悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
重いまぶたをこじ開けると、見慣れない、質素だが清潔な天井が目に入った。
そうだ、あたしは昨日の激闘の後、砦で部屋を借りて……そのまま気絶するように眠っちまったんだったか。
のろのろと体を起こす。
全身が軋むように痛む。特に背中の火傷と、足裏の小さな傷がジンジンと熱を持っている。
それでも、昨日までの絶望的なまでの疲労感は、多少なりとも薄れていた。
そしてすぐに、現実が容赦なく思考を支配する。
手に入れた大金(あたしにとっては、だけどね)。
失った武器。
あの忌々しい借金取りの存在と、タイムリミット。
そして、新たに突きつけられた魔法の脅威。
(武器か、借金返済か、魔法対策か……)
昨夜、答えの出なかった問いが再び頭をもたげる。
どれもが必要で、どれもが急務だ。
だが、金は有限。あたしは選択しなければならない。
(……クソッ、腹は立つが、順番だ!)
あたしは覚悟を決めた。
まずは、あの鬱陶しい借金取りどもとの縁を切る。
完全に、だ。
あいつらの殺意を思い出すと、中途半端な返済でまた付きまとわれるリスクは冒せない。
それに、これで精神的な重圧から解放されれば、次の行動にも集中できる。
武器は……ランク維持のために最低限は必要だ。
だが、それは後回し。
安物で我慢するしかない。
魔法対策も急務だが、情報も金もなければ始まらない。
これも後だ。
(よし、決めた。まずは借金清算! スッキリしてから、次の手を考える!)
方針が決まれば、行動は早い。
あたしはベッドから立ち上がり、身支度を整え、借りていた部屋を後にした。
砦の門へ向かおうとした、まさにその時。
「おお、セレスティア銀札! ちょうど良かった!」
声をかけてきたのは、昨日の軍医だった。
何やら慌てた様子だ。
「実はな、貴殿の『足』を見込んで、もう一つ緊急で頼みたいことがあるのだ!」
「……また依頼かい? こっちはこれから街に戻るところなんだがね」
あたしは内心の面倒くささを隠しもせず、ぶっきらぼうに答える。
「頼む! これも人命に関わる! 昨夜、見回り中に若い兵士が魔獣に襲われ、重傷を負ったのだ!」
「砦の設備では手の施しようがない。街の教会には高位の癒し手がおられると聞く。彼を……一刻も早く、教会まで運んでほしい!」
軍医は必死の形相だ。
「兵士は貧しい家の出でな、十分な治療費も払えん」
「砦からは規定の治療費補助(銀貨数枚)しか出せんが、依頼料は別途ギルドから支払われる! 頼む!」
(……また面倒ごと!? あたしだって自分のことで手一杯だってのに!)
舌打ちしそうになるのを、ぐっとこらえる。
だが、すぐに思考を切り替えた。
(いや、待てよ? これは……使えるかもしれない)
街へ戻る理由は既にある。
この依頼を受ければ、その移動が「仕事」になり、追加の報酬も手に入る。
しかも、届け先は教会。
あそこには、あたしが必要としている人材を紹介してもらえるかもしれないし、何より「教会に恩を売る」チャンスかもしれない。
悪評高いあたしにとって、そういう「貸し」はいくらあっても困らない。
(悪くない。むしろ好都合か)
「……分かったよ。その依頼、引き受けた。ただし、報酬はきっちり貰うからね」
「おお、本当か! 助かる!」
あたしは軍医から、治療費の入った小さな革袋と、兵士が運び込まれている場所を聞き、すぐさまそちらへ向かった。
医務室のベッドには、まだ少年と言ってもいいくらいの若い兵士が、青白い顔で横たわっていた。
呼吸は浅く、意識はない。
傷は深く、出血も酷いようだ。
一刻の猶予もならない。
あたしは前世の知識(救命講習とかで習ったっけか?)を思い出しながら、ファイアーマンズキャリーで彼を慎重に、だが素早く背負い上げた。
ずしりと重い。
だが、今のあたしの体力なら問題ない。
「行くよ!」
あたしは砦の門を抜け、街へと続く道を駆け出した。
人を背負っているため、昨日ほどの爆発的な速度は出せない。安定性を重視し、衝撃を与えないように、慎重に、しかし確実にペースを上げていく。
それでも、その速度は常識外れだった。
道行く商人や旅人が、風のように駆け抜けるあたしの姿を見て、唖然として立ち止まっているのが視界の端に映る。
(ふふん、驚いてるね。これが今のあたしの力だよ)
多少の疲労は感じるが、息はほとんど乱れない。
この「移動能力」は、単に速いだけじゃない。
人や物を運ぶことにも、絶大なアドバンテージがある。
これは……金になる力だ。
予定よりも遥かに早く、あたしは街の大きな教会の門をくぐった。
荘厳な建物。
静謐な空気。
場違いなあたしの姿に、周囲の信者たちが訝しげな視線を向ける。
「緊急だ! 砦から重傷者を運んできた! 癒し手はどこだい!?」
あたしが叫ぶと、奥から数人の神官やシスターが慌てて出てきた。
「まあ! ひどいお怪我……! すぐにこちらへ!」
彼らは手際よく兵士を担架に乗せ、治療室へと運んでいく。
あたしも預かっていた治療費の袋を手渡した。
ふぅ、と一息つこうとした、その時だった。
「お待ちください!」
凛とした、しかしどこかヒステリックな響きのある声。
声のした方を見ると、そこに立っていたのは、清潔な白い神官服に身を包んだ、線の細い美少女だった。
歳はあたしより少し下くらいか。
銀色の髪がサラサラと揺れ、大きな青い瞳があたしを真っ直ぐに見据えている。
整った顔立ちだ。
あたしより、ずっと。
……まあ、あの「ヒロイン」本人には及ばないだろうけどね。
彼女は、あたしのボロボロの姿と、運び込まれた兵士の様子を交互に見て、険しい表情で詰め寄ってきた。
「あなたがこの方を? いったいどういう経緯で……まさか、あなたのような方が、こんな重傷の方を運んでくるなんて……何か不埒なことを企んでいるのではなくて?」
は?
あたしの額に、ピキリと青筋が浮かんだ。
(なんだこのクソアマ! こっちは人助け(打算込み)してやったんだろうが! 第一印象で決めつけるな、この頭お花畑!)
反射的に怒鳴り返しそうになるのを、寸前でこらえる。
落ち着け、あたし。
相手は教会の人間、しかもこの雰囲気……おそらくヒロインに近い、面倒なタイプの正義感の塊だ。
ここで敵対するのは最悪だ。
(教会は敵に回せない……! 行政と権威、両方を敵にするようなものだ!)
あたしは深呼吸し、前世で培ったスキルを発動させる。
外面完璧・鉄壁スマイル!
「あらあら、誤解ですわ、見習い様」
あたしはできるだけ優雅に微笑んでみせる。
まあ、目は笑ってないだろうけどね。
「わたくしは砦からの緊急依頼で、この方を搬送して参りましたの。ご心配には及びませんわ」
しかし、あたしの作り笑顔と険悪なオーラは逆効果だったらしい。
見習い神官は、ますます疑いの目を深めている。
「ですが、あなたの評判はかねがね……!」
「まあまあ、アリサ、今は彼の治療が最優先です」
年長の神官が、見習いを宥めるように間に立った。
その神官は、あたしに向き直ると、事務的な口調で言った。
「事情は分かりました。あなたが迅速に運んでくださったおかげで、彼は助かるでしょう。……感謝いたします、セレスティア殿」
言葉は丁寧だが、その目には明らかに警戒心と不信感が宿っている。
へっ、感謝ねぇ。
口先だけなのが見え見えだよ。
治療が始まり、あたしは邪魔にならないように壁際に寄る。
その時、ふと足裏に走った鈍い痛み。
昨日、獣の森で負った小さな傷だ。
耐久力のおかげで大したことはないと思っていたが、血が滲み、少し腫れている。
(チッ、こんな時に……! でも、こっちの世界じゃ、こんな傷から破傷風になって死ぬことだってあるんだよな……前世の知識だけど)
面倒だが、放置はできない。
あたしは近くにいた別のシスターを呼び止め、足の治療を依頼した。
もちろん、有料だ。
クソッ、余計な出費が……。
簡単な治癒魔法か、あるいは念入りな消毒と包帯処置だけか。
ともかく、足の治療を受けながら、あたしはさっきの小生意気な見習い神官を横目で睨む。
そして、計画を実行に移すことにした。
(あのクソアマ、あたしの悪評を鵜呑みにしてやがるな。なら、逆に利用してやる。ここで『誠実さ』を見せつけて、少しでも印象操作してやるか!)
治療が終わり、治療費の銀貨を支払った後、あたしは年長の神官に向き直り、わざと周囲にも聞こえるような、よく通る声で言った。
「神官様、治療ありがとうございました。ところで、急な話で申し訳ないのですが、わたくし、個人的な金銭契約を早急に清算する必要がございまして」
「はあ……」
「つきましては、後々の紛糾を避けるためにも、公的なお立場で立ち会ってくださる『見届け人』の方を探しておりますの」
「どなたか、心当たりのある方をご紹介いただけないでしょうか?」
(公証人……前世の知識で知った、今あたしが必要な人材だ。こっちにも似たような役割の奴はいるはず)
(ここで借金返済の事実を公にすれば、『踏み倒した』なんて悪評も潰せる。依頼を断りにくい教会で頼めば、紹介くらいはしてくれるだろ)
(……手数料は覚悟するしかないだろうけどな!)
神官は一瞬戸惑ったが、あたしの申し出が(意外にも?)真っ当なものであること、そして教会内で騒ぎを起こされるよりはマシだと判断したようだ。
「……分かりました。街で公証人を務めている元役人のXX殿なら、力になってくださるでしょう。紹介状を書きましょう」
(よし、うまくいった!)
あたしは紹介状を受け取り、今度こそ本当に教会を後にした。
まずは冒険者ギルドへ向かう。
兵士輸送の依頼完了報告をして、報酬を受け取らなければ。
ギルドの受付嬢の態度は相変わらず冷たかったが、金貨(特例報酬のおかげだね)と銀貨を受け取り、懐は少しだけ温かくなった。
次に、紹介された公証人(厳格そうな老人だった)の事務所へ。
事情を説明し、高額な手数料を前払いして、借金取りとの面会の場を設けてもらう。
そして、ついに清算の時。
公証人の事務所に現れた借金取りの男二人は、あたしが本当に金を用意したことに驚きつつも、なお威圧的な態度を崩さない。
「……契約通り、利子を含めて全額、ここにお支払いします」
あたしは金貨と銀貨をテーブルの上に置き、公証人に確認を促す。
厳粛な雰囲気の中、金額が確認され、借金の証文はその場で破棄された。
(これで……ようやく、あのクソみたいな連中とも縁が切れた!)
借金取りは「運が良かったな、嬢ちゃん」と捨て台詞を残して去っていった。
あたしは巨額の出費に内心で悪態をつきながらも、背負っていた大きな重荷が消えたことに、深い安堵感を覚えていた。
公証人への手数料も支払い、残金は……かなり心許なくなってしまった。
さて、次だ。
次は「武器」。
ランク維持のためにも、自衛のためにも、このナイフ一本じゃ話にならない。
あたしは足の治療跡を気にしながら、鍛冶工房が集中する地区へと向かった。
目指すは、街で一番と評判の、頑固親父がやっている工房だ。
工房は、熱気と金属音、そして職人たちの活気に満ちていた。
壁には様々な武器が掛けられているが、どれも見るからに高そうだ。
(まともな銀札級の剣となると……やっぱり金貨数枚は覚悟しないとダメか……)
あたしはカウンターにいた若い弟子に、なるべく安価で、しかし最低限の耐久性はある長剣はないか、と尋ねてみた。
「安価で、耐久性、ですか? そうなりますと、材質よりも造り、ということになりますが……」
弟子が困ったように首を捻っていると、工房の奥から、いかにも頑固一徹といった風貌の、しかし鍛え上げられた体躯の老人が現れた。
この店の主、鍛冶親方に違いない。
「ほう、お嬢さん。なかなか面白いことを聞くな。安物で丈夫な剣、か。そんな都合の良いものがあれば、儂も苦労はせんわい」
親方は、あたしのボロボロの装備と銀札の徽章を値踏みするように見ると、意外にも話に乗ってきた。
「だが、使い方次第では、安物でも長持ちさせることはできる。例えば、お嬢さんのように速さを活かすなら、受け流し主体で……」
武器談義が始まりそうになった、その時。親方がふと、ため息をついた。
「……それに引き換え、うちのバカ息子は……。冒険者になるなどと言って家を飛び出したきり、ろくに顔も見せん。……貴殿も銀札だったな。歳も同じくらいか?」
あたしの心臓が、ドクリと跳ねた。
(あたしと同じくらいの歳の……銀札? いや、まさか……あのバカが……!?)
親方が語る息子の特徴――少し気弱だが根は真面目、体格はそこそこ――それは、紛れもなく、あたしが手下として使ってた、あたしのおこぼれ銀札になった男だ!
(は!? あのバカ、このガンコ親父の息子だったのかよ! しかも、この工房の跡取りで、正規住民……!?)
(なんてこった! とんでもないコネをみすみす捨て置くところだった……いや待て!)
あたしの頭の中で、新たな計算が高速で始まる。
(これは使える! まだ冒険者でいるなら、これからでも遅くない! いや、むしろ好都合だ!)
(鍛冶屋になるように仕向け、親方に恩を着せる形で……いや、息子本人に恩を売って、この工房への足掛かりにする方が確実か……? いや、両方だ!)
あたしは内心の衝撃と興奮を完璧に隠し、「冒険者稼業も大変ですわねぇ」と、しれっと話を合わせる。
さて、武器選びだ。
親方の店の剣は、どれも素晴らしい。
だが、高い。
今のあたしには、とてもじゃないが手が出せない。
そして、あたしは足裏の傷の痛みを思い出す。
あの破傷風の恐怖も。
(剣も大事だけど……それ以前に、この足で走れなきゃ意味がない! この世界じゃ、足元の怪我一つで簡単に死ねるんだ!)
あたしは親方に向き直り、言った。
「親方、剣も気になりますが……その前に、頑丈なブーツはありませんか?」
「特に、足の裏をしっかり守ってくれるような……獣の森のような場所では、足元の安全が何より重要ですので」
親方は一瞬きょとんとしたが、やがて「ほう」と感心したように頷いた。
「お嬢さん、若いのに分かっておるな。冒険者は足が命だ。よし、それならこれだ」
見せてくれたのは、分厚い革と、おそらくは金属板で補強された靴底を持つ、無骨だが非常に頑丈そうなブーツだった。
まさに「安全靴」だ。
値段は……安物の剣より高い!
(クソッ……! 足りるか……?)
あたしは財布の中身と相談し、顔をしかめながらも、その安全靴の購入を決意した。
そして、残った本当にわずかな金で、壁に掛かっていた中古の長剣――刃こぼれはあるが、辛うじて「剣」として機能しそうな、最低限の品――を指さした。
「……あと、あれも貰おうか。とりあえず、これがないと話にならないんでね」
親方は少し呆れたような顔をしたが、何も言わずに剣を渡してくれた。
(みっともない剣だけど、ないよりマシだ。これでギルドの連中も、ランク維持の義務違反とは言えまい。当面はこれでしのぐしかない)
(ヒロインどもは聖なる武具やら加護やらで守られてるんだろうけど、あたしは現実的に、地道にやるしかないんだよ!)
工房を後にする。
手に入れたのは、安物の剣と頑丈な安全靴、そして「使えるかもしれないコネ」の情報。
失ったのは、大金。
あたしは街の安宿(昨日とは違う、少しだけマシな部屋を選んだ)に戻り、ベッドにどさりと腰を下ろした。
新しい安全靴を試し履きし、安物の剣を壁に立てかける。
手元に残った金は、本当にわずかだ。
(金も、まともな武器も、魔法対策も、何もかも足りない。コネだって、まだ絵に描いた餅だ)
だが、不思議と気分は悪くなかった。
むしろ、これから始まる反撃への、静かな闘志が湧き上がってくる。
(でも、借金はない。破滅への『足』は手に入れた。足元の安全も確保した。それに、使える『情報』も手に入れた。……ここからだ!)
次の目標は明確だ。
魔法への盾! 本当の牙(武器)! そして、あの親子への『布石』!
(あのヒロインもどきに見下されないためにも、早く強くならないと! あたしが我慢しきれず爆発して、原作通りの断罪エンドを迎える前に!)
決意を新たに、あたしはなけなしの銅貨を握りしめ、部屋を出た。
向かう先は、宿の一階にある、場末の酒場。
「ねえ、一番安いエール、一杯ちょうだい」
注文したエールを、カウンターで一気に呷る。
久しぶりの、ほんのささやかな「戦利品」の味だった。
空になった杯を置き、窓の外の夜空を見上げる。
「さて、明日はまず何をしようか……武器の試し斬り? 魔法対策の情報収集? それとも……あのバカ息子の様子でも見に行くか?」
次なる一手へと思いを巡らせ、あたしは悪女の笑みを、夜の闇の中に深々と刻みつけた。