悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~   作:星灯ゆらり

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【第39話】森の狩人と天使の影

森の奥深く、陽光すらまだらにしか届かぬ獣道とも呼べぬ場所を、あたし――セレスティア・フォン・ヴァイスは、荷車をその両腕で文字通り抱え上げ、無理やり進んでいた。

 

肩の骨がミシリと軋む音が聞こえる。

 

額から流れ落ちた汗が顎を伝い、呼吸は荒い。

 

「ぜえっ、はあ……っ! この、クソ重たい荷車め……!」

 

腕の筋肉が悲鳴を上げ、全身から汗が噴き出す。

 

いくら『足』に自信があろうと、道なき道を踏破するには、純粋な腕力と持久力が必要だ。

 

そして悲しいかな、あたしのそれは、カンストした耐久力に比べれば、あまりにも頼りない。

 

(前世に目覚めたときと比べればかなり強くなってるはずなのに、荷車一つ運ぶのが限界か。耐久力以外の才能が平凡未満だからな……!)

 

内心で毒づきながら、ようやく開けた僅かな平地に荷車をどさりと下ろすと、数秒肩で息を整えるだけで、身体の疲労は急速に霧散していく。

 

この異常な回復力だけは、我ながらチートだと思う。

 

「姐御、すごい!」

 

背後から、荷台から飛び降りたクロの純粋な感嘆の声が飛んできた。

 

見れば、あいつは道中で拾ったのであろう手頃な石ころを、自前の鉄バットでカキン、カキンと試し打ちしている。

 

もちろん、加工もされていない歪な石だ。

 

狙ったところに飛ぶはずもなく、あらぬ方向へと石つぶてが森の木々を叩き、甲高い音を立てている。

 

小動物くらいなら、この騒音だけで逃げ出すだろう。

 

黒い犬耳がぴこぴこと揺れていた。

 

一方のシロは、そんなクロの様子を黙って見ている。

 

その小さな頭の中では(石の音で獲物が逃げちゃうし、平地での狩りと比べてこうりつが悪いお……)などと考えているのだろうが、賢明にも口には出さない。

 

あたしもそうかなとは思ってるんだ。

 

でも、確かめずに何もしないってのも趣味じゃないんだよ。

 

「準備はいいかい?」

 

あたしの問いに、クロは「あう!」と力強く鉄バットを構え直し、シロは「いつもいける、よ!」と、以前より少しはっきりとした発音で元気に答えた。

 

シロも解体用ナイフの柄を握りしめている。

 

クロは早速、石のバッティングを再開する。

 

そのけたたましい音が、森の静寂を破っていく。

 

しばらくすると、その騒音に引き寄せられたのか、木々の間から一体の魔物が姿を現した。

 

「鹿……か?」

 

だが、通常の鹿とは比べ物にならない巨躯。

 

枝分かれした角は、鋭利な槍の穂先のようにつややかに光っている。

 

そして、その双眸は血のような赤みを帯び、明確な敵意をこちらに向けている。

 

「あたらないっ」

 

クロが放つ石つぶては、面白いように鹿の巨体を掠めていく。

 

焦れたような声を上げるクロ。

 

(日帰りでの討伐依頼を探して受けたが失敗だったか? この森の奥は、思ったより厄介だね)

 

内心で撤退の二文字がちらついた、まさにその時だった。

 

「リーダー! 足止め、お願い!」

 

シロが、鹿の魔物を真っ直ぐに見据え、その小さな体に似合わぬ強い意志を目に宿し、自信に満ちた声であたしに呼びかける。

 

その瞳には、明確な勝機が見えているようだ。

 

いつもは慎重なシロの、その自信に満ちた声に、あたしは口の端を上げた。

 

「……面白い。シロ! 思うようにやってみな!」

 

あたしは方針を変更し、元『角』だった黒塗りの鉄バットを握りしめる。

 

加速はできない。

 

ここでは木々が邪魔で、自慢の『足』を活かした一撃必殺は望めない。

 

だが、問題ない。

 

鹿の魔物が、鋭い角を突き立てて突進してくる。

 

あたしはそれを正面から受け止めず、側面からの攻撃に切り替え、鉄バットを叩き込む。

 

一撃は軽いが、確実に魔物の体力を削っていく。

 

そして何より、この鉄バットの持つデバフ効果が、徐々に魔物の動きを鈍らせていく。

 

あたしは攻撃を避けようとはせず、自慢の耐久力で耐え、踏みとどまることで時間を稼ぐ。

 

ミシリ、と全身の骨が悲鳴を上げるが、びくともしない。

 

その間、クロは別の方向から接近する魔物の気配を察知し、石のバッティングで牽制。

 

おかげで、あたしとシロは目の前の鹿に集中できる。

 

シロは、あたしが時間を稼いでいる間に、鹿の魔物の動きを冷静沈着に観察していた。

 

そして、魔物の注意が完全に逸れた一瞬を見逃さず、思い切り良く駆け出し接近する。

 

狙うは、毛が薄く、防御の手薄な関節部分。

 

手にした解体用ナイフが閃くと、分厚い獣皮をバターのように、あるいは熟練の職人が革を断つように、音もなく肉を裂き、腱を断ち、骨すらも容易く分断していく。

 

「ギシャアアアアッ!」

 

鹿の魔物が、これまでとは比較にならない苦悶の声を上げた。

 

その隙を、クロは見逃さない。

 

先ほどまでとは別人のような集中力で、大きく開かれた魔物の口めがけて、狙いすました石つぶてが吸い込まれるように正確に叩き込まれた!

 

「グゴッ!?」

 

喉の奥に石を詰まらせた鹿の魔物は、めちゃくちゃに暴れ狂う。

 

シロは即座にあたしの背後に隠れ、あたしは鉄バットを盾のように構え、防御に専念する。

 

シロは何もしない。

 

呼吸を整えて好機を待っている。

 

やがて、出血と窒息で体力を消耗した魔物は、最後の力を振り絞って逃走を図ろうとした。

 

だが、その背中にクロの放った石つぶてが、見事に後頭部を捉えた。

 

ぐらりと巨体が揺れ、その足元がおぼつかなくなる。

 

そこへ、シロが全力疾走して近づき、鹿の魔物の首筋に解体用ナイフで深々と一撃を加えてとどめを刺した。

 

「きゃん!」「やったお!」

 

シロとクロが、勝どきをあげよる。

 

「待ちな」

 

あたしはそれを手で制止する。

 

「別の魔物にコイツの亡骸を奪われたら、骨折り損のくたびれ儲けだ。喜ぶのは、無事に街へ戻り、職人に素材を引き渡してからだよ」

 

二人は、あたしの言葉にこくこくと勢いよく頷いた。

 

「さて、解体すればぎりぎり荷車に載せられるか。シロ、頼んだよ」

 

「あい!」

 

シロは心得たとばかりにナイフを構え、手際よく解体作業を始める。

 

その技術は、初めて解体用ナイフを手にした頃と比べて、格段に向上している。

 

血抜きから皮剥ぎ、部位ごとの切り分けまで、淀みない手つきだ。

 

全ての素材を荷車に積み込み終えると、あたしは深く息を吐いた。

 

「街まで戻るのが、また大仕事だね」

 

「あう……」

 

クロも、さすがに先行きを案じたのか、力なく同意の声を漏らした。

 

実際、単独の、普通の魔物では、既に今のあたしたちの相手にはならなくなってきている。

 

問題は、ここから無事に街まで帰り着けるかどうかだ。

 

街に戻り、馴染みの職人の元へ素材を持ち込むと、鹿の魔物の皮や立派な角はそれなりの高値で引き取られた。

 

「おお、こいつは見事な角だ! 森の奥まで行かないと手に入らん代物だぜ!」

 

職人も上機嫌が、肉については渋い顔をされた。

 

「セレスティア殿、狩人なみにしろとは言いませんが、この血抜きの甘さでは……これじゃあ二束三文にしかならんよ」

 

「森の奥だったからね。悠長に血抜きしている暇も場所もなかったんだよ」

 

「なるほど、奥ですか。どうりで立派な角なわけだ。ですが、肉に関してはこの額でしか引き取れませんな」

 

「角と皮は言い値で構わないが……この肉はどうしたものかねぇ」

 

あたしが溜息混じりに言うと、職人は苦笑した。

 

「セレスティア殿ほどの美食家が、これを口にするのはお勧めできませんな」

 

シロとクロは(焼けばなんとかなるんじゃないかな)とでも言いたげな、期待の眼差しを肉に向けている。

 

「……どんな味なんだい? 別にあんたの腕を疑ってるわけじゃない。純粋な興味だ」

 

「はは、本当に知りたいと? まあ、今回も良い取り引きをさせて頂きましたから、あちらのかまど、一つお貸ししましょう」

 

職人の厚意に甘え、あたしたち――主に、食い意地の張ったシロとクロが中心となって――は、試しに肉の一部を焼き、塩だけで味付けして口に運んだ。

 

「これは……」

 

言葉を失うほどの、獣臭さと硬さ。そして、微かに残る血の生臭さ。

 

クロは、「あうぅ……」と力なく呻き、その黒い犬耳がへにゃりと垂れた。

 

シロに至っては、潤んだ瞳であたしを見上げ、「残しちゃ、だめ……です、か?」と、か細い声で訴えてきた。

 

しかしこの場に捨てる訳にもいかない。

 

あたしはまだ熱い鹿肉を清潔な袋にまとめて、肩を落とした。

 

「シロ、クロ。あんたたちは先に家に戻って水浴びしてきな。その後は、ミレットのところだ。身だしなみは大事だからね」

 

あたしはそう言うと、二人にいくらかの銅貨を渡し、先に帰らせた。

 

最近はあいつらも美容院を喜ぶようになっている。

 

必要なこととはいえ、ずいぶんと贅沢になったもんだ。

 

あたしは、焼いた鹿肉が入った袋を荷車に積み、教会が炊き出しを行っている広場へと足を向けた。

 

そこには、以前シロとクロの帽子のことで助言をくれた老シスターの姿があった。

 

彼女はあたしの姿を認めると、常と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていたが、その瞳の奥に、一瞬、畏れにも似た何かが閃いたのを、あたしは見逃さなかった。

 

(……何だ? 今の反応は。まるで、とんでもないものを見たかのような……いや、あたしに向けられたものではない? ならば、何に――)

 

思考がまとまらないうちに、老シスターの前に立つ。

 

「今、時間いいかい? ああ、先にこれを渡しておくよ」

 

あたしは老シスターの動揺には気づかないふりをして、いつも通り金貨一枚を他の者には見られないよう、そっと老シスターの手に握らせた。

 

立身出世ではなく、純粋に福祉に身を捧げている彼女個人への、あたしなりの敬意だ。

 

老シスターは、その献金を受け取ると、いつもより僅かに深く頭を下げた。

 

だが、その表情は明らかに動揺している。

 

ようやくあたしも、その動揺が尋常ではないことに気づいたが、原因に見当もつかない。

 

「肉を焼いたんだが、少し余ってしまってね。引き取り手に心当たりはあるかい?」

 

あたしの言葉に、老シスターは一瞬言葉を詰まらせた後、静かに、しかし芯のある声で答えた。

 

「天からの恵みである糧は、大切に扱わねばなりません。……お狩りになったのなら、まずはご自身で味わうのが筋かと存じます」

 

その言葉は、あたしの胸に妙な重みでのしかかった。

 

正しい。

 

あまりにも正論だ。

 

「……分かった。今日食べる分は、全部これにするよ」

 

老シスターは、あたしの返答に安堵したように微笑むと、「残りは、有り難く炊き出しに使わせていただきます」と申し出た。

 

あたしは、自分が食べる分だけを荷車から降ろすと、残りの焼肉を全て彼女に引き渡した。

 

立ち去ろうとするあたしの背中に、老シスターが声をかける。

 

「セレスティア様。多くは語れません。ですが、もし、貴方様の近くに『天より遣わされし御方』がおられるのなら……どうか、その御方の力になって差し上げてください」

 

あたしはただ黙って頷き、その場を後にした。

 

一度自宅に戻り、荷車を置いてから、先ほどの鹿肉を無理やり胃に詰め込んだ。

 

その不味さについては、思い出したくもない。

 

気を取り直して、シロとクロを迎えに、あの魔族のミレットが経営する美容院へと向かう。

 

店の前に着くと、外套を羽織ったハネッコが、何をするでもなく周囲を散策していた。

 

よく見ると、その足は地面から数ミリほど宙に浮き、まるで滑るように移動している。

 

外套の隙間から覗く白い翼が、相変わらず現実離れした雰囲気を醸し出していた。

 

ハネッコは、美容院の建物から漂う独特な気配に気づいたのか、興味深そうにその看板を見上げている。

 

「セレスティアではないですか。……私が無意識に貴方の思考を読んでしまい、また機嫌を損ねられてはたまりませんから、気づいたのなら先に声をかけるくらいの配慮をなさいな」

 

あたしに気づいたハネッコが、相変わらずの尊大な口調で声をかけてくる。

 

「表情に出さない機嫌については見て見ぬ振りをして欲しいね」

 

悪態をつき返し、あたしはハネッコを促して美容院の扉を開けた。

 

店内では、シロとクロの施術がちょうど終わりかけたところだった。

 

ミレットの腕は確かで、二人の髪も肌も、見違えるように艶やかになっている。

 

「まあ、素晴らしい技術ですわ!」

 

ハネッコが、素直な感嘆の声を上げた。

 

その声と姿に、店主である魔族のミレットが気づき、ハネッコの――正確には、彼女が外套こそ着ているものの、その内側から漏れ出す尋常ならざる聖なる気配、天使であること――正体を見抜いたのだろう、顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。

 

ミレットは店主は必死の形相で、あたしですら気づくほどの全力で何らかの魔法的な防御障壁を展開し、ハネッコに思考を読まれまいと必死になっているようだ。

 

だがハネッコは初めて見る美容院の光景に目を奪われており、ミレットの異変にも、彼女が魔族であることにも気づいていない。

 

「セ、セレスティア様っ! な、な、なんて御方を連れていらっしゃるんですか!?」

 

ミレットが、あたしにだけ聞こえるような小声で悲鳴に近い声を上げる。

 

「気づかれる前に恩を売るか、さっさと逃げるかした方が賢明だと思うがね」

 

あたしは肩をすくめ、続ける。

 

「あたしと、そこのハネッコの予約は取れるかい? ……見ての通り、今日これから、というのは無理を承知で言っている」

 

ミレットは一瞬ためらったが、あたしの有無を言わせぬ視線に、諦めたように小さく頷いた。

 

(こいつがハネッコの翼や気配を隠す魔法でも使えればいいんだがね)

 

OL時代の記憶に目覚める前からトラブルばかりだった。

 

そろそろ都合のいいイベントでも起きてもいいと思うね。

 

あたしは待合席のソファーに座り、ゆっくりと息を吐くのだった。

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