悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
夜が明けきらない薄闇の中、焦げ臭い匂いが鼻をつく。
あたしの家だった場所は、無残な残骸と化し、燻る煙が昨夜の惨事を物語っていた。
その庭先で、あたし、セレスティア・フォン・ヴァイスは腕を組み、一つの光景を冷ややかに見つめていた。
「よし、こんなもんでいいだろう!」
息を切らしたリックと、彼が連れてきた若い職人たちが、気絶したままのゲオルグを庭に突き立てた柱へ、荒縄でぐるぐる巻きにくくりつけている。
その柱は、職人の一人が護身用か何かで持ってきたという小型の物だが、罪人を晒すには十分な代物だ。
あたしは、ゲオルグから剥ぎ取ったばかりの、煤で汚れながらもその価値を隠しきれない漆黒の鎧を検分しながら、その手際の良さを黙って評価していた。
「へへっ、なんだか冒険者時代を思い出すッスね!」
額の汗を拭い、リックがどこか楽しそうに言った。
あたしは鎧から顔を上げ、忌々しい記憶でも思い出すかのように、フンと鼻を鳴らす。
「馬鹿言いな。あの頃のあたしとあんたじゃ、こんな大物を仕留めるどころか、返り討ちにあって野晒しになるのがオチだったよ」
「……そっスね。楽しかったッスけど、伸び悩んでたッス……」
リックは懐かしむように、それでいて少しほろ苦い表情で過去を思い返している。
あたしも、OL時代の記憶が蘇る前の、うまくいかなかった冒険者時代を思い出して、わずかに眉間の皺が深くなった。
性格は、あの頃から大して変わっていない気がするがね。
思考を打ち切り、あたしは柱へと歩み寄る。
そして、おもむろに腰のナイフを抜き放つと、ゲオルグがくくりつけられているのとは反対側に、荒々しい文字を刻み込んでやった。
『火付け強盗ここにあり。正当防衛により成敗す。銀札冒険者セレスティア』
見せしめと、自らの正当性をこの街の全ての住人に知らしめるための、悪女らしいささやかなパフォーマンスだ。
リックに鍛冶親方からの伝言(解決したら工房へ)を伝えられ、あたしは軽く頷いた。
数日後。
鍛冶親方の工房の中庭は、普段の鉄を打つ音とは違う、人間の欲望がぶつかり合う熱気で満ちていた。
急ごしらえのオークション会場だ。
出品物はただ一つ――ゲオルグの漆黒の鎧。
その鎧に用いられた未知の素材と加工技術を求め、都市内外から腕利きの職人や抜け目のない商人たちが集い、血走った目で値を吊り上げている。
「いやあ、すごい熱気だねぇ」
あたしは、シロとクロを両脇に侍らせ、その狂騒を高みの見物と洒落込んでいた。
ハネッコも一度は興味を示して顔を出したが、欲望渦巻く職人たちの強烈すぎる思考の濁流に当てられたのか、「頭が割れそうですわっ!」と悲鳴を上げて、早々に自分の代書屋へと逃げ帰っていった。
まったく、ひ弱な天使様だよ。
「姐御の家の再建費用なんざ、とっくに超えてるぜ!」
いつの間にか隣に来ていた皮なめし職人の親方が、興奮した様子で声をかけてくる。
実際、鎧の値段はあたしの予想を遥かに上回り、天井知らずに跳ね上がっていた。
「教会の、それも後ろ暗い部署が使う装備や技術について知ることのできる滅多にない好機だからな。この街以外からも参加者が集まっている」
鍛冶親方が小声であたしに囁く。どうやら彼は、他の親方衆と手を組み共同購入に切り替えてでも、この鎧を工房に持ち帰る算段らしい。
その時だった。
オークションの喧騒が、まるで潮が引くようにすっと静まった。
全員の視線が、会場の入り口に立つ二人の人物に注がれる。
一人は、見覚えのある老シスター。
そしてもう一人は、付き人らしき、穏やかな笑みを浮かべた老聖職者だ。
場違いなほど清廉な空気を纏う二人の登場に、あたしは思わず目を見開き、珍しく本気の驚きを隠せずにいた。
老シスターはあたしに気づくと、人の波を分けて近づき、深く頭を下げた。
「この度は、私どもの不行き届きにより、セレスティア様にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」
その丁寧な謝罪に、あたしが何かを返すより早く、付き添いの老聖職者がそれまでの最高額のさらに倍の値を、静かだがよく通る声で告げた。
会場が、どよめきと諦めの溜息に包まれる。
(……なるほどね。これが、教会からの『手打ち金』って訳か)
あたしは、この一連の茶番が、教会内の穏健派による、これ以上の情報流出を防ぐための介入であり、同時にあたしへの慰謝料を兼ねているのだと瞬時に理解した。
(大事件に関わるのは原作主人公の役目だろうが! あたしは破滅を回避して貴族に成り上がれたらそれで十分なだけの小市民なんだぞ!)
そんな傲慢極まりない思考で毒づいていると、オークションはあっさりと決着がついていた。
最終的に、ゲオルグの鎧は、あたしの家の再建費用の七倍という、もはや笑うしかない破格の値段で老聖職者側に落札された。
会場を用意した職人たちにも相応の手数料が入るため、誰も文句は言わない。
まさに、金の力による完全勝利だ。
老聖職者は、巨大な鎧が収められた箱を、まるで羽毛でも運ぶかのように片手で軽々と持ち上げると、老シスターと共に静かに去っていく。
その姿に、あたしは自分を遥かに上回る高レベル存在の片鱗を確かに感じ取り、背筋を冷たい汗が伝った。
正面から揉めずに済んで、本当に命拾いしたよ。
鍛冶親方と手数料の割合について最終確認を済ませ、ずしりと重い金貨が詰まった袋をいくつか受け取ると、あたしもその場を後にした。
自宅だった場所に戻ると、異変に気づく。
柱にくくりつけていたはずのゲオルグが、近所の住人が交代で見張っていたにも関わらず、まるで煙のように消え失せていたのだ。
教会の暗部か、あるいはあの老聖職者のような、高レベルの隠密キャラクターの仕業か。
(今のあたしの力じゃ、あんなのに本気で狙われたら、対抗する術がない……)
他者の都合一つで、いとも簡単に命を奪われうる。
その事実が、ずしりとした金貨の重み以上に、あたしの心にのしかかっていた。
その日の午後。
ハネッコの代書屋兼自宅は、静まり返っていた。
当のハネッコは、事務所の椅子に座ったまま、窓の外をぼんやりと眺めている。
人間たちに命を狙われた恐怖。
そして、あたしから流れ込んでくるOL時代の知識によって、自身の天使としての力が変質してしまうことへの、本能的な畏怖。
様々な感情が渦巻き、依頼された経理の仕事も全く手につかないでいた。
そんな彼女の耳に、聞き慣れた声が届く。
「ハネッコ、るす?」
「ハネッコー! 今日のご飯食べてないなら一緒に食べる、よ!」
シロとクロだ。
良い意味でも悪い意味でも、ハネッコの複雑な事情などお構いなしの二人の無邪気な声に、張り詰めていたハネッコの心が、少しだけ和らぐのが分かった。
あたしは、その様子を窓の外から(意図せず)見てしまい、ばつの悪さから咳払いをする。
「その、な」
気まずさを感じながら声をかけると、ハネッコはこちらの思考を読んだのか、くるりと振り返り、覚悟を決めたような顔で言った。
「分かっております! ええ、分かっていますとも。この建物の改装を、よろしくお願いいたします!」
(カーテンとかをかけるだけでもいいと思うが……。まあ、あれだけ金を渡されたんだ。再建費用一回分は、こいつに使わないと後が怖い)
「どういうことです?」
「口で説明するからこれ以上思考を読むんじゃないよ。あの店、行くだろ?」
「しかたがないですねっ」
ハネッコの表情は澄ましているが、見えない翼は上機嫌にぱたぱたと揺れているのが、あたしには何となく分かった。
馴染みの料理店の、一番奥にある個室。
目の前には、豪勢な料理の数々が並んでいた。
シロとクロは、自分たちの顔ほどある肉塊にかぶりつき、満腹になった後は床にごろりと転がり、今は大きな腹をさすりながら幸せそうな寝息を立ててている。
あたしは自分のマントを、二人の腹が冷えないようにそっとかけてやる。
静かになった部屋で、あたしはハネッコに向き直った。
「最初に言っておくが、あたしはあんたの事情に深入りする気はない」
ハネッコは、少しだけ寂しそうに、しかしこくりと頷いた。
その反応を見て、あたしは本題を切り出す。
「ところでハネッコ。あんた、経験値稼ぎに興味はあるかい?」
「何を言っているのです。この世界を、またその遊技盤のような思考で……」
ハネッコが呆れたように言いかけたのを、あたしは遮る。
「経験値稼ぎというより、スキル上げと言った方が正確だね。あたしも、つくづく力不足を実感してね」
その声には、先ほどのゲオルグの件で感じた、偽らざる焦りが滲んでいた。
「……あなた、その思考は病的ではないですか?」
「あのクソゲーと同じ手段で強くなれた、あたしたち三人という実例があるんだ。二匹目のドジョウを狙うのは当然だろ」
あたしの真剣な眼差しに、ハネッコも「否定は、できませんね」と、小さく呟いた。
彼女は優雅にスープを一口飲むと、居住まいを正し、その瞳にあたしが出会った時のような、神々しいまでの光を宿らせた。
「セレスティア・フォン・ヴァイス。あなたは力を得て、何を成すつもりですの?」
その問いは、まるで神の使いが、定命の者にその覚悟を問うているかのようだった。
あたしは一瞬、己の内に渦巻く、どこまでも俗な欲望――美食、豪邸、財産、地位――を思い浮かべる。
だが、それら全てを押し殺し、心の底から湧き上がる、ただ一つの渇望を、悪女らしい獰猛な笑みと共に口にした。
「そうだね。欲を言えばきりがないが……」
「破滅フラグを物理的に叩き折れるくらいには、なりたいね」
天使が息を呑む音が、静かな部屋に響いた。