悪役令嬢、耐久力999で破滅フラグを物理的に叩き折る! ~頼れるのは鉄バットとクソゲー知識でした~ 作:星灯ゆらり
工房に渦巻いていた、鉄と汗の匂いに混じった強欲な熱気が、ようやく凪いだ。
あたしが持ち帰った一本の鎖を肴に、親方衆はこれから始まるであろう資源回収計画の皮算用で盛り上がった末、今は雑談と商談の中間のような情報交換をしている。
「セレスティア様、お疲れでしょう。こちらを」
いつの間にか側に控えていたリリが、清潔な濡れタオルと湯気の立つ飲み物、それから簡単な軽食を盆に載せて持ってきてくれた。
その気遣いに内心で感心しつつも、あたしは立ったまま、手早く食事を胃に流し込む。
疲労は確かにあるが、休んでいる暇はない。
「リリ、紙とインクを持ってきてくれないか」
「はい、ただいま」
あたしは親方衆との次の交渉を、そしてこのダンジョン解体計画そのものを有利に進めるため、一つの布石を打つことにした。
OL時代の記憶ではない。
もっと前の、学生だった頃のおぼろげな記憶。
それを頼りに、あたしはリリが持ってきた羊皮紙の上に、インクを走らせ始めた。
「拠点としている川辺」「今いる都市」「そして、金札昇格試験の舞台である、あの忌々しい霊廟ダンジョン」。
三つの点を結び、記憶の中の地形と、実際にこの足で走った感覚を元に、川の流れや岩場などの目印を書き込んでいく。
等高線はおろか、正確な縮尺すら怪しい、あたしの基準では落書きに近い代物だ。
「うわ、姐御、いつの間に地図を書くスキルなんて手に入れたんですか!」
背後から覗き込んでいたリックが、素っ頓狂な声を上げた。
その声に、まだ資源の分配で揉めていた親方衆の視線が一斉にこちらへ突き刺さる。
「地図、だと?」
鍛冶親方が眉をひそめて地図に目を落とすより早く、まだ工房に残っていた数人の別の親方が、我先にと地図に群がった。
「セレスティア殿は兵役経験でも?」
「まさか、ヴァイス家の秘匿技術では……」
親方衆は口々に勘繰り、その目に驚愕の色を浮かべている。
この世界の地図というものが、いかに曖昧で、権力者が独占する情報であるかを、あたしは改めて思い知る。
この程度の落書きが、彼らにとって正確な輸送計画を可能にする戦略級の情報だったのだ。
あたしが内心で呆れていると、親方衆はあたしを完全に置き去りにして、その地図がもたらす戦略的価値について、専門用語を交えた議論を白熱させ始めた。
正確な輸送計画、必要人員と物資の算出、そして何より、他の工房や商家を出し抜いて利益を独占するための算段。
彼らの思考は、もはや職人ではなく、冷徹な経営者のそれだった。
(職人全員で結託されると、あたしが交渉に不利になるんだがねぇ)
苦々しく思っていると、意外なことに、話がまとまった親方衆の方から、あたしに有利な提案がいくつも突きつけられた。
「セレスティア殿、この計画の成功にはあなたの協力が不可欠。つきましては、今後の活動資金として、我々から融資をさせていただきたい。もちろん、破格の低利で」
「ダンジョンとの往復に使うための、大型で頑丈な特注の背負い袋など、いかがですかな?」
(こいつら、あたしを逃がさないために、自ら首輪を差し出してきやがったか)
ワイバーンの綺麗な死体の売却益(あたしの取り分は全体の4分の1)などがありつつも、家のローンや新しい武器の支払いで資金が潤沢ではないため、この提案を受け入れることにした。
彼らを侮れない、見誤れば簡単に見捨てられるだろう、と評価を改める。
交渉が一段落した後、あたしはリックに相談を持ちかけた。
「さすまたっすか?」
「獣人どもに持たせるのさ。まともに訓練していない素人がスケルトンのような敵を相手にするには、直接攻撃させるより動きを封じる方が確実だろう?」
「なるほど! 確かにスケルトン相手だと突いても当たらないし、振り下ろしても上手に当たらないっすね。さすまたなら、複数でかかれば抑え込むだけなら可能で、そこを姐御が一撃すれば簡単ってわけっすか!」
「訓練は必要だろうけどね」
あたしたちが話を進めていると、鍛冶親方が加わっていた。
「冒険者ギルドとの対立はできるだけ避けて欲しい」
「あたしもそのつもりだが、舐められて反撃しないとそれ以上の損になるからね」
「舐められたままだとまずいのは職人も同じだろう。まあ、冒険者よりはましだろうが」
あたしの言葉に、三人の間にわずかな沈黙が落ちる。
あたしと組んだことで、この工房も教会と疎遠になりつつある。
この世界でヒーラーとの縁が薄れることのリスクを、誰もが理解していた。
融資された資金は、直接受け取ることはしなかった。
「金の保管までやってたら、冒険もダンジョンでの略奪もする暇がなくなるよ」と告げ、帳簿上のやり取りに留めてもらう。
身軽さが、今のあたしにとっては武器になる。
工房を後にしたあたしは、一路、市場へと向かった。
拠点にいるシロやクロ、そして獣人たちのための食料調達だ。
単調な食事は士気を下げる。
特に、荒野では手に入りにくい、ビタミン豊富な柑橘系の果物をいくつか買い込んだ。
その時だった。
市場の雑踏の中に、見覚えのある二人組の姿を見つけた。
ケイルと、見習い神官のアリサ。
ケイルの見た目は様変わりして、派手ではないがないが良質な武具で身を固めた有望な冒険者に見える。
教会で大事に育成されているであろう見習い神官(アリサのことだ)と釣り合いがとれている。
あたしに気づいたアリサが、あからさまに「嫌な人に会ってしまった」という顔でそっぽを向く。
対照的に、ケイルはぱっと顔を輝かせた。
「おばさん! ひょっとして冒険中!? 僕も参加していい!?」
その忌々しい呼び方と、悪意のない無邪気さに、あたしのこめかみがピクリと動く。
「駄目に決まっているだろう」
金札への昇格試験であることも、ダンジョンを略奪予定であることもおくびにも出さず、冷たく一蹴してその場を後にした。
工房に立ち寄り、リックに手配させておいた「さすまた」を複数受け取ってから、あたしは都市の門をくぐった。
人気のない道を選び、荒野に入ってからは、人に会うことはおろか、以前は頻繁に遭遇していた魔物の気配すら感じない。
(あたしが強くなって、魔物が怯えて近付かなくなったのならいいが……。原作開始時期でもないのに、原作のイベントが進行してフィールドマップに登場する敵が変わっている展開はやめて欲しいね)
一抹の不安を覚えながらも、あたしは速度を上げて拠点へと急いだ。
何事もなく拠点に到着すると、そこは数日前とは比べ物にならないほど生活感に満ちていた。
掘の周りには、獣人たちが川で洗濯した布が干され、獲った魚を燻製にする煙が立ち上っている。
あたしは物資保管用のテントに背負い袋とさすまたを置くと、クロを呼びつけた。
「この果物は毎日一つ全員に食べさせろ。クロとシロもだよ」
「きゅうん……」
酸っぱい果物が嫌いなのだろう、クロが情けない鳴き声をあげる。
あたしはそれを無視し、もう一つの袋を差し出した。
中身は、甘い果物を干したものがみっしり詰まっている。
確認したクロは、犬耳を見れば分かるほどに機嫌を良くした。
「獣人どもに飴を与えるときに使いな。ああ、そんなに情けない顔をするな。あんたたちが食べても構わない……いや、少し待て」
あたしは両手でクロの頬を押さえ、器用にその口を開かせた。
「そういえば歯磨き用の道具を持ってきていなかったね。あんた、面倒臭がって歯の手入れさぼってないかい? せめてうがいくらいは……おい」
クロの目が、気まずそうに左右に泳いだ。
その時だった。
見張りをしていたシロが、鋭い声で叫んだ。
「リーダー! 変なのが来てる、よ! 魔物じゃない!」
シロが指差す方角から、一人の人影が、砂塵を上げて近づいてくる。
あたしたちがいる都市とは、まったく違う方角からだ。
やがて姿を現したのは、狐によく似た大きな耳と、豊かな複数の尻尾を持つ、性別の判然としない人物だった。
その人物は、あたしたちの拠点を見つけると、満面の笑みを浮かべた。
「おやおや、こないなとこに村作りとは、精が出ますなあ」
その口調は、この世界にあるはずのない、あたしの耳に関西弁のように聞こえる、ひどく胡散臭いものだった。
(こいつの顔、どこかで見た覚えが……。って、こいつ、原作に登場した、ダンジョン内でも登場する怪しい商人じゃないか。ゲーム序盤だとたいしたものは売ってなかった気がするが……)
魔族の一種。
だが、この商人はあたしが魔族に対して良い意味でも悪い意味でも差別意識がないことを、その鋭い観察眼で見抜いたらしい。
そして、あたしを除けば子供ばかりの集団が、ダンジョン攻略と略奪のための前線基地であることも察したようだ。
「お客はん、ちょうどええもんが色々ありまっせ。こちらの歯ブラシなんてどうどす? 旅のお供に、身だしなみに、一本あれば万事解決ですわ」
魔法で拡張されているのであろう鞄から、次々と珍しい商品を取り出し、熱心に売り込んでくる。
シロとクロは興味津々で、獣人たちも遠巻きながらその様子を窺っている。
(商売人は苦手だね。苦手でもなんとかつきあっていくしかないんだが)
あたしは、暴力では解決しない、新たな種類の厄介事の到来に、深く、深くため息をつくのだった。