依頼のついでにとってきた品だ。税金はきっちり鍛冶親方が納める手筈になってるよ」
この世界の貴族や役人は、目先の利益に目が眩んで、冒険者が命がけで得た素材まで不当に搾取しようとすることがある。
それを牽制するための、いつものやり取りだ。
「ちっ、分かってるよ。こっちはお上に提出する書類が増えるのが面倒だってだけだ」
門番は舌打ちしながらも、あたしの意図を正確に汲み取ったようだ。
「リストは作ってある。検分に使うかい?」
荷車に素材を積み込む前に、種類とおおよその数をメモしておいた紙片を差し出す。
「おう、そりゃ助かる。よし、入ってよし!」
メモの写しを受け取った門番は、それをちらりと見ただけで、あっさりとあたしたちを都市の中へと通した。
ハネッコは、外套の隙間から物珍しそうに都市の活気を眺めている。
あたしが荷車を進めると、置いて行かれまいと慌ててその後に続いた。
鍛冶親方の工房に到着すると、リックが「姐御! おかえりなさい! 今回もとんでもない量っすね!」と目を丸くして出迎えてくれた。
奥からはリリが、見習いの職人に「懇意にしてる親方衆へ、姐御が最上級の羽素材を大量に持ち帰ったと至急連絡するように!」と指示を飛ばしながら、あたしたちのために飲み水と手ぬぐいを持ってきてくれた。
「思ったより数が多かったからね。高く売れてくれないと、例の『ボール』の補充もままならないよ」
「あー……姐御、それがですね、残念なお知らせなんですが……」
リックが申し訳なさそうに切り出した。
先日の戦闘で、あの爆発するボールの威力と有用性がさらに知れ渡り、貴族や大商人からの注文が殺到。
結果、値段がとんでもなく跳ね上がっているらしい。
金策の悩みがまた一つ増えた。
「……分かった。今回の戦利品、できるだけ高く売ってくれ。頼んだよ」
「もちろんです! つきましては、荷車ごとこちらで預からせてほしいんす。ここまでの運搬は仕方ないとしても、素材はできるだけ良い状態で買い手に渡したいんで」
「あんたも言うようになったじゃないか。頼もしいねえ、次期鍛冶親方さんよ」
あたしがそう言って肩を叩くと、リックは「へへっ」と照れくさそうに笑った。
シロとクロ、そしてハネッコは、リリが用意してくれた手ぬぐいで顔や手の汚れを拭い、木のコップで水を飲んでようやく一息ついている。
「ケイル、教会で治療を受けるための金は、まさか持ってないだろうね?」
あたしの問いに、ケイルは「おばさん、無理だって分かってるでしょ……」と、ばつが悪そうに俯いた。
「なんですって!? 教会は、ケイルが治療費を払えないほどの法外な金額を要求するというのですか! 神に仕える身でありながら、なんと嘆かわしい!」
ハネッコが憤慨している。
どうやら、彼女にとっての教会は、もっと清貧で慈悲深い組織らしい。
「姐御、こちらのお方は……?」
リリが、ハネッコのただならぬ雰囲気に気づき、緊張した面持ちであたしに尋ねた。
リックはまだ、ハネッコの正体に気づいていないようだ。
(リリは勘がいい。この手の面倒事には鼻が利くタイプか)
「詳しいことは、鍛冶親方に直接全て話す。あんたも同席しな。ただし、ことがことだ。親方とあんた以外には、絶対に口外しないように」
「……分かりました」
リリは、緊張を隠せない様子で頷いた。
(ケイルの治療をどうするかね。あたしにとってはした金だが、ここで無条件に助けるのは癪だ。理想の展開は、ケイルが今回の件で、あたしに何らかの「貸し」を感じて、将来的にあたしへの復讐心を抱かなくなること)
(最悪の展開は……そうだな、教会がケイルの治療を引き受ける代わりに恩を売り、あたしと敵対関係にある教会側にケイルが取り込まれることだ。それは本気でまずい)
そんなことを考えていると、ハネッコが長旅と空腹、そして慣れない下界の空気に当てられたのか、こくりこくりと舟を漕ぎ始めた。
「ケイル、ほらよ。これで教会に行って、ちゃんと治してもらってこい。貸しだからな、いずれ返してもらうぞ」
あたしは懐から銀貨を数枚取り出し、ケイルに無造作に投げ渡した。
「おばさん! ありがとうございます! このご恩は決して忘れません!」
ケイルは深々と頭を下げると、まだ万全とは言えない足取りながらも、しっかりと工房を後にした。
(ケイルの奴、あの状態でもたいして苦痛を感じさせずに歩けるのか。原作主人公のフィジカルの強靭さは、戦闘能力以外でも規格外だね。まったく、どこまでも忌々しいガキだよ)
入れ替わるように、知らせを受けた鍛冶親方が、息を切らして工房に戻ってきた。
運び込まれた素材の山を見て満面の笑みを浮かべたかと思うと、あたしが渡した素材リストに目を通し、途端に強欲な商人の顔つきになる。
現金なものだ。
「ひゃっ!?」
うとうとしていたハネッコが、親方の放つ強烈なオーラに当てられたのか、小さな悲鳴を上げて飛び起きた。
そして、親方の(おそらく金儲けのことしか考えていないであろう)思考を無意識に読んでしまったのか、本能的な恐怖を感じて、あたしの背後に隠れるように素早く移動した。
(ヒーラーや戦闘支援要員としては魅力的だが……やはり、このハネッコをパーティメンバーとして扱うのは、今のあたしには荷が重すぎる)
(最低でも、あたし自身が金札冒険者クラスの地位と実力を手に入れて、周囲からの余計な詮索や干渉を力ずくで黙らせられるようにならないと、天使なんていう特別な存在を連れ歩くのは危険すぎる)
あたしは鍛冶親方に、ハネッコがなぜあたしについてくることになったのか、その経緯を説明した。
もちろん、「あたしがケイルの命を密かに狙っている」ことや、「ケイルの家族や故郷の村が滅んだ間接的な原因があたしにある」などという、己の暗部に関わる重大な秘密は巧妙に伏せて、だが。
ハネッコは、あたしの背後から親方の様子を窺っているが、その怯えようは尋常ではない。
あたしに対しても警戒心を抱いているが、鍛冶親方に対しては、それ以上に強烈な恐怖を感じているようだ。
「……聞かなかったことにしよう。セレスティア殿が成り行きで保護した客人、ということにしておく。俺が下手に口を出す筋合いのものではあるまい」
鍛冶親方は、あたしの説明を聞き終えると、重々しくそう言った。
「助かるよ。だが、万が一、教会があのハネッコのことで何か嗅ぎ回ってくるようなことがあったら、すぐに知らせてほしい」
「承知した。だが、考えたくもないな、そんな面倒事は」
親方は心底うんざりした、という顔でため息をついた。
「まあね。さすがに、天使がどうこうなんて話は、今のあたしには荷が重すぎるよ」
「セレスティア殿がそう判断するなら、それが正しいんだろう。冒険者ってのは、自分の実力と危険の度合いを正確に見極められねえ奴から早死にするもんだからな」
親方はそう言って、この話は終わりだ、とばかりに素材の検分を始めた。
あたしは、すっかり怯えきってしまったハネッコと、腹を空かせたシロとクロを連れて、馴染みの店へと食事に向かうことにした。
(しかし、ハネッコがあんなに鍛冶親方を警戒するとはね。まるで蛇に睨まれた蛙だった。親方の何が、あの子にあれほどの恐怖を抱かせるんだ? あたしの知らない、何かヤバイことでも裏でやってるのか、あの親父は……?)
新たな疑問と、厄介事の予感が、重くあたしの肩にのしかかるのだった。