悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
乾いた風が、赤茶けた荒野から都市の城壁へと吹き付ける。
その風に乗って運ばれてくるのは、土埃の匂いだけではなかった。
微かな血の匂いと、何よりも異様な熱気。
街道を行く人々が足を止め、驚愕と畏怖の入り混じった視線を向ける先には、この世の終わりか、あるいは祭りの始まりかと見紛うような、奇怪な行列があった。
軋み、砕け、もはや荷車としての原型を留めていない残骸の上には、巨大な翼を持つ魔物――ワイバーンの死体が鎮座していた。
その巨体は荷台から大きくはみ出し、ウサギの耳を持つ獣人の若者たちが、必死の形相でそれを支え、押している。
どう見ても物理法則を無視した光景。
荷車が今この瞬間に崩壊していないのは、ただ一点、行列の後方でふわりと浮遊する一人の少女――ハネッコの念動力が、ワイバーンの莫大な質量を支えているからに他ならなかった。
「おばさん、この荷車、すごい頑丈だね!」
そんな絶望的な状況を全く理解していない、能天気な声が響いた。
原作主人公、ケイルだ。
あたし、セレスティア・フォン・ヴァイスは、その忌々しい呼び方に、表情を変えぬまま内心だけで毒づいた。
(こいつ、あたしの殺気が本物だってまだ分かっていないのか? いいや、分かっていてこの態度なら、あたしという存在を心の底から舐めている証拠だ。……育った村が滅んだ間接的な原因があたしだと知れば、その澄んだ瞳にどんな憎悪を宿して襲いかかってくるのかね。実に楽しみだよ)
振り返り、殺気を込めて睨みつけると、ケイルは「ひっ」と肩をすくめる。
だが、効果は数時間しか持たないだろう。
根本的な解決には、やはり物理的な「教育」が必要らしい。
そんなあたしたちの険悪な空気を察してか、ハネッコが重いため息をつく気配がした。
「平和的な解決は、本当に難しいですわね……」
その言葉は風にかき消されるほどに小さく、あたしが聞き取れたのも偶然だった。
(ハネッコ、あたしの思考を読んでいるかい?)
あえて思考で問いかけると、呆れたような返事が来た。
「読むなと言ったり、読むのを前提にしたり、身勝手なものですわね。あなたの思考は、やかましい上に強すぎて、意識しなくても流れ込んできますのよ」
(本当かい? まあいい。それより、あんたの意向を確認したい。ワイバーン討伐の功績、あんたの名を公表するかい?)
「えっ……」
(あのワイバーンは、あんたの力がなければ倒せなかった。勲功一位は文句なしにあんただ。報酬も当然あんたが一番多く受け取る権利がある。だが、そうなれば、あんたの種族ではなく、あんたの持つ莫大な金を目当てにしたハイエナどもが、間違いなく群がってくる。覚悟しておきな)
ハネッコは、あたしの言葉に絶句したようだった。
天界での高貴な悩みとはかけ離れた、あまりに生々しく現実的な問題。
彼女の顔に、人間社会で生きていくことの厳しさが刻まれたのを、あたしは満足げに眺めた。
「ないしょの話、してる!」
「クロちゃん、しー、だよ。こらリナ! 手下が遅れそうなら負担を軽くしてあげるのが、あなたの仕事でしょう!」
前方では、シロが獣人たちのリーダーであるリナに、小さな上官のように指示を飛ばしている。
クロはそれを「あう!」と応援しているが、いまいち連携が取れていない。
あたしの「群れ」は、いびつな形で拡大しつつあった。
やがて見えてきた城門で、案の定、騒ぎが起きた。
「な、なんだありゃ!? ワイバーン……か?」
「よう、セレスティア! またとんでもねえもん持ち帰ってきやがって!」
顔なじみの門番Aが呆れたように声をかけてくる。
「状態の良いワイバーンの死体だ。でかい取引になる。傷む前に、懇意にしてる革職人のところに運び込みたいんでね。通してくれ」
あたしがそう言うと、隣にいた別の門番Bが、獣人たちを指差して眉をひそめた。
「待った! あんたらはいいが、その小汚いのは駄目だ。素性の知れん貧乏人を中に入れたら、ろくなことにならん」
冷たい、しかしこの世界ではごく当たり前の拒絶。
獣人たちの顔に絶望が浮かぶ。
「こいつらはあたしの手下の候補だ。見ての通り荷車はもう限界、運搬に人手がいるんでね。文句があるなら、あんたが代わりに運ぶかい?」
あたしが威圧的に言い放つと、門番Bは「ちっ」と舌打ちした。
門番Aが「分かった、分かった。俺が監督役でついていく。それでいいだろ」と間に入り、あたしたちはようやく都市の中へと足を踏み入れた。
先行したシロからの知らせを受け、革職人の工房前は既に物々しい雰囲気だった。
親方と妻、そして見習いの職人たちが、緊張した面持ちで待ち構えている。
「本当にワイバーンだ……。しかも、この状態の良さ。首に一撃、他はかすり傷程度。信じられん」
親方が息をのむ。
「専門家としてのあんたに聞きたい。解体して素材にするのと、剥製にでもしてしまうの、どちらが価値がある?」
「高価過ぎて、すぐには……。持ち主の方のご意向次第ですわ」
親方の妻が、ハネッコの方をちらりと見て言った。
翼を隠していても、その神々しいまでの美貌と雰囲気は隠せない。
彼女はハネッコを、素性の知れぬ、しかし絶対に関わってはいけない高貴な存在だと正確に見抜いていた。
その時だった。
「姐御ッ! やっぱりここにいたんすね!」
リックが息を切らして駆け込んできた。その顔には焦りの色が浮かんでいる。
「冒険者ギルドの連中が、親父のところに怒鳴り込んできました! 『セレスティアを取り込んで、我々ギルドに喧嘩を売る気か』って!」
「おばさん、そういう計画だったんだ」
ケイルが、あたしの深謀遠慮(?)に素直に感心している。
面倒な空気を察した門番Aは、「急用を思い出した」と、そそくさとその場を去っていった。
「状態の良いワイバーンに目がくらんで、言いがかりをつけてきただけさ」
あたしがそう一蹴し、獣人たちに職人の手伝いを命じようとした瞬間――背後から、全てを吹き飛ばすような、豪快で快活な声が響いた。
「ケイル! セレスティア殿も! ワイバーン討伐、見事だったと聞いたぞ! おめでとう!」
そこに立っていたのは、黄金の輝きを放つ札を首から下げた、金札冒険者その人だった。
以前ケイルの面倒を見ていた、あの男だ。
(……なんだ? こいつ、以前会った時より、放つ気配が段違いに強い。いや、違う。あたしの力が上がったことで、ようやく、この男の底知れない強さの輪郭が、おぼろげながら見え始めたんだ)
金札冒険者は、ギルドとの対立など意にも介さず、あたしとケイルの肩を力強く叩いた。
「いやあ、大したもんだ! ケイルはまだまだ知識が足りんが、セレスティア殿ほどの強者なら、いよいよ金札だな!」
「そんな話はギルドから聞いてないがね」
「はっはっは! ワイバーンを倒しておいて謙遜するな! 実績は十分すぎるほどだ! いやあ、今日は実に良い日だ!」
彼は、弟子と後輩の活躍を、何の裏もなく心から喜んでいる。
その圧倒的な存在感と実力を前に、ギルドがどうとか、職人との連携がどうとか、そんな矮小な問題が色褪せて見えた。
いつの間にか、ハネッコは「水浴びをして、美容院の予約を取ってきますわ」と小声で言い残し、人混みに紛れて姿を消していた。
まったく、抜け目のない天使様だ。
(どいつもこいつも、好き勝手やりやがって……)
あたしは、眼前に立つ規格外の「金札」と、これから敵対するであろう「冒険者ギルド」、そして守るべき手下たち――シロ、クロ、獣人、そしてあの逃げた天使と魔族のことまで思い浮かべ、深く、深く息を吐いた。
(あたしも、舐められないように、そしてこいつらを守るために、上を目指すしかない、か)
「……金札、ね。悪くない響きじゃないか」
あたしは、これから始まるであろう更なる激動を前に、獰猛な、悪役令嬢らしい不敵な笑みを浮かべた。
血と鋼、そして金と権力の匂いが、この街の空気を満たしている。
実に、あたしにふさわしい舞台だった。