悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~   作:星灯ゆらり

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【第46話】荒野の蹂躙者と空の捕食者

地平線の彼方から、緑色の津波が押し寄せてくる。

 

そのおぞましい光景を前に、あたし――セレスティア・フォン・ヴァイスは、ただ一人、乾いた大地を蹴った。

 

何一つ遮るもののないこの荒野は、あたしのための舞台だ。

 

ぐんぐんと加速していく我が身が生み出す熱を感じながら、内心で獰猛な、悪役令嬢らしい笑みを浮かべる。

 

(エネルギーは速度の二乗だったか? 今のあたしと、あのゴブリンどもで、本当にそうなるか実験してやろうじゃないか)

 

迫りくるゴブリンの群れ。

 

その最前列にいる連中の、ねっとりとした欲望の視線があたしの肌を撫でる。

 

若く健康な女に対する、隠そうともしない本能的なそれだ。

 

吐き気がする。

 

だが、その後方にいる、いくらか経験を積んでいそうな個体は、あたしが単なる獲物ではないことを見抜いていた。

 

その目に浮かぶのは欲望ではなく、危険な「冒険者」に対する警戒の色だ。

 

(速度が落ちれば鉄槌の威力も下がる。囲まれて密着されれば再加速も難しい。何より、後方で見ている手下どもに無様な真似は見せられない!)

 

あたしはゴブリンが最も密集している中心部をわずかに避け、速度を維持したまま密度の低い側面から突撃する。

 

最初に狙いを定めたゴブリンが、汚らしい棍棒を振り上げた。遅い。

 

ゴシャッ!

 

あたしの振り下ろした鉄バットが、ゴブリンの肩口を捉えた。

 

いや、これはあたしが振り下ろした力ではない。

 

加速したあたし自身の質量が乗った一撃が、ゴブリンの上半身の骨をたやすく砕き、その体を紙切れのように吹き飛ばしたのだ。

 

「ははっ! あたしが振り下ろした力より、よほど威力があるじゃないか!」

 

歓喜の声を上げる。

 

衝撃で速度は八割ほどに落ちたが、問題ない。

 

鉄バットを再度振り上げるより、足に力を込めて最高速へ戻すことを優先する。

 

あたしの一撃で、ゴブリンどもの頭から性欲は消え去ったらしい。

 

明確な敵意と恐怖を浮かべ、石や土塊、もしかしたら自分たちの糞かもしれぬゴミをがむしゃらに投げつけてくる。

 

(当たると浅いとはいえ傷ができる。これが耐久力頼りの防御の欠点だ。あたしも魔法や加護による防御が欲しいが……いかん、今は目の前の敵に集中しろ!)

 

思考を切り替え、今度は鉄バットでいわゆる「バント」の構えを取った。

 

回避による減速は悪手だ。

 

飛来する投擲物をその身に受けながら、群れの中を旋回し、突っ込んでくるゴブリンを的確に弾き飛ばしていく。

 

鉄バットにぶつかったゴブリンは、それだけで深刻な打撃を受けて地に沈んだ。

 

後方から、シロとクロの「リーダー、すごい!」「かっこいい!」という歓声が聞こえる。

 

ケイルが「おばさんの戦い方って、技術を捨てた純粋な力押しだよね」と呆れ気味に呟いているのも、風の音に混じってなんとなく分かった。

 

獣人たちは、ただただ目の前の光景に言葉を失い、あたしという存在への畏怖をその目に刻みつけていることだろう。

 

やがて、ゴブリンのリーダーらしき個体が、ひときわ甲高い声で何かを叫んだ。

 

あたしには理解できない言語だが、使われている単語が極端に少ないことだけは分かる。

 

「逃ゲルナ」「戦エ」「女」「殺セ」程度の、原始的な命令だろう。

 

その号令一下、生き残りのゴブリンたちの動きが変わった。

 

次の突撃を仕掛けたあたしに対し、彼らは一斉に、武器を捨てる勢いで抱きついてこようとする。

 

実に間抜けな光景だが、その意図は明らかだ。

 

一体でも抱きつくことに成功すれば、あたしの速度は確実に低下し、次の一体が、さらに次の一体が、連鎖的にあたしの動きを封じるだろう。

 

多大な犠牲を前提とした、有効な作戦だった。

 

「ちっ!」

 

最初は意図に気づかず、面白いようにゴブリンを跳ね飛ばしていたあたしだったが、ついに二体のゴブリンにしがみつかれ、速度が著しく低下したことで、自分が窮地に陥ったことを悟った。

 

腕に絡みつくゴツゴツとした腕と、その体から発せられる生理的な反応に、強烈な嫌悪感がこみ上げる。

 

「おばさん!」

 

後方でケイルが叫び、助けに向かおうとする気配がしたが、シロとクロは落ち着いているようだ。

 

「リーダーは負けないお」

 

「空、変!」

 

ゴブリン相手の戦いは早く片付けた方が良さそうだ。

 

あたしにしがみついたゴブリンの一体が、汚い歯を剥き出しにしてあたしの肩に噛みつこうとする。

 

「――っ!」

 

あたしは躊躇しなかった。

 

逆に、そのゴブリンの首筋に思いきり噛みついた。

 

酷い獣臭さと、血と泥の味が口の中に広がり、吐き気がこみ上げる。

 

だが、殺意がそれを上回った。

 

顎に渾身の力を込めると、ゴブリンが短い悲鳴を上げて逃げ出した。

 

「くそっ、臭いが口の中にこびりついてやがる!」

 

吐き捨て、もう一体のゴブリンに向き直る。

 

至近距離では鉄バットは振るえない。

 

あたしは髪が乱れ、肌が傷つくのを承知で、その顔面に強烈な頭突きを叩き込んだ。

 

ゴシャッという鈍い音と共にひるんだゴブリンを強引に引き剥がし、再び走り出す。

 

怒りであたしの油断は消え失せた。

 

執拗に、冷酷に、あたしはゴブリンの群れを蹂躙し、その数を残り十体ほどまで減らした、まさにその時だった。

 

「姐御、上、魔物!」

 

クロの、今まで聞いたこともないほど切羽詰まった叫び声が響いた。

 

その言葉を理解するより早く、クロの感じ取った焦りと恐怖に、あたしの体が反射的に反応していた。

 

いきなり進路を真横に変え、力任せに跳躍する。

 

直後。

 

あたしが先ほどまでいた空間を、あたしの頭ほどはある巨大な鉤爪が薙ぎ払っていった。

 

土煙の中から現れたのは、若い……それでも翼を広げた幅が五メートルはあるワイバーンだった。

 

その鱗はまだ薄く、成体ほどの威圧感はないが、それでも圧倒的な捕食者であることに変わりはない。

 

ワイバーンは攻撃を外したことに苛立ち、逃げ惑う最後のゴブリンたちを、まるで虫けらのようにあっという間に蹂躙した。

 

(ゴブリンの血の匂いに引き寄せられたか? それとも、元々この土地がこいつの狩り場だったのか。獣人たちが無事だったのは地下に、ゴブリンが無事だったのは新参者だったからか…?)

 

「おばさん、どうする!?」

 

ケイルが、戦うか逃げるか、あたしに判断を仰いでくる。

 

「逃げても追いつかれる。やるしかない」

 

「うん、分かった!」

 

ケイルが覚悟を決めた顔で頷く。

 

(最悪、ケイルを囮に特攻させればなんとかなるか)

 

そんな思考が頭をよぎった瞬間、ワイバーンが着地し、凄まじい速度でこちらに突進、その鉤爪を振り下ろしてきた。

 

あたしは、自分の回避は通用しないと判断して、耐えて反撃することを選ぶ。

 

しかしワイバーンの攻撃の余波で背中を強打され、勢いよく吹き飛ばされる。

 

カンストした耐久力で軽傷で済むが、圧倒的なパワー差を痛感させられた。

 

その時だった。

 

後方で「戦闘に参加する必要はない」と言われ待機していたハネッコの様子がおかしい。

 

過去、鷹やドラゴンに追われた恐怖がフラッシュバックしたのか、彼女は小刻みに震え、パニックに陥っていた。

 

あたしはハネッコから危険な気配を感じる。

 

尋常ではない魔力の高まり。

 

まずい、何をやる気だ!?

 

「ハネッコォ!!」

 

ワイバーンというよりハネッコの力から逃げ出す。

 

あたしの制止の声は、パニックに陥った彼女の耳には届かない。

 

彼女は荒い息をしながら、過去に一度だけ使ったことがある最大の攻撃――指定範囲からの酸素の強制移動――を無意識に発動させた。

 

これは火事にも効くが生き物に対してはもっと効く。

 

ワイバーンは突如として呼吸ができなくなり、困惑の声を上げる。

 

仕切り直そうと上空へ逃れようとするが、急速な酸欠に襲われ、力なく近くの地面に不時着した。

 

「シロ! クロ! ハネッコを落ち着かせろ! ケイル!! 今だ、奴を殺せ!!」

 

あたしは酸素が薄いであろう領域を大きく迂回して加速し、突然の体調不良に混乱するワイバーンに強烈な一撃を叩き込む。

 

そこにケイルが追いつき、弱ったワイバーンの首筋に渾身の斬撃を見舞った。

 

だが、とどめには至らない。

 

致命傷を負ったワイバーンが、最後の力を振り絞ってケイルを道連れにしようと反撃してきた。

 

「死ねぇッ!!」

 

あたしがカウンターで、がら空きになったワイバーンの頭部に鉄バットを叩きつける。凄まじい衝撃がその頭蓋を砕き、首の骨を折り、巨体は一度大きく痙攣したのち、完全に沈黙した。

 

戦闘が終わり、静寂が戻る。ケイルが息を切らしながら尋ねてきた。

 

「今のは……天使様の魔法? だよね」

 

「鉱山で、傷もないのに鉱夫が死ぬことがあると聞いただろう? あれと似たようなものさ」

 

この無礼だが頭は悪くない少年に、余計な知識を与える気はない。

 

冷静さを取り戻したハネッコが、あたしたちを危険に晒したことに気づき、強い自己嫌悪に顔を歪めている。

 

あたしは彼女に近づくと、珍しく穏やかな表情で声をかけた。

 

「冒険者でもない奴に、戦場で冷静でいろなんて無茶は言わないさ」

 

その言葉に、ハネッコの表情がわずかに和らぐ。

 

「だが、借りは借り、貸しは貸しだ。こいつを街まで運ぶのを手伝ってもらうよ。それで今回の貸し借りはなしだ」

 

あたしの言葉に、ハネッコは安堵しつつも、目の前の巨大なワイバーンの死体を見つめた。

 

そして、これをどうやって運ぶというのかと、冷や汗を流して顔を引きつらせるのだった。

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